紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年12月まで。組込んだ船歴は第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第三高島丸、第三江口丸、阿津丸、榊丸)、第一京仁丸、牟婁丸、第十昭和丸、菱丸 、第二青山丸、護國丸、南阿丸。
「世界の艦船」の今月号に「廣慶」「廣寧」の写真が掲載された。このため写真資料に今月号を追記。写真解説で「両艦の最初の徴用は8年4月20日から11月7日までだった。」とある。ところが本サイトの個船ベースの船歴における徴用日は08.04.21、解傭日は08.11.30。写真解説の出自は(JACAR:C05034615300, P.3)であろう。確かに「8年4月20日から11月7日まで」徴用である。本サイトの諸元は徴用日が08.04.30、解傭日が08.11.30。どうやら04.20を04.30と読み違えたようである。従って諸元を04.20に訂正。ところで何で船歴において徴用日を08.04.21、解傭日を08.11.30にしたんだっけと調べなおす。出自は(JACAR:C05034614900, P.33)。8年度は「主計長と鉄路総局駐哈代表小沢宣義との間の契約により4月21日より松花江開江期間1隻1日に付金66円を以って賃借せる」。8年度は12月1日に封江されたことから解傭を11月30日としているわけで、そのためわざわざ契約期間と(カッコ)書きしていたわけ。「廣慶」「廣寧」は7年にも徴用されているはずで、最初の徴用ではないはずとさらに見直す。出自は(JACAR:C05023413600, P.10)。しかし、「廣慶」の名前はあっても「廣寧」の名前はない。どうも早とちりしていたようである。したがって「廣寧」の7年徴用の記録を削除。「海星」が「哈爾濱航業連合会」の所有というのは何が出自であろうか?政府公報によれば昭和10年末の所有者は「李天奎等二十一人」である。因みにもう一つ後ろの客船は「勝藉田」所有の「三江」586.44総トンである。
J-Aircraftの関連でせっかく調べたので「板橋」の船歴を追加。紹介されたスウェーデン語のサイトを参照したため誤訳があればご指摘ください。
先週は昔の部下が遊びに来たので一緒に函館山へ。上から港をみるとヘリ搭載巡視船が。暗かったのと遠かったので船名は判別できず。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年11月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第三高島丸、第三江口丸、阿津丸、榊丸)、第一京仁丸、第二京仁丸、筥崎丸。
休日出勤があったり、飯の支度で、なかなか作業が進まない。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年10月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第三高島丸、第三江口丸、阿津丸、榊丸)、第一京仁丸、第二京仁丸。
久しぶりに我が家に戻る。やはり、デスクトップの方が断然作業がしやすい。
今日は10月の気温とか。暖かかったため目星をつけていた万代埠頭へ。しかし何もいない。仕方なく遠くに見えている巡視船の方へ向かう。やっと北埠頭に着いたが何もいない。さっきの巡視船は何処へ。ということで探すと、函東工業のバースにいる。これでは接近不可能である。仕方なく遠景からの写真だけ。この間の「つがる」は中央埠頭だったかなと思い、バスに乗って引き返す。結果、中央埠頭にもいない(帰って写真を見なおしたが、この間の「つがる」はやはり万代埠頭で間違いなかった)。結局、今日の収穫はこの「かむい(PS05)」だけ。函館海上保安部にはまだ他にも巡視船艇がいるはずであるがなかなか出会えない。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年09月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、那智丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第三高島丸、第三江口丸、阿津丸、榊丸)、第十二日正丸、朝風丸、盧山丸、筥崎丸、第二京仁丸、西貢丸、高榮丸、新興丸。
本日は休日出勤。このため?チャイニーズチキンバーガーを食べる。ようするに油琳鶏バーガーですな。あとはうに丼だけか。
