襟裳航泊日誌組込中。昭和09年12月まで。ついでにでてくる隠戸、室戸、野島、青島、朝日、片島、黒神、勝力、浅間、春日、矢風、第二小倉丸、龍田丸、第1号掃海艇、第15号掃海艇、第16号掃海艇の入出港の記録も追記。
第二十二號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第22号掃海艇、下松丸、金城丸、第二文丸、第十京丸、第五利丸、第五拓南丸、第八昭南丸、さんくれめんて丸、富士山丸、桐川丸、東寧丸、山陽丸、鮮海丸、長光丸、日出丸、地洋丸、興安丸、湊丸、第十八眞盛丸、君島丸、C澄丸、~洋丸、慶洲丸、生田川丸、西阿丸、~丸、壽山丸、百福丸、第十二雲海丸、日高丸、羽K丸、三保丸、豊岡丸、帝香丸、第101号特設輸送艦、第102号特設輸送艦、第128号特設輸送艦、第149号特設輸送艦、第5号掃海艇、第30号掃海艇、第101号掃海艇、
第16号驅潜艇、第24号驅潜艇、第48号驅潜特務艇、第52号驅潜艇、第11号驅潜特務艇、第61号驅潜特務艇、第64号驅潜特務艇、第3号掃海特務艇、第105号掃海特務艇、能登呂、鳴戸、鶴見、石廊、伊良湖、長浦。
会社のPCがIE11になる。従ってノートPCもIE9からIE11に変更。変更した途端Windows 10へアップグレードできる表示がされる。でも、ここでアップグレードしたら古い複合機が使えなくなるので我慢、我慢。
PCは新しくしたがモニタは以前のままDell SP2008WFP。このモニタ、ウエブカメラ内臓なのでPCにUSB接続しなくてはならないのだが挿した途端にSystem Service Exception (ks.sys)というメッセージが出てブルースクリーンになってしまい、いろいろ検索するも完全な解決策がみつからず仕方なくUSBをはずしたまま使っていたのだがようやく復旧。ウエブカメラのドライバー類を全部入れ直したら、ブルースクリーン後いったん再起動するものの、それ以後とりあえず安定。しかし、デバイスマネージャで見ると機器は正常に動作していると表示されるものの、実際にはカメラが動作していない。そこで、ウエブカメラのドライバをいったん削除し、「ドライバーソフトウエアの更新」から「コピュータを参照してドライバーソフトウエアを検索します」を選び 「コンピュータ上のデバイスドライバーの一覧を選択します」から「互換性のあるハードウエアを表示」ででてくる「USBビデオデバイス」を選んでインストール。これで何とかなった。同じ症状の方、お試しあれ。
こそっとFaviconを設置してみる。
今年最後の更新です。皆さま良いお年を。
襟裳航泊日誌組込中。昭和09年06月まで。ついでにでてくる隠戸、鳴戸、室戸、野島、青島、朝日、間宮、片島、黒神、勝力の入出港の記録も追記。
第二十三號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第23号掃海艇、第15号驅潜艇、満珠丸、御津丸、柏榮丸、天領丸、金津丸、長和丸、宗谷。行動不明分は大湊警備府戦時日誌、第五十一特別根據地隊戦時日誌で適宜補足。
襟裳航泊日誌組込中。昭和09年03月まで。ついでにでてくる鳴戸、洲埼、隠戸、青島、室戸、朝日、第6号掃海艇、第14号掃海艇の入出港の記録も追記。
第二十四號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第24号掃海艇、君川丸、千早丸、和美丸、第拾五博鐵丸、まがね丸、日鵬丸、滿珠丸、幸昭丸、柏榮丸、昭寶丸、木津川丸、志賀の浦丸、那須丸、眞金丸、天領丸、宗谷、第15号驅潜艇、第43号驅潜艇。行動不明分は大湊警備府戦時日誌、第五十一特別根據地隊戦時日誌、横須賀防備隊戦時日誌で適宜補足。
1日有休をとったこともありPCの設定はほぼ終わる。SSDはさすがに起動が早い。8秒で使い始められる。ソースの表示をメモ帳に変更。ブラウザは互換モードを使うと正しく表示されることがわかる。でも、これをローカルで使う使い方がわからないので作成は不便。Windows 10のせいで動かなくなった複合機に代えて新しい複合機の設定も完了。とひと段落ついたところでNote PCのバッテリーがご臨終。今月は出費がすごい。PC3台、複合機2台、スキャナー1台で机が満杯。
襟裳航泊日誌組込中。昭和09年01月まで。ついでにでてくる隠戸、青島、室戸、朝日、春日、黒神、富士山丸の入出港の記録も追記。
