鷺の艇歴

 年 月 日:艇歴

10.11.22:命名:達第140号:「鷺」(サギ) 10.11.22:類別等級制定:内令第474号:種別:水雷艇、類別:水雷艇、艇型:鴻型 10.11.22:本籍仮定:内令第473号:呉鎮守府 11.05.20:起工 11.09.08:信号符字改正:達第41号:JXEA 12.01.30:進水 12.04.10:艤装員長:海軍少佐 本倉 正義 12.04.17:艤装員事務所を株式會社播磨造船所内に設置し事務を開始 12.07.31:本籍:内令第390号:呉鎮守府 12.07.31:竣工、艤装員事務所を撤去
12.07.31:水雷隊編制:内令第391号:第十一水雷隊、本籍:呉鎮守府 12.07.31:警備戦隊編制:内令第392号:呉警備戦隊第十一水雷隊 12.07.31:内令第393号:第一豫備水雷艇 12.07.31:水雷艇長:海軍少佐 木倉 正義 12.08.07:警備戦隊編制:内令第413号:呉警備戦隊より削る 12.08.07:艦隊編制:内令第 号:第二艦隊第十一水雷隊      〜08.20佐世保      〜08.23佐世保 12.12.01:警備戦隊編制:内令第 号:呉警備戦隊第十一水雷隊 13.01.01:役務:内令第1号:当分の間豫備水雷艇の儘海軍兵學校及海軍潜水学校の練習のように充つ 13.03.01:役務:内令第138号:豫備水雷艇の儘海軍兵學校及海軍潜水学校の練習のように充てたる處之を解く 13.03.01:役務:内令第139号:警備兼練習水雷艇        練習のことに関しては海軍兵學校長の指揮を受けしめらる 13.08.23:水雷艇長:海軍少佐 菅原 六郎 13.12.15:水雷隊編制:内令第1107号:第十一水雷隊解隊 13.12.15:役務:内令第1109号:第三豫備水雷艇 13.12.15:水雷艇長:海軍少佐 山口 達也 14.01.10:水雷艇長:海軍少佐 井上 規矩 14.01.15:役務:内令第26号:第一豫備水雷艇 14.03.06:水雷艇長:海軍大尉 柳瀬 義雄 14.03.23:1000 特設工作艦香久丸」の右舷に横付け      1415 横付離す  14.11.15:水雷艇長:海軍少佐 柳瀬 義雄 15.10.15:水雷艇長:海軍大尉 松本 正平 15.11.15:水雷隊編制:内令第834号:第十一水雷隊、本籍:呉鎮守府 15.11.15:戦時編制:支那方面艦隊附属上海方面根據地隊第十一水雷隊  16.07.25:水雷隊編制:内令第836号:第十一水雷隊より削る
16.07.25:戦時編制:聯合艦隊第五艦隊 16.12.01:信号符字改正:達第369号:JVKP 16.12.--:軍隊区分:北方部隊主隊 16.12.16:厚岸〜哨戒〜12.16厚岸 16.12.17:厚岸〜12.18大湊 16.12.22:大湊〜12.26父島 17.01.06:父島〜01.08横須賀 17.01.12:横須賀〜01.13横須賀 17.01.17:横須賀〜01.18横須賀 17.01.21:横須賀〜01.23大湊 17.01.25:大湊〜01.26厚岸 17.02.01:軍隊区分:機密北方部隊命令作第14号:主隊 17.02.01:厚岸〜02.08横須賀 17.02.24:横須賀〜02.26厚岸 17.03.04:厚岸〜03.05厚岸 17.03.07:厚岸〜03.07釧路 17.03.11:釧路〜03.13釧路 17.03.24:釧路〜03.27釧路 17.03.28:釧路〜03.28厚岸 17.03.31:厚岸〜03.31釧路 17.04.01:水雷艇長:海軍大尉 生永 邦雄 17.04.05:釧路〜04.05厚岸
