馬公警備府戦時日誌組込み中。昭和17年6月まで。組込んだ船歴は第二十日之出丸、第八鶚丸、六甲丸、武藏丸、千洋丸、長白山丸、星光丸、長安丸、揚梅丸、鹽水丸、秋津丸、草山丸、蘭陽丸、南岬丸、錦水丸、嘉南丸、日豊丸、第三御影丸、中和丸、廣田丸、北比丸、第三東洋丸、若宮丸、岩戸丸、朗洋丸、旺洋丸、白眉丸、東石丸、研海丸、第二十一日東丸、第二十二日東丸、祐捷丸、小牧丸、第六長運丸、第七長運丸、利丸、第二利丸、第十八長運丸、第二十一長運丸、第五十二播州丸、第五十六播州丸、第二新蛭子丸、第二千代丸、第一大~丸、第一龍重丸、第三十三南進丸、第三十五南進丸、第三十八南進丸、第十八南進丸、第二十一南進丸、第二十六南進丸、第二十八南進丸、第三朝洋丸、第十六南進丸、第二十二南進丸、第二十七南進丸、第壹海南丸、第貮海南丸、第二日の丸、長壽山丸、でりい丸、第二十七長榮丸、第五日吉丸、第一須山丸、第二須山丸、大和丸、千山丸。
運貨船(シャラン型)、運貨船(團平型)、水船、重油船、泥受船の頁、内火傳馬船、傳馬船、特型運貨船の表更新。
日向丸(特設敷設艇)、第十福榮丸(特設砲艦)、島根丸(特設驅潜艇)、山城丸(特設監視艇)、昭慶丸のサムネイル追加。明昭丸のサムネイル差し替え。
「石川縣水産試驗場事業報告」より戦前の「白山丸」の船歴追加。
「福岡県水産試験場要覧」に「昭代丸」の写真が掲載されており「よっしゃ」と思ったのも束の間。どうも特設驅潜艇にしては小型にすぎるのである。要目をみると木造、総噸数12.2噸、47x10.3x4.6呎、長岡造船所、昭和3年6月13日進水とある。特設驅潜艇「昭代丸」の要目は鋼製、総噸数64噸、83.4x15.1x7.8呎、大阪にて製造、昭和4年7月進水である。どうもこの時期、福岡県は2隻の「昭代丸」を有していたらしい。縦割り行政とは言え、なんで同名船を持つかなぁ。結局、「福岡県水産試験場事業報告」や「福岡県水産試験場業務功程報告」も人違いならね船違いで役に立たないのであった。
朝嵐丸に訳のわからない喪失場所と原因が記載されてあるのに気づく。ベースにしたファイルの余計な部分の消し忘れだったので削除。引揚輸送の記録を組込む。ついでに菊丸にも引揚輸送の記録を組込む。
「でりい丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は衣笠丸、葛城丸、能代丸、吾妻丸、北陸丸、~川丸、長白山丸、長平丸、長壽山丸、華山丸、盛京丸、富津丸、唐山丸、長沙丸、武昌丸、首里丸、盧山丸、大興丸、若宮丸、秋津丸、揚梅丸、和美丸、文山丸、芙蓉丸、第八長運丸、新浦丸、廣コ丸、北開丸、地洋丸、榛名丸、秩父丸、札幌丸、~洋丸、日豊丸、新夕張丸、極東丸、さんるいす丸、もじ丸、東園丸、那智山丸、萬光丸、生田丸、甲谷陀丸、大仁丸、神丸、彰化丸、昌平丸、興西丸、朝日山丸、箱根山丸、康福丸、第二山丸、Tjisaroea、藤影丸、菊川丸、廣進丸、九州丸、旭光丸、御嶽山丸、昭慶丸、第十八御影丸、朝日丸、しあとる丸、ばいかる丸、龍興丸、音羽山丸、海威。
「千葉縣水産試驗場事業報告」より戦前の「ふさ丸」の船歴追加。
「島根県水産試験場八十年史」より「島根丸」の船長人事他追加。写真は来週まわし。
先週国会図書館へ行ったときに「海軍」という本を見る。豪華本でありこの手の本は得てして中味のないものが多く、20数年前に大学の図書館で見たときも、全く興味がなかったのだが、あらためて見るとこれが結構良いのである。コピーするにはページが多いので、確か近所の図書館にもあったと思いそのまま帰る。翌日早速近所の図書館に行ったのだが、そこにあったのは全く異なる本であった。仕方なく古書を購入。たった2100円。これは買いであった。前に浮橋丸の前身を見つけて得意になっていたのに、この本にはちゃんと書いてあるし、昭慶丸や山城丸とか珍しい写真もある。これを底本に雑役船の解説も改訂する予定。
防研史料閲覧室のHPで史料目録が公開されているのを知る。これはでかい。今まで目録カードを繰っていたがこれは時間がかかるし見落としも多い。家で目的の資料にあたりをつけてから行けばかなり効率的である。それで昭和16年や昭和19年前半の海軍公報をまだ調査していないことに気付く。早速防研へ。しかし昭和19年は4月までしか写経が終わらなかった。昭和16年には徴傭船の船員の人事が載っている。今回これの写経をしたために思いがけず時間をとられたのが敗因である。一応この成果として、しろがね丸、金峯山丸、國島丸、北開丸、榛名丸他多数の船長人事を追加。
曳船(その2)、交通船兼曳船(艦載水雷艇型)、内火ランチの頁更新、内火艇、カッターの表、曳船(敷設艇型)、曳船兼交通船(敷設艇型)の数隻の船歴、光済、由良川の船歴修正。