第二十五號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第25号掃海艇、第27号掃海艇、第33号掃海艇、第16号驅潜艇、第18号驅潜艇、龍井丸、千鳥、猿島、海威、高榮丸、新興丸、第八昭和丸、杉山丸。
新しいPCが来る。Edgeはまだ時期尚早ブラウザのようなのでIEを使うがIE11でも本サイトはクロームのように寸詰まりに見える。みなさんこんな感じで見てたのかと思うと少々がっかりしてしまう。いろいろ設定を変えないと作業に支障をきたす。今週は手持ちのアップ素材でなんとか更新できたが、来週はどうだか。とりあえず新しいPCでの初アップです。
襟裳航泊日誌組込中。昭和08年11月まで。ついでにでてくる第14号掃海艇、朝日、勝力、隠戸、鶴見、知床、野島、室戸、青島、間宮、淺間、黒神、片島、でりい丸、富士山丸、昭洋丸、千山丸の入出港の記録も追記。
第二十六號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第26号掃海艇と八海丸。行動不明分は第一根據地隊戦時日誌と第八根據地隊戦時日誌で補足。第五日の丸も追記。
2013年にグラボが逝かれ、HDの異音に慄きながらも、だましだまし使ってきた本機もそろそろ限界。PCを購入する時、何故かいつもタイミングが悪く最初のマシンが史上最悪OSのWindows Me、このマシンがVista。だから、こんどこそは8とか8.1は絶対買わないと我慢してきた。Vistaは巷で言われるほど悪くはなく問題なく使えたが、最初からHDに異音がし、Partitionを切る際System Driveを最大でも60GBしか選択できなかったため、今では空きも少なくなり、数秒のフリーズも頻発。Windows 10がようやく落ち着いてきたようなのでついに購入。Dell Inspiron 530お疲れ様でした。新しいマシンはDellが昔ほどカスタマイズできず予算の都合で希望の構成にできるものがなかったのでHPにした。さて、Windows 10、新しいOffice、Edgeどうなるでしょう。設定やら何やらで来週は更新できないかもしれません。
襟裳航泊日誌組込中。昭和08年08月まで。ついでにでてくる隠戸、鶴見、間宮、室戸、矢風、青島の入出港の記録も追記。
第二十七號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第27号掃海艇はもちろん、大鷹、冲鷹、千鳥、第47号驅潜艇、第48号驅潜艇、第54号驅潜艇、第4号掃海艇、第15号掃海艇、第25号掃海艇、第33号掃海艇、第6号掃海特務艇、第245号魚雷艇、第246号魚雷艇、第251号魚雷艇、樫丸、新東北丸、ちとせ丸、文丸、第三昭南丸、第十一昭南丸、第八利丸、大功丸、第三號報國丸、東郷丸、第一須山丸、日吉丸、御津丸、山福丸、海河丸、國陽丸、八海丸、第十八御影丸、菊川丸、昌榮丸、朝風丸、~jロ、~和丸、朝日山丸、第十二雲海丸、昌隆丸、北隆丸、東星丸、千代丸、那岐山丸、福山丸、第二日の丸、帝北丸、赤城丸、御嶽山丸、第十雲海丸、鹿島山丸、日寅丸、富津丸、寶永丸、日輪丸、とよさか丸、營口丸、龍江丸、大慈丸。行動不明分は第三海上護衛隊戦時日誌で補足。この戦時日誌は擦れていて行動中の−と碇泊中の---の判別がつき難く、後回しにしているもの。今回、推定を交えて書きこんでいるので、誤りがあればご教示ください。
襟裳航泊日誌組込中。昭和08年07月まで。ついでにでてくる隠戸、神威、淺間の入出港の記録も追記。
第二十八號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第28号掃海艇はもちろん、第10号驅潜艇、第26号掃海艇、朝風丸、第五日の丸、山鬼山丸、鳴戸。
襟裳航泊日誌組込中。昭和08年06月まで。ついでにでてくる黒神、片島、勝力、朝日、室戸、隠戸、龍田丸、青島の入出港の記録も追記。この間の艦歴については公文備考からも捕捉。重油の搭載時間などは適宜「行動報告」の記述を優先。
第二十九號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第29号掃海艇はもちろん、總洋丸。
第二十三號掃海艇戦時日誌組込み。
第4号掃海艇の進水日を4月24日としているのは「艦船要目公表範囲別表」の誤記に起因していると思われる。この一覧表は「積極的に要目を公表せしめらる意にあらざる」ものだから、それほど正確でなくても良いのであろうし、所詮一覧表は二次資料だから作成の段階で人為的なミスが発生してもやむを得ない。第15号掃海艇の竣工日もこの表が原因だろう。