17.04.10:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第一海上護衛隊 17.04.10:艦隊区分:第一聯隊(1)第二小隊 17.04.10:軍隊区分:第一護衛部隊 17.04.--:横須賀〜04.14呉 17.04.19:呉〜04.19六連 17.04.21:(第101船団護衛)六連〜04.26馬公 17.04.28:(第201船団護衛)馬公〜      〜05.01 0845(N28.16-E123.50)陸軍徴傭船甲谷陀丸」被雷〜      〜05.01 1300 陸軍徴傭船「甲谷陀丸」の救助の見込みなく乗員、重要書類を収容〜      〜05.04六連 17.05.09:(第110船団護衛)六連〜05.15馬公 17.05.18:(第211船団護衛)馬公〜05.24六連 17.06.--:艦隊区分:第一部隊(3)第一小隊(2) 17.06.03:(特船団護衛)六連〜06.09マニラ 17.06.12:(A船団護衛)マニラ〜06.15馬公 17.06.16:(第223船団護衛)馬公〜06.21呉 17.06.--:修理 17.06.24:呉〜06.24六連 17.07.04:(第133船団護衛)六連〜07.10馬公 17.07.12:(第233船団護衛)馬公〜07.17六連 17.07.24:(第142船団護衛)六連〜07.29馬公 17.08.04:(第244船団護衛)馬公〜08.09六連 17.08.13:(第149船団護衛)六連〜      〜08.17 浮流機雷1個処分〜      〜08.17馬公 17.08.22:(第253船団護衛)馬公〜08.26六連 17.09.02:(第157船団護衛)六連〜09.06馬公 17.09.13:(第261船団護衛)馬公〜09.17六連 17.09.20:(第166船団護衛)六連〜09.24馬公 17.09.26:(第267船団護衛)馬公〜09.30六連 17.10.--:艦隊区分:艦船番号(14) 17.10.10:(第174船団護衛)六連〜      〜10.14 1610(N25.20-E121.01)「帝村丸」被雷〜      〜10.15馬公 17.10.12:軍隊区分:第一護衛部隊 17.10.17:(第278船団護衛)馬公〜10.22六連 17.10.26:六連〜10.26呉 17.11.--:入渠修理、探信儀装備 17.12.01:軍隊区分:北護衛隊 17.12.03:呉〜12.04六連 17.12.05:(第197船団護衛)六連〜12.10馬公 17.12.10:艦隊区分:艦船番号(14) 17.12.10:軍隊区分:北護衛隊 17.12.12:軍隊区分:西護衛隊 17.12.15:水雷艇長:海軍大尉 川畑 誠 17.12.16:(第355船団護衛)馬公〜12.21聖雀 17.12.28:(第546船団護衛)聖雀〜12.31昭南 18.01.01:軍隊区分:北護衛隊 18.01.04:(第657船団護衛)昭南〜01.08聖雀 18.01.13:赤痢患者が発生したため船団護衛を中止し西貢にて患者の入院及び艦内消毒 18.01.24:軍隊区分:西護衛隊 18.02.01:水雷艇長:海軍大尉 吉井 俊雄 18.02.19:(第474船団護衛)聖雀〜03.01高雄 18.03.06:高雄〜03.06馬公 18.03.07:(第375船団護衛)馬公〜03.12聖雀 18.03.17:(第565船団護衛)聖雀〜03.20昭南 18.03.25:(第677船団護衛)昭南〜03.28聖雀 18.03.30:(第484船団護衛)聖雀〜04.06高雄 18.04.01:艦隊区分:艦船番号(13) 18.04.01:軍隊区分:西支隊 18.04.09:軍隊区分:北支隊 18.04.09:(第250船団護衛)高雄〜04.14徳山 18.04.14:徳山〜04.14門司 18.04.21:(第149船団護衛)門司〜      〜04.25 0935(N23.08-E119.54)敵潜探知、爆雷攻撃〜      〜04.26高雄 18.04.27:(第256船団護衛)高雄〜05.02門司 18.05.05:(M船団護衛)門司〜05.08高雄 18.05.13:(第261船団護衛)高雄〜05.18呉 18.05.15:水雷艇長:海軍豫備少佐 北 彌三郎 18.05.18:入渠、修理 18.05.29;出渠 18.05.31:呉〜港外〜05.31呉 18.06.03:呉〜06.03門司 18.06.04:(第163船団護衛)門司〜      〜06.06(N30.05-E126.28)陸軍徴傭船「大和丸」が敵潜より砲撃を受けるが被害なし〜      〜06.08馬公 18.06.09:馬公〜06.09高雄 18.06.12:(U船団護衛)高雄〜06.17佐世保 18.06.19:佐世保〜06.19門司 18.06.26:(第170船団護衛)門司〜07.01高雄 18.07.01:水雷艇長:海軍少佐 北 彌三郎 18.07.05:第一海上護衛隊電令第192号:護衛区分改正      1.