「宮崎縣水産試驗場業務概要」より戦前の「日向丸」(特設監視艇の方)の船歴追加。
5月28日に「造船所以外で竣工式を行ったなんて今まで聞いたことないです。」と書いたが、造船所以外で竣工式を行った事例が日向丸で見つかった。なので、記述削除。式はあくまで形だけのもんだから別にいつだっていいんだよね。申し訳ございません。m(__)m
先週「島根丸」の更新にあたって島根県水産試験場が80年史を出しているのを知った。そこで国立国会図書館を探索。ありました!「島根丸」の写真。来週にでもアップします。
「海軍制度沿革」の巻四の必要部分もコピーしてきたので昭和10年頃までの平時編制はOK。「樫」の船歴に組み込む。
「島根縣水産試驗場事業報告」より戦前の「島根丸」の船歴追加。
参考文献のうちネットで利用できるものについては極力リンクを貼るように修正。
相変わらず腕が痛く、指まで痺れてきた。仕方なくついに医者に行ったら首からくる肩こりが原因で、加齢の影響もあるとのこと。はぁ、歳はとりたくない。
「沖縄縣水産試驗場事業報告」等より戦前の「圖南丸」(特設驅潜艇の方)の船歴とサムネイル追加。 「三重縣水産試驗場要覧」より「~威丸」の竣工日とサムネイル追加。
艦船行動表組込み。組込んだ船歴は救難船と由良川、剣埼、樫、代志丸。
相変わらず肩が痛い。ついでに腕まで痛い。よって、今回の更新はこれくらい。
Mr.Gilbertから「会幸丸」の機関はディーゼルではなく往復動機関であると指摘を受け訂正。昭和17年版の日本船名録では「往」となっているが同年の追録1で「発」となり昭和18年版でも「発」となっているのだが、昭和18年版日本汽船件名録では三連成機関のままであり、おそらく昭和17年版の追録で誤りがおきたのであろう。
「富山縣水産講習所事業報告」より戦前の「立山丸」(特設驅潜艇の方)の船歴追加。
肩が痛くキーボードを打つのが辛い。来週は更新できないかも。
「熊本縣水産試驗場事業報告」より戦前の「肥後丸」の船歴追加。「海外拓殖事業調査資料」より「白鷹丸」の船歴追加。
第二三コ丸、第二海鳳丸、鶚丸、旭櫻、大鷹丸、高雄丸、三重丸、もがみ丸、昭和丸、武蔵丸、相模丸、明昭丸の写真追加。明昭丸以外は「昭和八年版漁船建造必携」から。「熊本縣水産試驗場事業報告」や「昭和八年版漁船建造必携」もそうだが国会図書館近代デジタルライブラリーで昭和戦前の図書が公開されはじめ「日本船名録」や「海軍諸例則」も利用できるようになった。ただ「海軍制度沿革」が公開されていないのは原書房の復刻版との関係か?いずれにしても絶版にしているのだし古書で買えば40万円はするので早急に公開して欲しいものである。
「樫」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は立神、猿橋、小鷹、光済、帝洋丸、日本丸、橘丸、富士丸、東亞丸、秩父丸。
「第一南海丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は金龍丸、~川丸、葛城丸、~祥丸、京畿丸、正生丸、百福丸、あきつ丸、義勇丸、第八桐丸、新興丸、第七大源丸、第十二日正丸、東照丸、阿蘇丸、生田丸、安州丸、河北丸、博丸、菊丸、柏丸、第十福榮丸、第二新東丸、縣丸、下松丸、第五桐丸、第七長運丸、第十八長運丸、第三高島丸、阿津丸、第一京仁丸、第二京仁丸、第三京仁丸、第五京仁丸、第二昭和丸、第六昭和丸、富士丸、
大寶山丸、天塩丸、北開丸、瑞芳丸、安土丸、天洋丸、第三高速丸、第一雲海丸、第十八御影丸、大仁丸、牟婁丸、御嶽山丸、国津丸、幸成丸、臺東丸、箱根山丸、陽光丸、九州丸、彌生丸、こがね丸、白沙、橘丸、住吉丸、波島、立神、白銀丸、飛鳥、早瀬、照海丸、香椎丸、弥彦丸。
艦船行動表より大正11年12月まで救難船と由良川、剣埼、樫の船歴追加。
身内に不幸があり急遽2泊3日の外泊があったためアップが遅れる。
「長平丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は長白山丸、秩父丸、菊川丸、衣笠丸、山東丸、九州丸、大興丸、極東丸、第三十六共同丸、瑞鷹丸、那智山丸、菊丸、唐山丸、富津丸、蘆山丸、民領丸、山鳩丸、白沙、海王、海光、海榮、海瑞、海威、海龍、海華。
昭和12年の編制が知りたくてググるとANS,Qの質問がヒット。「海軍フリート物語」上巻が回答されており、Amazonでみると中古がそこそこの値段であったので即購入。届いてビックリ。間違えて下巻を買っていた。仕方ないので即刻、また上巻を購入。中身をみてがっかり。まったくもって知りたいことには全然役に立たない代物。無駄買いであった。質問者はこんな回答で満足したのだろうか?