水雷艇の頁を作成。昭和12〜14年の編制、所属については公文書で確認・推定できていない部分を一部省略している。丸スペの記述をそのまま使用しようかと、ついつい誘惑に負けそうになるが、ちょっと疑問点もあるのでやはり差し控える。
襟裳航泊日誌組込中。昭和08年03月まで。ついでにでてくる第三雲海丸、朝日、室戸の入出港の記録も追記。
第三十號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第30号掃海艇はもちろん、第5号掃海艇、第36号驅潜艇、第31号驅潜艇、第37号驅潜艇、第46号驅潜艇、第49号驅潜艇、第58号驅潜艇、第101号特設輸送艦、第127号特設輸送艦、第11号驅潜特務艇、第15号驅潜特務艇、第84号驅潜特務艇、塩屋、鶴見、辰春丸、木曾丸、第一號東光丸、第二鶚丸、第十二京丸、第十三京丸、十勝丸、最上丸、第二菱丸、第二共榮丸、第二永洋丸、北上丸、王星丸、柳河丸、旺洋丸、安土山丸、備後丸。
この戦時日誌には昭和19年8月に第三十二特別根據地隊から第62号驅潜特務艇を対潜掃蕩の現場に派遣する内容の無電が2回発せられている。ところが「日本海軍護衛艦艇史」をはじめ"Warships of the IJN 1969-1945"などでは1944年3月20日に沈没とされているので、この無電が発せられたときには、すでに本艇は戦没していることになる。"The Official Chronology of the US Navy in WW II"でも1944年3月20日に沈没とあるが、同年10月25日にも沈没の記載がある。この戦時日誌と矛盾が生じないので本サイトでは後者の沈没日を採用することに変更した。
スマホで文字化けするのは、フレーム内に読み込まないからと判明。全部にmeta tagつけるのも大変だし、正式な閲覧方法ではないので、特設運送艦にmeta tag追加しただけでこれ以上の是正は断念。
半代休をとって防研に内令調査に行く。沿革史資料より第1号〜第6号、第13号〜第18号掃海艇、第1号〜第3号驅潜艇、測天の内令を追記。
第4号掃海艇の進水日を訂正。「幕末以降帝国軍艦写真と史実」からの引用であったが本籍制定の内令と日付が異なっていたため、改めて海軍公報で確認したところ誤記と判明。因みに代表的な日本の出版物、すなわち丸スペ、「日本海軍護衛艦艇史」、福井静夫著作集などには掃海艇の進水日は掲載されておらず、Wikiにも掲載はない。"Warships of the Imperial Japanese Navy, 1869-1945"には掲載されているがこれもまた「幕末以降帝国軍艦写真と史実」と同様4月24日と誤記されている。起工・進水・竣工の日などは基本中の基本データだからまさか間違っていないだろうと市販本を参考にしたが、掃海艇の竣工日には多くの誤りがあったし、進水日・起工日も一度公報などで再確認する必要があるだろう。
また一人会社を去った。今年7人目。最後までごたごたしたが、これから先幸多きことを祈るのみである。
襟裳航泊日誌組込中。昭和08年02月まで。ついでにでてくる隠戸、野島、間宮、知床、洲埼の入出港の記録も追記。
第三十三號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第33号掃海艇はもちろん、第15号掃海艇、第18号掃海艇、第25号掃海艇、第27号掃海艇、宗谷、愛國丸、護國丸、まがね丸、葵丸、やちよ丸、第二號金剛丸、第二關丸、第十六長運丸、第八拓南丸、第三拓南丸、第二幸昌丸、第八振興丸、第二圖南丸、山西丸。
昭和十六年度富山丸関係綴り組込み。
スマホで見ると極東丸の頁が文字化けするのでmeta tagを追加してみる。
襟裳航泊日誌組込中。昭和08年01月まで。ついでにでてくる隠戸、野島、室戸、間宮、黒神、片島、勝力、快速丸、鳳城丸の入出港の記録も追記。
第三十四號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第34号掃海艇はもちろん、第8号驅潜艇、第21号驅潜艇、第34号驅潜艇、第35号驅潜艇、第2号驅潜特務艇、第41号驅潜特務艇、永福丸、御室山丸、雄鳳丸、八紘丸、利水丸、大朝丸、日南丸、栗榮丸、凌風丸。
白鳳丸、白根丸、白陽丸、公称第710号、第743号、第777号曳船兼交通船(敷設艇型)、第1123号曳船(敷設艇型)に海軍徴傭船舶行動調書の船歴組込み。
