佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は恒春丸。
大島防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は新京丸、第2號桂丸、富津丸、第二日正丸、柏丸、縣丸、金城丸、寶永丸、第一拓南丸、第六博多丸、長門丸、陵水丸、第六虎丸、あるぜんちな丸、山霧丸、幸成丸、日輪丸、立神、帝春丸。
この過程で「海威」の船歴修正。
特設掃海艇「筑紫丸」の読みを再び「ツクシ」から「チクシ」に訂正。詳細は当該ページへ。特設潜水母艦「筑紫丸」(つくしまる)が入籍されても「第二號筑紫丸」と改名されなかったのは、案外読みが違ったからであろうか?
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は北斗丸。
半年かけての半角カタカナ→全角カタカナ修正作業がほぼ完了。あとは作成中の陸軍輸送船だけ。これは完成させるときに変換すれば良いからとりあえず終了。
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は新光丸。
今週は2泊3日のセブ出張があったので更新は少なめ。
某サイトで引揚船について話題になっていたので氷川丸の戦後の船歴も少し追加。
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は第十二日東丸。
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は二水丸。
曳船(敷設艇型)のページを全面改正、特設艦船と同じ構成にし船歴の基礎頁全部作成。
「第二昭和丸」戦時日誌組込み。これは舞鶴防備隊戦時日誌の中に埋もれていたもの。
この機会に、「戦時輸送船団史」「戦時輸送船団史II」「太平洋戦争戦時輸送艦船史」とつきあわせて見る。先ず、「太平洋戦争戦時輸送艦船史」の282の護衛艦のうち「昭和丸」は「第二昭和丸」のこと。「#1柏丸」は「第一號桐丸」の誤記であることが判明。「戦時輸送船団史」「戦時輸送船団史II」のカタ916船団は「第二昭和丸」戦時日誌ではカタ961船団となっている。これはもう少し複数の資料をあたらねばどちらが正しいかわからないのでちょっとペンディング。カタ916のままにしておく。「戦時輸送船団史II」453のカタ916船団の編成は、「第二昭和丸」戦時日誌と齟齬があり疑問符がつく。「戦時輸送船団史II」456のキタ9船団の護衛艦のうち「紀洋丸」は「陽光丸」の誤りのようである。また咸鏡丸は機関故障により船団には加わっていないようである。カタ916やキタ9の「昭和丸」も「第二昭和丸」のこと。船団の発着時刻と護衛艦である「第二昭和丸」の発着時刻は異なる。
立、竏をm3と勘違いしていた。黒潮丸、厳島丸、帝洋丸の船歴修正。ご指摘いただいたIWAさま、ありがとうございました。他にも液体でm3としている船歴があればリットル、キロリットルの誤りの可能性があるのでどうかご指摘ください。m(__)m
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は昭勢丸、第五日東丸、nu滿丸、第十五長運丸。
図書館で「日の丸ドイツ船」を借りてきたのを機に「神鷹」の船歴作成。リンクの為に航空母艦の頁を新設。でも、この頁をどういう風にファイナライズするかは思案のしどころ。特設艦船風にするか。艦名だけにとどめるか。
家族にインフルエンザ患者がでたため自宅謹慎、思いがけず5連休。残業分はここで取り戻す?
