第二十八號海防艦の艦歴
年 月 日:艦歴
19.02.01:起工、仮称艦名:第2714號艦
19.04.05:命名:達第106号:「第二十八號海防艦」
19.04.05:類別等級制定:内令第533号:種別:海防艦、類別:海防艦、艦型:第二號型
19.04.05:本籍仮定:内令第531号:舞鶴鎮守府
19.04.11:進水
19.05.10:艤装員長:海軍少佐 五十嵐 鋭雄
19.05.15:艤装員事務所を飽ノ浦町長崎監督官事務所内に設置し事務を開始
19.05.26:艤装員長:海軍少佐 関田 敬治
19.05.31:竣工、艤装員事務所を撤去
19.05.31:本籍:内令第717号:舞鶴鎮守府、役務:警備海防艦
19.05.31:海防艦長:海軍少佐 関田 敬治
19.05.31:戦時編制:呉鎮守府部隊呉防備戦隊
19.06.26:戦時編制:海上護衛総司令部第一海上護衛隊
19.06.26:艦船番号:(68)
19.06.27:佐伯〜06.28呉06.29〜06.30門司
19.07.03:(モマ01船団護衛)門司〜07.07高雄
19.07.14:(ヒ68船団護衛)昭南〜
〜07.20 ---- 巡洋艦「大井」救難のため海防艦「倉橋」が船団から分離〜
〜07.20マニラ
19.07.24:(ミ08船団護衛)マニラ〜
〜07.24 ---- 「第十七號掃海艇」が前路の探信掃蕩を止め船団に合同、護衛開始〜
〜07.26 1700 驅逐艦「呉竹」が船団に合同、護衛開始〜
〜07.27 0920 「第七十四號驅潜特務艇」、特設驅潜艇「旺洋丸」が船団に加入〜
〜07.27 1350 護衛を止め、船団を嚮導〜
〜07.27 1425 船団嚮導を止め、高雄に先航〜
〜07.27高雄
19.07.29:(ミ11船団護衛)高雄〜
〜07.31 0340(N19.05-E120.55)陸軍徴傭船「吉野丸」被雷沈没〜
〜07.31 0410(N19.08-E120.13)「光榮丸」、陸軍徴傭船「扶桑丸」、特設運送船「萬光丸」被雷沈没、
「第一小倉丸」被雷速力半減、陸軍徴傭船「だかあ丸」被雷航行不能〜
〜07.31 2000 陸軍徴傭船「吉野丸」遭難者約2,000名救助、同「だかあ丸」の警戒並に敵潜掃蕩中〜
〜08.02 朝 陸軍徴傭船「だかあ丸」より救助者を移乗〜
〜08.02 1600 バンギィ湾にて救助者を揚陸、船団を追及〜
〜08.03マニラ
19.08.07:(ミ11船団護衛)マニラ〜08.12ミリ
19.08.16:(ミ12船団護衛)ミリ〜
〜08.18 1352(N08.39-E116.39)陸軍徴傭船「南星丸」被雷沈没〜
〜08.21 0720(N13.23-E120.19)「のるほうく丸」、海軍配當船「武豐丸」被雷沈没〜
〜08.21 0800(N13.30-E120.15)「金龍丸」「宇賀丸」被雷沈没〜
〜08.21 「宇賀丸」「金龍丸」遭難者救助、対潜掃蕩〜
〜08.22マニラ
19.08.28:(マモ02船団護衛)マニラ〜08.30高雄
19.09.04:高雄〜不時着機救難〜対潜掃蕩〜
〜09.05 ---- タマ25船団護衛〜
〜09.05 2100 「第五號海防艦」が合同、護衛を開始〜
〜09.05 2130 「第一號海防艦」が合同、護衛を開始〜
〜09.06 0230 特設運送船「興業丸」が機関故障、驅逐艦「初春」が護衛し船団から分離〜
〜09.06 0424 琉球嶼北東海面にて臨時配當船「永治丸」が被雷(実際は触雷)〜
〜09.06 0640 臨時配當船「永治丸」救助〜
〜09.06 0753(N22.19-E120.30)臨時配當船「永治丸」沈没〜
〜09.06 0840(N22.18-E120.33)驅逐艦「響」が触雷〜
〜09.06 ---- 救助完了人員1,100名〜
〜09.06車城港
19.09.06:車城港〜
〜09.06 ---- 驅逐艦「響」の警戒に就く〜
〜09.06東港
19.09.07:(「永萬丸」護衛)東港〜高雄
19.09.--:高雄〜東港
19.09.08:(タマ25船団護衛)東港〜
〜09.08 0330 「第一號海防艦」が合同、護衛を開始〜
〜09.08 0800 「第二十號掃海艇」「第十七號掃海艇」「第四十一號驅潜艇」が合同、護衛を開始〜
〜09.08 0920 「第一號海防艦」「第三號海防艦」が対潜掃蕩〜
〜09.08 1815 「第一號海防艦」「第三號海防艦」が合同〜
〜09.09 0232(N19.52-E120.48)「第十七號掃海艇」が浮上潜水艦を砲撃〜
〜09.09 0315(N19.45-E120.53)一般徴傭船「豐岡丸」被雷大破〜
