水雷艇水雷艇について水雷艇は「魚型水雷使用の主旨に従い特種の構造を有し戦闘の役務に堪うる艇」(明治29年海軍艦船条例)として、古くから軍艦とは別の戦闘艇として取り扱われていました。明治38年12月11日に海軍艦船条例が改正されるまでは潜水艇も水雷艇の一部として取り扱われており、また、明治33年6月22日の艦艇類別標準制定前は驅逐艦の前身である驅逐艇もまた水雷艇の一部でした。水雷艇は驅逐艦の進化にともないその役割を終え、明治37年6月24日竣工の「鷗」「鴻」の2隻を最後に建造は途絶えました。大正12年12月15日に最後まで在籍していた「雉」「鴻」「鷗」の3隻が除籍されると、翌年1月15日に艦船令から削除され、同年12月1日に艦艇類別等級別表からも削除されます。これにより日本海軍から水雷艇という種別はいったん消滅します。ここでご紹介するのはロンドン条約の制限外艦艇として出現した小型驅逐艦たる水雷艇で、昭和6年5月30日に潜水艦の下に序せられる形で艦船令に復活したものです。 水雷艇の諸元ここをクリックして下さい。 水雷艇の艇歴下の各艇の画像をクリックして下さい。
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