今日もどこにも行くまいと心に決めていたものの、あまりに良い天気であったため、つい外出。美味しいと評判の函太郎へ。啄木小公園を巡って帰宅。あとはうに丼とラッキーピエロのチャイニーズチキンバーガーを食べれば一応のノルマ?は達成予定。
今月の「世界の艦船」に「牟婁丸」の写真が掲載されていたので、今週はこの部分の追記のみ。函館では本誌が店頭に並んだのは27日。東京より2日も遅い。
紀伊防備隊戦時日誌調査中。昭和18年8月からは機関動作表が残されていないので、今までとは勝手が違い、予想外に手間取る。
今日はどこにも行くまいと心に決めていたものの、あまりに良い天気であったため、つい外出。函館ビールでお試し4種セットを飲んだあと、遊覧船Blue Moonに乗って函館港を一周。警備を終えた「びほろ」はいつもの西埠頭に停泊中。庁舎近くに停泊中の「つがる」も遠方より撮影。たまたま「飛鳥II」がフェリーターミナル付近に停泊中であったのは幸運であった。
紀伊防備隊戦時日誌組込みを再開。
いろいろすることがあり全く更新が手つかず。因みに本日は「摩周丸」+函館朝市見学である。従って、今回はJ-Air Craftの関係で第三東洋丸の44.11.05の記述を「鴎」から「鷺」に訂正したのみ。JACARの文書は「鴎」に見えるんだけどなぁ。この時期、敷設艇「鴎」はすでに沈没、水雷艇「鴎」はとっくの昔に除籍。「鴎」でないことは確かである。正規艦艇の船歴も作っていれば、こういう単純ミスは防げるのだが、なかなか正規艦艇にまでは手が回らない。第一海上護衛隊の戦時日誌や「はんぶるぐ丸」の海難報告書から「鴎」ではなく「鷺」であることが判明したので訂正した次第。
今日は朝から図書館、北洋資料館、ロシア艦の見学と超多忙。データベースの更新は全く手つかずなのでアップはしない。来週もアップできるかどうか
今日の収穫は、図書館で(第3号)海王丸の写真をゲット。本サイトで公開しているのはサムネイルなのでよくわからないと思いますが、もとの文献を複写した図書館の資料をさらに複写したものなので非常に解像度が悪いものです。そこで、より良い解像度のものを求めて今回、函館中央図書館に行ったのですが、予想外に別の写真があり収穫でした。
北洋資料館ではとくに得るものはありませんでした。資料館の人は皆、大変親切でしたが。。。
五稜郭周辺ではロシア海軍の軍人の姿があちらこちらに。そしてロシア艦「Admiral Panteleev」の見学。港町埠頭というだけで詳細はわからず。とりあえずフェリーターミナルへ行くと彼方に灰色の物体が。付近の道路は駐車場に止めようとする車の列。そしてぞろぞろと人影。自分もそれにくっついていくと受付が。しかし、何でみんな受付場所知ってるの?。場所的には港中学校前のバス停で降りたほうがよっぽど近かった。30分待って受付をすませシャトルバスで港町埠頭へ。バスをおりたらまたまた長蛇の列。ホストシップの「あまぎり」はガラガラなのに。とにかく30分並んでようやく乗艦。逆光なので写真は失敗作が多々。巡視艇「あかしあ」がロシア艦と自衛艦の外側を移動警戒。もう少し沖には「びほろ」も停泊警戒中。
第十八戦隊戦時日誌から長白山丸、第十六長運丸、三峡丸の船歴追加。高栄丸のとき一度調べているが、この時は高栄丸分しかピックアップしていなかったらしい。長白山丸は昭和20年1月の行動が明らかになった。これもJ-Air Craftでの投稿に関連して急遽調べたもの。しかし、第22号海防艦が米潜水艦 Greenling(SS-213)に損傷を与えたというソースはいったい何なのか。まぁ、だいたい想像はつくけど。
今年の願いは関東三大不動をはじめ、屋島、瑜伽山などへの願掛けで少なくとも仕事関係では叶えられそうである。ただ、なれない単身赴任ゆえ、家事に結構時間をとられ、平日の更新作業がなかなか進まない。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年06月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第三鮮友丸、第三江口丸、榊丸)。