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は第十八日東丸。
先週今週と残業続きで全然更新が進まない。
某サイトで飛行機救難船(の後身)が浜島港に現存するという話題があがったのを機に、飛行機救難船の諸元をまとめる作業をした。戦後の船歴、というか、名前だけでもと調べてみたが、整理してみると、資料によってまったくまちまち、混乱の極みである。水光丸→シーホースについて「残存帝国艦艇」という本の中で例のお方は「昭和18年、広島県宇品造船所で建造されたものである」「150トン型航空機救難艇の後身」などと書いておられる。150t型で昭和18年に作られたものなどないし、そもそも航空機救難艇などという船種を勝手にこしらえている時点で眉唾ものである。昭和18年が単なる誤植と好意的に解釈し、「150t型」「宇品造船」をキーワードにすると該当船は公称第932号だけである。しかし、公称第932号は「鹿屋丸」と推測される。"Japanese Naval Vessels at the end of the War"によると公称第931号はExistence & Condition Unkown、公称第932号は鹿児島県海潟で座礁となっている。戦前船舶資料集第130号所載の「行動不能艦艇所在並に各地方復員局保管分担表(四月十五日現在)」によると公称第931号が鹿児島県海潟で座礁中、通称「鹿屋丸」、公称第932号の記載はない。どちらかの記述が正しいかということになると、公称第931号が横濱海軍航空隊、公称第932号が鹿屋海軍航空隊の所属であることから、「行動不能艦艇所在並に各地方復員局保管分担表(四月十五日現在)」の記載が誤記である可能性が高い。因みに外人さんがバイブルとしているJentsuraの"Warships of Imperial Japanese Navy"では公称第931号はTF58の攻撃で昭和20年5月に宿毛湾で(たぶん)沈没としている。公称第931号は横浜に配属されていたから宿毛湾はないと思うが、命名後の移動を調査しきれていないので断定はできない。公称第931号、公称第932号のいずれであっても片方は「鹿屋丸」でもう一方は所在不明(=沈没)なので「広島県宇品造船所で建造されたものである」可能性もまったくない。それでは水光丸→シーホースの前身は何なのかというと、こちらは九州商船の調査をされている西口公章さんが「船舶史稿第七巻」の中で担当された部分が参考になる。本調査によると昭和11年播磨造船で進水した公称第930号が水光丸の前身となっており、鎮海海軍航空隊所属艇であったものの博多で終戦を迎え、良好な状態にあった経緯や、150t型の各船を消去法でみた場合からみても、矛盾はない。因みに昭和34年版の「日本船名録」において「水光丸」は昭和11年7月相生で建造、長x幅x深さは39.2x5.6x2.8となっており、この調査結果を裏付けている。
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。
組込んだ船歴は報国第14号、第十七日東丸、第十九日東丸、第二十日東丸。
伯防の曳船隊に公称第879号が含まれているので、曳船兼交通船(驅潜艇型)のページを更新して船歴にリンクされるよう準備。諸元も整備。諸元の方は敷設艇型と同じく曳船もまとめてみた。また大東亜戦争前に除籍された内火艇(驅潜艇型)も掲載した。
リンクの1番でご紹介していた「戦没船データベース」が削除されてしまった。年末でHP自体閉鎖される由。まだ、インターネットがダイヤルアップ主体のころから開設されていた草分け的なサイトで、TAKE氏自身が撮影された沈没船や、700隻にものぼる往時の船影を見ることができた貴重なサイトであり、非常に残念である。こちらの勝手リンクも仕方なく削除した。
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。千島防備部隊第二番隊戦時日誌組込み(日産丸、快鳳丸)。
