更新履歴とひとりごと

2024年07月27日 Version 24.29β公開

船舶登録、船級、検査情報は陸軍配當船(油槽船その6)まで終了。陸軍小蒸気船の資料を調査中。
先週からギックリ腰を繰返す。治ってはギク、治ってはギク。動かないので筋肉が萎えてきたのか?

2024年07月20日 Version 24.28β公開

船舶登録、船級、検査情報は陸軍碎氷船まで終了。陸軍水船の頁も完成させる。大阪鐵工所因島で建造された第1773、第1774番船は水船でなく浚渫船なので誤り。今まで何を参照していたのか?
これも信濃関係と抱合せで買った「潜水艦戦史」を読了。

2024年07月13日 Version 24.27非公開

船舶登録、船級、検査情報、陸軍輸送船24頁目まで終了。コロナウィルスの関係と頼まれごとの調査で今週もノルマ達成ならず。

2024年07月06日 Version 24.26非公開

船舶登録、船級、検査情報、陸軍輸送船20頁目まで終了。体調がすぐれなかった(腰痛)のと、息子と妻がコロナウィルスに感染した関係で自室PCが使えずノルマ達成ならず。更新が少ないので来週以降にまとめてUpします。
同じ作業を繰返しているといい加減飽きるので、第232設営隊戦時日誌を組込み。組込んだ船歴は八重山、第129号輸送艦、第151号輸送艦、大瀬、國川丸、星光丸、昭益丸、第二京丸、へいわ丸、備前丸、雷山丸、神天丸。
第215設営隊の戦時日誌では旺洋丸の動静がより詳しくわかるが、今回は取り込みをしない。
米軍の押収文書からSB106の船歴を追加。

2024年06月29日 Version 24.25β公開

船舶登録、船級、検査情報、陸軍輸送船17頁目まで終了。ヤマトミュージアムに写真が追加されたという情報を得て1日半深堀りしたため少々遅れ気味。特務艇等に資料番号を適宜追加。
また血尿。前回の検査で6個くらい予備軍がいたので、増援部隊がなければあと3回か。それでも「純米吟醸亀甲花菱無濾過」を飲む。

2024年06月22日 Version 24.24β公開

船舶登録、船級、検査情報、陸軍輸送船11頁目まで終了。1日1頁のノルマはきつい。
第十八設營隊戦時日誌・戦闘詳報組込み。随分前に買ってあまり役に立たないと思っていた「バラレ海軍設営隊」を併せ読むと中々理解しやすい。組込んだ船歴は第36号哨戒艇、早埼、公稱第4759號、公稱第5057〜5059號、公稱第5572〜5075號特型運貨船、能代丸、國川丸、~川丸、山陽丸、香久丸、りおん丸、慶洋丸、河北丸、西阿丸、新夕張丸、日立丸、日向丸、地洋丸、駿河丸、第三高速丸(第二高速丸は誤記と判断)、乾隆丸、乾洋丸、第二東洋丸、第十八眞盛丸、第二號春日丸、山jロ、刈藻丸、拓榮丸、梓丸、興亞丸、義勇丸、白鷹丸、東裕丸、染殿丸、伏見丸。外南洋部隊の電令作等を少し追記。
天橋立ワインの「とよさか白辛口」を飲む。これも良かった。

2024年06月15日 Version 24.23β公開

船舶登録、船級、検査情報、陸軍輸送船4頁目まで終了。陸軍の輸送船はLR船級だったものが多いので手こずる。何とか1日1頁はノルマとするも31頁あるから1箇月はかかりそう。結構、誤記を発見。恥ずかしいので今回も差分をup。
小石川植物園に菖蒲を観に行く。いささかはずれな1日。
スーパーで買ったオレンジワイン「甲州 醸し 2023」を飲む。「あさ開 Nova Rota 純米吟醸生酒」も飲む。

2024年06月08日 Version 24.22β公開

その他海軍船の部は終わり、陸軍電線敷設船まで船舶登録、船級、検査情報を追記。
「第二次交換船帝亜丸の報告」から帝亞丸の動静を追記。
韓国の国立図書館で公開されている「朝鮮総督府官報」では大正3年前半と昭和5年後半の船舶登録が掲載されていないので二匹目の鰌を狙って国会図書館に調査に行く。残念ながら空振り。大正3年前半は船舶法改正の混乱期なので掲載されていないのもやむを得ないが、昭和5年後半分が見つからないのが不思議。朝鮮総督府の役人のただの怠慢だったのか?
四ツ谷まで歩いてペンシーズキッチンアトレ四谷店に行くと。韓国料理の店に!ショック。さんざんな一日であった。
robocopyなるコマンドがあることを知り、もしやアップデートがうまくいくかと思いxcopyの代わりに使用してみたが、やはりだめ。copy先のゴミファイルが綺麗になくなるのが唯一の改善点。
「航空母艦物語」と抱合せで購入した「軽巡海戦史」を読了。二等巡洋艦の艦歴を作るようなことがあれば読返そう。
前にふるさと納税で飲んだ「美丈夫 特別純米」。スーパーで売ってたので久々に飲む。

2024年06月01日 Version 24.21非公開

地方徴傭船(曳船)まで船舶登録、検査情報を追記。省略していた昭和十三年版の日本汽船名簿の検査情報も取り込み。昭和十七年版や十八年版といろいろ記述に齟齬があるのでどうしたものか。
先週は9時間かけてUp。せめて雑役船だけでもミラーリングでUpしなくては時間かかりすぎ。
PC用BookLive!アプリのアップデートができておらず、よく見ると途中で中断している。サイトでの対処方法を試すもだめ。アンインストールすると今度はインストールに失敗。ネット検索するとVisual C++を最新化することで成功したとの記事が。その通りにやってみると、インストールできました。「漫画の虎」さん、ありがとうございます。それにしてもこういうことってBookLive!の方で対処法を載せるべきでは?自分のようなド素人にVisual C++のアップデートなどハードル高すぎ。

