陸軍病院船陸軍病院船について大東亜戦争中、国際条約に基づき保護を受ける対象として交戦国に通告された陸軍病院船は19隻ありました。大榮丸については外務省に対して一旦通告の依頼が出されましたが、作戦上の都合で一時棚上げにしてもらっているうちに必要性がなくなり、結局通告は中止されました。なお陸軍ではこの19隻以外にも、「はるびん丸」「波上丸」「蓬萊丸」「淺香山丸」「大北丸」を病院船と称し昭和17年頃まで患者輸送に従事させていた記録が残っております。昭和17年1月10日はるびん丸が米潜水艦Stingrayに撃沈されると大本営は14日付で国際条約違反であると発表し、これを受けて翌日新聞各紙は一斉に敵愾心を煽る過激な報道をしました。しかし、これは国内向けの全くの宣伝行為でした。「はるびん丸」は当時国際条約に基づく病院船としての事前通告を行っておらず、船体も規定の白色塗装ではなく黒色に塗られており、保護の対象になっておりませんでした。陸軍がはじめて外務省に国際条約に基づく事前通告を依頼したのは昭和17年5月20日です。昭和19年に入ると多くの病院船が輸送船に転用されたために撃沈されました。その中で「ぶゑのすあいれす丸」は病院船であったにもかかわらず爆撃を受けて撃沈されてしまいました。これに対して外務省は米国に抗議し、米国国務省は遺憾の意を表明し、事件は病院船の標識を確認できなかったことによる偶発的なものであり意図的な攻撃ではないと釈明しております。 陸軍病院船の諸元ここをクリックして下さい。 陸軍病院船の船歴下の各船の画像をクリックして下さい。
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