一七三(特に7日に改む)第三十六號哨戒艇及び四班        一七四(10日臨時Eを取止む、但し富士丸、鴨緑丸を含む七一船団(佐渡)と            同行の上、発航、高雄冲にて分離す)早苗と七班        一七五(10日)朝顔呉竹及び十班      2.二七九(二日繰下げ7日とす)鷺並に北京丸 18.07.09:(第279船団護衛)高雄〜07.14門司 18.07.17:(第177船団護衛)門司〜      〜07.20 1937(N26.33-E124.49)船団が雷撃を受けるが被害なし、附近制圧〜      〜07.22高雄 18.07.26:(第762船団護衛)高雄〜07.30マニラ 18.08.01:軍隊区分:電令作第93号:廃止、直率 18.08.02:(第3109船団護衛)マニラ〜08.10パラオ 18.08.12:(第3215船団護衛)パラオ〜      〜08.15 1820(N12.42-E126.42)浮流機雷1個処分〜      〜08.18マニラ 18.08.15:艦隊区分:機密第一海上護衛隊法令第20号:廃止、艦船番号:(21) 18.08.21:(第864船団護衛)マニラ〜08.25馬公 18.08.28:馬公集合地管理官機密第281705番号:      1.第二九七船団七隻(白陽丸、はあぶる丸、利根丸*1基隆より合同)鷺        29日1300発3日0700着の予定、一四、五節      2.Cだあばん丸JKQD(十四班乗船)米9000瓲文字、        C國光丸JKJO鉄礦161瓲八幡、Cはあぶる丸JDLD米7800噸、        利根丸JTFD*1船客450名以上神戸、        A松東丸JSMO米6250瓲、便乗者50名、A冨生丸JLNRボーキサイト2150瓲便乗者109名以上門司、        B白陽丸JFWR便乗者12名以上佐世保、        B春島丸JKLQ(特設電線敷設船)、B播州丸JECN以上2隻船団続航      3.正午位置        30日 北緯25度50分東経121度24分        31日 北緯28度33分東経123度21分        1日 北緯31度55分東経125度38分        2日 北緯33度16分東経128度15分      4.白陽丸2日1600白瀬附近にて分離、3日午前佐世保着の予定 18.08.29:(第297船団護衛)馬公〜      〜08.31 1010(N28.34-E123.05)「國光丸」被雷〜      〜08.31 1013(N28.34-E123.05)「松東丸」被雷、直に爆雷攻撃18個〜      〜09.02 0639 一海護機密第81番電(現位置より急速冨生丸遭難現場(N31.27-E127.28)に至り             救難及敵潜水艦掃蕩撃沈に任ずべし)〜      〜09.02 0920 遭難現場に向う、1720現場着の予定〜      〜09.02 1700 現場着、敷設艇」より遭難者185名全員を収容〜      〜09.02 1730 相当区域の北半円を対潜掃蕩〜      〜09.02 2249 一海護機密第022249番電(敵情を得ざれば掃蕩を打切り門司に回航すべし)〜      〜09.03門司 18.09.05:艦船番号:削除
18.09.05:戦時編制:呉鎮守府部隊 18.09.05:軍隊区分:機密呉鎮守府命令作第54号:海上防備部隊 18.09.05:軍隊区分:豊後防備部隊第一部隊 18.09.05:役務:内令第1857号:警備水雷艇 18.09.07:門司〜09.07佐伯 18.09.07:呉防備戦隊電令作第321号:      1.隼鷹、谷風、左に依り沖ノ島北上の予定(中略)      2.雲鷹、曙、漣、10日0930北緯31度48分東経134度40分1600沖ノ島北上の予定      3.10日1300迄に第二哨戒配備Aとなせ      4.