襟裳航泊日誌組込中。昭和06年12月まで。ついでにでてくる隠戸、室戸、青島、間宮、黒神の入出港の記録も追記。
第三十九號掃海艇戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は第39号掃海艇はもちろん、第38号掃海艇、第55号驅潜艇。
端折っていた特務艦長の在職中の昇進日を追記。
襟裳航泊日誌組込中。昭和06年11月まで。
第四十一號掃海艇戦時日誌・戦闘詳報組込み。
襟裳航泊日誌組込中。昭和06年10月まで。ついでにでてくる富士山丸、隠戸、室戸、青島、間宮、朝日、淺間の入出港の記録も追記。
第百二號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第102号掃海艇はもちろん、勝浦丸、興隆丸、公稱第623號曳船兼交通船(第二呉)。
湯西川温泉に行きつつもシルバーウィークを利用し驅潜艇の頁を作成。船歴の中には驅潜特務艇と取違えている部分もありそうなので、今後、徐々に修正していく予定。
襟裳航泊日誌組込中。昭和06年08月まで。ついでにでてくる大浦丸、帝洋丸、能登呂、野島、青島、隠戸の入出港の記録も追記。
第百一號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第101号掃海艇はもちろん、第11号掃海艇、第12号掃海艇、第18号掃海艇、第102号輸送艦、第104号掃海特務艇、第112号驅潜特務艇、鶴見、淺香丸、讃岐丸、大興丸、第十二雲海丸、河南丸、江ノ島丸、西安丸、良榮丸、豐成丸、水天丸、江ノ島丸、南海丸、第二彌榮丸、第六南進丸、第二昭南丸、海光丸、宇品丸、日營丸、鎭西丸、じゃんび丸、阿波川丸、逢坂山丸、神威、日瑞丸、備後丸。今後に備え第2号驅潜艇、第3号驅潜艇をメモ。
月末で契約更改を拒んだ契約職員1名と派遣職員1名が職場を去る。今年6人目。代わりに新しい派遣職員が来た。美人である。
襟裳航泊日誌組込中。昭和06年06月まで。ついでにでてくる朝日、片島、黒神、青島、野島、室戸、洲埼、間宮の入出港の記録も追記。
第四號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第4号掃海艇はもちろん、圖南丸、第三號海王丸、第五拓南丸、第十八日東丸、大朝丸、利丸、第二利丸、第113号驅潜特務艇。今後に備え第8号驅潜艇、第26号驅潜艇、第55号驅潜艇をメモ。
襟裳航泊日誌組込中。昭和06年04月まで。
第四號掃海艇戦時日誌組込中。昭和19年04月まで。ついでにでてくる第5号掃海艇、第105号掃海特務艇、檜丸、第十七日東丸、第十八日東丸、第二京丸、第十三京丸、南丸、広進丸、和浦丸他の行動も追記。
足摺、洲埼の誤記訂正他。
実家は1箇月無料にするという甘言につられてY新聞を購読している。偶々帰省した時に、ロシアの国立公文書館で大連における抑留写真が見つかったという特集が組まれていた。現在、ウエブで第3回までの公開が完了したところである。高砂丸のところにリンクを貼ったので未見の方はご覧いただきたい。しかしながら写真の船に「第一大拓丸」と書いてあるのに「大コ丸のことだろうか」とか「信濃丸に乗船する様子」というキャプションをつける無知・無能ぶりにはほとほとあきれてしまう。
襟裳の艦歴更新。航泊日誌の組込みは昭和6年3月まで。ついでにでてくる高崎、室戸、野島、鶴見、隠戸、佐多、間宮、神威、青島、勝力、片島、鷲崎、黒神、測天、圓島、春日、淺間、朝日、笠戸丸、蜻州丸、平洋丸の入出港の記録も追記。
さんぺどろ丸、しかご丸の誤記訂正。
先日、結婚式に出席させてもらった部下が今日で退職。今年4人目。壽退社だから喜ぶべきとわかってはいるものの、新卒で配属されて以来、特に目をかけていた、かわいい娘だっただけに非常に残念である。
帰省していたのでネタがない。よって加除修正のみ。
この時期になると思いがけないお便りがある。今年は第二號日本丸の驅潜艇長だった高山喜七兵曹長/少尉のご親族の方から。迂闊にも高山善七兵曹長/少尉と誤記しており、大変失礼しました。訂正。