軍艦信濃の進水日について

考証するにあたって使用した書籍は以下のとおり(資料番号、初出の年月、タイトルの順)。

  1. S22.08 「沈みゆく信濃」
    昭和21年9月に執筆された元信濃乗組員 海軍上等兵曹諏訪繁治氏の手記。
  2. S27.07 「造艦技術の全貌」
    昭和27年に興洋社から発刊されたもので第一部を元海軍技術少佐福井静夫氏(以下引用部分以外は敬称略)が担当している。この第一部は其の後昭和31年出版共同社より「日本の軍艦」のタイトルで若干の修正を加えた上で再販されている。
  3. S29.10 「海軍造船技術概要」
    昭和28年度に日本造船工業会傘下の希望造船会社に青写真版で配られたもの。昭和23年多数の海軍や民間の造船関係者が執筆したものを牧野茂氏が取り纏め第二復員省史実調査部に提出した報告書をもとに、其の後「主トシテ福井静夫君ノ手ニヨツテ、更ニソノ内容ニ追加補修を行フト同時ニ、未執筆項目ノ執筆モ行ハレ」たもの。本書刊行の2年前に刊行された「造艦技術の全貌」(資料2)と同じ記述も随所にみられる。今回は昭和62年今日の話題社から上下2巻(頁数は上下巻通し)で復刻刊行されたものを使用。
  4. S35.08 「超大空母「信濃」は私たちが造った」
    雑誌「丸」昭和35年8月号に「謎の超大空母「信濃」は私が造った」という表題で掲載された横須賀海軍工廠技術陣による座談会の様子を収録したもの。今回は「航空母艦物語」光人社NF文庫に再録されたものを使用。
  5. S35.11 「宿命を背負った空母「信濃」の予期せぬ出来事」
    雑誌「丸」昭和35年11月号に「奇形児空母信濃にまつわる黒い宿命」という表題で掲載された元信濃建造現場担当 海軍技術大佐前田龍夫氏の手記。今回は「空母二十九隻」光人社NF文庫に再録されたものを使用。
  6. S35.11 「機関科分隊長が体験した信濃沈没の非運」
    同じく雑誌「丸」昭和35年11月号に「不沈空母"信濃"はなぜ沈んだか」という表題で掲載された元信濃機械分隊長 海軍少佐三浦治氏の手記。今回は「空母二十九隻」光人社NF文庫に再録されたものを使用。
  7. S43.03 「幻の空母「信濃」の生涯」
    今日の話題社「太平洋戦争ドキュメンタリー第五巻」に収録されている元信濃操舵長 海軍少尉正田真五氏の手記。
  8. S43.07 「改造空母信濃の基本計画」
    雑誌「丸」昭和43年7月号に「巨人空母信濃に日本人が燃えた時」という表題で掲載された元海軍技術大佐牧野茂氏による手記。今回は「牧野茂艦船ノート」出版共同社に再録されたものを使用。
  9. S44.03 「空母「信濃」沈没の原因」
    「水交」昭和44年3月号に掲載された元信濃副長付甲板士官 海軍中尉澤本倫生氏の手記。今回は「回想の日本海軍」原書房に再録されたものを使用。
  10. S44.11 「戦史叢書第31巻 海軍軍戦備<1>」
  11. S48.03 「航空母艦信濃」
    空母信濃会がまとめた信濃の元乗組員や遺族に依る手記。
  12. S50.03 「空母信濃の最後」
    昭和50年3月発行の「吾が想い出の記第2巻」に収録されている信濃乗組み?の通信兵山形武氏の体験記。
  13. S50.10 「戦史叢書第88巻 海軍軍戦備<2>」
  14. H09.07 「高松宮日記 第七巻」
    軍令部にお勤めになっていた宣仁親王の日記。日記なので当時書かれたもので一番信頼のおけるものだが、如何せん中央公論社から発刊されたのが平成になってからなので、上記1〜13は本書を参照することはできなかったと思われる。

因みに作家先生の作品は、相良(S50)←安藤(S51)←豊田(S55)の順で発表されており、それぞれ豊田は安藤・相良、安藤は相良の作品を参考文献にあげている。

10月5日進水説

信濃の進水日としてWikiが10月5日説の出典としているのは「戦史叢書第31巻 海軍軍戦備<1>」(資料10)。公文書そのものは焼却され残っていないようであり資料10には出典が書かれていない。従って資料10は資料3の基になった第二復員省史実調査部に提出された報告書を参照したと思われる。
資料4:「塩川(信濃設計担当)あれは命名式の前日で、その予行を半注水で浮かべてやるつもりだったんです。...十時か、十事半ごろでした。...そのうちに船が踊り出しちゃった。それで船はドックから半分ぐらい外に出ましたね。」
資料5:「十月五日、...朝八時−注水が開始された。...こうして九時を少しすぎたころ、信濃は水にのって勇躍、その巨体の美しい全貌を浮かべたのであった。...午前十時頃だったか突然、大きな音響がして、...扉船が...渠口から飛びだし、怒涛のごとく海水がドックの中に殺到し...艦体の半分ほどを海上に乗り出す始末となった。」
資料6:「十月五日。この日は初めて信濃を浮揚するために建造中の第六船渠に注水する、いわば進水式といもいうべき意義のある日であったが、思いがけない事故がおきた。」「それがため船首の損傷部の修理に一週間を要し、十一月二十三日、出渠した。」
資料7:「信濃の場合は、出渠が進水式に相当するわけである。...命名式は、中央より皇族方や高官らを迎えて、大詔奉戴日の十月八日に挙行される予定なので、出渠はその二三日前に完了させておこうというのであった。...昭和十九年十月五日、出渠の日はきた。...午前八時、太い海水の束が、水門の数ヶ所の注水孔から、コンクリートの渠底へ勢いよく落下し始めた。...午前十時頃、...信濃は次第にドックから港内にはみ出していつた。...曳船が信濃を抱きかかえるようにして再び入渠させた。そのごすぐに扉船が閉ざされ、やがてドック内の排水が始められた。...やがて、修理も完成した。ドックは再び水を張られて、こんどは無事に出渠した。そして作業も円滑に進んで、小海の岸壁に巨体を繋いだ。...出渠すると、いよいよ出撃は近い。...間もなく、信濃は、小海の岸壁から、港内の一番沖にある旗艦ブイに繋ぎかえて、公試運転に出動するようになった。標柱間速力試験、艦載機発着艦公試、運転性能公試などが、数回にわたって狭い東京湾内に出動して実施された。...昭和十九年十一月十九日、信濃は工廠の手を離れて艦長に引渡され、帝國軍艦籍に編入された。そして正式に軍艦信濃として、艦尾に軍艦旗を翻す身となった。
資料9:「十月十九日に予定していた進水式のため、前日、これまで半注水...していたドックを、全注水することになりました。ところが十三時一寸前くらいだったでしょうか、急に内扉が浮上し...。十一月十九日に進水(予定は十月十九日であったが、前記事故で、一ヶ月延期)して、十一月二十九日出港です。」