例の南海級の写真だが、J-Air Craftでは南海で決着したみたいだが、あの議論では根拠レスであろう。本サイトで紹介してあるオランダのサイトをみれば南進がスラバヤにいたことがわかるし、戦利船利用予定表でもチチャラップがわざわざ消線されてスラバヤと書き直されており、いつの時点かはともかくスラバヤに在泊していたのは明白である。従ってスラバヤにいない、すなわち南進でないというのは成り立たない。 JAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF THE WARをわざわざ引き合いに出しているにもかかわらず、砲や機銃の単装、連装に関して何も触れていない。じゃあ南進かというと筆者の結論も南海(^^;。戦利船利用予定表に南進が工程60%と記されており、この予定表が「3月1日調」となっていることによる。この予定表には昭和19年3月以降の記録があることから、昭和20年3月1日の記録と考えれば、昭和19年5月17日現在、南進が写真のような姿であることはあり得ない。こうなるとJAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF THE WARの兵装の記述が非常に怪しくなる。
函館港へ行って写真撮影。今回は掃海艇2隻(MSC678とびしま、MSC679ゆげしま)、巡視船3隻(PM03びほろ、PLH08えちご、PL118しもきた)の収穫。掃海艇を間近に見るのは初めて。意外と大きいのに驚く。
バタバタしてるので来週の更新ができるかどうかは微妙なところ。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年05月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第三鮮友丸)。
Windows 7、Office 2010は今のところ問題はない。しかし、もって行こうと思っていたEPSON GT-7700UはWindows 7で動かなかった。また、Back Up用のBuffaloの外付けHDがこれまたSecureLock Wareのせいで動かない。Buffaloは前のHDもVistaになったらIEEE1394接続できなくなったし、何のための外付けだか。。。本Data BaseはI-OのポータブルHDに構築してあるのでとりあえずは何とかなるが、さてBack Upはどうするか。。。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年04月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(榊丸)。
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年03月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、富士丸、早鞆丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第二高島丸、第三高島丸、榊丸、阿津丸)、第二号松榮丸、那智丸。
CRITICAL PASTというサイトでビデオやクリップを販売している。その中で初めて南海級の映像を見た。南海級はJAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF THE WARによると南海が12cm連装高角砲2門、25mm連装機銃4基、南進が8cm単装高角砲3門、25mm単装機銃4基である。映像をみる限り艦首の砲や艦橋上の機銃は明らかに単装である。従って、この映像は南進と思われる。撮影は昭和19年5月17日、場所はスラバヤである。昭和19年5月17日現在、南海はまだ竣工していない。竣工は6月7日。一方南進は昭和18年5月頃に曳航されてスラバヤ到着以来の消息は不明。結構工事は進んでいそうなものであるが、この映像のようにほぼ完成していたのだろうか?それともJAPANESE NAVAL VESSELS AT THE END OF THE WARの記述が誤りで、この映像は南海なのであろうか?関心のある方は以下のURLにて確認願います。
"http://www.criticalpast.com/cpdata2/65675055355/big/65675055355_002599_3.jpg"
"http://www.criticalpast.com/cpdata2/65675055355/big/65675055355_002622_3.jpg"
"http://www.criticalpast.com/cpdata2/65675055355/big/65675055355_002645_3.jpg"
単身赴任用にパソコンを買う。Windiows 7。OfficeはOpen Officeにしようかとも思ったが娘のパソコンで実験したところhtml化しているExcelが崩れることが判明。仕方なくOffice 2010を購入。ちゃんと動くだろうか?