掃海艇の頁を追加。いつもながらまずは骨格のみ。掃海艇長の補職日は第4号掃海艇を除いてすべて官報又は辞令公報にて確認。今回は大尉から少佐への昇進についてもきちんと調べてみた。ついでに輸送艦の艤装員長の人事も調べなおした。掃海艇の竣工日と掃海艇長の補職日は同じ日になるはずだが、従来の市販本に書かれてある日と第15号、第23号、第25号、第26号、第27号、第33号の6隻が一致しない。このうち第23号は戦時日誌、第26号、第27号、第33号は造船所の社史で竣工日を確認できるので定説が誤りと断定できる。第15号と第25号については断定はできないものの、これらもおそらく定説が誤りと思う。開戦前に竣工した第15号を除いては「戦時編制艦艇編改一」でも本サイトの日付が正しいことを確認できる。さすがは出沼氏である。さらりと調査してある。
偶然というか運命というか。たまたま通勤電車で前に立った人の新聞に白十字をつけた船が載っていた。見ず知らずの人に見せてとも言えず、紙名だけを確認しコンビニで買う。元特設砲艦の會寧丸だった。こういう写真も残っていたんだと、そして、それを知ることになった偶然を不思議に思う。出典が載っていたので會寧丸の頁に追記。
軍艦神威航泊日誌組込み完了。昭和12年12月31日まで。ついでにでてくる香久丸、~川丸、首里丸、長寿山丸、北開丸、東光丸、廣コ丸、那智山丸、朝日丸、早鞆、鳴戸の行動も追記。
最初の更新履歴にでてくるのが昨年の9月27日だから1年近くかかったか。航泊日誌は手ごわい。
軍艦神威航泊日誌組込み中。昭和12年11月30日まで。ついでにでてくる神川丸、甲谷陀丸、野島、能登呂、間宮、襟裳、鳴戸の行動も追記。
あまり大した更新をしていないのは、海の日をはさんでの4連休中以来、ずっと掃海艇長について調べていたことによる。ようやく全容が判明したので随時掃海艇の基本情報の頁を作成する予定。輸送艦を作成して以来次は何にしようかと思っていたのだが、最近は大東亜戦争時だけでなく当該艦種すべてを網羅する方向で頁を作成する傾向にある。敷設艇は三等敷設艇まで含めると結構な数になるし、砲艦や海防艦、水雷艇も明治期まで含めるとかなり複雑になる。そこで隻数の少ない掃海艇に白羽の矢が立った次第。戦時日誌も比較的たくさん残っていることから海外のサイトでもすでに船歴が公開されているが、きちんとした基礎調査をしていないのでかなり抜けがある。海外の掲示板ではでたらめな情報を投稿している人もいるのでこの辺りできちんとしたものを出す必要性があるだろう。
軍艦神威航泊日誌組込み中。昭和12年10月31日まで。ついでにでてくる知床、隠戸、鶴見、間宮、能登呂、野島、朝日、立~、~川丸、朝日丸、廣コ丸、甲谷陀丸、第三高速丸、白令丸、地洋丸、住吉丸、べるふはすと丸、康福丸、萬光丸、亞米利加丸、しあとる丸、瑞穂丸、吉野丸、海平丸、臺東丸、總洋丸、泰安丸、~速丸の行動も追記。
下関防備隊戦時日誌、戦闘詳報、第60号驅潜特務艇戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は第三日正丸、第十日東丸、第十一日東丸、第1120号曳船(敷設艇型)、第710号曳船兼交通船(敷設艇型)、美代丸、第五桐丸、第二號朝日丸、女島丸、眉山丸、コ豐丸、第152号哨戒特務艇、第60号驅潜特務艇、第64号驅潜特務艇、第160号驅潜特務艇、第166号驅潜特務艇、第170号驅潜特務艇、第172号驅潜特務艇、第174号驅潜特務艇、第178号驅潜特務艇、第179号驅潜特務艇、第186号驅潜特務艇、第188号驅潜特務艇、第197号驅潜特務艇、第198号驅潜特務艇、第199号驅潜特務艇、第208号驅潜特務艇、第214号驅潜特務艇、第215号驅潜特務艇、第217号驅潜特務艇、第222号驅潜特務艇、第226号驅潜特務艇、第230号驅潜特務艇、第232号驅潜特務艇、第239号驅潜特務艇、第245号驅潜特務艇、第246号驅潜特務艇、第12号掃海特務艇、第470号魚雷艇、第471号魚雷艇、第473号魚雷艇、第523号魚雷艇、第535号魚雷艇、第536号魚雷艇、第537号魚雷艇、第二拓洋丸、第六開洋丸、第三C津丸、漁jロ、第三號旭丸、第二海幸丸、第十號大K丸、第五號鹿島丸、~鷹丸、海和丸、第二號金比羅丸、
もがみ丸、第二良榮丸、王田丸、第十一號住吉丸、コ壽丸、大鳳丸、第三會漁丸、第二千勝丸、第七住吉丸、
第七幸丸、第三十三南進丸、第十八南進丸、第三十八南進丸、鳳城丸。
軍艦神威航泊日誌組込み中。昭和12年08月31日まで。ついでにでてくる朝日、洲埼、知床、鳴戸、隠戸、野島、室戸、間宮、春日、栗橋、いくしま丸、笠置丸、地洋丸、かもゐ丸、建川丸、日本丸、那智山丸、明石山丸、洛東丸、東京丸、諏訪丸、第二山丸、高砂丸の行動も追記。