「鮮海丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は海威、海王、海龍、海鳳、海瑞、海華、海光、海榮、香椎丸、康コ丸、九州丸、照風丸、瑞鷹丸、大興丸、第三十六共同丸、秩父丸、富津丸、唐山丸、盧山丸、萬光丸、満珠丸、菊丸、日海丸、旭光丸、長白山丸。長平丸とでりい丸はそれぞれ航泊日誌があるので、それらの調査とまとめてUPすることとする。
艦船行動表より大正9年9月まで救難船と由良川、剣埼、樫の船歴追加。
「朝光丸」航泊日誌組込み。
「衣笠丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は~祥丸、吾妻山丸、海王、海威、香久丸、べるふはすと丸、長寿山丸、東園丸。
飛行機の尾翼に書かれている区分字については以前から気になっていたところであるが、今回、衣笠丸の搭載機がUn(nは自然数)という形で書かれているのを見て改めて、手持ちの本を調べてみる。といっても、飛行機は専門じゃないので「丸メカニック」やグランプリ出版の「日本の巡洋艦」、グリーンアロー社の「日本海軍軍用機集」くらいしか役に立ちそうなのはない。衣笠丸がUという区分字を使っていたことはどこにも書かれていなかった。「日本海軍軍用機集」では支那事変では「15」という区分字を使っていたとされ、57ページの九五式水偵のイラストでは昭和12年11月の状態として「15 7」と書かれてある。このイラストには元になった写真があるのだろうか?航泊日誌ではUの文字が記載されなくなるのは昭和12年12月第四航空戦隊に編入されてからである。しかも航泊日誌によると7号機は九四式水偵である。昔の本じゃ駄目だなと思い、値段が高いので購入を躊躇っていた大日本絵画の「日本海軍の艦上機と水上機」をAmazonで購入。著者はお若いが一次資料を丹念にあたって、しっかりしたものを書かれており、区分字についてもブログで触れられていたので期待したのだが、空振り。支那事変の頃はさらっと流されてしまっており、また、あくまで飛行機中心の本であるから、すべての艦を網羅しているわけでもなく、結局、香久丸や国川丸の区分字はわからず仕舞。航泊日誌から最初の搭載機数は10機であり、九四式水偵が2機、九五式水偵が6機まで確認できる。つまり、10機の組合せは九四2+九五8、九四3+九五7、九四4+九五6の何れかということ。「戦時輸送船ビジュアルガイド」によると香久丸のスペックは「前部複座機6、後部三座機4の搭載数を想定」しているとのことである。九四式水偵は三座機であり、九五式水偵は複座機である。因みに昭和12年12月16日には九四式水偵2機及び1号機(九五水偵)を後部に揚収している。
樫(海威)の大正期の行動を艦船行動表より追記、大正7年5月中旬まで。
「日本海丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は飛鳥、小鷹、立~、波島、早瀬、京畿丸、豊国丸、會寧丸、正生丸、百福丸、あきつ丸、義勇丸、第八桐丸、新興丸、第七大源丸、第十二日正丸、東照丸、第十雲海丸、北開丸、瑞芳丸、天塩丸、安土丸、東光丸、秩父丸、第三高速丸、衣笠丸、聖川丸、朝日丸、妙見丸、筥崎丸、關東丸、長沙丸、盧山丸、富津丸、阿蘇丸、木曽丸、昭コ丸、日本丸、九州丸、第五京仁丸、第三京仁丸、大K天丸、住吉丸、萬龍丸、かもゐ丸、康福丸、第十八御影丸、第二新東丸、桂丸、菊丸、橘丸、牟婁丸、第十コ豊丸、留萌丸、東郷丸、大衆丸、弥彦丸、しあとる丸、吉野丸。
艦船行動表より大正7年1月まで救難船と由良川の船歴追加。
特型運貨船の表を再び更新(訂正)。雑種船の基礎資料整理にあたって三菱横浜製造船の一部が横浜重工業に孫請けに出されているのが判明したため。三菱横浜の「新造船写真史」によると特型運貨船には18m型もあったそうな。海軍公報では欠落部分にあるのか未だ確認できず。同書によれば、実質は魚雷艇だそうで、「木造の高速艇で飛行機用の星型エンジンを装備していた」ということです。
「華山丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は第二東洋丸、盧山丸、新興丸、長壽山丸、首里丸、北開丸、広徳丸、明石山丸、臺東丸、朝日丸、萬光丸、菊川丸、總洋丸、りおん丸、甲谷陀丸、香久丸、春天丸。神洲丸はどの船のかはっきりしないので割愛。クロスリファレンスの給糧船も追記。
「香久丸」航泊日誌組込み。ついでにでてくる入出港の記録は那智山丸、富津丸、朝日丸、甲谷陀丸、富士山丸、大興丸、萬光丸、神祥丸、でりい丸、神津丸、盧山丸、神川丸、衣笠丸、昭慶丸、朝光丸、榛名丸、秩父丸、地洋丸、東光丸、葛城丸、極東丸、康良丸、広徳丸、盛京丸、秋津丸、揚梅丸、香椎丸。香久丸は写真が公開されていることで水上機母艦の印象が強いが、これは意外と知られていない特設工作艦時代の船歴。
「長白山丸」航泊日誌も組込み。ついでにでてくる入出港の記録は満州国の海龍、第三十六共同丸。海龍の出港記録1つだけで満州國海軍艦船データベースの更新とはおこがましいが、追記した以上Ver UPとせざるを得ないのでご容赦を。
「昭和十四年漢口港務部関係資料其二」より「立~」「波島」「飛渡瀬」の船歴追加。
「昭和十二年十一月以降行動摘要 第四艦隊第二砲艦隊鮮海丸」より「鮮海丸」の船歴追加。
「海軍公報」より「白銀」の所属変更追記。これら3つは防研での調査。
本当は1週間ぶっ通しで防研に行く予定が家庭内トラブルで2日間のみになってしまった。一応大正期の海軍公報は全部見たのでマ、いっか。傳馬船・特型運貨船の表、起重機船の解説も更新(訂正)。大正期は11年の最後が欠落、12年はまるまる存在せずで、不明番号が結構出て、ちょっと欲求不満。大正7年から11年にかけて特設運送船の傭船契約が26隻分掲載されており、いずれ整理掲載する予定。戦闘詳報は全部がJACARで公開されているわけではないらしい。香久丸や衣笠丸の支那事変時代の戦闘詳報が防研にあることが判明。いずれ閲覧せねば。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌で判明した淀橋の行動を書きとめておくべくページを作成しようと思い、ついでに検索かけると明治、大正期の行動が結構でてきて、ついでに救難船の行動も書きとめていたら、どんどんドツボにはまり、収拾がつかなくなる。J-AircraftでMr. ErichやMr. Gilbertに教えてもらいながら適当なところで救難船と救難船兼曳船のページを統合し船歴追加。さらに継続調査中。それにしても毛筆の文字は読みづらい。この調査のついでにでてきた代志丸(春川丸)、由良川、亜米利加丸の船歴も追加。
JACARで航泊日誌の公開が始まった。「天洋丸」と同時にでてくる「萬光丸」「香久丸」「第二玉園丸」の船歴追加。続いて「日本海丸」調査中。戦時日誌と異なり発着地の解釈が結構難しい。