ここで先ず帝國海軍における「進水」の定義を記しておく。信濃が進水した当時の「進水」は軍艦進水規則(大正3年2月25日達第19号、最終改正昭和16年12月5日達第374号)が適用されていた筈である。同規則の第五條にはこうある。「軍艦ノ進水ハ(中略)船渠進水ニ在リテハ船體ノ船渠外ニ向テ進行ヲ起ス時ヲ以テ始リ全ク船渠外ニ出テタル時ヲ以テ終リトス」。そして続いて第六條にはこうある。「軍艦ヲ進水セシメラルヽ際二ハ海軍大臣進水命令書ヲ朗讀シ終テ之ヲ鎭守府司令長官若ハ造船所長ニ授ク 鎭守府司令長官造船所長進水命令書ヲ受ケタルトキハ鎭守府司令長官ハ直ニ海軍工廠長ニ、造船所長ハ進水擔当ノ所員ニ命シテ軍艦ヲ進水セシムヘシ」。この事故はドックへの注水の際に発生しており、また、船体が完全に「船渠外」に出てもおらず、「艦体の半分ほどを海上に乗り出」したにすぎない。それに進水命令書が朗読される前なので、規則上進水を開始していないし、終えてもいない。従って、事故が起こった日には進水していない。進水命令書を受領する前に進水=出渠させることは規則違反である。資料5〜7も注意深く読むと10月5日に進水したとは言っていない。資料5は「その巨体の美しい全貌を浮かべた」、資料6は一般に理解しやすいように「いわば進水式ともいうべき意義のある日」、同じく資料7は「出渠が進水式に相当する」と言っているにすぎない。資料9は事故から25年も経った頃に曖昧な記憶だけで書いたものと推察され日付については全く当てにならない。そもそも信濃が進水した当時、進水式は行われていない。行なわれていたのは命名式である。従って10月5日進水説は完全に誤り。

10月6日進水説

信濃の進水日としてWikiが10月6日説の出典としているのは「海軍造船技術概要」の1674頁で、甘利義之 元海軍技術少将が執筆したところ。正規空母の一覧表中で触れている。甘利義之 元海軍技術少将とは如何なる人物かを辞令公報で追ってみると呉海軍工廠造機部員→舞鶴海軍工廠造機部長→佐世保海軍工廠造機部長を歴任したあと昭和19年8月25日に海軍艦政本部出仕となっており、信濃の命名、進水時はこの要職についていたことが分かる。「舞鶴造機部の昭和史」(2014年文芸社)には「甘利さんは、全海軍を通じて軍艦好きのナンバー・ワンだったというかくれた一面がある。」「自宅に訪ねたときよく整理保存されたすばらしい艦艇写真を見て驚き」という記述がある。このことから職務を通じて得た艦艇に関する情報をきちんと整理し保管していた様子が見て取れる。(ただし、翔鶴と瑞鶴の起工日については検討の余地がある。)

命名式

10月6日には内令第1154号で信濃の本籍も定められている。では本籍はいつ定められるのか。本籍が定められるのは「新造軍艦水雷艇の帝國艦艇籍二入ル時期等に關する件」(大正3年11月30日決裁官房機密第1434号)に依る。「三 命名式日(即チ進水ノ日)其ノ本籍及定員ヲ確定シ共ニ内令ヲ以テ之ヲ發布ス」。これは信濃のような海軍工廠で建造された船に適用される。因みに民間造船所で建造される場合は同第十一號が適用され「授受結了ノ日ニ於テ」本籍が定められる。従って、Wikiにあるように「10月6日命名式の予定は延期(軍艦籍登録のみ10月6日付)」などということは規則上あり得ない。本籍が定められている以上命名式は予定通り10月6日に行われたとみなければならない。「高松宮日記」(資料14)にはこうある。「十月六日(金)荒天準備、雨 (中略)(予定約束)〇八一五「信濃」(戦艦改造空母)命名式。皇族御差遣ナシ。海軍大臣来レル由。」(P.558)。また、資料4でも塩川氏は10月5日の事故の事を「あれは命名式の前日で」と発言しており、そのあと命名式が延期されたことには一言も触れていない。そもそもたった2日だけ命名式を延期する意味がわからない。それくらいなら仕切り直して規則通り出渠にあわせて命名式をあげるべきであろう。

Wikiでは命名式を10月8日に行ったとしており、「戦史叢書第102巻」の257頁を出典としてあげている。「戦史叢書第102巻」は出典として88-311・318としているが「戦史叢書第88巻 海軍軍戦備<2>」(資料13)の311頁及318頁に信濃のことは全く触れられていない。「戦史叢書第88巻」を「信濃」で全文検索すると31頁に次のようにあるので、おそらくこれを出典としたかったのだろう。

「次のような工事予定が立てられた。
  昭和十九年十月五日 渠中浮揚
        八日 命名式、後沖繋留
       十五日 竣工引き渡し」
そして15行目からこうある。
「このため、命名式(中略)は予定どおり十月八日に挙行されたが、出渠を取りやめ、引続き渠中において損傷部の修復工事が行われ、公試運転を終えて竣工引き渡しとなったのは十一月十九日であった」。
これと類似の記述は「海軍造船技術概要」(資料3)の160頁にもある。「10月5日午前8時注水ヲ開始、...球型船首ヲ圧壊水中聴音器質を損傷シタ。仍テ命名式ハ一応予定ノ如ク、10月8日挙行スルガ出渠セシメセズシテ、...復旧工事ヲ施行、23日完了ノ上出渠、沖浮標ニ繋留シ...」。これと共に同143頁に表形式で
「昭15.05.04 起工」
 :
「 19.10.5  浮揚 艦首、「ビルジキール」ニ損傷ヲ受ク。
   19.10.8  命名式 単ニ手続キノミトシ、再ビ入渠。
   19.10.23 出渠 沖繋留
   19.11.19 竣工 但シ一部ノ残工事、手直シ工事アリ又訓練等モ必要トシ、完全ニ工廠ノ手ヲ離レタノハ11月26日頃」
これらから資料13は資料3を基にしていることがわかる。命名式が実際延期されたか否かを問わず10月6日に予定されていたことは宮様の日記で明らかであり、そして命名式の日は軍艦進水規則により30日以前即ち9月6日には海軍大臣に具申され定められている。10月8日は大安吉日・大詔奉戴日なので最初の「工事予定」では命名式を10月8日としていた可能性は十分あり得るが、あくまで9月6日より前に立てられた「予定」に過ぎない。さらに「予定ノ如ク」命名式が行われたならばそれは10月8日ではなく10月6日でなくてはならない。
10月8日に命名式が行われたとする記述は前述のように「幻の空母「信濃」の生涯」(資料7)にもある。「命名式は、中央より皇族方や高官らを迎えて、大詔奉戴日の十月八日に挙行される予定なので、出渠はそのニ三日前に完了させておこうというのであった。」。
資料4にあるように10月5日は「予行を半注水で浮かべてやるつもり」だったにすぎず、出渠は命名式に引続き行われるのが流れである。命名・進水の手順を無視した記述は全くの誤り。執筆された当時、市中で容易に入手できるもので進水日を明記していたのは「造艦技術の全貌」(資料2)くらいなので、おそらくここからの引用、あるいは10月5日から「ニ三日後」ということを計算し大詔奉戴日と記憶がごちゃごちゃになっているのだろう。命名式から20年以上経って書かれたものであり仕方ないところである。