伯防所属艇の機関動作表からこれまでに作った船歴は檜丸、山水丸、第二號興亜丸、王星丸、瑞祥丸、博丸、下松丸、第三日東丸、第十三日東丸、大屯丸。まだ半分もいってない。伯防の曳船隊に報国第14号が含まれているので、曳船(敷設艇型)のページを更新して船歴にリンクされるよう準備。現在、報国第14号の船歴を組込み中。鎮防で作成した第1122号にもリンクを貼る。報国第14号の同型船も船歴の基礎ページを作成。諸元も整備。
家族にインフルエンザ患者がでたため自宅謹慎、思いがけず5連休中。
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。
下関防備隊も途中から羅津や鎮海と同じような書き方になっており発着場所がはっきりしない。これも後回し決定。
特設捕獲網艇はすべてが四十口径四一式八糎砲を装備していたわけではないことが「第三日正丸」の例から明らかとなる。また、佐伯防備隊の特設防潜網艇は短八糎砲ではなく六糎砲を搭載していることが判明。
羅津防備隊戦時日誌組込み中。
これも解釈が難しい。出港、入港の記録はあるが羅津なのか楡津なのか?、たぶん羅津なのだろうがよく分らない。従って羅津防備戦隊の日誌の組込みも後回し。下関防備隊の組込みにかかることとする。
今週は3泊4日の広島出張があったため、更新は少なめ。広島ではホテル缶詰状態であったため収穫なし。
鎮海防備戦隊、鎮海防備隊戦時日誌組込み中。
昭和18年からの部分は解釈が難しい。ので、このへんで鎮海防備戦隊の日誌の組込みはいったん中止。羅津防備隊の組込みにかかることとする。
鎮海警備府戦時日誌組込み、鎮海防備戦隊、鎮海防備隊戦時日誌組込み中。
公称第763號曳船は150t型ではなく100t型であることが鎮海警備府の戦時日誌で確認されたので訂正。
「光済」は戦前に除籍されたと思い込んでいたが戦時中も在籍していることが判明。そのうち雑役船の中に組み込まねば。
厚岸防備隊戦時日誌(第一玉園丸、第二玉園丸、吉野丸、園部丸、第三日之出丸、水上丸、第七福榮丸)、第二根據地隊戦時日誌組込み。鎮海警備府、鎮海防備戦隊、鎮海防備隊戦時日誌組込み中。
昭和17年内令第93号、94号の日付を1月15日に訂正。2004年11月20日にも同様の訂正を行っているがこれも「日本海軍艦艇史資料」における「15日」の脱字が原因。
第三特別根據地隊戦時日誌(第六拓南丸、生田丸、安土丸、五隆丸、日豊丸他)組込み。第三十根據地隊戦時日誌(鳥嶋丸、第三玉園丸、安宅丸、高砂丸、第五昭和丸、昭和丸、第三昭和丸、八紘丸、第一亀寶丸、茨城丸、第二勢榮丸、水天丸、その他)組込み。「白鷹丸」の戦前の航海予定を組込み。
1泊2日の長崎出張から戻る。今回の収穫は、くらま(DDH144)、ちょうかい(DD176)、ほうおう(PS206)、のもかぜ(CL89)、他2隻は遠すぎて判別不能。三菱の資料館は時間がなくて・・・もう少しゆっくり見たかった。
宗谷防備隊、宗谷防備部隊戦時日誌(第十六日東丸、嘉辰丸、千歳丸、菊丸、第七福榮丸、京畿丸)組込み。第三根據地隊、第三特別根據地隊(福山丸、第五十五驅潜隊、第十三掃海隊)戦時日誌組込み。
女川防備隊、第一根據地隊(白山丸、第一砲艦隊、君島丸、妙高丸、いくしま丸、千光丸)、第十二特別根據地隊(第一京丸、天塩丸、国津丸、屏東丸、縣丸、第二北洋丸)、第三十一特別根據地隊(第三砲艦隊、第四十六掃海隊、第五十三驅潜隊、照風丸、最上丸、白洋丸)、第三十二特別根據地隊(武昌丸、第一號東光丸、第十二京丸、第十三京丸、十勝丸、八代丸、第二鶚丸、第十五日之出丸)戦時日誌組込み。
女川防備隊戦時日誌組込み中。「旧海軍恩給年加算調書」で「第二號金剛丸」の発着地が山田湾となっているのも女川の間違いらしい。「戦時船舶史」で「桂川丸」が「船体切断し沈没」とあるのは、少なくとも被雷直後ではない。
女川防備隊戦時日誌組込み中。このあたりから特設掃海艇が2隻加わる。「旧海軍恩給年加算調書」で「第一鶚丸」の発着地が横須賀となっているのは女川の間違いらしい。