今日からリフレッシュ休暇10連休。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み。組込んだ船歴は朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、第十六日東丸、野柳丸、九龍丸、宮丸、雄島丸、繁進丸、第二東日本丸、第三日之出丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第二號新興丸、千歳丸、長和丸、浮島丸、第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、公稱第1009號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第741號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第778號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第1447號曳船兼交通船、豊國丸。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和20年03月まで。組込んだ船歴は朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、第十六日東丸、野柳丸、九龍丸、宮丸、雄島丸、繁進丸、第二東日本丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第二號新興丸、千歳丸、長和丸、第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)。
遅い夏休みをとったので防研に行く。今回はPendingとなっていた大正期の海軍公報の調査。大正3年までは空振り。おそらく別に「部内限り」の綴りがあったのであろう。閲覧・写経できたのは大正6年までの3年間。全部の調査にはまだ最低3日は必要か?どうも食堂は閉鎖されたのか、今回も昼抜き。これからもハードな調査となりそう。とりあえず浮船渠の頁更新。第1次大戦期に特設艦船が使用されていることが思いがけず判明。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和19年12月まで。組込んだ船歴は朝洋丸、第二朝洋丸、菊丸、水上丸、文山丸、第十六日東丸、嘉辰丸、野柳丸、九龍丸、宮丸、雄島丸、繁進丸、第二東日本丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第二號新興丸、千歳丸、長和丸、第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸、第五千代丸、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、日帝丸、桂川丸。
ここにきて船長の人事により一曵〜三曵の各公称番号が判明。あらためて一曵〜三曵の船歴を最初に遡って調査中。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和19年09月まで。組込んだ船歴は朝洋丸、第二朝洋丸、菊丸、水上丸、文山丸、陽光丸、野柳丸、九龍丸、宮丸、雄島丸、繁進丸、第二東日本丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第二號新興丸、千歳丸、長和丸、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、公稱第1560號、第二海幸丸。
そろそろ空き容量が10%を切ったのと来たるべきWindows 7への移行に備えてバックアップ用のHDを購入。4,980円で叩き売りしてたので1.5Tで我慢。これまでのことがあるのでもうB社は買わない。昨日の夜からそろそろ10時間。まだデータのコピーが続いている。ということで今回は久々にNote PCで作業中。
高雄海軍警備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は六甲丸、第二昭和丸、鮎川丸、陽光丸、高知丸、紀洋丸、北比丸、第九~威丸、第九白~丸、鹽水丸、南岬丸、第十三日ノ丸、第十四日ノ丸、第二十三日ノ丸、第二十五日ノ丸、第六十二日ノ丸、第六十三日ノ丸。
海南警備府戦時日誌組込み。第十七長運丸、開南丸船歴追記。野埼、砲艇、内火艇(漁船型)、暁隼丸とかの船歴は、いずれ追記することにする。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌調査中。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和19年06月まで。組込んだ船歴は朝洋丸、第二朝洋丸、菊丸、水上丸、文山丸、第十六日東丸、陽光丸、嘉辰丸、野柳丸、九龍丸、宮丸、雄島丸、繁進丸、第二東日本丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第二號新興丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、さんとす丸、帝洋丸。
広島日帰り出張から戻る。せっかくだから一泊して 呉とか寄ってみようかと画策するも、いろいろあって結局中止。収穫はゼロ。今日からしばらく単身生活である。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和19年04月まで。組込んだ船歴は朝洋丸、第二朝洋丸、菊丸、水上丸、文山丸、第十六日東丸、陽光丸、嘉辰丸、野柳丸、九龍丸、宮丸、雄島丸、繁進丸、海和丸、第二東日本丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第二號新興丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、伸洋丸、筑前丸、第一黄海丸、第十二興漁丸。
海南警備府戦時日誌・戦闘詳報調査中。天塩丸、淑星丸船歴追記。淑星丸(叔星)は昭和18年に空爆により戦没していたことが判明。
1泊2日の長崎出張から戻る。台風の最中であったため余裕をもって行動したのが幸いし、収穫は「ほうおう(PS-206)」「のもかぜ(CL-89)」「いきかぜ(CL-62)「こうばい(CL-128)」。2年前判別不能だった2隻はおそらく「いきかぜ」と「こうばい」であろう。前回は鍋冠山から撮影したものだが、今回は保安庁横の桟橋から撮影。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和19年02月まで。組込んだ船歴は朝洋丸、第二朝洋丸、菊丸、水上丸、文山丸、第十六日東丸、陽光丸、嘉辰丸、野柳丸、九龍丸、宮丸、大鴎丸、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、海和丸、第二東日本丸、第三日之出丸、寳成丸、進政丸、王田丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第二號新興丸、千歳丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第五千代丸、伸洋丸。
海南警備府戦時日誌・戦闘詳報調査中。箕面丸、長白山丸船歴追記。「真実の艦艇史2」が発売されたのが2005年。このとき田村俊夫氏が「エルマノ・カーロット」は自沈しなかったが、日本側の記録がないようなことを書かれていた。あれから6年。筆者はようやくこの海南警備府戦時日誌で日本側の記録としても自沈していないことを確認した。JACAR:C08030535000 P.42-43。支那方面艦隊機密第091157番電「(前略)(イ)「カルロット」及商船(八隻詳細は後報)ハ保護接収セリ」
Nihon Kaigun サイトで特設運送船(雑用船)の船歴を作るということでいろいろ質問を受けているのだが改めて調べるといろいろな発見がある。那智山丸の船歴で「金華山丸」を救難としていたのは「金華丸」の誤り。原資料は「金華山」となっていて「丸」がついていないのだが、「金華山丸」ではなく「金華丸」であった次第。私のようなただのコピペ野郎と異なり外国の人が良く調べているのに脱帽。