第四特別掃蕩隊(鷺、由利島〉第一特別掃蕩隊(大衆丸第十六明玄丸第十七明玄丸、        麻豆丸)は別令所定に依り艦隊航路上の掃蕩を実施すべし      5.第三十四掃海艇ぼ二隻は10日午前中に七番浮標以南の東水道を掃海したる後、        艦隊沖ノ島北上までE2北半の哨戒に任ずべし      6.伯空司令は9日、10日は主として艦隊航路附近を哨戒すべし 18.09.07:呉防備戦隊電令作第326号:      1.敵情当隊機密第071216番電の通      2.鷺は準備出来次第出港、8日1000北緯32度00分東経133度30分に於て由利島と会合        由利島を指揮し、敵潜警戒に任ずべし、掃蕩海面:E0、F3、F4、K0、J1、J2      3.春風は8日0800に至らば掃蕩を止め佐伯に帰投すべし 18.09.07:佐伯〜 18.09.09:呉防備戦隊電令作第329号:      1.オ〇〇八船団、10日1000深島出撃、爾後針路180度速力9節、北緯31度19分東経132度00分より        針路139度      2.第四特別掃蕩隊は10日1100頃右と会合、春風艦長の指揮を受け由利島は11日0800迄、        鷺は北緯28度00分まで護衛に任ずべし      3.由利島は分離後、当隊機密第071215番電に依るフ二〇六船団と11日1500頃会合、        第三十一掃海隊司令の指揮を受け護衛に任ずべし      〜09.10 1100 オ008船団護衛〜      〜09.10(N30.56-E130.47)陸軍徴傭船「津山丸」が雷撃をうける〜 18.09.11:呉防備戦隊機密第110802番電:       鷺は遭難船を有明湾に曳航せよ       春風は速に船団護衛に当れ       由利島は速にフ二〇六船団に合同せよ       第十五長運丸第十二日東丸は遭難船を護衛せよ      〜09.13佐伯 18.09.16:(オ608船団護衛)佐伯〜      〜09.27 0300(N08.13-E133.46)雷跡5及び浮上潜水艦を発見、爆雷攻撃8個〜      〜09.27 更に反転、爆雷攻撃4個〜      〜09.27パラオ 18.10.01:(フ105船団護衛)パラオ〜10.10有明湾〜      〜10.11 0105(N31.20-E132.00)「泰國丸」「梅川丸」が雷撃を受け敵潜制圧〜      〜10.12 深島にて護衛終了〜      〜10.12佐伯 18.10.15:呉防備戦隊電令作第367号:      1.朝風丸間宮を曳航、護衛:潮)15日正午北緯29度04分東経135度5分、針路295度、速力4.5節      2.壹岐、鷺、多摩丸大井丸第七玉丸は速に出港、右に会合、護衛に任ずべし      3.伯空司令は右警戒に任ずべし 18.10.15:(「間宮」護衛)佐伯〜10.18佐伯 18.10.20:(オ010船団護衛)佐伯〜10.29パラオ 18.11.01:(フ101船団護衛)パラオ〜      〜11.06 豊後水道にて護衛終了〜      〜11.06佐伯 18.11.14:呉防備戦隊電令作第395号:      1.フ七〇三船団(輸送船3隻、壹岐護衛)14日正午位置:N27.20-E134.50        15日正午位置:N30.10-E134.20を経て深島に向う、速力9節      2.鷺は14日午後便宜出港、15日1000右船団と会合、護衛に任ずべし      3.伯空司令は右船団の警戒に任ずべし 18.11.14:佐伯〜フ703船団護衛〜11.16佐伯 18.11.17:呉防備戦隊電令作第396号:   日向は日向機密第43号ノ57及日向機密第161645番電の如く行動、内海西部に回航      1〜4.省略      5.鷺は便宜出港、日向機密第161645番電ノ2により日向に合同する如く行動し、爾後        第二掃海水路に至るまで同船の護衛に任ずべし 18.11.19:佐伯〜      〜11.21 オ107船団護衛〜      〜12.01パラオ 18.12.05:(フ507船団護衛)パラオ〜      〜12.17 深島にて護衛終了〜      〜12.17呉 18.12.27:(オ708船団護衛)佐伯〜01.05パラオ 19.01.