紀伊防備隊戦時日誌組込み中。昭和17年10月まで。組込んだ船歴は第五日正丸、第八日東丸、第九日東丸、第五長勝丸、第三盛松丸、第五高尾丸、松生丸、第三正丸、第五福壽丸、第32掃海隊(第二鮮友丸、第参鮮友丸、第二高島丸、第三高島丸、第三江口丸、第十二良友丸、榊丸、阿津丸)、第二号松榮丸、霧島丸、朝日山丸、帝楓丸。
Wikiに「恩民」「済民」の終末に関する記述があるのを発見。さすがにWikiの記述をそのまま信用するわけにはいかないので参考文献とされている「秘史満州国軍」を購入。内容を確認した上で追記した。新造の「恩民」「済民」が10年たたずに除籍された理由が判明。
左遷されることになった。従って、荷づくり及びネット環境の問題で10月1日前後の更新はできない予定。
第十一航空艦隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は葛城丸、富士川丸、小牧丸、五洲丸、最上川丸、りおん丸、慶洋丸、加茂川丸、天城山丸、淀川丸、日春丸、第五日の丸、千山丸、新國丸、第十八眞盛丸、鳴門丸、名古屋丸、國川丸、興津丸、那岐山丸、夕張丸、洛東丸、浅間丸、天山丸、日立丸、神祥丸、第二播州丸、神風丸、總洋丸、第二號大井丸、北上丸、湊丸、第五播州丸、仙臺丸、第二菱丸、巴蘭丸。
J-Aircraftで「零戦落穂ひろい2」というブログが紹介され、日本海丸の珍しい写真がアップされているのを発見。
NHKが日本ニュースを公開しており妙見丸の動画がアップされているもののDLできない。ずっと公開し続けてくれるのなら問題ないのだが...
補助監視船のページ作成完了。
この関係で海軍一般徴傭船の構成も改めた
お父上が「第二漁勝丸」の機関長をしていたという方よりご連絡をいただいた。お父上のメモによると本船は石巻港内ではなく大原湾港で最後を遂げたそうである。
これから帰省するので来週の更新はお休み予定。
横須賀防備隊戦時日誌、戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は瑞光丸、利國丸、素水丸、瓊山丸、一新丸、卑南丸、金城丸、こうせい丸、第三利丸、文丸、第二關丸、第三關丸、羽衣丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)、新東北丸、東郷丸、第二拓南丸、第六拓南丸、第八昭南丸、大眞丸、日就丸、第二海運丸、第七琴平丸、第十一五十鈴丸、第二天幸丸、萬壽丸、第三魁丸、辨天丸、第一天幸丸、長功丸、第二福重丸、第一長周丸、第三明神丸、海神丸、第拾貮網島丸、第二號旭丸、新南丸、昭和丸、第三壽々丸、第三富正丸。
紀伊防備隊戦時日誌調査中。朝日山丸、第十二良友丸、第二鮮友丸の船歴更新。朝日山丸の17.05.22の被害はかなり大きかったらしい。「旧海軍恩給年加算調書」や「大東亜戦争徴傭船舶行動概見表」は実際の行動ではなく行動予定も含んでいるらしい。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和20年02月まで。組込んだ船歴は瑞光丸、利國丸、素水丸、瓊山丸、一新丸、員山丸、卑南丸、通海丸、金城丸、こうせい丸、第三利丸、第三關丸、羽衣丸、第七昭和丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)、新東北丸、東郷丸、大眞丸、日就丸、第二拓南丸、第六拓南丸、第十拓南丸、第八昭南丸、大眞丸、日就丸、白鳥丸、ふさ丸、岩手丸、武蔵丸、大東丸、海形丸、第七住吉丸、第二千勝丸、福田丸、第一日之出丸、第二長周丸、第五盛秋丸、安波丸。
第二長周丸は戦没が判明、安波丸の喪失日も訂正。
J-Aircraft でのMr. Lukeの指摘により「第二號海城丸」の喪失日を訂正。
今月の「世界の艦船」で「飛渡瀬」の珍しい写真が2枚も公開された。J-AircraftではRon Wolford氏が落札したての「文丸」の写真を惜しげもなく公開してくれている。彼には感謝である。まだまだいろんな写真が眠っているものである。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年12月まで。組込んだ船歴は瑞光丸、利國丸、素水丸、瓊山丸、一新丸、員山丸、卑南丸、通海丸、金城丸、こうせい丸、第七京丸、第三利丸、第三關丸、羽衣丸、第七昭和丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)、新東北丸、東郷丸、大眞丸、日就丸、第二拓南丸、第六拓南丸、第十拓南丸、第八昭南丸、大眞丸、日就丸。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年11月まで。組込んだ船歴はこうせい丸、新東北丸、東郷丸、瑞光丸、素水丸、利國丸、瓊山丸、一新丸、通海丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、大眞丸、日就丸、金城丸、第三利丸、第七京丸、第二拓南丸、第六拓南丸、第十拓南丸、第八昭南丸、第三關丸、第七昭和丸、羽衣丸、第二文丸、第五昭南丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)。