下関防備隊事変日誌、戦時日誌組込み。組込んだ船歴は昭興丸、第三日正丸、第十日東丸、第十一日東丸、第1120号曳船(敷設艇型)、第710号曳船兼交通船(敷設艇型)、第三十三掃海隊(眉山丸、女島丸、第五コ豐丸、第二號朝日丸、第五桐丸、美代丸)、高砂丸、第八桐丸、旭東丸。
軍艦神威航泊日誌組込み中。昭和12年05月31日まで。
本筋の調査が進まないので目玉として第八信洋丸のサムネイルを追加。日頃の感謝を込めて次回更新まで原寸大であげておくのでご堪能ください。公開終了
葦埼、K~の船歴を更新。
日曜日は部下の結婚式、平日はギリシアの経済危機対応等で残業続き。よって更新は上記のみ。今年も半分が過ぎたが、本筋の大東亞戦争時の特設艦船の調査が全然進んでない。
大正期の特設艦船多摩丸の船歴を更新、昭和初期の病院船笠戸丸の船歴を追加。笠戸丸の場合、宇佐美昇三著「笠戸丸から見た日本」を丁寧に読めばさらに空白は埋まるが今回は省略。サムネイルを追加して大正期の特設艦船2頁目+昭和初期完成。上川丸の船歴も追加し特設艦船部隊令制定以降の全船の船歴を作成完了。
母船式鮭鱒漁業の情報を各船に追加。
大正期の特設艦船春陽丸、花咲丸、第二養老丸、新潟丸の船歴を追加。
さらによくよく検索すると国会図書館の「海と空」は欠号が多く肝心な号は所蔵されていないことが判明。やはり古書店で買うしかなかったと何故かちょっとほっとする。
大正期の特設艦船~瑞丸、~護丸、~洋丸、第十八小野丸、貴船丸の船歴を追加。葦埼、栗橋、代志丸、辨天丸の船歴を更新。
よくよく検索すると国会図書館にも「海と空」が所蔵されていることが判明、しかもすでにデジタル化されている。古書店でわざわざ買うんじゃなかったとがっくりする。いずれにせよ近いうち複写に行かねば。
大正期の特設艦船~戸丸、日高丸、廣速丸の船歴を追加。
~戸丸は日清戦争のときから活躍している船と同じであることがわかり、掘ればもっと船歴がでてくると思うが、今は大正期の調査が先なので、この辺でとりあえず終了。
国会図書館で「モータシップ(船舶)」を閲覧してくる。金剛丸を後ろから撮った写真など珍しいものも多少あったが、滞在時間が短く、どうしてもというほどのものでもなかったので複写申請を見送る。せっかくデジタル化してるのだから早くインターネット公開して欲しいものだ。
大正期の特設艦船pィ丸、大浦丸、大信丸、勝浦丸の船歴を追加。
大正期の特設艦船琉球丸、三池山丸、大正丸、高神丸、寶永丸、春日丸の船歴を追加。サムネールを追加し大正期の特設艦船1頁目完成。黒神、黒島、加徳、片島にも艇歴追加。
鞍馬丸、魁丸、北洋丸、松島丸、伊豫丸の船歴を追加。救難船北洋の船歴に一部北洋丸の船歴が混在していたので削除。m(__)m
大正期の特設艦船小樽丸、撫順丸、宮島丸、三池丸、彌彦丸の船歴を追加。
大正期の特設艦船についてある程度調査がまとまったことにより、特設艦船の全貌が見えたので説明書きを修正。
Rosebury YardのBBSで話題になった日本近海汽船について調べようと海事図書館に行く。調査は進まなかったが、代わりに雑誌「海運」の中で見つけた「眉山丸」「第二高島丸」の座洲の記録を追記。そのうち全年度に渡り海難記録を調査しなくては。八丈島町提供の「東光丸」の写真は「海運」昭和9年5月号と同じものであることを確認。同じ写真は後扉の三菱の広告にも見られるが写真の質は朝日新聞のものの方が良い。ここだけ見てる方には何のこっちゃ判らないと思いますが、つまり、2014年7月17日の朝日新聞デジタル「疎開船「東光丸」の悲劇に光 終戦直前撃沈、島民ら149人死亡」で使用している写真のことで、ろくに裏付けもとらず疎開船とは全く関係ない名前だけ同じの別船をあたかも疎開船であるかのように扱って事実を歪曲するという、報道機関が決してやってはいけないことを相も変わらずやっている。。。ということです。
大正期の特設艦船熊野丸、泰安丸、辨天丸、三河丸の船歴を追加。
GW中横浜に行くが家族サービスの一環なので収穫は氷川丸船上から撮った"COSTA VICTORIA"くらい。
母船式鯨漁業の承認番号、汽船捕鯨業の許可番号を各船に追記。漁船の戦前の行動というのは、そういう記録を記した出版物もなく不明点が多いが、こういう許可関係である程度行動範囲を推定できる。
半休を取って靖國偕行文庫に行く。「旧陸軍船舶部隊戦史資料・機動艇について」「陸軍機動艇の歌」「陸軍機動輸送艇SS7号比島作戦記」を閲覧。最後の「陸軍機動輸送艇SS7号比島作戦記」は行動が克明に記載されており大変参考になった。神保町の散策もあわせて行い国本氏の「ゆ全艇行動記録」、そして探していた「海と空」の昭和16年8月号を運よく入手した。第八信洋丸の写真をそのうちアップしますのでお楽しみに。