アジア歴史資料センターで「特設船舶履歴簿」が閲覧できるようになった。特設船舶の艤装図などもみられる。これで日露戦争時代の特設船舶は全貌がわかる。とりあえずは「亜米利加丸」や「由良川丸」関係を組み込む。
夏休みで帰省するので来週の更新はお休みです。
女川防備隊戦時日誌組込み中。第二十四戦隊司令部戦時日誌組込み。その関係で第六艦隊、第九戦隊の関連部分も組込み。
「愛国丸」「報国丸」の兵装は「日本商船隊の懐古」に基づいて書いていたが、世間で一般的な「応召した日の丸船隊」の記述に合わせ、戦時日誌で判明したものを加えた。船歴も戦時日誌によりかなり訂正した。「日本商船隊の懐古」にある八糎高角砲2門、二十五粍機銃4門の元ネタはJACAR:C08030760700にある元乗員の証言(記憶)によると思われるが、16年後に書かれたものであり、おそらくは記憶違いであろう。数はともかく少なくとも十三粍機銃が搭載されていたことは戦時日誌で確認できる。
兵装に関しても、そろそろちゃんとしなければと思い、戦時日誌で確認したものと、標準兵装(による推定)のものをきちんとわかるように修正中。
「白沙」の特設工作艦時の25mm単装機銃は戦時日誌にある昭和19年06月23日付官房艦機密第3956号「特設工作艦白沙を特設工作艦に改造の件訓令」に基づいて本サイトでは2基としてあるが、"Japanese naval vessel at the end of war"(桜と錨さんのところで公開中)では4基になっており、艦橋上に2基、後部に2基ということである。8月の戦時日誌では官房艦機密第3956号訓令によりとしながらも25mm機銃20門新設の記述がある。三聯装が4基、二聯装が2基であるから20-3*4-2*2=1*4で"Japanese naval vessel at the end of war"の記述と一致する。9月の戦時日誌では弾薬12000発の搭載準備をしていることから12000/600=20門であることが裏付けられる。ということで素直に8月の戦時日誌が間違っており25mm単装機銃を4基とすれば良いのかもしれないが、ひとつ疑問が残る。昭和20年2月に25mm機銃に防弾板を取り付けているのだがこのときの数が三聯装4基、二聯装2基、単装2基なのである。戦時日誌は昭和19年11月〜昭和20年2月が欠落しているのでこの間に2基が撤去されたのかもしれないし、単装2基のみ防弾板を取り付けなかった、あるいは別の時期に取り付けたのかもしれない。しかし、すべては推測である。詳しい事情をご存じの方はご教示ください。
船歴から船種へのリンクは前後ページへの移動のところにあった方が使い勝手がいいので、すべてこの方式に統一することにし、全ページ修正中。半角カタカナを全角に修正しているのにお気づきの方も多いだろう。こういうのは本来、最初の構想がしっかりしてりゃあ、余計な作業が発生しないわけなのであるが、作ってる途中で気が変わるのだから仕方ない。
女川防備隊戦時日誌組込み中。特設掃海艇あたりを狙ったのだが、所属艦船は特設監視艇のみ。一ヶ月分の戦時日誌で25隻同時に更新しなくてはならないので、なかなか捗らない。
気分転換に海洋観測船のページを全面改正、特設艦船と同じ構成にし船歴全部作成。「第一海洋」「第二海洋」の一次資料組込み。これで「第一海洋」が潜水艦によって撃沈されたとか、「第二海洋」が空爆で沈んだといった誤情報がなくなれば幸いである。
注文していたDe Gouvernements Marine in het Voormalige Nederlands-Indie 1861-1949 全3巻が届く。外国の古書店から買うのはちょっと不安だったが大丈夫であった。今回住所で市名も書き忘れたし。「新鳩丸」「喜多丸」「潮洋」「寶洋」など期待に違わず、いろいろ写真が載っている。船影がよくわかる「新鳩丸」の1枚をアップ。
J-Aircraftで指摘された地名を修正。カナオカ→カナカオ、コヤス→コカス、カラバザ→カラバザス、カグガオ→カブガオ。