Rosebury Yard管理人の岩重様からの質問及びご見解に基づき、愛國丸の最終兵装に関する記述を削除。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年09月まで。組込んだ船歴はこうせい丸、興海丸、新東北丸、東郷丸、瑞光丸、素水丸、利國丸、瓊山丸、一新丸、員山丸、通海丸、卑南丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、大眞丸、日就丸、金城丸、第三利丸、第七京丸、第二拓南丸、第六拓南丸、第十拓南丸、第八昭南丸、第三關丸、第七昭和丸、羽衣丸、第二文丸、第五昭南丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)。
J-Air craftの関連で第一南遣艦隊の戦闘詳報を調べ熊野丸の船歴を更新。
第四根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第14掃海隊(玉丸、第二玉丸、羽衣丸、第二號能代丸)、第13掃海隊(鳥嶋丸、安宅丸、第三玉園丸、高砂丸)、第56驅潜隊(第五壽丸、第三利丸、第八玉丸)、第57驅潜隊(國光丸、第二拓南丸、第十五昭南丸)、第57驅潜隊(第六拓南丸、第五昭南丸)、第58驅潜隊(厚榮丸、第十拓南丸、第八昭南丸)、第41警備隊(王星丸、民星丸、金城丸、第七昭和丸、第八昭和丸、第二芙蓉丸、第一金寶丸、第一吉祥丸、幸生丸、壽滿丸、第五和丸、三號寳宰丸)、第42警備隊(白鴎丸、第二春日丸)、第43警備隊(第一元日丸、昭和丸、第三昭和丸、第五昭和丸、八紘丸、水天丸、第一龜寳丸、第二勢榮丸、茨城丸)、檜丸、海平丸、浮島丸、長運丸、甚生丸、長浦、第十一號紀美丸、美島丸、鳥取丸、第十五大日本丸、第五光進丸、オーストラリヤ丸、第一琴平丸、第二南進丸。さらに同時掲載されている第二海上護衛隊戦時日誌から船団と護衛艦艇の船歴を組込み。平安丸をはじめとしてかなりの数の船団名や行動を追記した。
「高榮丸」の行動がおかしいことをMr. Ruffatoから指摘され、確認したところ1ヶ月づつずれていることが判明。これは17年4月の第四根據地隊戦時日誌の最初に18年1月の記録が紛れていたことと、17年9月が欠落していることによる。そして第四根據地隊戦時日誌については完全に組み込んでいなかったことに気づく。とりあえず、高榮丸と特設砲艦の記録を修正。特設監視艇等の軍隊区分を記入。
今週は5泊6日の今治出張があったので、ほとんど更新はなし。収穫は、せとぎり(PC12)、りべら(SS41)、いまかぜ(CL115)、あきひかり(LS201)、しまぎり(PC83)。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年07月まで。組込んだ船歴はこうせい丸、興海丸、新東北丸、東郷丸、瑞光丸、素水丸、利國丸、瓊山丸、一新丸、員山丸、通海丸、卑南丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、大眞丸、日就丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年05月まで。組込んだ船歴はこうせい丸、大功丸、興海丸、新東北丸、東郷丸、瑞光丸、素水丸、利國丸、瓊山丸、一新丸、員山丸、通海丸、卑南丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、大眞丸、日就丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)。
4泊5日の小倉出張より戻る。収穫はなし。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年03月まで。組込んだ船歴はこうせい丸、大功丸、興海丸、新東北丸、東郷丸、瑞光丸、素水丸、利國丸、瓊山丸、一新丸、員山丸、通海丸、卑南丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、大眞丸、日就丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)。
公稱第692號曳船兼交通船(敷設艇型)の建造所を佐世保海軍工廠から鎮海要港部工作部へ訂正。建造命令が海軍工廠に出ていてもさらに下請けに出すのはザラで海軍工廠で建造されている方が実は少ないのかも?