武藏、大和、松江、膠州の艦歴公開。富士の役務も追加。これにて未成のまま航空母艦となった「鳳翔」を除き大正9年以降に在籍した帝国海軍の全特務艦の基本的な艦歴を網羅したことになる。各艦の行動についてはこれからぼちぼち追加していく予定。
大正期の特設艦船寶永丸、春日丸について汽船トロール漁業の許可日をちょいちょいと調べるつもりが、ついつい明治期からの全トロール船について調べるはめに。ということで、トローラーの特設掃海艇、特設驅潜艇、特設給糧船について、かなりの情報を追加。
また、部下が会社を去る。今年3人目。事情が事情だけに気の毒である。気立ての良い娘さんだっただけにとても残念である。
大正期の特設艦船豊前丸、大榮丸、御室丸、第三雲海丸、h鼕ロの船歴を追加。
お気づきかもしれませんが他にもリンクを貼っている船があります。でもまだ作成中なので見ないで下さいね。
鬼の居ぬ間に再度防研に行って、この間できなかった大和、武蔵、富士の役務を写経。次週更新の際には全測量艦の(基本事項だけだが)艦歴を公開する予定。
大正期の特設艦船に諸元を追加。
襟裳の昭和6年2月までの行動を追記。
紀伊防備隊戦時日誌再調査完了。5ヶ月もかかってしまった。組込んだ艦歴は第20号驅潜特務艇、第97号驅潜特務艇、第98号驅潜特務艇、第221号驅潜特務艇、第241号驅潜特務艇、第182号驅潜特務艇、第21号掃海特務艇、第22号掃海特務艇。
襟裳の昭和4年までの行動を追記。襟裳の場合航泊日誌が残っているのでこれも組み込んである。ついでにでてくる高崎、室戸、野島、能登呂、鶴見、鳴戸、佐多、間宮、片島、黒島、黒神、青島、洲埼、早鞆、春日、白銀、淺間の艦歴も更新。
附録に大正期の特設艦船のトップ頁を追加。
紀伊防備隊戦時日誌再調査中。昭和20年01月分まで。組込んだ艦歴は第20号驅潜特務艇、第97号驅潜特務艇、第98号驅潜特務艇、第221号驅潜特務艇、第241号驅潜特務艇。
先日の写経の結果を踏まえて特設艦船に関する説明書きを修正する。
春は別れの季節。一番信頼していた部下が転勤で去る、1日からは新人が配属されるのだ。
せっかくだからとSS艇について調べてみる。で、各艇の建造場所は結局よくわからない。昭和20年1月28日付「船艇修理調書」(造兵部)には第一五号SS艇が三菱下関造船所で昭和19年12月8日に排気管修理とある。一方、昭和20年3月16日付陸亜密第2234号「九龍造船所建造中の機動艇に関する件通牒」では「九竜造船所建造中ノ機動艇四隻ハ屡次ノ爆撃状況ニ鑑ミ其ノ建造ヲ取止ムル如ク定メラレタルニ付依命通牒ス」とある。この2つからするとやはり機動第15号艇は香港建造船ではないようである。艇歴を作ってみたものの公開するにはちょっと精度が足りないのでもう少し調査をすすめてからとする。調査の過程で判明した、まにら丸、音羽山丸、旭邦丸等の船歴を更新。
鬼の居ぬ間に防研に行って、この間の続きの大正期の特設艦船、特設船舶と特務艦の役務等を写経する。時間が足りず、大和、武蔵、矢風は省略、富士は写し忘れてしまった。これら以外で公開中の特務艦各艦の頁を適宜更新。
3週間かかってようやく知床の全期間の艦歴を更新。
軍艦/特務艦神威戦時日誌/戦闘詳報組込み。
軍艦神威航泊日誌組込み中。昭和12年03月31日まで。
第十一航空艦隊戦時日誌より神威の艦歴を更新。
中国の閲覧者の方から欠番としていた陸軍機動第15号艇についてJACAR:C15010504600に記載があるとご指摘をいただいた。これにより説明文を修正。SS艇については「艦船雑誌」の西口公章氏の記事をはじめとして22号艇まで命名されたとされているが、「終戦と帝国艦艇」の資料2「日本海軍終戦時(内地)艦艇処分状況」では23号艇の存在が確認できるので本サイトではこちらを採用している。未成艇が他にありES船建造隻数の「20隻」は根拠が薄いので「20数隻」と書き換えた。なお、15号艇の存在が確認できなかった原因は、本船が終戦時香港にいたからで、香港という場所柄を考えると、1隻だけ完成したといわれる九龍造船所建造船なのかもしれない。また、この方は「滿珠」が戦後まもなくスクラップにされたということに疑問をもたれており、中国でその後使用されたのではないかということを、写真を含めて詳細に述べられている。海防艦に関心が高い方はこの辺を再調査されるのをお勧めします。