作家先生の文学作品を引合いに出すのは無意味だが、これから述べることに関連するので書いておくと、10月8日付の「命名書」なるものが掲載されている。

「命名書
 軍艦 信濃
  昭和十五年五月四日其ノ工ヲ起シ今ヤ其ノ成ルヲ告ゲ玆ニ命名ス。
   昭和十九年十月八日
    海軍大臣 米内光政」
これは安藤が創作し豊田が引用しているものだが、
  1. 朗読されるべきは「進水命令書」であって「命名書」ではない。
  2. 艦名は天皇陛下の御治定を戴き命名式より3箇月も前に示達(昭和19年7月1日達第212号)されている。
  3. 信濃という艦名は天皇陛下の御治定なので海軍大臣ごときが陛下をさしおいて「命名ス」ることはできない。
  4. 陛下の代読をしたというなら「海軍大臣 米内光政」ではなく陛下の御名でなければならない。
軍艦進水規則第七條に例示されているものに倣えば、本来次のような文面になる。
「軍艦信濃昭和十五年 月工ヲ起シ今ヤ船體成ルを告ケ玆ニ命名ノ式ヲ舉ケ進水セシメラル
  昭和十九年十月 日      海軍大臣 米内光政」

命名式という名称から「命名」が目的の儀式に捉えられがちだが、本来の目的は進水命令書を参列者の前で朗読し、それを責任者に授与して軍艦を進水させることである。従って、進水について全く触れない、このような不敬な「命名書」は安藤に依る全くのフィクションであることは明らか。当然日付にも何等信憑性はない。因みにこの作品は福井による「詳細緊密な校閲を」受けているとのことである。ついでにもう一つ苦言を呈すれば豊田の作品はさらにひどい。信濃のような軍艦の場合(正確には御臨幸又ハ皇族ノ御差遣アルトキ及戰艦、巡洋戰艦、航空母艦、排水量五千噸以上ノ巡洋艦ノ場合)軍艦進水規則第八條第一項により命名式には必ず海軍大臣が出席することになっており、「昭和天皇の代理として」海軍大臣が式場に臨席したわけではない。例え陛下が御臨幸されたとしても進水命令書を朗読するのは海軍大臣である。Wikiも「辞典」と称する以上は作家先生の文学作品をまるで史実のように記述するのだけは止めてもらいたい。作家先生も史実をよく調査した上で小説にしているとは思うがあくまでご自身の作品は史実を参考にしたフィクションであることをご自覚いただき、ご自身の作品を史実と錯覚しないでいただきたい。

話が脱線してしまったが、残るはWikiが参照している「高松宮日記」(P.605)である。このP.605は日記本文ではなく10月分末の(記事整理表欄)に書かれてあり、Wikiでは
 「6日「信濃」命名式ノ予定ノ処、門扉ノ操作ヲ誤リ損傷シ延期。」
としているが、実際「高松宮日記」(P.605)に書かれているのはこうである。
 「6日「信濃」命名進水ノ予定ノ処、門扉ノ操作ヲ誤リ損傷シ延期。」
念のため宮様直筆の日記も見てみると十月分記事整理表の6日の行に
「信濃 命名 進水ノ予定ノ処 門扉ノ操作ヲ誤リ損傷シ延期」
と書かれてあり、命名式が延期されたとは一言も書かれていない。
繰返しになるが「信濃」という艦名は命名式の3箇月以上前に既に示達されている。従って「命名」が延期されることはない。つまり宮様の文章の趣旨は進水の延期にあり、「命名式において進水が延期された」と書かれているのである。いずれにせよ「命名式」が延期されたという公文書や一次史料は「高松宮日記」を含め一切ない。命名式が延期されていないなら、命名式が行われたのは10月6日以外にない。

10月8日進水説

Wikiが10月8日進水説の出典としているのは同じく「海軍造船技術概要」(資料3)の295頁。これは「造艦技術の全貌」に掲載されているものと同じなので福井による作品と推察できる。10月8日進水説の起源を辿れば全て福井作品に行きつき、他にこの日に進水したことを示す史料は皆無。宮様や甘利少将と異なり、当時福井は信濃の進水・竣工を知る立場にはなく、おそらく不確実な情報(元ネタは牧野か?)を鵜呑みにしたか、或いは憶測で10月8日と信じていたに過ぎない。命名式が10月6日に挙行されたことが明らかになった以上、全くの誤り。

出渠=実際の進水日

Wikiでは「修理は10月23日に終わり、ドックを出て沖合いに繋留された」とあるので、実際の進水日は10月23日となるのだが、出典が作家先生(豊田→安藤)(相良は触れていない)のそれ。実際の10月23日説の出自は前述の資料3の143頁あるいは160頁だろう。
資料6では「船首の損傷部の修理に一週間を要し、十一月二十三日、出渠した。」とあるが、11月19日にはすでに竣工し艦長への引渡が終わっているので11月23日ということはあり得ない。それに事故から一週間だと10月12日となるので記述そのものがおかしい。
資料9では「十一月十九日に進水(予定は十月十九日であったが、前記事故で、一ヶ月延期して」とあるが、そもそも11月19日は竣工、引渡しの日であるし、予定は10月6日だからこの記述もあてにならない。
資料12では、進水式を「昭和十九年十一月十一日」としているが、これはおそらく「沈みゆく信濃」(資料1)を参照したもの。資料1ではこの日に渠中の事故が発生したことを書いてあるのでこの日も出鱈目。そもそも11月11日は仏滅。

この3つだと資料3の10月23日が正しいように思えるが、起工日(後述)も命名式の日も出鱈目なだけに信頼がおけるのか疑問。資料6は記述そのものがおかしいが、「修理に一週間を要し」、資料11で上野氏は「約十日間出渠が遅れた」(P.32)、同じく資料11で三上氏も「出渠が十日程遅れたように記憶しています」(P.83)と書いている。10月23日-10月6日=17日。17日だと半月くらいとか半月以上遅れたと記憶するのではないだろうか?また資料11には元海軍少尉(当時兵曹長、第七機銃群指揮官兼分隊士)が10月20日に転勤を言い渡された後、翌日の「十月二十一日横須賀沖十一番ブイに繋留されている信濃に着任した」(P.65) と書いている。これが本当なら出渠は10月21日より前である。今度こそ大安吉日を狙うなら14日が一番怪しい。この日なら10月14日-10月6日=8日となるので1週間でも約10日でも無理はない。最後に発見された信濃3枚目の写真。これはドックに注水されている状態なので、いつ撮影したかがわかれば出渠の日はさらに絞られる。よって今後の調査が期待される。

結論

以上を取りまとめると次のようになる。

昭和15年04月07日(日:先勝)	起工、起工式
昭和15年05月04日(土:大安)
昭和19年10月05日(木:友引)	渠中浮揚中に事故
昭和19年10月06日(金:先負)	命名式(但し引続き行われるべき進水は延期しドック内で修理)、本籍制定
昭和19年10月08日(日:大安)  大詔奉戴日
昭和19年10月14日(土:大安)	X日?
昭和19年10月19日(木:大安)	X日?
昭和19年10月X日		出渠=進水、後沖繋留
昭和19年10月23日(月:先負)	X日?
昭和19年11月01日		沖にいる信濃をB-29が撮影	
昭和19年11月11日(土:仏滅)	第一回公試?(荒川浩氏が写真を撮影したのはこの日かもと福井が推定)
昭和19年11月19日(日:先勝)	竣工、引渡
昭和19年11月28日(火:仏滅)	出港