頼まれ事で浦賀船渠60年史をスキャンしているときに第一扇海丸の記載がある頁が目に留まる。この陸軍強力曳船はフィリピン政庁の発注した砲艦であったが解約となって、陸軍省に引き取ってもらったというもの。同型船もある。フィリピンの地名が船名となっており、ボホールやロンブロンはすぐにわかるが、セビューってどこ?さんざん探した挙句、なんだセブかということがわかる。ではジョロはどこでしょう。正解は第一扇海丸の頁へ。
それが引き金となって明治38年の日本船名録を見て見るとあっさりと船舶番号が判明。第二浦賀丸も判明。そこでこの辺の記述を少し修正。船体寸法その他は大正14年に陸軍が作った要目表の数値とちょっと異なるようである。時期が違うこともあるし、これはもう少し調査してから変更することを検討。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和19年01月まで。組込んだ船歴はこうせい丸、大功丸、興海丸、新東北丸、東郷丸、瑞光丸、素水丸、利國丸、瓊山丸、一新丸、員山丸、通海丸、卑南丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)。
「鳳丸」写真追加。フィリピンで「照風丸」の調査をしているMr.Juliusから送られた「照風丸」の写真が米軍識別資料のものであったため、再度調べたところ「鳳丸」に限らず「白鳥丸」や「ふさ丸」なども載っていることが判明。
久々に「船舶史稿」の新刊があった。今回は乾汽船、玉井商船、広海汽船ということで購入しようかどうしようかと迷ったが、結局購入。弘玉丸の写真が掲載されていたこともあり「買い」で正解であった。
横須賀防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年11月まで。組込んだ船歴はこうせい丸、大功丸、瑞光丸、利國丸、素水丸、瓊山丸、員山丸、一新丸、通海丸、卑南丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、新東北丸、東郷丸、興海丸、まつ丸、たつ丸、高千穂丸、公稱第1314號曳船(敷設艇型)、公稱第1313號曳船(敷設艇型)、公稱第709號曳船兼交通船(敷設艇型)、公稱第690號曳船兼交通船(敷設艇型)。
曳船兼交通船(敷設艇型)のページを全面改正、特設艦船と同じ構成にし船歴の基礎頁全部作成。公稱第692號、公稱第742號、公稱第788號へのリンクも貼った。
厦門方面特別根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は嵐山丸。
これにて根據地隊、特別根據地隊はすべて組込み完了。
父島方面特別根據地隊戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は第十七掃海隊(第八利丸、第五利丸、慶南丸)、第三十一掃海隊(第八拓南丸、第六玉丸、第七玉丸)、文丸、第二關丸、興義丸、興海丸、感應丸、第八振興丸、第七豊丸、第八金毘羅丸、報國第十三號、第一笹山丸、百福丸、旅順丸、鶚丸、瑞鳳丸、白鷹丸、大功丸、金城丸、祥鳳丸、桂川丸、第三昭南丸、第十一昭南丸、第八昭和丸、第七昭和丸、第八拓南丸、第七京丸、第二號興亞丸。
金曜日(30日)久々に国立国会図書館に行く。J-aircraftで「新安丸」と思われる写真が出たので「新潟鉄工所七十年史」に写真がないかと確かめに行ったのだが全くの空振り。「新潟鉄工所八十年史」もあわせて見たがこっちはもっと空振り。