支那事変功績概見表第9回より各艦の船歴を適宜修正。
紀伊防備隊戦時日誌再調査中。昭和19年10月分まで。組込んだ艦歴は第21号掃海特務艇、第22号掃海特務艇、第20号驅潜特務艇、第97号驅潜特務艇、第98号驅潜特務艇。
能登呂の大正年間、神威の第46回行動までの艦歴を更新。
知床、襟裳の大正年間の艦歴を更新。
JARIN様(HN)より昭和20年7月24日海鷹に対して攻撃を加えたのは英機動部隊ではなく米航空母艦Essex艦載機である旨のご指摘をいただいた。国会図書館のデジタルアーカイブにあるAircraft Action Reportに基づくものであり、そういえばと思い古い世界の艦船の記事を見返すと(1頁目をスキャンしてないので何巻のどなたの記事なのかはわからない。本紙全部を引っ張り出して確かめるのも億劫だし)、この日、英機動部隊が攻撃したのは「海鷹」でなく「しまね丸」であったと書いてある。CressmanのThe Official Chronology of the U.S. Navy in World War IIは英側の誤った報告に基づいて英機動部隊が「海鷹」を攻撃したと書いているのであろう。と、いうことでこの部分を訂正。いろいろな公文書、見てる人は見てるんですねぇ。JARIN様ありがとうございました。HPへのリンクも追加。
洲埼、劍埼の大正年間の艦歴を更新。
紀伊防備隊戦時日誌再調査中。昭和19年08月分まで。組込んだ艦歴は第21号掃海特務艇、第22号掃海特務艇、第97号驅潜特務艇、第98号驅潜特務艇。
1年ぶりの大江戸温泉。今回は測量船桟橋まで足を延ばしたが。。。いない。1隻も。とんだ無駄足であった。
第四砲艦隊(西京丸、江戸丸)事変日誌組込み。
第八砲艦隊、福山丸、日海丸、勝泳丸、弘玉丸、松榮丸、第十三掃海隊(鳥島丸、高砂丸、羽衣丸、安宅丸、能代丸、第三玉園丸)、第十四掃海隊(玉丸、第二玉丸、羽衣丸、能代丸)、第十六掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、園部丸、吉野丸)、第五十五驅潜隊(第一元日丸、第五昭和丸、昭和丸、第三昭和丸)、第五十六驅潜隊(第八玉丸、第三利丸、第五壽丸)、第六十二驅潜隊(第六拓南丸、第七拓南丸、桂丸)、第六十三驅潜隊(第三昭南丸、第三文丸)、第六十四驅潜隊(第十昭南丸、第十一昭南丸)、第六防備隊(第五富久丸、海形丸、海運丸)に艦隊区分追加。
第八砲艦隊(長田丸、生田丸、大同丸、朝海丸)事変日誌組込み。
野間の船歴更新、本籍制定の内令も判明、入籍日は竣工日ではなかった、安東大佐と黒田中佐の交代日も判明。
昨年のアジ歴新規公開資料の多くは期待はずれ。待ってばかりもいられないので半休を取って久々に防研に行く。寒かったせいもあるが一頃に比べれば客もまばらである。そしてお目当ての昭和12年の第1砲艦隊、第2砲艦隊への編入の内令であるが。。。結局見つからなかった。ただ、大体の特務艦の入籍日が判明したのでそれぞれに組み込む。樫野の類別等級は内令提要の追録から内令を確認。
第三砲艦隊(南浦丸、木曾丸、硯山丸、阿蘇丸)事変日誌組込み。
その他JACARで新たに公開された資料から立神、波島、海晏、早瀬、飛渡瀬、八曳(公稱第841號
曳船兼交通船)、馬防一曳、馬防二曳の船歴、小鷹、竹生、あきつ丸、義勇丸、第八桐丸、新興丸、加徳、黒島の兵装等を追記。
紀伊防備隊戦時日誌再調査中。昭和19年04月分まで。組込んだ艦歴は第21号掃海特務艇、第22号掃海特務艇、第57号驅潜特務艇、第97号驅潜特務艇、第98号驅潜特務艇。
今週は多忙でほとんど更新できず。上の他はJ-Aircraftで指摘のあった日蓮丸→日連丸への誤記修正等のみ。
ここ数年お正月休みは一気に何かを追加していたが今年は腰痛により断念。
16連休でできたのは勞山の行動の詳細化のみ。大正年間の特務艦の行動は結構整理が悪くて他艦に紛れているのだが、結局大正8年と大正9年の各第3回、大正11年1-4月の行動は詳細化できなかった。「輸送報告」と「人員軍需品輸送表」には差異があるが、「輸送報告」は存在しないものもあるため、本艦歴では「人員軍需品輸送表」に基づいて作成した。なお、Excelに入力して確認したのだが「人員軍需品輸送表」自体縦計と横計があっていないものがあり、そのときは「えいやっ」とやってしまっているので
ご勘弁ください。また、今回新たに発掘したものの中から志自岐の艦歴も更新。
打狗をTacomaとしていた誤りを訂正。