さて、休日出勤にでかけるとするか。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和18年12月まで。組込んだ船歴は菊丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第二東日本丸、大鴎丸、宮丸、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、王田丸、第二號新興丸、千歳丸、興東丸、會幸丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、第十六日東丸、永隆丸、民星丸、うらら丸、星丸、公称第1560号。
忘れないようにメモしておくが大湊防備隊や大湊警備府の戦時日誌にでてくる福島という地名は福島県の福島ではなく北海道の松前半島にある福島町の福島港である。
海南警備府戦時日誌・戦闘詳報調査中。江尻丸の信号符字とか他所ではみられない情報が含まれているのは興味深いところであるが、特設艦船関係ではあまり追記できる情報はない。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌、海南警備府戦時日誌・戦闘詳報調査中。
ちょっと前にたまたまBook-offで「写真集 人間兵器震洋特別攻撃隊」という分厚い本を発見。Book-offでは破格の8,150円もしたが、もとは16,800円もするし、古書店の相場でもそこそこだったので購入。折角なので「震洋」の頁を作成しようといろいろ調べていたのだが、ようやくまとまったのでUP。「牧野茂艦船ノート」に震洋の記述があるということで図書館で該当部分をコピーしてきたが、何のことはない。全文この本に収録されており、コピーの必要はなかった。orz。震洋は艦艇でないこともあり、意外と市販本でも記載がない。Wikiでは七型が金属製となっているが根拠は?また六型は本書も含めロケット推進艇となっているが、一応、本サイトでは丸スペの記載にあわせガス推進としておく。
先週の防研の調査結果を反映し、曳船(驅潜艇型)、交通船兼曳船、内火艇(砲艇型)、内火ランチ、運貨船(シャラン型)、運貨船(ダルマ型)、運貨船(團平型)、泥受船の頁、曳船(驅潜艇型)、内火艇、カッター、傳馬船、内火傳馬船、特型運貨船の表を更新。
蜻州丸の信号符字、名古屋丸の喪失日、正生丸のよみを修正。最近J-AircraftにMr. ErichがGemma、第三共栄丸の写真を投稿しており、また明昭丸の写真がJSUにあったことで、小修正。
昨日は大阪、今度の火曜日は長崎出張。しかし、両方とも日帰りなので収穫はない。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和18年10月までの関連船(第三十六共同丸、得撫丸、第三號海王丸)の修正のみ。
先週日曜日は休日出勤だったので水曜日に代休をとって冒険へ。先日、写経し損ねた分を中心に写経。しかしやっぱり、帰ってみたら肝心なところを写経せず、同じところを写経していたり、前回写経した部分と今回写経した部分が異なり、はて、どっちが本当やら?とりあえず、公称第1447号曳船兼交通船、公称第1448号曳船兼交通船、練習船を更新。第三横須賀は戦前に除籍されたと思っていたが、どうやら第三横須賀丸と取り違えていたらしい。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和18年09月まで。組込んだ船歴は菊丸、うらら丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第二東日本丸、大鴎丸、宮丸、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、王田丸、第二號新興丸、千歳丸、興東丸、會幸丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、藤影丸、第十六日東丸、永隆丸、民星丸、第五千代丸、萬榮丸、昭瑞丸、長田丸、第二號金剛丸、唐山丸。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和18年07月まで。組込んだ船歴は菊丸、永隆丸、民星丸、うらら丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、第十六日東丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第二東日本丸、大鴎丸、宮丸、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、王田丸、第二號新興丸、千歳丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、藤影丸。
「日本陸軍の航空母艦」を読み進める。P.37「12月15日、竣工式が盛大に行われた「神州丸」は、播磨造船に別れを告げ広島県宇品港へ最初の航海に出港した。」なんだ、ちゃんと知ってんじゃん。ところで両ページとも11月30日に「陸軍に引き渡された」ってなってるけど、これはどういうこと?竣工してない船の引き渡しを受けるほど日本の役所はいい加減じゃありません。P.18小発。8km/h。ノットの間違いじゃないかなぁ。P.20高速艇甲。「全長12.1mの試作艇を製作したのち13.7mのものを製作し、これを「範式」「高速艇甲」として決定した。」あのー、一緒に掲載している一覧表や要目では全長14.42mってなってるんですけど。「完成した高速艇甲は57mm戦車砲を装備し」??。高速艇甲が戦車砲なんぞ装備した日にゃ転覆しちゃうんじゃないでしょうか?これ以上まじめに読むべきかどうか悩んだが、3780円も払ってるんだし、とりあえず、参考資料として活用することは断念し、単なる読み物として気楽に読むこととする。船の写真に目新しいものはほとんどないが、既出の写真に比して大きく鮮明な点は評価できる。それにしても四式連絡艇甲1型?聖川丸が特設運送船?まぁ、丸 2010年8月号の「四式肉薄連絡艇」よりはまだましか。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和18年06月まで。組込んだ船歴は菊丸、永隆丸、民星丸、うらら丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、第十六日東丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第二東日本丸、大鴎丸、宮丸、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、王田丸、第五千代丸、萬榮丸、第二號新興丸、千歳丸、會幸丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、藤影丸、いくしま丸、日帝丸。
第二號松榮丸の陸軍船時代の船歴追記。
今月の「世界の艦船」は久々に良い写真がいっぱい。慶洋丸に三井のタンカーとライナー、そして圧巻は満州国江防艦隊。しかし満州国江防艦隊の写真提供者が海上保安庁とは一体何故?またキャプションも?のつくところが多い。特に排水量は何の数字?
