雁の艇歴

 年 月 日:艇歴

10.11.22:命名:達第140号:「雁」(カリ) 10.11.22:類別等級制定:内令第474号:種別:水雷艇、類別:水雷艇、艇型:鴻型 10.11.22:本籍仮定:内令第473号:呉鎮守府 11.05.11:起工 11.09.08:信号符字改正:達第41号:JXDA 12.01.20:進水 12.04.01:艤装員長:海軍少佐 廣瀬 弘 12.04.05:艤装員事務所を三菱重工業株式會社横濱船渠内に設置し事務を開始 12.09.20:本籍:内令第619号:呉鎮守府 12.09.20:竣工、艤装員事務所を撤去
12.09.20:水雷隊編制:内令第620号:第十一水雷隊、本籍:呉鎮守府 12.09.20:水雷艇長:海軍少佐 廣瀬 弘 12.11.15:水雷艇長:海軍少佐 上杉 義男 13.01.01:役務:内令第1号:当分の間豫備水雷艇の儘海軍兵學校及海軍潜水学校の練習のように充つ 13.03.01:役務:内令第138号:豫備水雷艇の儘海軍兵學校及海軍潜水学校の練習のように充てたる處之を解く 13.03.01:役務:内令第139号:警備兼練習水雷艇        練習のことに関しては海軍兵學校長の指揮を受けしめらる 13.09.20:水雷隊編制:内令第808号:第十一水雷隊より削る 13.09.20:内令第809号:第三豫備水雷艇 13.12.15:水雷艇長:海軍少佐 山口 達也 14.11.15:水雷艇長:海軍少佐 入戸野 篶生 14.12.05:水雷艇長:海軍大尉 杉原 與四郎 15.04.01:水雷艇長:海軍大尉 村上 忠臣 15.10.15:役務:内令第712号:特別役務水雷艇 15.10.15:水雷艇長:海軍大尉 吉田 謙吾 15.11.01:水雷隊編制:内令第768号:第十一水雷隊、本籍:呉鎮守府 15.11.15:水雷隊編制:内令第834号:第十一水雷隊、本籍:呉鎮守府 15.11.15:戦時編制:支那方面艦隊附属上海方面根據地隊第十一水雷隊 16.09.15:水雷艇長:海軍大尉 nR 強
16.09.20:戦時編制:支那方面艦隊第三遣支艦隊第十一水雷隊 16.10.15:水雷艇長:海軍少佐 nR 強 16.11.--:〜11.22萬山 16.12.01:軍隊区分:機密南支部隊命令第18号:監視部隊乙監視部隊 16.12.01:信号符字改正:達第369号:JVJP 16.12.08:1000 馬尾洲燈台通信機関を破壊、望遠鏡3を押収      ---- 萬山附近にて仏商船を臨検、香港入港を阻止 16.12.09:英船"新華"、諾船"Dukat"を拿捕、碣石湾に回航し、特設砲艦正生丸」に引渡す 16.12.13:南大澳水道を哨戒 16.12.15:2200 魚雷艇2隻を発見、照射砲撃:十二糎砲38発、二十五粍機銃122発発射 16.12.18:南大澳、外伶仃島間警戒 16.12.18:1800頃 南了水道南方に進出、陸軍部隊の香港島上陸に呼応し陽動 16.12.24:一洲島三門群島大嶼山門を哨戒 16.12.26:監視線を擔杆列島内に緊縮      1145 特設運送船辰和丸」被雷撃現場に急行 16.12.27:対潜掃蕩 17.01.--:軍隊区分:南支部隊主隊哨戒部隊 17.01.03:(船団護衛)萬山沖〜01.04海南海峡東口 17.01.06:大鵬湾掃蕩 17.01.11:(船団護衛)香港〜01.12擔杆島沖60浬 17.01.15:軍隊区分:主隊 17.01.23:(船団護衛)臺山列島〜01.24馬公 17.01.26:(船団護衛)馬公〜02.03シンゴラ 17.02.03:シンゴラ〜02.07香港 17.02.08:香港〜02.14佐世保 17.02.15:軍隊区分:南支部隊より除く 17.02.15:水雷隊編制:内令第281号:第十一水雷隊解隊
17.02.15:戦時編制:聯合艦隊第一南遣艦隊第十二特別根據地隊 17.04.10:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第一南遣艦隊第十二特別根據地隊 17.07.08:軍隊区分:彼南根據地部隊      〜対潜掃蕩〜 17.07.11:軍隊区分:原隊復帰 17.09.20:水雷艇長:海軍大尉 森 榮 18.04.22:軍隊区分:彼南根據地部隊 18.05.01:軍隊区分:原隊復帰 18.05.15:水雷艇長:海軍豫備大尉 横田 志茂喜 18.07.01:水雷艇長:海軍大尉 横田 志茂喜 18.07.--:軍隊区分:南西部隊馬来部隊緬甸根據地部隊 18.07.--:軍隊区分:主隊 18.07.--:〜07.02ポートブレア 18.07.05:(「第一京丸」護衛)ポートブレア〜      〜07.05 特設掃海艇第一京丸」の護衛を終了、反転〜      〜07.05ポートブレア 18.07.06:ポートブレア〜07.09サバン07.11〜07.12ナンコウリ07.12〜07.13カーニコバル07.14〜      〜07.15ポートブレア 18.07.16:ポートブレア〜07.18サバン07.19〜07.20サバン07.21〜07.22ニコバル07.23〜      〜07.24サバン07.28〜 18.07.30:軍隊区分:対潜掃蕩に関し彼南根據地部隊指揮下 18.08.02:軍隊区分:原隊復帰 18.11.05:0900 バタン島の北5浬にて敵潜探知 19.01.03:彼南〜01.04ポートブレア01.08〜01.11昭南 19.01.12:(「津輕」護衛)昭南〜01.13彼南 19.01.13:彼南〜01.14彼南 19.02.15:2100 サバンの8度4,000mの敵潜掃蕩に従事 19.02.17:1730 対潜掃蕩終了 19.02.24:0525 ジャラク島の187度10浬にて英潜水艦"Tally Ho"を発見、乗切、裂傷を負う〜      〜雑役船來島丸」が救助、急用人員を移乗〜      〜「第七號驅潜艇特設驅潜艇第七昭南丸」が来援〜 19.05.01:水雷艇長:海軍少佐 横田 志茂喜 19.06.--:昭南 19.09.04:西方部隊電令作第145号:      1.大朝丸は貯糧品、自動車、燃料、治療品等を満載、9月6日昭南発ペナン経由カーニコバルに        輸送、昭南に帰投すべし      2.右護衛艦を雁、第九號驅潜艇に指示す      3.一三空司令は教務差支なき限り右船団の護衛を実施すべし 19.09.06:(「大朝丸」護衛)昭南〜09.08彼南 19.09.09:彼南根據地部隊信電令作第5号:      1.9日0830哨戒機北緯6度33分東経99度01分に於て敵浮上潜水艦発見、爆撃せるも効果不明      2.雁及び第九號驅潜艇(指揮官雁艇長)は準備出来次第出撃、右敵潜を撃滅すべし      3.大朝丸の出港を一時見合す 19.09.09:彼南〜      〜09.10 0830 ベラク島の320度56浬にて浮上潜水艦が潜没〜      〜09.10 1927 ベラク島の311度70浬に於て爆雷攻撃8個〜      〜09.11 1159 爆雷攻撃9個〜      〜09.13彼南 19.09.15:(「大朝丸」護衛)彼南〜09.19カーニコバル09.22〜09.25彼南 19.10.08:西方部隊電令作第162号:      1.永jロ(雁、第九號驅潜艇、第三十四號驅潜艇護衛)は準備出来次第、昭南商港発        ポートブレア方面緊急輸送に任ずべし、行動を予定し所要の向に報告通報すべし      2.以下略 19.10.10:(永jロ船団護衛)昭南〜10.15ポートブレア10.17〜10.21彼南 19.12.11:(「日榮丸」護衛)昭南〜12.14カムラン
20.02.05:戦時編制:聯合艦隊第十方面艦隊第一南遣艦隊第十二特別根據地隊 20.02.18:軍隊区分:機密第一警備部隊命令作第5号:挺身輸送隊 20    〜02.25スラバヤ 20.02.25:軍隊区分:第一警備部隊指揮官の指揮下に編入、二號作戦に従事 20.03.04:スラバヤ〜対潜掃蕩〜03.06スラバヤ 20.03.07:スラバヤ〜輸送〜03.13スラバヤ 20.03.16:軍隊区分:第一警備部隊直卒部隊 20.03.24:スラバヤ〜      〜03.25 2159 サブデ島灯台の234度にて敵潜を探知捕捉、攻撃〜      〜03.31スラバヤ 20.04.03:スラバヤ〜      〜04.05 0400 ワインガップより10度35浬にて巡洋艦「五十鈴」が雷撃を受け対潜戦闘〜      〜04.08 1350(S06.30-E113.08)雷撃を受けるが被害なく、水偵と協力して攻撃〜      〜04.08スラバヤ 20.04.12:軍隊区分:東印部隊電令作第578号:第一警備部隊より除き主隊に編入 20.04.12:軍隊区分:第一警備部隊電令作第146号:直卒部隊より除く
20.07.16:沈没 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅) 22.05.03:除籍:複二第327号
喪失場所:S05.48-E115.53 ジャワ海カンゲアン島北方130km付近 喪失原因:米潜水艦Baya(SS-318)の雷撃