ネット検索で気になってた「日本外交文書」のコピーをとる。どうやら「尊條丸」の原名は「專條」が正しいらしい。
陸軍甲水船のうち調査未了であった2隻の船舶番号等追記。シンガポールに行く前に逓信省の告示がまとめられている資料を見たのだが、どういうものか忘れており、帰国後、図書館の人に聞いてみたが、自分の説明が下手で(図書館のお姉さんは一所懸命探してくれたが)結局分らなかった。これが「年間法令全書」であることが分ったので、今回は官報ではなくこちらで調査。大量の官報を席に運ぶ手間はなくなったが、索引であたりをつけず、全頁を繰ったので予想外に作業は進まず、昭和14年〜15年の調査がせいぜい。昭和15年では無線施設の名義変更告示によって裸傭船主?の異動を追ってみたが、9月途中で挫折。豊光丸、榛名丸など数隻のみの更新。
「帝海丸」の改名日は明確になったと思う。
「得撫丸」の出典と実際の写真が一致していなかったので差替え。
馬公方面特別根據地隊戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は若宮丸、蘭陽丸、揚梅丸、鹽水丸、第二十二日東丸、公称第1123号曳船(敷設艇型)。
千島方面特別根據地隊、根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第二十八掃海隊(第三京仁丸、第五京仁丸、藤丸、第七榮丸)、永隆丸、第五千代丸、萬榮丸、民星丸、第二號新興丸、快鳳丸、日帝丸、第二號天洋丸、長和丸、春島丸、
第一雲洋丸、盛勇丸、第二號桂丸、藤影丸、第八信洋丸、摩耶山丸、第八號正榮丸、第五福丸、日向丸、鶴丸、第三號八千代丸、第二號東洋丸、平和丸、第一黄海丸。
第二號天洋丸に関して「旧海軍恩給年加算調書」では19.02.25片岡湾着、03.02発、一方「戦時船舶史」では19.02.25大湊発、02.28武蔵着。どちらの記述が正しいかがわからず併記していた記録は、この千島方面根據地隊戦時日誌で解決。
第二號厦門丸についてMr. Alex Kirkwoodとの文通の過程でState Library of Victoriaの写真が更新されており?かなり鮮明な写真が入手できるようになっているのを発見。TIFFのHigh ResolutionはAMWの1枚AUD29.70するのと同じくらいの代物。これがタダとは・・・。興味のある方は是非ご覧ください。東京丸、山霜丸、伯耆丸、北比丸、高榮丸・・・。良いです。写真番号を更新。あ、ここで大阪丸と紹介されている写真は興新丸であることがHigh resolutionの写真で判明。
第十五根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は宮古丸、若竹丸、第一京丸、麗水丸、大朝丸、利水丸、永福丸、國津丸。
これで数字名の根據地隊、特別根據地隊はすべて組込み完了。
第十特別根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は長沙丸、第四十四掃海隊(利丸、第二利丸、第六長運丸、第七長運丸)、音羽丸、留萌丸、第一京丸、第三京丸、感應丸、大華丸、第一甚幸丸、大洋丸、第二北洋丸、第五開洋丸、第七朝洋丸、木曽川丸、新玉丸、辰和丸、巨港丸、衣笠丸、屏東丸、日輪丸、昌平丸、来島丸、朝嵐丸、氷川丸、第二氷川丸、龍興丸、長江丸、第七昭南丸、黄河丸。