「日本陸軍の航空母艦」が届く。神州丸の竣工日はきちんと直っているか確かめる。「早くも11月30日には陸軍に引き渡され、12月15日宇品港で竣工式が挙行された。」とある。アレレ。「式だけ宇品で行われたの?早まった!またサイトで嘘を書いてしまった。」と思ってもう一度JACAR:C01004091800を見直す。結果、どこにも宇品で式を行ったなんて書いてないじゃん。6ページ目の電文良く見てよ。「発局 ハリマゾウセン」「シンシウマルシユンコウシキムジシウレウヒ」ってあるでしょ。宇品に播磨造船はありません。大体、造船所以外で竣工式を行ったなんて今まで聞いたことないです。特殊船の建造番号は以前、氏のHPで攝津丸が684と間違ってたけどちゃんと直ってるかなと思って見る。攝津丸が1779?熊野丸は?、ときつ丸は493?、日向丸は361!?日立造船で300番台なんていったいいつの船なのよ。大正?いや明治???ほとんどあってたのに何でわざわざ出鱈目な番号にしてしまったんだろう???「当サイトは何を参考にしたんだっけ」と原典をあたる。出典は「陸軍船舶戦争」P.149。アレッ。ときつ丸の建造番号は2686じゃなく2687!。どうも当サイトは氏のHPを参考にしていたみたい。氏のHPは消えてしまったし根拠レスなので「陸軍船舶戦争」にあわせ2687に訂正。
大功丸のよみをタイコウマルに訂正。日本人にとっては結構どうでも良いのだが英文にするとTかDかで全然違うので外人さんにとっては大問題。気をつけてはいるのだが、まだまだ見過ごしも多い。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和18年05月まで。組込んだ船歴は菊丸、永隆丸、民星丸、うらら丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、第十六日東丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第二東日本丸、大鴎丸、宮丸、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、王田丸、第五千代丸、萬榮丸、第二號新興丸、千歳丸、會幸丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、日祐丸、でりい丸、いくしま丸、昭榮丸、祥鳳丸、得撫丸、第三號海王丸。
e-Bayにレアものが出品されている。特に瑞興丸は貴重である。e-Bayから瑞興丸、海形丸、第三日之出丸、第八金毘羅丸の写真追加。大湊関係の戦時日誌調査中にこれらの写真が出てきたことに何か不思議な縁を感じる。
百福丸の八丈島最終発着日を訂正。
公称第1650號、第1651號、第1658號曳船(驅潜艇型)船歴追加。結局、防研での命名文書等の調査は不成功。未完成のままとりあえず公開。
艦艇の基礎資料作成中につき大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌の調査は中断中。岩代丸、会幸丸、第二永洋丸、南海、第一雲洋丸の写真追加。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和17年10月まで。組込んだ船歴は菊丸、永隆丸、民星丸、うらら丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、第十六日東丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第二東日本丸、大鴎丸、宮丸、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、第三日之出丸、寳成丸、瑞穂丸、第二號明治丸、王田丸、第二號新興丸、千歳丸、會幸丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、京津丸、第二號日吉丸、玖馬丸、笠置丸、金泉丸、帝洋丸。
連休の谷間に防研に行く。来るべき艦艇の部公開に備えての予備調査。特設艦船と違って在籍期間が長いし、いろいろ勝手が違い手間取る。基礎資料完成まで結構時間がかかりそう。ついでに海外赴任前に端折っていた雑役船の所属等も写経する。しかし事前準備が間に合わず、帰ってみたら肝心なところを写経せず、同じところを写経していたり、連休中ということで食堂が閉まっていて朝から晩まで飲まず食わずだったりと、さんざん。ま、一応の成果としてカッターと傳馬船、内火傳馬船の表を更新。
艦艇の基礎資料作成のため日本海軍艦艇史資料を最初から読み返しているのだが、灯台元暮らし。「竹」や「特第一號練習艇」の命名文書が掲載されているではないか!と、いうことで、これらを調査中の頁から練習船(艇)の頁に移す。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和17年07月まで。組込んだ船歴は菊丸、永隆丸、民星丸、うらら丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、第十六日東丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第三日之出丸、寳成丸、惠洋丸、第一岩手丸、國宮丸、第二東日本丸、第七明~丸、大鴎丸、宮丸、榮jロ、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、長渡丸、王田丸、第二號明治丸、瑞穂丸、第二號新興丸、千歳丸、會幸丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)、第二千代丸、pマ丸、球磨川丸。
雑役船の頁が見れないということで調べると、例のスラッシュが円マークになってしまうバグが残っていることが判明。即刻修正。
朝日丸のリンク関係修正。
大湊防備隊戦時日誌及び大湊警備府戦時日誌組込み中。昭和17年03月まで。組込んだ船歴は菊丸、永隆丸、民星丸、うらら丸、賀茂丸、朝洋丸、第二朝洋丸、水上丸、文山丸、陽光丸、嘉辰丸、第十六日東丸、九龍丸、野柳丸、海和丸、進政丸、第三日之出丸、寳成丸、惠洋丸、第一岩手丸、國宮丸、第二東日本丸、第七明~丸、大鴎丸、宮丸、榮jロ、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、長渡丸、第二號新興丸、瑞興丸、千歳丸、會幸丸、興東丸、第二十七掃海隊(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸)、第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七福榮丸)。