--:軍隊区分:豊後防備部隊第一部隊 19.01.09:(フ905船団護衛)パラオ〜01.20佐伯 19.01.25:佐伯〜01.25因島 19.01.--:修理 19.01.29:海上護衛總部隊電令作第35号:海護總機密第292033番電:      1.呉鎮守府司令長官は春風、、鷺、壹岐第十七號掃海艇第十八號掃海艇をして又佐世保鎮守府        司令長官は峯風及第三十八號哨戒艇をして2月1日以降成るべく速に第一海上護衛隊司令官の        作戦指揮を受けしむべし      2.第一海上護衛隊司令官は眞鶴友鶴をして峯風及第三十八號哨戒艇は佐世保鎮守府司令長官の定むる        地域に於て交代、作戦に関し同鎮守府司令長官の指揮を受けしむべし 19.02.01:軍隊区分:第一海上護衛隊司令官指揮下 19.02.05:修理整備完了 19.02.06:艦船番号:(24) 19.02.--:呉〜六連 19.02.07:(モタ02船団護衛)六連〜      〜02.08 1045 黄島東方にて「第三十八號哨戒艇」が船団に合同〜      〜02.08 2240(N31.08-E129.35)陸軍徴傭船りま丸」、白根山丸」被雷〜      〜02.08 2245(N31.05-E129.37)陸軍徴傭船「りま丸」沈没〜      〜02.08 2332(N31.08-E129.35)「第三十八號哨戒艇」が爆雷投射19個〜      〜02.09 0110 「第三十八號哨戒艇」「第五共榮丸」とともに「りま丸」遭難者救助〜      〜02.09 0525 437名救助終了〜      〜02.09 0925 味方飛行機の誘導により敵潜攻撃に向かうが誤認と判明〜      〜02.09 1145 特設掃海艇第八長運丸」来着、掃蕩に協力〜      〜02.09 1719 山川部隊来援につき「第三十八號哨戒艇」と協力、陸軍徴傭船「白根山丸」を護衛〜      〜02.10 0201 機密第100201番電(白根山丸を佐世保に回航(10日1500頃着)本艇、第三十八號哨戒艇救助             陸兵戦死者を揚陸、補給の上、第二新東丸と三隻にて白根山丸陸兵を鹿児島に輸送し度、             救助陸兵戦死者の揚陸御手配を乞う)〜      〜02.10佐世保 19.02.11:佐世保〜02.11鹿児島 19.02.12:(モタ02船団護衛)鹿児島〜02.17基隆 19.02.18:(タパ02船団護衛)基隆〜      〜02.19 1558 陸軍徴傭船大敬丸」被雷、航行不能〜      〜02.19 1601 陸軍徴傭船「大敬丸」被雷、沈没〜      〜02.19 敵潜掃蕩〜      〜02.19 2140 陸軍徴傭船東~丸」被雷〜      〜02.19 2142 陸軍徴傭船「東~丸」沈没〜      〜02.21高雄 19.02.23:(タパ02船団護衛)高雄〜      〜敵潜掃蕩〜      〜03.04パラオ 19.03.06:(パタ04船団護衛)パラオ〜      〜03.08 護衛終了〜      〜03.09パラオ 19.03.11:パラオ〜タパ04船団護衛〜03.14パラオ 19.03.17:(パタ05船団護衛)パラオ〜03.25高雄 19.03.26:高雄〜タマ14船団護衛〜03.07高雄 19.03.30:(タマ15船団護衛)高雄〜      〜タマ15船団護衛終了〜      〜04.01 サタ12船団護衛〜      〜04.03高雄 19.04.04:高雄〜ユタ03船団護衛〜04.05高雄 19.04.08:(ヒ57船団護衛)高雄〜      〜護衛終了〜      〜マタ17船団護衛〜      〜04.11高雄