おそらく実際に規則に沿った進水は10月x日だったが、10月6日に「進水したことにした」のだと思われる。そして書類上は命名式の行われたこの日が海軍の公式の進水日となる。実際の進水日(=出渠の日)が分からないので当サイトでは10月6日のままにしておく。念を押しておくが10月5日や10月8日は書類上も実際も進水日ではない。なおWikiでは起工日を1940年4月7日、もしくは5月4日としている。これについての詳しい検討経過を記すのは省くが、5月4日説の根拠が進水日10月8日説と同じ「海軍造船技術概要」(資料3)の295頁なので、4月7日とみてまず間違いないだろう。Wikiでは安藤作品により「5月4日、ドックの完成と同時に第110号艦の起工式が行われる」としているが、ドックの完成と第110号艦の起工式は別物。4月7日に起工なら起工式は当然4月7日。安藤作品には「起工式の直前、横須賀海軍工廠の一番奥まった蠣ヶ浦に新造された第六ドックの頭部で、簡潔でささやかなドックの竣工式が行われていた。」という記述もある。さすがにWikiもここまで引用するようなことはしていないが、昭和6年6月の閣議以降、ドックなどの工事、建物等の起工式、落成式等は取止めるよう閣議決定されている。したがってポケットマネーで私的に式というか会を催したなら話は別だが、公式な竣成式を行うことはない。当サイトの起工日の記述を4月7日に訂正。宮様の日記の写しの入手に丸一箇月を要したが、おかげで靖国神社の偕行文庫にお邪魔したり、Wikiで参照している書籍に目を通す時間を得られたのは良かったのかもしれない。たかが二枚の写しに手数料込みで1,983円というのはどうかと思うが、下賎の輩が宮様直筆の日記を拝見できるなら、これでも畏れ多いことなのかなとも思う。長々と書いてしまったが、あくまで「ひとりごと」。新史料が発見されれば掌を返したように訂正する可能性は充分にある。

2024年05月25日 Version 24.20β公開、滿洲國海軍艦船データベースVersion 2.40公開

一般徴傭船(雑用船)まで船舶登録、検査情報を追記。
「海軍水雷史」から第2号〜第9号隼艇、昭興丸、龍田川丸、長運丸の船歴を追加。但し日付は他と矛盾しない範囲に止める。この部分の筆者である村上大尉の肩書は第11魚雷艇隊司令となっているが司令ではない。同書には第135魚雷艇隊とか第535魚雷艇隊、昭和16年に第1魚雷艇隊とかの記述があるが、特設魚雷艇隊ではない。軍隊区分(兵力部署)中の部隊名であろうか?いずれにせよ編制上の隊と軍隊区分上の部隊をごちゃごちゃにするのは良くない。本書の引用にはちょっと注意が必要である。
4月末に頼んだ資料が未だ届かず。たった2箇所の複写に一体いつまでかかるのやら。雅な方のやることはまったりしすぎていて困る。今は平安時代じゃないんだから。
特設運送船(雑用船)のタイトルが。ウソ?。特設運送船(雑役船)?? 20年も誤記に気づかなかった?!恥ずかしい!恥ずかしいから緊急更新。

2024年05月18日 Version 24.19非公開

特設艦船への図面、検査、船級情報の追記が終了したので、船舶登録の記録修正に戻る。一般徴傭船(雑用船)に追記中。
一般徴傭船・地方徴傭船の雑用船までをpdf化。以前の方が使いやすいかもしれませんがメンテの都合上ご容赦ください。
久々に靖国神社へ行く。東亞海運や信濃について調査。
複写申請の許可は3週間を経て出たものの、頼んでる資料はまだ来ない。よって信濃関係の考察は結論を書けない。
スーパーで買った「ひだまりの甲州SEMI-DRY」を飲む。
アンテナショップで買った「亀泉Cell24」を久々に飲む。甘いけど美味い。
天橋立で買った「純米吟醸旬彩するめや」を飲む。これは苦手。生酒でないのはちょっとかも。

2024年05月11日 Version 24.18非公開

特設特務艇に検査情報を追記中。
信濃関係で急遽購入した「航空母艦物語」を読了。艦歴に使えそうなのは雲龍の初期の行動くらいだがちょっと裏をとってからの方が良さそう。
国立国会図書館デジタルコレクションの4月追加分はすごい。「海軍水雷史」も「海防艦戦記」も自宅で読めるようになった。この2冊は高額なため手が出なかったので素直に嬉しい。
東京都立庭園美術館に行く。特に意味なくふらりといっただけだが、あとでサイトを見ると予約が必要だったとか。熱心な人が写真撮りまくりで鬱陶しいこと。
天橋立で買った「とよさか赤辛口」を飲む。普通に美味い。

2024年05月04日 Version 24.17非公開

特設軍艦に図面、検査、船級情報を追記中。

2024年04月27日 Version 24.16非公開

特設特務船に図面、検査、船級情報を追記中。結構難航している。
信濃の調査もしているがこちらも難航。資料を求めて複写申請をしたが、GWじゃないか。いつもタイミングが悪いんだな。サムネイルをいくつか追加/差替。リンクを追加。
亀戸天神の藤まつりに行く。
前にこんにゃくパークで買った「しんとう醸造ワイン赤」を飲む。普通に美味い。前に娘にもらった「荷札酒 備前雄町」を今度は岡山で買って帰ったので飲む。この酒、岡山→新潟→岡山→埼玉と旅をしてきたんだね。

2024年04月21日 Version 24.15非公開

出先で集めた写真資料の情報を各船舶の船歴に追加。
1年以上前に購入した「空母二十九隻」を読了。P.25に瑞鶴が「十二月五日か六日であった。本艦は油槽船の国洋丸から重油の洋上補給をうけた。」との記述が唯一船歴に取り入れられそうだが、補給部隊が最後の給油をしたのは12月3日である。このことからあやふやな記憶からの記述であることが明白なので本当に「国洋丸」から給油を受けたかどうかも確信がもてない。ここに備忘として記録しておくにとどめる。この本を読んでいておやっと思ったのはお二方の手記で信濃の進水を10月5日としてあること。おかしいなと思ってWikiを見ると10月5日、10月6日、10月8日とするものがあるとのこと。結構、人気の艦で多くの人が研究していると思うが、結論はでていないのだろうか?自分でもちょっと調べて見ようと思う。
岡山では今年の「多賀治純米大吟醸朝日無濾過生原酒」を飲む。