第三十四掃海隊(やちよ丸、甲山丸、第十徳豊丸、葵丸)、呉潜水戦隊(さんとす丸、筑紫丸)、第十一潜水戦隊(筑紫丸)、軍艦「海鷹」戦時日誌、第五潜水戦隊(りおでじやねろ丸)戦闘詳報組込み。女川防備隊戦時日誌組込み中。
特設港務艦と特設測量艦の兵装を精査。「白沙」の7.7mm機銃は4挺と訂正。
久々に「満州国海軍艦船DATA BASE」バージョンアップ。
Herr Mühlthalerからの情報により英文名称を改正。もともと参照していた文書はドイツ大使館付海軍武官からの問い合わせの文書で、その文書を正確なものにしてくれという依頼内容であり、そのまま使えないものであった。
第二十六掃海隊(第二京仁丸、第一京仁丸、第十八播州丸、第十昭和丸)戦時日誌組込み。
「萬龍丸」の写真発見。掲載してあるHPをリンクに追記。参考文献にもMiramar Indexとともに追記。外国出来の船は外国のソースの方が詳しいのは当たり前か。
Warsailors.com(Norwegian Merchant Fleet 1939-1945)より「萬龍丸」の戦前の船歴追加。
第十四砲艦隊(第七大源丸、東照丸、第十二日正丸、第一號新興丸)戦時日誌組込み。
4泊5日の佐伯出張から戻る。今回の収穫は巡視艇さちかぜ(CL100)、多用途支援艦げんかい(AMS-4304)、掃海艇みやじま(MSC-690)、水船18号(YW18)。
第十四砲艦隊(第七大源丸、東照丸、第十二日正丸、第一號新興丸)戦時日誌組込み中。
「第11日東丸」の写真が本船でないことが判明、削除。本サイトでは「第22日東丸」と推定。
特設監視艇(その21)船歴追加。
これにて特設監視艇の概略完成。第二十二戦隊の戦時日誌から兵装も追加。足掛け6年、特設艦船DATA BASEとしては最低限のデータをすべて提供したことになる。
第十四砲艦隊(第七大源丸、東照丸、第十二日正丸、第一號新興丸)戦時日誌組込み中。
Warsailors.com(Norwegian Merchant Fleet 1939-1945)より「春田丸」の戦前の船歴追加、捕獲審検の記録から拿捕時の状況修正。
3泊4日の上海、武漢出張から帰国。武漢からの飛行機が遅れ上海での乗継ができず、帰ったのは24時前。今回も収穫なし。
特設監視艇(その20)船歴追加。
第十四砲艦隊(第七大源丸、東照丸、第十二日正丸、第一號新興丸)戦時日誌組込み中。
第十四砲艦隊の戦時日誌にでてくる関係で急遽、雑役船「海清」の船歴追加。
「笠島」の船歴も大分判明した。「笠島」の兵装が意外であり、こうなると同型船の「二神」の兵装も定説とは異なる可能性がある。
特設監視艇(その19)船歴追加。関連の補助監視艇のページも更新。
第十四砲艦隊(東照丸、第十二日正丸、第一號新興丸)戦時日誌組込み中。
半年かかってようやく前後の頁へのリンクの設定(たぶん)完了。「第一雲洋丸」の写真追加。
Herr Mühlthalerから教えてもらった"Ho Hsing"と「東海丸」の船番を追記。
特設監視艇(その18)船歴追加。関連の補助監視艇のページを更新。
第十四砲艦隊(東照丸、第十二日正丸、第一號新興丸)戦時日誌組込み中。
特設監視艇(その17)船歴追加。
第十四砲艦隊(東照丸、第十二日正丸)戦時日誌組込み中。
特設監視艇(その16)船歴追加。
第十三砲艦隊(豊国丸、正生丸)戦時日誌組込み。東照丸(第十四砲艦隊)戦時日誌組込み中。
J-Aircraftで話題になったため急遽「富津丸」の船歴修正。「富津丸」は第197船団(戦時輸送船団史では第192船団になっているがこの番号自体誤りで第197船団のこと)には加入していない。
野間さんの「商船三井船隊史」購入。「戦時輸送船ビジュアルガイド」も到着。
特設監視艇(その15)船歴追加。
第十三砲艦隊(第十雲海丸、百福丸)戦時日誌組込み。第十三砲艦隊(豊国丸、正生丸)戦時日誌組込み中。
特設監視艇(その14)船歴追加。