同型艇

 

兵装

(新造時)
 四十五口径十一年式十二糎砲3門、毘式四十粍単装機銃1基、
 十一年式軽機関銃1挺、三八式歩兵銃30挺、十四年式拳銃8丁、
 六年式三聯装発射管1基、六年式五十三糎魚雷3本、七十五糎探照燈1基、
 九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、
 爆雷水圧投下装置三型2基、爆雷手動投下台一型4基、爆雷18個、
 大掃海具三号1組、同二号1.5組。

(S19.10.01)
 四十五口径三年式十二糎砲2門、九六式二十五粍二聯装機銃3基、同単装5基、
 六年式三聯装発射管1基、六年式五十三糎魚雷3本、七十五糎探照燈1基、
 九四式投射機1基、八一式投射機6基、爆雷装填台7基、爆雷投下軌道2基、
 九三式水中聴音機1基、一号三型電波探信儀1基。

写真資料

 雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.39「水雷艇」 (P.64)
 雑誌「丸Graphic Quarterly」潮書房 No.20 「写真集 日本の小艦艇(続)」(P.38)
 「歴史群像」学習研究社 太平洋戦史シリーズ45 真実の艦艇史 (P.69)
 「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫 (2512)
 "Historical Photographs of China", Identifier Ro-n0867

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