各所の掲示板コメントより氷川丸、日吉丸の船歴修正。
大湊防備隊戦時日誌調査中。大湊防備隊の戦時日誌では発着場所が明確でない。大湊警備府の戦時日誌は粗すぎてあまり役に立たないが、これと、恩給年加算調書の記述もあわせて、なるべく矛盾がおこらないような視点で調整中。組込みまでにはちょっと時間がかかりそう。一曳〜三曳の公称番号の確認も得られない。とりあえず、日向丸、第二日の丸、君川丸などのついでにでてきたものをちょこっと修正。陽光丸を曳航したのは海防艦石垣ではなく敷設艇石埼であることが判明したので、ここだけは先に修正しておく。
地震はあるし、通勤電車は満員だし、あー函館に戻りたい。。。
大湊防備隊事変日誌組込み。組込んだ船歴は第十六日東丸、九龍丸、野柳丸、水上丸、文山丸、海和丸、進政丸、第三日之出丸、寳成丸、惠洋丸、第一岩手丸、國宮丸、第二東日本丸、第七明~丸、大鴎丸、宮丸、榮jロ、於ヌ丸、雄島丸、繁進丸、長渡丸、菊丸、民星丸、陽光丸、第七昭和丸、第八昭和丸、第三玉丸、第五玉丸、永隆丸、嘉辰丸、第二號新興丸、瑞興丸、第一玉園丸、第二玉園丸、朝洋丸、第二朝洋丸、興東丸。
帰ってきてしまった。orz さらば幸福な日々よ。
29日、宿泊先のルートインから港を見ると巡視船らしきものが見えたので朝の散歩がてら摩周丸近くまで行ってきた。巡視船と思ったのは北海道教育庁の実習船「若竹丸」と「北鳳丸」だったが、函館どっくに護衛艦と輸送艦、沖に「じんつう(DE-230)」、海岸町の船だまりに巡視艇「ゆきぐも(PC-117)」、西埠頭にいつもの掃海艇2隻と巡視船がいた。会社で荷物整理をしたあと、26日につづき再度、西埠頭へ。函館どっくの護衛艦は「ゆうぎり(DD-153)」であることを確認。輸送艦はすでに出港していなかったが、たぶん「のと」じゃないかなぁ。西埠頭にはいつもの巡視船「びほろ(PM-03)」、掃海艇「とびしま(MSC678)」「ゆげしま(MSC679)」に加え巡視船「でわ(PL-42)」が接岸中。さらに解役された巡視艇「ゆきぐも(PC-203)」「きたぐも(PC-202)」が西埠頭と緑の島の間に2隻並べて繋留中。「ゆきぐも」は船名のみまだ残っているがPC-203の記号は塗りつぶされ、「きたぐも」の方はすでに船名も塗りつぶされていた。
紀伊防備隊戦時日誌組込み。昭和20年06月まで。組込んだ船歴は早鞆丸、榊丸、第三高島丸、阿津丸、第二鮮友丸、第三鮮友丸。
今日でおそらく函館最後の更新。結局、紀伊防備隊の組み込みだけで終わってしまった。
函館港も最後と思い、写真を撮りに行く。いつもの掃海艇は何処かへ出動中で、代わりに「ながしま(MSC-680)」が遠方で接岸中。掃海艇がいないおかげで?「びほろ」の全景が撮影できる。また、遠方に巡視船が1隻いたが、こちらは船名判読不能。こんなときは函館港の様子を克明に綴っておられるstreamer01rさんの「海と空と・・・」。「きたかみ(PM-02)」であることがわかる。しかしstreamer01rさんってどうしてこんなに見事に写真撮れるのだろう。いったい何者?そういえば前に函館山から撮ったヘリ搭載巡視船もこちらのブログから「つがる(PLH-02)」と判明。先週、家族が来たとき函館公会堂から撮った写真を解析したところ、写っていたのは「うみたか(PG-828)」と判明。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和20年05月まで。組込んだ船歴は早鞆丸、榊丸、第三高島丸、阿津丸、第二鮮友丸、第三鮮友丸、第九日東丸。
氷川丸、第二氷川丸戦時日誌組込み。第二氷川丸戦時日誌より牟婁丸の船歴追記。氷川丸も第二氷川丸も生涯を描いた立派な単行本がありそれらに船歴が載っているので戦時日誌の調査は後回しにしていたのだが、入出港日の欠落している部分が本調査で補完できたのは意外であった。
今日から家族が遊びに来る。これで少なくとも1世帯は東京電力の節電に3日間協力することになるのだ。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和20年04月まで。組込んだ船歴は早鞆丸、榊丸、第三高島丸、阿津丸、高津丸、第二高津丸、第二鮮友丸、第三鮮友丸、第八日東丸、第九日東丸。
第八日東丸の沈没位置に関する備考を修正。私の知ってる他の2つの書物も間違っていることが判明。皆さんもご注意あれ。
せっかく函館にいるんだし記念にもなるかと「世界の艦船」の書評にあった「はこだて写真帳」を買う。さすがに本屋にもたくさんおいてある。で、写真の多くが函館市中央図書館蔵だったので、実物を見られるのかなと思って図書館のウエブサイトを調べると、唖然。デジタル資料館で全部見られるじゃん。函館に来てすぐにコピーを取りに行った「海王丸」も高画質で手に入るし。市立函館博物館所蔵だったはずの絵葉書も全部こっちで見られる。博物館でガラス越しに見る実物より拡大できる分だけこっちの方が見やすい。ただ、Flashとかzoomify使うのは止めて欲しい。ばらばらになった画像ファイルをダウンロードしてつなぎ合わせるのは手間かかりすぎ。画像のありかをつきとめるにも時間かかったし。
今日は函館港に写真でもとりにいこうかと思っていたが地震の影響で無理。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和20年03月まで。組込んだ船歴は早鞆丸、榊丸、第三高島丸、阿津丸、高津丸、第二高津丸、第二鮮友丸、第三鮮友丸、氷川丸。
急遽1泊2日の横浜出張がある。集合時間まで余裕があったので大桟橋、郵船歴史資料館などを見学する予定が、飛行機の機体トラブルで羽田到着が1時間近く遅れ、計画がパー。雪溶けとともに、10月以降のつきも溶けて流れ出しているようである。org
とりあえずこの土日の社員旅行、湯の川温泉で気分一新する。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和20年02月まで。組込んだ船歴は早鞆丸、榊丸、第三高島丸、阿津丸、高津丸、第二高津丸、星丸。
紀伊防の戦時日誌には「第五十一號」〜「第五十三號」驅潜特務艇のことも掲載されてある。特務艇だから調査対象としては後回しの方になるのだが、これらは昭和19年に雑役船となっていることから、先行調査中。
「生田川丸」(Ramb II)の調査結果。1941年2月5日にナポリを出たという出典のHPは発見できず。自宅で保存してあったのは2月にMassawa出港という方のHPだった。出典がなくなっているので、この部分を訂正。イタリア海軍の徴用日は"The World's Merchant Fleets 1939"が出典なのでそのまま残置。
東京勤務に戻ることになった。何てこったい。本当に単なる雪かきのためだけに函館に来たようなものである。まったく人を何だと思ってんだ!