第十三砲艦隊(豊国丸、第十雲海丸、正生丸、百福丸)戦時日誌組込み中。
第十三砲艦隊の戦時日誌にでてくる関係で急遽、雑役船「早瀬」の船歴作成。ついでに工作船のページを全面改正、特設艦船と同じ構成にした。
特設監視艇(その13)船歴追加。
第十三砲艦隊(豊国丸、第十雲海丸、正生丸、百福丸)戦時日誌組込み中。
第十三砲艦隊の戦時日誌にでてくる関係で急遽、雑役船「笠島」の船歴作成。ついでに救難船兼曳船のページを全面改正、特設艦船と同じ構成にし、戦前に除籍された曳船兼救難船の「白銀」を除いて船歴全部作成。
特設監視艇(その12)船歴追加。
第十三砲艦隊(豊国丸、第十雲海丸、正生丸、百福丸)戦時日誌組込み中。
この第十三砲艦隊の戦時日誌には上海方面への輸送船の入出港の情報が多く含まれている。「陸軍徴傭船舶行動調書」などの記載と異なる部分もある。予定の場合もあるので一概には言えないが、こちらを優先すべきであろう。陸軍輸送船の船歴作成後、再度じっくり調査する必要がある。
「海軍徴傭船舶行動調書」より「帝連丸」の船歴更新。
4泊5日の上海出張から帰国。今回は収穫なし。
特設監視艇(その11)船歴追加。
特設監視艇で一番著名な「第二十三日東丸」くらいはちゃんと船歴を入れておくべきかと思いこれだけは先行作成。
第五砲艦隊(日海丸、静海丸)戦時日誌組込。
特設監視艇(その10)船歴追加。
第五砲艦隊(京城丸)戦時日誌組込。第五砲艦隊(日海丸、静海丸)戦時日誌組込み中。
特設監視艇(その9)船歴追加。
第二砲艦隊(萬洋丸、億洋丸)戦時日誌組込。第五砲艦隊(日海丸、静海丸、京城丸)戦時日誌組込み中。
特設監視艇(その8)船歴追加。
第二砲艦隊(大興丸)戦時日誌組込。第二砲艦隊(萬洋丸、億洋丸)戦時日誌組込み中。
特設監視艇(その7)船歴追加。
第二砲艦隊(神津丸)戦時日誌組込。第二砲艦隊(萬洋丸、大興丸、億洋丸)戦時日誌組込み中。
「第一龜寳丸」「瑞鷹丸」「高知丸」「南鵬丸」写真追加。
特設監視艇(その6)船歴追加。
第二砲艦隊(萬洋丸、大興丸、神津丸、億洋丸)戦時日誌組込み中。
特設監視艇(その5)船歴追加。
第八砲艦隊(生田丸、長田丸、大同丸)戦時日誌組込み。
Mr. Luke G.A. Ruffatoから「生田川丸」の起工、進水、竣工日についての情報をいただいたので更新。
J-Air Craftでのやりとりに基づき「ありぞな丸」の行動を修正。
特設監視艇(その4)船歴追加。
第六砲艦隊(第二號長安丸、第二號長江丸、平壌丸)、第七砲艦隊(昭徳丸、弘玉丸)、第十砲艦隊(まがね丸、吉田丸)戦時日誌組込み。
特設監視艇(その3)船歴追加。
第四砲艦隊(西京丸、江戸丸)戦時日誌組込み。「西京丸」と「江戸丸」の略称をあべこべにしているのに気づく。即刻修正。因みにこういう番号は艦隊などの法令で艦隊区分として定められており、たとえばJACAR:C08030163500のP41-45でその一端を知ることができます。
Conre Verdeに「帝京丸」という日本名があることを佐世保鎮守府の戦時日誌で確認したので記述を訂正。
特設監視艇(その2)船歴追加。
第三砲艦隊(南浦丸、阿蘇丸、木曾丸)戦時日誌組込み。
特設監視艇(その1)船歴追加。
戦時日誌は個船ベースを終了し戦隊、防備隊、根據地隊ベースのものに調査を進めるわけであるが、こうなると結構、特設監視艇の行動もでてくる。そのときベースになるページがないと追記できないわけであり、そのため、ごく基本的な事項だけを書いた船歴をまずこしらえておくことにする。
こないだ「漁船」第二號を購入したのを機に、どうしても他の号が見たくなったので半休して国会図書館に行く。結構な数の写真を発見。とりあえず特設監視艇(その1)に「第一岩手丸」、特設掃海艇に「関丸」「利丸」「第五利丸」「第七利丸」を追加。
「鹿野丸」戦闘詳報他、第六十五驅潜隊(宇治丸、第六京丸、第七京丸)戦時日誌組込み。