2024年04月13日 Version そのまま

天橋立観光。夜は舞鶴地酒「純米吟醸池雲祝」をお店で飲む。朝4時起きだったせいか1合半で酔っぱらう。
来週まで出先なので資料収集に特化。
舞鶴引揚記念館で「引揚港舞鶴の記録」、赤れんが博物館で「舞鶴の近代化遺産」を購入。「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」に乗船。
"Deutsche Digitale Bibliothek"からドイツ船の写真をDL。
岡山では今年の「十八盛無濾過生原酒限定直汲み」を飲む。

2024年04月06日 Version 24.14非公開

船舶登録の記録修正中。特設艦船については終了したが、特設運送船(雑用船)以外の特設艦船にもLRの図面情報や検査記録を入れることにした。また、船級情報も入れることにしたので、しばらく時間がかかりそう。IMO NO.に採用されるくらいだからLRの船級番号は一度付与されたら解撤迄ずっと変わらないと思っていたが、この時代は変わらないどころか毎年変わっていることに気づき唖然とする。そもそも当時は船級番号ではなくRegister Book掲載順の一連番号が船級番号の役割を果たしており、故にRegister Bookの新版がでるたびに番号が変わるのである。
「中部幾次郎」から日新丸、第二日新丸、第十五播州丸船団の船歴を追加。
妻がスーパーで買ってきた「加茂錦純米吟醸初春しぼり」を飲む。そこそこ。

2024年03月30日 Version 24.13非公開

船舶登録の記録修正中。特設運送船(雑用船)の7頁目まで終了。
こういう機会でもないと特設運送船(雑用船)のように頁数の多いものはつい後回しにしてしまいがちなので、LRの図面情報や検査記録もついでに取り入れている爲、なかなか進まない。
「硫安協会月報」掲載「続生きている肥料史第28回」 から日晴丸、第十二號掃海艇の船歴を追加。

2024年03月23日 Version 24.12非公開

船舶登録の記録修正中。特設運送船(雑用船)の3頁目まで終了。
群馬のめんたいパークとこんにゃくパークへ行く。そして「しんとう醸造ワイン赤」を買う。スーパーで買った「北秋田かすみざけ」を飲む。コスパ最高。

2024年03月16日 Version 24.11非公開

船舶登録の記録修正中。特設運送船(給炭油船)が終了し、特設運送船(雑用船)を修正中。1頁目まで終了。辰和丸の戦時日誌を見直し呉竹、御蔵、第十號海防艦、第三十號海防艦、第四十二號海防艦、燕、第三號驅潜艇、第六十號驅潜艇、華山丸、北京丸の船歴にも反映させる。

2024年03月09日 Version 24.10非公開

船舶登録の記録修正中。特設運送船(給炭船)まで終了。特設運送船(給油船)も戦時編制の裏をとっている途中だが昭和17年後半以降のものでも裏が取れないことが判明。これは戦時編制の改訂文書や改訂電報があっても、それらが参照している内報電報そのものががないため。公開されていない他の文書を見に防研に行くしかなさそう。従って、特設運送船(給油船)と特設運送船(給炭油船)は今の所、先達の調査結果をそのまま利用することにする。他の特設運送船はあくまで暫定版とご理解いただきたい。入籍日と戦時編制が最初に現れる日との間に乖離がある場合、特に注意が必要。昭和十六年度帝国海軍戦時編制が実施されたのは昭和16年9月1日であることがはっきりしたので、これ以前は戦時編制の表記を艦隊編制に変更。
随分前に買った「海軍水雷戦隊」を読了。船歴に追加するような事項はなし。
スーパーで買った小西酒造の「大吟醸ひやしぼり」を飲む。ワイングラスでおいしい日本酒アワード2022の最高金賞受賞と言うことだがこれってどんな人が選んでるのかな。

2024年03月02日 Version 24.09非公開、滿洲國海軍艦船データベースVersion 2.40非公開

船舶登録の記録修正中。特設運送船(給糧船)まで終了。結局、現在ネットで公開されているデータでは昭和17年前半までの編制はよく分からない。特設運送船(給糧船)と特設運送船(雑用船)だけではなく特設運送船(給水船)、特設運送船(給兵船)、特設運送船(給炭船)も調べる必要があることに気づいたので、先ず特設運送船(給水船)を調べ直した。このとき特設運送艦の第四日立丸が雑用であることを発見。永らく給水としていたが、何故急に給水艦が編入されたのか不思議だったが疑問は解消。ところでどこに給水と書いていあったのか?
欠落していた大正9年2月の船舶登録のデータを国立国会図書館で複写してきたので該当船の船歴を修正。ついでに複写してきた雑誌「丸」S59年9月号「泣き笑い特設駆潜艇長奮戦記」から第十七昭南丸の船歴と兵装を追記。但し戦時日誌と齟齬があるところは無視。
2010年3月13日もう14年も前に見せてもらったと思われる臨時海軍防備隊の写真が安城市歴史博物館の研究紀要に掲載されているらしいことを知り即購入。ビンゴ。2014年に刊行されていたのに10年間も知らなかった。在庫があって良かった。掲載されているのはごく一部だが江順の写真があるのは特筆に値する。それにしてもてっきり名古屋市の博物館だと思い込んでいたが安城市とは。。思い込みとは恐ろしい。写真資料にこれを追記。また、「滿洲國官吏録」から海上警察隊の人事も少し追記。
誕生日に娘にもらった「荷札酒 備前雄町」を飲む。同じ雄町でも備前雄町100%で値段も倍するだけあって流石に美味い。