〜09.09 0316 臨時配當船「滿洲丸」「滿洲丸」被雷〜
〜09.09 0318 臨時配當船「滿洲丸」沈没〜
〜09.09 0326 「第二十號掃海艇」が爆雷攻撃〜
〜09.09 0738 「第十七號掃海艇」「第二十號掃海艇」「第四十一號驅潜艇」が対潜掃蕩開始〜
〜09.09 2000 アパリ沖仮泊〜
〜09.09 2400 「第一號海防艦」「第三號海防艦」が合同〜
〜09.10 0330 「第十七號掃海艇」「第二十號掃海艇」「第四十一號驅潜艇」が合同〜
〜09.10 0600 アパリ沖発〜
〜09.10 0640 パタ岬沖で 「第一號海防艦」「第三號海防艦」が船団から分離〜
〜09.10 0912 「第二十號掃海艇」が爆雷攻撃〜
〜09.10ラポック
19.09.11:ラポック〜対潜掃蕩〜09.12高雄
19.09.14:(ヒ75船団護衛)高雄〜09.22 舵故障〜
〜09.22 1840 復旧〜
〜09.23昭南
19.10.02:(ヒ76船団護衛)昭南〜10.09マニラ
19.10.11:マニラ〜
〜10.11 マタ29船団護衛〜
〜10.11コレヒドール
19.10.12:コレヒドール〜10.12ベルアン湾10.12〜10.13マニラ
19.10.15:マニラ〜10.18聖雀
19.10.22:(ヒ76A船団護衛)聖雀〜
〜11.01 1700 門司にて護衛終了〜
〜11.01志々岐湾
19.11.02:志々岐湾〜11.02佐世保
19.11.02:佐世保海軍工廠にて八糎迫撃砲、単装機銃1基装備工事(11.07まで)
19.11.08:佐世保〜11.08三池
19.11.10:(モマ07船団護衛)三池〜
〜11.11 0906(N30.24-E127.58)一般徴傭船「美保丸」被雷小破〜
〜11.12 0402(N31.30-E125.57)陸軍徴傭船「鳴尾丸」被雷沈没、「玉洋丸」被雷航行不能〜
〜11.12 0609(N31.37-E125.36)陸軍徴傭船「辰昭丸」被雷沈没〜
〜11.13 ---- 「玉洋丸」を曳航〜
〜11.13 ---- 「玉洋丸」沈没〜
〜11.14泗礁山
19.11.16:泗礁山〜11.16三門湾11.17〜11.19高雄
19.11.23:(タマ32A船団護衛)高雄〜11.23枋寮11.24〜11.25ムサ11.27〜11.27ラポック11.28〜
〜11.28サンフェルナンド11.29〜11.30マニラ
19.11.30:マニラ〜
19.12.10:戦時編制:海上護衛総司令部第一護衛艦隊
19.12.14:沈没
19.12.17:海防艦長:海軍中佐 関田 敬治(戦死)
20.02.10:類別等級削除:内令第108号
20.02.10:除籍:内令第115号
喪失場所:N15.50-E119.45 ダソール湾沖
喪失原因:米潜水艦Blenny(SS-324)の雷撃
同型艦
第二號、第四號、第六號、第八號、第十號、第十二號、第十四號、第十六號、第十八號、
第二十號、第二十二號、第二十四號、第二十六號、第三十號、第三十二號、第三十四號、
第三十六號、第三十八號、第四十號、第四十二號、第四十四號、第四十六號、第四十八號、
第五十號、第五十二號、第五十四號、第五十六號、第五十八號、第六十號、第六十二號、
第六十四號、第六十六號、第六十八號、第七十號、第七十二號、第七十四號、第七十六號、
第七十八號、第八十號、第八十二號、第八十四號、第百二號、第百四號、第百六號、
第百十二號、第百十六號、第百十八號、第2761號艦、第百二十四號、第百二十六號、
第百三十號、第百三十二號、第百三十四號、第百三十八號、第百四十二號、第百四十四號、
第百五十號、第百五十四號、第百五十六號、第百五十八號、第百六十號、第百八十六號、
第百九十號、第百九十二號、第百九十四號、第百九十六號、第百九十八號、第二百號、
第二百二號、第二百四號。
兵装
(計画時)
四十五口径十年式十二糎高角砲2門、
九六式二十五粍三聯装機銃2基、九九式軽機銃2挺、一四式拳銃13丁、九九式小銃39挺、
九六式三米高角測距儀一型1基、九六式六十六糎測距儀1基、
九三式二号水中聴音機小艦艇用甲1基、九三式探信儀一型1基、須式七十五糎探照燈四型改一1基、
二号電波探知機二型改二1基、
仮称三式投射機12基、爆雷投下軌道1條、九五式爆雷120個。
(19.11.08現在)
四十五口径十年式十二糎高角砲2門、
九六式二十五粍三聯装機銃2基、同単装機銃1基、三式八糎迫撃砲1門、
須式七十五糎探照燈1基、
二号電波探知機二型1基。
写真資料
なし。
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