19.04.10:戦時編制:海上護衛総司令部第一海上護衛隊 19.04.15:(タマ16船団護衛)高雄〜      〜04.16 0930 驅逐艦」、特設掃海艇第三拓南丸」が護衛終了〜      〜04.17 0725 水雷艇」が護衛に加入〜      〜04.17 1550 特設砲艦木曾丸」、「第三十九號驅潜特務艇」が護衛に加入〜      〜04.19マニラ 19.04.22:(マミ08船団護衛)マニラ〜      〜04.22 1040 「第三十八號哨戒艇」が船団に合同〜      〜04.23 2000 パクダナン湾(ボアヤン島の198度3,000m)に投錨、仮泊〜      〜04.24 0720 仮泊地発〜      〜04.25 1200 運送艦足摺」が護衛を止め分離、先行〜      〜04.25 1925 マルズ湾に仮泊〜      〜04.26 0800 マルズ湾を出港〜      〜04.26 0900 「第三十八號哨戒艇」が湾口の哨戒を止め船団に合同〜      〜04.26 1600 「第三十八號哨戒艇」が船団から分離先行〜      〜04.26 ---- ゼッセルトン湾に投錨、仮泊〜      〜04.27 0915 ゼッセルトン湾を出港〜      〜04.27 0930 「第三十八號哨戒艇」が船団に合同〜      〜04.28 0045 ブルネイ湾に仮泊〜      〜04.28 0530 ブルネイ湾を出港〜       〜04.28ミリ 19.04.30:ミリ〜ミリ 19.05.04:(ミ02船団護衛)ミリ〜      〜05.04 2100 イムルアン湾に仮泊、「第三十八號哨戒艇」は湾口を移動哨戒〜      〜05.05 0530 出港、「第三十八號哨戒艇」が護衛を開始〜      〜05.06 0801(N07.19.5-E116.52.5)海軍配當船日新丸」が被雷、沈没〜      〜05.06 0843 「第三十八號哨戒艇」が船団に合同〜      〜05.07 ---- 飛行機投弾位置に海防艦「淡路」と共に爆雷攻撃〜      〜05.07 2000 セント・パウル湾に仮泊、「第三十八號哨戒艇」は湾口を移動哨戒〜      〜05.08 1130 出港〜      〜05.08 1245 「第三十八號哨戒艇」が船団に合同〜      〜05.08 1830 特設砲艦長壽山丸」が護衛に加入〜      〜05.10マニラ 19.05.13:(ミ02船団護衛)マニラ〜      〜05.13 0815 「第三十八號哨戒艇」が船団に合同、護衛開始〜      〜05.15 1515 特設驅潜艇が来着、護衛開始〜      〜05.16 1530 「第三十八號哨戒艇」が解列〜      〜05.16高雄 19.05.17:(ミ02船団護衛)高雄〜      〜05.18 1520 基隆発の「賀茂丸」外3隻、驅逐艦」と合同〜      〜05.20泗礁山05.20〜      〜05.23 1500 「第三十八號哨戒艇」が解列〜      〜05.23六連 19.05.23:六連〜05.23佐世保 19.05.24:探信儀記録器装備、電波探知機基礎工事(05.31まで) 19.06.02:佐世保〜伊万里湾 19.06.03:(ミ05船団護衛)伊万里湾〜06.08基隆 19.06.09:(ミ05船団護衛)基隆〜      〜06.09 1940 「第十七號掃海艇」が前路掃蕩を止め船団に合同〜      〜06.09 1943 「第三十八號哨戒艇」が船団に合同、護衛開始〜      〜06.10 1200 「第三十八號哨戒艇」、「第十八號海防艦」と共に船団から分離〜      〜06.11 0945 「第十八號海防艦」と共に船団に合同〜      〜06.11 1025 「第三十八號哨戒艇」が船団に合同〜      〜06.13 1551(N16.00-E119.41)「まりふ丸」が雷撃を受ける〜      〜06.13 1553 「第三十八號哨戒艇」が爆雷投下計31個〜      〜06.13 1600 「第三十八號哨戒艇」と共に「まりふ丸」護衛の為、分離〜      〜06.14 1430 護衛を引継ぎ反転〜      〜06.16マニラ 19.06.18:(ミ05船団護衛)マニラ〜06.23ミリ 19.06.25:(ミシ03船団護衛)ミリ〜      〜06.29 0225(N00.45-E105.45)水上機母艦能登呂」被雷中破、「日邦丸」被雷沈没〜   〜06.29 1100 二二番船が水上機母艦「能登呂」の曳航を開始〜      〜06.30昭南 19.07.04:(シミ05船団護衛)昭南〜      〜07.04 1430 