2024年02月24日 Version 24.08非公開、滿洲國海軍艦船データベースVersion 2.39非公開

横須賀鎮守府公報から主に人事関係のデータを追記。但し今回は艦/艇/船長不在時の代理については省略。毎日10時の艦船所在や訓練情報の追記は今後の課題。 取入れたのは第一號哨戒艇、第二號哨戒艇、第一〇一號哨戒艇、浮島、猿島、前島、第一號敷設艇、第一〇一號敷設艇、第一號驅潜特務艇、第四號驅潜特務艇、第八號驅潜特務艇、第十四號驅潜特務艇、第十九號驅潜特務艇、第二十二號驅潜特務艇、第二十六號驅潜特務艇、第二十七號驅潜特務艇、第三十二號驅潜特務艇、第四十三號驅潜特務艇、第四十四號驅潜特務艇、第五十二號驅潜特務艇、第五十三號驅潜特務艇、第五十七號驅潜特務艇、第六〇號驅潜特務艇、第六十八號驅潜特務艇、第八十二號驅潜特務艇、第八十四號驅潜特務艇、第八十八號驅潜特務艇、第一號掃海特務艇、第二號掃海特務艇、第七號掃海特務艇、第八號掃海特務艇、第九號掃海特務艇、第十號掃海特務艇、第十一號掃海特務艇、第十二號掃海特務艇、第十三號掃海特務艇、第十四號掃海特務艇、第十七號掃海特務艇、第十八號掃海特務艇、初島、第一號魚雷艇、公稱第690、709,827號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第1182〜1183號曳船(驅潜艇型)、公稱第1269號曳船兼交通船、公稱第1313〜1314號曳船(敷設艇型)、報國第十三號、公稱第3747號潜水作業艇、興海丸、興義丸、たつ丸、まつ丸、樫丸、高千穂丸、こうせい丸、一新丸、瑞光丸、員山丸、鷺州丸、瓊山丸、卑南丸、和美丸、通海丸、地久丸、利國丸、大功丸、第二號金剛丸、鳴尾丸、第一鶚丸、第三鶚丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、新東北丸、東郷丸、第十一號琵琶丸、慶祥丸、和風丸、第三大和丸、桂川丸、瑞穂、秋津洲、剣埼、駒橋、厳島、香取、宇治、國後、第十五號驅潜艇、第三十二號驅潜艇、知床、尻矢、杵埼、宗谷、淺香丸、能代丸、高榮丸、能代川丸、相良丸、聖川丸、五洲丸、小牧丸、りおん丸、加茂川丸、慶洋丸、さんとす丸、平安丸、日枝丸、長田丸、日海丸、金剛山丸、笠置丸、永jロ、まがね丸、靜海丸、八海山丸、瑞興丸、京城丸、光島丸、豊津丸、第二號新興丸、千歳丸、昌榮丸、第一號明治丸、でりい丸、平壌丸、長運丸、京津丸、宇治丸、辰武丸、立山丸、東邦丸、御嶽山丸、屏東丸、松榮丸、白沙、第三十六共同丸、刈藻丸、エボン丸、第三鷹壽丸、第二~光丸、第一寶榮丸、第拾光榮丸、第二榮jロ、安波丸、海形丸、宮城丸、第一大勝丸、ふさ丸、第一日之出丸、~威丸、岩手丸、sc丸、第二千勝丸、第七住吉丸、pマ丸、白鳥丸、第五大盛丸、第三大喜丸。
唐津の行動調書から唐津、香洋丸、木曽丸(陸軍徴傭船)の船歴を追加。今回はフィリピンの地図で各地名を 確認したので行動調書に出てくる表記とは多少違えている。利用できなくなっていた東北大学の外邦図もリニューアルオープンしていたのでこれらも活用して一番適当と思われる表記を採用した。
風の森の「雄町807」を飲む。これも甘い。

2024年02月17日 Version 24.07非公開

船舶登録の記録修正中。特設運送船(給糧船)を修正しているが特設運送船(給糧船)と特設運送船(雑用船)は出沼さんのファイルにないので、中途半端。そこでこれらの戦時編制を先に調査しておこうとしていたところ、砲艦の行動調書が公開されていることに気づき、気晴らしに途中まで調査していたところ、別件で第一号、第二號哨戒艇の艇長を調査しなくては気が済まなくなり、鎮の公報を調べていたところ、他の艦艇の人事も結構出てくるので、これらにも飛び火し、結局、船歴をほとんど何も修正できないまま一週間がすぎる。
性懲りもなく近所の酒屋で今度は風の森の「秋津穂657」を買って飲む。やはり1日目より2日目の方が美味くなるが2日目には飲み切ってしまうからそれ以上の味は解らない。それにしても甘い、甘すぎる。

2024年02月10日 Version 24.06β公開

船舶登録の記録修正中。特設特務艇、特設特務艦が終了し、特設特務船を修正中、特設運送船(給水船)まで終了。
特務艦石廊行動報告(機関科)組込み。
先々週「昭和19年6月2日以降に徴用された特設艦船は名簿があるわけではなく」と書いたがちょっと正確性に欠けたので覚えとして書き留めておくことにする。「戦前船舶第104号」で「日本海軍徴傭船舶原簿」(資料1)というのがある。これの「原本は「徴傭船舶名簿(昭和十八年六月一日現在及び昭和十九年六月一日現在)(海軍兵備局発行)である。原本は上記日付で印刷発行後に手書きで訂正や追記がなされており全て訂正後のものとし追記も全て収録したが、追記の最終は昭和二十年二月頃であるため戦争末期の徴傭船舶は欠落している」。JACARで公開されているこの昭和十九年六月一日現在の版には追記がなく、あるのは昭和十八年六月一日現在のもののみ。そしていずれにも「大鳳丸」の記述はない。しかし「日本海軍徴傭船舶原簿」には「た行」に「五監視 監視乙 大鵬丸 43212 69 漁 山田鋭一郎  1 19/9/8」の記載がある。従って戦前船舶研究会が参考にしたのはJACARの「徴傭船舶名簿」ではない。「第二大鵬丸(ダイニオオトリマル)」の船舶番号は43213であり同書掲載の正岡氏の「特設艦船原簿」(資料2)では「た」のあたりに「0678 43213 大鵬 山田鋭一 69 漁 1Y 19-9-8 特監乙。。。」の記載がある。同氏の手書きのメモ「戦前船舶資料集第141号」でも「大鵬丸 山田鋭一郎。。。」の記載があるので同氏は船舶番号43213の「第二大鵬丸」を「大鳳丸」としていることがわかる。因みに船舶番号43212は「第六虎丸」で改名の事実はない。よって船舶番号43212は誤記である。では、どうして資料1にこのような誤記が起こったかというと戦前船舶研究会が参考にしたと思われる昭和十九年六月一日現在の版の追記(資料3)に次のような記述があるのだ。これは「た」の部への手書きの追記で「五監視隊 監視乙 大鳳丸 四二二一二 六〇 山田鋭一郎  一 一九、八」と書かれている。徴傭日は月までで日までは入っておらず、徴傭日は正岡氏の資料から書き足したのではないかと思われる。因みにこの資料3は国立国会図書館のデジタルコレクションで公開されており、最終記載は昭和20年5月19日。同じファイルには別の昭和十九年六月一日現在の「徴傭船舶名簿」(資料4)もあるがこちらの追記に「大鳳丸」はない。問題はこの資料3を誰がいつ作成したのかということである。呉鎮の佐官が作成して昭和20年11月に米軍が押収したように読めるが、少なくとも正規に兵備局が作成したものではなさそうである。そしてその手書き部分の信頼性である。「大鳳丸」はいずれも「た」行に掲載されており、船名が全く異なる「第二大鵬丸(ダイニオオトリマル)」船舶番43213を「大鳳丸(タイホウマル)」としていることにはやはり疑念を持たざるを得ない。船舶番号も間違えているし。因みに「第八恵比寿丸」については資料1、3、4に記載がない。兵備局が作成した資料であれば資料3〜4に記載がないのも不可解としか言いようがない。