というわけで、また引っ越しの前後に更新が乱れると思います。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和20年01月まで。組込んだ船歴は高津丸、第二高津丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、隼丸、第三高島丸、阿津丸、榊丸、第二鮮友丸、第参鮮友丸、室津丸、第十榮丸、太隆丸、華山丸。
先週の土曜日に市立函館博物館を見学する。ここのHPには戦前の商船や軍艦の絵葉書などが掲載されており訪問を楽しみにしていた博物館の一つであった。結果は、かなりがっかり。HPで掲載されてある以上のもの、というより、HPで掲載されてあるものすら実際には展示されておらず、期待していたものは何もなかった。org. まぁ、幕末、榎本武揚とか土方歳三に興味のある人は一見の価値ありだが。博物館のお姉さんがせっかく見本を見せてくれたので「五稜郭 函館戦争」という展示図録を購入。展示にある輸送船「戊辰」の艦長は小山辰彦なんていうこともちゃんと収録されているので幕末海軍を研究するときにはきっと役に立つであろう。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年11月まで。組込んだ船歴は高津丸、第二高津丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第三高島丸、阿津丸、榊丸、第二鮮友丸、第参鮮友丸。
調べ物のついでに武装商船警戒隊戦闘詳報から帝香丸、帝楓丸、星丸、第三共榮丸、金泉丸、さんるいす丸、羅門丸の船歴追加。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年10月まで。組込んだ船歴は第八日東丸、第九日東丸、隼丸、高津丸、第二高津丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸。
上海から馬公まで六号輸送第三船団の護衛を担当した「丸月」は「長月」のことか?とMr. Erich Mühlthalerより問い合わせがある。「丸月」とはまた。ソースはなんじゃと思ったらこれがなんと戦史叢書とのこと。駒宮さんの「戦時輸送船団史」も船団の改編を端折ったまま書いてあるし、上海から馬公までの船団はこれらではわからない。第十四砲艦隊の戦時日誌に掲載されている上根機密第201630番電から第一船団は「大井川丸」「神愛丸」「旭盛丸」「乾坤丸」「第一眞盛丸」「妙法丸」、第二船団は「ぱなま丸」「帝洋丸」「染殿丸」「明宇丸」「太平丸」「加茂丸」、「東照丸」の戦時日誌から第三船団は「マカッサ丸」「スラバヤ丸」「神龍丸」「帝龍丸」、「栂」とともに護衛にあたったのは「皐月」とわかる。それにしても電文を正しく受信するのは難しいようで、第十三砲艦隊、「東照丸」「第一號新興丸」の戦時日誌では上根機密第201630番電を正しく受信していない。
某掲示板で「生田川丸」(Ramb II)が1941年2月5日にナポリを出てトリポリに着いたというのは変じゃないかと指摘がある。スエズ運河を通らない限り同月末にMassawaにいるのは無理だが、この時期にイギリス領のスエズ運河を通れるはずがないとのことである。結論として、Japanese's partのsome confusionだろうとされているが、全く反論のしようがない。何故なら、当サイトもどこかのサイトの情報を引用したのだが、その出典が見つからないから。2月末に自宅に戻って探してみることにする。たぶん印刷してあると思うので。その結果、転記ミスなのかどうかも含めてご報告します。それまではだんまりを決め込むつもり。因みに私は2月末にMassawaにいたとは一言も言ってません。最近のGoogle検索ではWikiを中心に2月末にMassawa出港となっているようですが、Wikiじゃねぇ。そのまま信用するのはちょっと。。。
「にっぽんの客船タイムトリップ」を購入。「あるぜんちな丸」「ぶらじる丸」の船歴をちょこっと修正。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年09月まで。組込んだ船歴は第八日東丸、第九日東丸、紀洋丸、高知丸、隼丸、高津丸、第二高津丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸。
金龍丸と高瑞丸の船歴修正。J-aircraft関連で急遽調査したもの。「戦時輸送船団史II」のスルミ攻略における船団の発着は作戦計画が書かれてあり、実際の作戦は3日延期されていることが判明した。今回は誤りのみを訂正し、詳細はあらためて調査する予定。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年08月まで。組込んだ船歴は第八日東丸、第九日東丸、紀洋丸、高知丸、隼丸、高津丸、第二高津丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第三高島丸、第三江口丸、阿津丸、榊丸)、菱丸、神洋丸、太隆丸、春島丸、~鷹丸。
海軍配当船の方からも「帝北丸」のリンクを可能なように修正。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年06月まで。組込んだ船歴は第八日東丸、第九日東丸、紀洋丸、高知丸、隼丸、高津丸、第二高津丸、富士丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第三高島丸、第三江口丸、阿津丸、榊丸)、高津丸(陸軍船)、第三共榮丸、室津丸、第一京仁丸、第七玉丸、阿波丸。
昭和19年6月〜8月の戦時日誌は順番が狂ったままデジタル化されているため注意が必要。
お正月休みのおかげで久々に2ヶ月分進捗。家事をしないのは楽。改めて妻に感謝。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年04月まで。組込んだ船歴は第八日東丸、第九日東丸、紀洋丸、高知丸、隼丸、高津丸、第二高津丸、富士丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第三高島丸、第三江口丸、阿津丸、榊丸)、桂川丸、第十八播州丸、室津丸。
Mr. Casse Gilbertより「戦没した船と海員の資料館(JSU)」の「神国丸」の写真は内外汽船の「新国丸」だと思うがどうかとメールが来る。このページは神戸桟橋のタンカー「神国丸」の記述がされるべき部分であるが写真の船は神戸桟橋の「神国丸」でないことは一目瞭然。しかも日本郵船だとか総噸数が7,366総トンとか全く出鱈目である。同型船の「春日丸」と比較し、まず「新国丸」とみて間違いないと確信。「億洋丸」の戦没日は01.01のタイプミスではないかと言われ調査。出典の昭和造船史以外はすべて01.01であるので、昭和造船史のタイプミスと判定。修正することにした。TAKE氏のサイトが閉鎖されてしまったので代わりにJSUを写真資料に追記中。Gilbertにより指摘されている写真の取り違えは、他に「伏見丸 東洋海運→伏見丸 内外汽船」「東裕丸 岡田商船→東裕丸 川崎汽船」「岩国丸 鶴丸汽船→会幸丸 会陽汽船」「こがね丸 日本海運→こがね丸 関西汽船」。筆者は「第二東洋丸」に昭和11年八馬汽船に売却した初代の「第二東洋丸」を使用しているのを知っているし、「第八京丸」の船橋の「8」を消して「第三京丸」としてあるのは悪質である。(JSUが悪質という意味ではなく、修正した写真を「第三京丸」と言って提供した者に対してです。)まだまだいっぱいありそうなので利用には注意されたい。
一方、当サイトで「京津丸」としていた写真は「慶津丸」らしいので削除。
お正月用に大日本絵画の「日本海軍の航空母艦」「日本海軍の潜水艦」「戦時輸送船ビジュアルガイド2」を購入。
「日本海軍の潜水艦」は「その系譜と戦歴全記録」というサブタイトルに惹かれ、世界の艦船での書評もあって購入したが、戦歴は期待していたレベルのものではなかった。入出港の記録ぐらいはすべて網羅してくれないと本サイトでは活用できない。しかし、撃沈した船の記録など、今までになかったデータがある点でそれなりの評価はできる。それにしてもこの本、値段高すぎない?
昨年は神様のご加護により10月より残業もなく最後は良い年となった。あらためて感謝申し上げる次第である。しかしノートブックは作業しづらいし、意外と家事にも時間をとられ週一の更新ができなかったのは残念である。当面、2週間に1回を目指し、今年中に何とかペースを取り戻したいと思っています。