この戦時日誌ではヤルート、ジャボール、イミエジなどの地名がでてくるが、使い方が結構ごちゃごちゃである。基本的にヤルートとあるのはジャボール(Jabor)島のことであるが、イミエジ(Imiej)島もまたヤルート(Jaluit)環礁の島であることから広い意味でヤルートと書かれていることもある。もし取り違えていたらどうかご指摘ください。因みにジャボール島とイミエジ島は「第七京丸」の場合約1時間の距離で位置関係はこの地図をご覧下さい。
昨年8月にカウンタ3134で再開した当サイトですがおかげさまをもちまして10,000の大台に達しました。これもひとえに閲覧者各位のおかげです。ここに改めてお礼申し上げます。
「讃岐丸」戦時日誌、戦闘詳報組込み。「國川丸」戦闘詳報組込み。前回「讃岐丸」で13mm機銃の装備に関して触れたが、この13mm機銃は鹵獲品であることが判明。
強力曳船「南海丸」船歴追加、といってもほとんど何もないんですが。もともと行動が全く不明だったので作るのをあと回しにしていたのですが、たまたま「相良丸」の戦闘詳報に1航海だけ記載があったので忘れないうちに書きとめたもの。ついでに陸軍強力曳船の船歴も全頁整備。「愛天丸」もでてきたのでこれも追記。でも「愛天丸」が陸軍船になってるのは?
「りおん丸」「博丸」「羽衣丸」「第十雲海丸」「第十榮丸」「第三東洋丸」の戦時日誌組込み。「あづさ丸」「玄洋丸」「太隆丸」「相良丸」戦闘詳報組込み。
特設水上機母艦の兵装については1999年モデルアート社発行の「日本軍艦艦艇図面集3」でも1994年海人社発行の「日本航空母艦史」でも15cm単装砲x2、13mm単装機銃x2となっており、本サイトでも「君川丸」を除き従前はこれを掲載してきました。しかし、戦時日誌・戦闘詳報がJACARで公開され、「山陽丸」「聖川丸」「相良丸」の調査を終えたところで判明したことは、各艦に13mm単装機銃装備の事実がないということです。おそらくはこれらの本は軍艦の神様の書いた「応召した日の丸船隊」にある「旧式の一五センチ砲二門をそれぞれ船首尾の砲座に装備し、船橋上には両舷に一三ミリ単装機銃各一基を」という記述を鵜呑みにしているためと思われます。
これらの本では「君川丸」についても特に分け隔てることなく15cm単装砲x2、13mm単装機銃x2としておりましたが、当サイトでは特設艦船の神様が世界の艦船1969年9月号に書かれた「特設水上機母艦「君川丸」の生涯」に基づき「君川丸」だけは15cm単装砲2門、短8cm高角砲2門、25mm連装機銃2基、7.7mm単装機銃2基としてありました。1977年に第1刷が発行されている「昭和造船史(第一巻)」で特設艦船の神様は「君川丸」の兵装について詳細な記述をされています。以下引用。「君川丸は昭和16年7月呉で艤装工事が行われたが、昭和14年2月調整の艤装図と比較し兵装の実施状況にはかなり差異があり、このことは特殊の特設艦船至急工事上の難点であったので特に述べる。艤装図は備砲は14cm砲であったが15cm砲となり、3番ハッチ両舷の12cm高角砲は短8cm高角砲となった。艦橋上両舷の25mm連装機銃は7.7mm機銃に、短艇甲板端両舷の8cm高角砲は25mm連装機銃となった」。
「日本軍艦艦艇図面集3」も「日本航空母艦史」もこれを採用することはありませんでしたし、筆者もこれは「君川丸」に関しての特殊ケースと思っておりました。しかし
「山陽丸」戦闘詳報からわかるのは15cm砲、短8cm高角砲そして25mm機銃が装備されていること、
「聖川丸」では15cm砲x2、8cm高角砲x2、25mm聯装機銃x2、7.7mm機銃x2が装備されていること、
「相良丸」でも15cm砲、短8cm高角砲、25mm機銃、7.7mm機銃が装備されていることです。
「讃岐丸」はざっとみただけですが15cm砲、短8cm高角砲x2、25mm機銃x2、7.7mm機銃x2の装備が確認できます(17年には13mm機銃も装備されている模様)。
「國川丸」もざっとみただけですが15cm砲、短8cm高角砲、25mm機銃、7.7mm機銃の装備が確認できます。