2024年02月03日 Version 24.05β公開、滿洲國海軍艦船データベースVersion 2.38公開

船舶登録の記録修正中。特設監視艇の15頁目まで終了。
放置している農林省特殊漁船を何とかしようとしてみたがどうしても「29隻」の特定が上手くいかない。戦時日誌に書かれている電文の船名も「號」がついているか怪しいし、漢字も間違っている可能性もある。
ようやく「叔星」の写真を発見。ついでに出典元の "Far Eastern Review"38年分を3日かけて調査。一番の収穫は"Alayat"(後の第105号哨戒艇)の新たな写真2枚を発見したこと。HANSAに載っていた写真も別の号に掲載されておりこちらの方がやや鮮明かなと思う。あとは特別輸送船となった新揚江とか戦利砲艦Guamの写真、帝洋丸、總洋丸、太平丸、那岐山丸などなどの一般配置図もモデラーの方は必見かなと。お暇な方は是非とも採掘してみてください。
PCが壊れはじめる。確かにこの1年酷使したものなぁ。HDMI接続で画面が映らない。アナログRGBで接続するとなんとか映ったので取り敢えずこれで使うが応急処置なので買い替えを検討せねば。そう言えば前もグラフィックボードが壊れてアナログにしたことがあったなぁ。あのときは2年頑張ってWindows10になってから買い替えたが、今回も11のような中途半端なOSじゃなくちゃんとしたOSがでてからにしたい。ただ、それまで持てばの話だが。
月曜からいよいよ我が家のリフォームを開始。前祝にイオンで買った「純米大吟醸桃川」を飲む。

2024年01月27日 Version 24.04β公開

船舶登録の記録修正中。特設監視艇の8頁目までと21頁を終了。
昭和19年6月2日以降に徴用された特設艦船は名簿があるわけではなく日本船名録も発行されていないので正岡氏はそれらしい船を適当に当てはめていたと思われる。大鳳丸の件は20年近く前の2005年02月19日にすでに書いたが、第八恵比寿丸も船舶番号36762ではなく35889であることが判明した。自動的に特殊漁船第三太洋丸の船歴も作成。
国会図書館で新たに公開された資料(と、いっても昨年8月だったみたいだが)から若鷹、鵯、第15〜16号掃海艇、帝洋丸の船歴を追加。
別の資料から白洋丸の素性が朧気ながら判ってきた。どうやらフィリピンの砲艇らしい。Erichによると"Maryanne" (ex-Maria Dolores, ex-Ajax, ex-Poule D´Eau)ではないかという。諸元を訂正。
フィリピンの砲艇といって思い浮かぶのは第一扇海丸の同型船RomblonやMarinduque。これらの調査をしていて第一扇海丸(たぶん間違いない)の写真を中村コレクションの中に発見。
さらに別の資料から第四艦隊の艦船の兵装を追記。

2024年01月20日 Version 24.03β公開

船舶登録の記録修正中。特設監視艇の2頁目まで終了。 今回、特設驅潜艇「蛭子丸」の前身が朝鮮籍の「第貮鴨洋丸」であったことが判明したのは大きい。「新浦丸」は今まで「しんぽまる」か「しんうらまる」かで何回か修正を繰返していたが最終的に「しんぽまる」であることが確定。特設監視艇は汽船だけを調査し機帆船を割愛しようと思っていたが、新規登録の情報だけでも結構新たな発見があることが分かった。例えば「海龍丸」が実は「海竜丸」だったこととか。そのため全船を調査することにした。これらの頁を作成していた頃は戦時編制関係の資料をあまり持っていなかった為、記載が不充分な箇所も多々あるので、今回この機に全て見直している。従ってかなり時間を要している。資料探索の際に「仙臺丸」の船番などを見つける。また「大衆丸」はStark Registerにある25ではなく24が正しいことも確認。
EdgeやChromeだと直接ソースを編集できないので相変わらずIE(正確にはEdgeのInternet Explorerモード)を使用しているが、「Internet Explorer モードになっています。・・・」のメッセージが鬱陶しい。毎回でてくるし30日立つと設定もクリアされてしまうという、超迷惑表示。検索すると表示を消す方法が載っていたのでレジストリをいじってみる。確かにWeb Siteでは消えるがローカルファイルは機能しない。よくよく調べるとfileプロトコルには対応しておらずこれはchromeの仕様だからどうしようもないとのこと。レジストリを弄らなきゃ良かった。別にIEで見たいサイトがあるわけじゃないのだから。どうしてものときはFirefoxを使えば良いことが分かったのでいざとなったらEdgeを棄ててしまおう。Edgeに義理はない。
デパ地下で買った「雑賀純米吟醸辛口しぼりたて(生酒)」を飲む。辛口というだけあって辛い。妻や娘は好きと言うが。

2024年01月13日 Version 24.02β公開

船舶登録の記録修正中。雑役船、特設軍艦が終了し、特設特務艇を修正中。特設驅潜艇の7頁目まで終了。いろいろ転記ミスや錯誤が見つかり適宜修正。
昨年の夏から差分だけのアップロードができなくなってしまい前回UPも一日がかり。ソフトをWinSCPに変えてみたがやはりだめ。FFTP5.8は挙動不審なので削除する。FFTP1.98gで今後も一日がかりでUPするしかなさそう。因みにフォルダの階層を下げると差分だけUPできるのでファイル/フォルダの数が多すぎるのかもしれない。しかしそんな制限のことはどこにも書いてないし昨年6月と1月でファイルの数はほとんど変わっていない。バッチでファイルのコピー/上書きをしているために日付がおかしくなっている可能性もあるが、それだと階層を下げたらできる理由がつかない。ただフォルダの日付けは確かに新しくなってしまっているが。今のところ原因は不明。ますますUPが面倒になる。しかし今回は誤記の重大性に鑑みメジャーな差分だけを選択してUPすることにする。
最近McAfeeがやたらと右下に広告をだすようになる。ネットで検索すると簡単にこれをなくす方法が載っていて、アプリを削除することだと。そりゃ消えるわな。McAfeeは自らがマルウェア化していることに気づいてないのだろうか?こちらは有料で買っているのにこのようなクソみたいなメッセージを出し続けるなら次の更新はない。
正月にイオンで買い足した酒「仁勇 純米大吟醸無濾過生酒」を飲む。

2024年01月06日 Version 24.01β公開

船舶登録の記録修正中。とりあえず第一次の作業は終了。内地機帆船については大正6年10月以降変更登録の記録が省略されてしまっているため今回は原則修正していない。従って、あとは全船の頁を精査して取りこぼしをなくさねばならない。「特設艦船(支那事變)」と特設軍艦のうち特設砲艦の一頁目まではチェック済み。「特設艦船(大正期)」、「特設艦船(支那事變)」及「安導券を付与された船」の諸元をpdf化。光濟の船歴を朝鮮総督府の公報や朝鮮の新聞記事から追加修正。
元旦にスーパーで買った「八海山 純米大吟醸しぼりたて原酒越後で候」を飲む。久々にこれは美味しい。2日にイオンに行くももう売ってなかった。5日に大宮の氷川神社に初詣したあとそごう大宮店に寄ったところ売っていたが、値段は2,000円を超えるので他の酒にする。

<お詫び>公開中のβ版にはここで書いている修正が必ずしも反映されていないことがあります。反映されていない部分は年初の更新で全データを入れ替えた時に修正されます。


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