「第十七號掃海艇」「第十八號海防艦」が前路の探信掃蕩を止め船団に合同〜      〜07.08ミリ 19.07.10:(ミ08船団護衛)ミリ〜      〜07.10 1607 「第十七號掃海艇」、「第十八號海防艦」と共に船団の前路を探信掃蕩〜      〜07.10 1945 前路の探信掃蕩を止め船団に合同、護衛開始〜      〜07.11 1345 海軍配當船武津丸」と「第十八號海防艦」が船団から分離〜   〜07.11 1830 船団がギマニス湾に仮泊、「第十七號掃海艇」と共にテサ島南端を移動哨戒〜      〜07.12 0800 移動哨戒を止めギマニス湾に向かう〜      〜07.12 0813 投錨、仮泊〜      〜07.12 1015 「第十八號海防艦」入港〜      〜07.12 1300 出港〜      〜07.16 0820 水雷艇」が船団に合同、護衛開始〜      〜07.16 1400 水雷艇「鵯」が護衛を止め分離、北上〜      〜07.16マニラ 19.07.24:(ミ08船団護衛)マニラ〜       〜07.24 ---- 「第十七號掃海艇」が前路の探信掃蕩を止め船団に合同〜      〜07.26 0845 味方飛行機が10km先に爆弾投下〜      〜07.26 1700 驅逐艦呉竹」が船団に合同、護衛開始〜      〜07.27 0920 「第七十四號驅潜特務艇」、特設驅潜艇旺洋丸」が船団に加入〜      〜07.27高雄 19.07.30:(ミ08船団護衛)高雄〜      〜07.30 1900 「第十七號掃海艇」が前路の探信掃蕩を止め船団に合同〜   〜07.31 2210 「第一號海防艦」が船団に合同、護衛開始〜      〜08.01基隆 19.08.04:(ミ08船団護衛)基隆〜      〜08.07 ---- 「第十八號海防艦」が機関故障〜      〜08.09 0407頃(N27.56-E128.47)「澎湖丸」、陸軍徴傭船八義丸」が被雷沈没〜       〜08.09古仁屋 19.08.11:(ミ08船団護衛)古仁屋〜      〜08.11 0600 「第十八號海防艦」が船団に合同〜   〜08.13 0904 船団後方3,000m附近に佐世保海軍航空隊飛行機が急降下爆撃2個〜      〜08.13六連 19.08.13:六連〜08.14佐世保 19.08.14:佐世保海軍工廠にて電波探信儀整流覆装備、爆雷投射機、装填台増備工事(08.24まで) 19.08.28:水雷艇長:海軍大尉 永淵 虎雄 19.08.30:佐世保〜08.30油谷湾09.01〜09.01門司 19.09.02:門司〜09.02佐伯 19.09.02:訓練並に整備 19.09.08:佐伯〜09.09門司 19.09.09:(ミ19船団護衛)門司〜      〜09.10 1213(N33.47-E127.37)「千早丸」被雷沈没〜      〜09.10居全島 19.09.12:(ミ19船団護衛)居全島〜09.12珍島09.13〜09.17基隆 19.09.18:基隆〜09.20上海 19.09.20:軍隊区分:支那方面艦隊作戦指揮下 19.09.21:軍隊区分:支那方面艦隊電令作第850号:節号EB作戦部隊 19.09.--:軍隊区分:節号E演習部隊第一護衛隊 19.09.28:定海〜      〜09.28 1600 「第二十一號掃海艇」と共に船団と分離反転〜      〜上海 19.10.06:軍隊区分:支那方面艦隊の作戦指揮を解く 19.10.07:上海〜      〜10.08 1800 一般徴傭船淺間丸」護衛〜      〜10.10泗礁山 19.10.15:泗礁山〜10.16呉淞10.17〜10.17泗礁山 19.10.20:(モマ04船団護衛)泗礁山〜10.22サブタン水道10.23〜10.23ラポック10.24〜      〜10.24ラポック10.25〜10.25サンフェルナンド 19.10.26:(「高津丸」護衛)サンフェルナンド〜10.26マニラ 19.10.29:(マモ04船団護衛)マニラ〜      〜10.30 1255 敵B-24一機が触接〜      〜10.30 1312 敵B-24南方に去る〜      〜10.30マシンロック 