これらのことから、「昭和造船史(第一巻)」や「特設水上機母艦「君川丸」の生涯」に書かれてあることは「君川丸」に関する特殊ケースではなく当時の特設水上機母艦一般に言えることと想像されます。
次に各兵器の制式ですが「日本航空母艦史」では15cm砲を45口径砲としてあります。「日本航空母艦史」の出典は「海軍艦艇史V」、「昭和造船史(第一巻)」、「丸スペシャル」ということですが「海軍艦艇史V」や「昭和造船史(第一巻)」に15cm砲の口径の記述はなく「丸スペシャル」No.25にのみ「艦首尾に装備された一五センチ砲は、明治年間に戦艦などに装備されていた四〇口径または四五口径砲で、旧式なものであった」という記述があり45口径砲には限定しておりません。「聖川丸」の例をみるとこの15cm砲は45口径砲ではなく四十口径四一式十五糎砲であることがわかります。軍艦の神様が書かれた「相良丸」の写真説明では「前後の砲座に明治時代の戦艦か装甲巡洋艦より陸揚げされた古い一五センチ砲を一門ずつ搭載(計二門)、他に艦橋上に十三ミリ連装機銃が両舷に一基ずつと七.七ミリの留式機銃を装備した」とあり、先の記述(船橋上には両舷に一三ミリ単装機銃各一基)とも矛盾しています。結局、戦闘詳報にある25mm機銃の記載には全く触れられていないことや、逆に全く触れられていない13mm機銃の記載、しかも連装、単装の別もはっきりしないことから、7.7mm機銃が留式であるという記述にも疑問符をつけざるを得ません。
15cm砲もその他の兵器も種類があり一つの例をもってすべてを語るのは危険であることを承知しつつも、まず当サイトでは「聖川丸」の例から特設水上機母艦の開戦時の兵装を、「四十口径四一式十五糎砲2門、五年式短八糎砲2門、 九六式二十五粍聯装機銃2基、九二式七粍七粍単装機銃2基」であると推定することにします。今後、他艦の調査や他の戦時日誌等から別の事実が判明すれば、逐次修正していきたいと思います。ただし「神川丸」はざっとみたところ12cm高角砲と7.7mm機銃が装備されているようなので、これは「香久丸」や「衣笠丸」同様の支那事変時の兵装そのままで開戦に突入したと推定されます。
「こがね丸」「廣隆丸」「辰和丸」「いくしま丸」「岩戸丸」「廣コ丸」「白山丸」「護國丸」の戦時日誌組込み。
J-Aircraftでの討論で「靜海丸」の沈没原因は米潜水艦Silversidess(SS-236)の敷設した機雷ではなくオーストラリア空軍の投下した機雷であることが判明。修正する。因みに前に書いてあった沈没位置は「億洋丸」のそれであり、ページ作成の際、上書き作成し損なっていたことが判明。即刻修正。ついでに「第5砲艦隊」の他艦も少し修正。「第5砲艦隊」の戦時日誌があることはわかっていてもそこは順番がありこれの調査はあと回し。
折角、公開されたのでもう一度特設救難船の船歴を見直し、正確を期し修正中 。
前後の頁へのリンクを少しづつ追加中。
「漁船」第二號購入。「天城丸」「照風丸」の写真が載っている。「陽光丸」「第一鈴谷丸」も現在のものよりクリアな写真がある。「第五玉丸」の写真や図面もある。
「天城丸」「照風丸」「第五玉丸」「高津丸」「星丸」の写真追加。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
「明石山丸」「北上丸」の戦時日誌組込み。聯合艦隊関連の補給艦船の開戦初頭の行動を一部組込み。しかしこの戦時日誌(C08030017700)は信頼性に乏しいので途中で中止。例えば南洋や南方といった曖昧な記述だったり、竣工していない「和洋丸」が横須賀とか、極めつけは「五隆丸」。開戦時に中城湾にいたことになっているが、「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表」では佐世保、奄美大島間を航行していることになっており、その詳細な記述から「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表」の方が正確と思われる。