19.10.31:(マモ04船団護衛)マシンロック〜      〜10.31 1220 船団から分離し漂流ボート救助に向かう〜      〜10.31 1245 「第十八號掃海艇」が船団から分離、不審船確認に向かう〜      〜10.31 1540 「第十八號掃海艇」が船団に合同〜      〜10.31 1550 船団から分離、浮上潜水艦制圧に向かう〜      〜10.31 1707 船団に合同〜       〜11.01 0435(N20.17-E117.18)一般徴傭船「淺間丸」被雷〜      〜11.01 0443 一般徴傭船「淺間丸」沈没〜      〜11.01 0453 対潜掃蕩開始〜      〜11.01 0700 対潜掃蕩を打切り、遭難者救助を開始〜      〜11.01 1750 遭難者救助を打切り、対潜掃蕩開始〜      〜11.01 1930 対潜掃蕩を止め高雄に向かう〜      〜11.02高雄 19.11.01:水雷艇長:海軍少佐 永淵 虎雄 19.11.04:高雄〜      〜11.04 モマ06船団(一般徴傭船あとらす丸」、陸軍徴傭船はんぶるぐ丸」)救難〜      〜11.05バターン島サブタン泊地 19.11.06:サブタン泊地〜モマ06船団の掃蕩隊となり前路掃蕩〜      〜11.08 0655 「第十七號掃海艇」が敵潜水艦を発見〜      〜11.08 0758(N16.18-E118.40)被雷、中央より船体切断し前部沈没、            後部は火災のまま漂流〜      〜11.08 0825 総員退去      〜11.08 0848 沈没
19.11.08:沈没 19.12.10:戦時編制:海上護衛総司令部第一護衛艦隊 20.01.10:類別等級削除:内令第16号 20.01.10:除籍:内令第29号
喪失場所:N16.09-E118.56 ルソン島レナ岬西方75km付近 喪失原因:米潜水艦Gunnel(SS-253)の雷撃

同型艇

 

兵装

(新造時)
 四十五口径十一年式十二糎砲3門、毘式四十粍単装機銃1基、
 十一年式軽機関銃1挺、三八式歩兵銃30挺、十四年式拳銃8丁、
 六年式三聯装発射管1基、六年式五十三糎魚雷3本、七十五糎探照燈1基、
 九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、
 爆雷水圧投下装置三型2基、爆雷手動投下台一型4基、爆雷18個、
 大掃海具三号1組、同二号1.5組。

(S19.10.01)
 四十五口径三年式十二糎砲2門、九六式二十五粍二聯装機銃3基、同単装5基、
 六年式三聯装発射管1基、六年式五十三糎魚雷3本、七十五糎探照燈1基、
 九四式投射機1基、八一式投射機6基、爆雷装填台7基、爆雷投下軌道2基、
 九三式水中聴音機1基、一号三型電波探信儀1基。

写真資料

 雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.39「水雷艇」 (P.66-67)
 雑誌「丸Graphic Quarterly」潮書房 No.20 「写真集 日本の小艦艇(続)」(P.39)
 「日本軍艦集 2600年版」海軍研究社 S15.07 海軍研究社編輯部編
 「播磨造船所50年史」 S35.11 株式会社播磨造船所(P.129)
 "Jane's Fighting Ships 1944-45" (P.218)
 "Historical Photographs of China", Identifier Ro-n0868

備考

  1. 利根丸」(JTFD)は昭和17年9月21日に戦没しているので、松岡汽船の貨物船「利根川丸」(JBKC)4,996t或いは関西汽船の貨客船「利根川丸」(JTBH)660t ではないかと思われます。船客の輸送であるため関西汽船の方ではないかと思われる一方、瀬戸内海航路の船であることと平時の船客定員が263名であることを考慮すると450名を載せて外洋を航海するのは困難と思われます、従って松岡汽船の方ではないかと推定されます。

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