長江丸が「戦後まで残存し引揚げ輸送に従事しております」と書いたのは誤り。戦後引揚輸送に従事したのは元中国船の長江丸であり、本船ではないことが判明。
「巨港丸」が「きょこうまる」ではなく「ぱれんばんまる」と読むのではないかという疑問はJACAR:C01000329600により「きょこうまる」で間違いないということで解決。
Mr. Cundallより「平安丸」の船歴についての誤りを指摘されたので修正。
第九根據地隊、第九特別根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は永興丸、相良丸、長沙丸、長江丸、加茂丸、喜久丸、鞍馬丸、第二號白山丸、第拾勇昌丸、第七昭南丸、第十二昭南丸、音羽丸、留萌丸、第六長運丸、第七長運丸、利丸、第二利丸、第一京丸、第七豊丸、感應丸、第八金毘羅丸、大洋丸、第五開洋丸、第七朝洋丸、第二北洋丸、大華丸、木曾川丸、広隆丸、野島丸、國津丸。
第十四根據地隊(まつ丸戦闘詳報)組込み。
第十一根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は永福丸、音羽丸、留萌丸、音羽丸、留萌丸、第一甚幸丸、祇園丸、大華丸、第五八千代丸、第五開洋丸、第七朝洋丸、第二北洋丸。
Mr.Gilbertからの情報によりフランス傭船のページを見直し。Kindia(帝欣丸)の写真追加。Mr.Lukeからの情報により「護国丸」の船歴を加筆。
第六根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第八砲艦隊(大同丸、長田丸、生田丸)、八海山丸、光島丸、豊津丸、香取丸、第十六掃海隊(第三玉丸、第五玉丸、第七昭和丸、第八昭和丸)、第六十二驅潜隊(桂丸、第六拓南丸、第七拓南丸)、第六十三驅潜隊(第三壽丸、第三昭南丸、第三文丸)、第六十四驅潜隊(鹿島丸、第十昭南丸、第十一昭南丸)、第六十五驅潜隊(宇治丸、第六京丸、第七京丸)、昭jロ、第五昭南丸、第六昭南丸、第一あまかす丸、大寶山丸、五隆丸、立山丸、安土丸、男鹿島丸、浮島丸、筥崎丸、第三寶松丸、豊濱丸、第六防備隊(海形丸、第一號太平丸、鷹壽丸、第三龍神丸、第二紀州丸、海運丸、明照丸、第五朝洋丸、金生丸、三輪崎丸、清勝丸、海幸丸、第三號寶宰丸、第一和丸、海昌丸、東日本丸、第五福吉丸、 第五愛鷹丸、第二稲荷丸、第三大洋丸、第一見寶丸、第五富久丸、第五明神丸)、~洲丸、第二古座丸、蘭丸、久榮丸、錦正丸、第二那智丸、竹浦丸、第一金比羅丸、い号日榮丸、第八住吉丸、 第二號榮福丸、第二和丸、第三和丸、第五和丸、ニウギニア丸、第三振興丸、第三大和丸、第五新開丸、第一幸盛丸、天~丸、山城丸、第二號愛國丸、第二號報國丸、パラオ丸、第一福神丸、第五三國丸、第三~光丸、第七~光丸、大盛丸、第五神光丸、第五虎丸、第六~光丸、事代丸、第七十九播州丸、第八十一播州丸。
第六根據地隊戦時日誌で新たに判明したのは、光島丸が巷で言われているのと違い米潜水艦Pollack(SS-180)による雷撃で沈没していなかったこと。現在でも船体が残っておりToreshima Maruと呼ばれている船、これこそが光島丸。
満州國海軍艦船データベースの方は更新というほどの更新ではないのだが、2010.1.13の中日新聞で報じられた「広寧」の写真を含む写真帳を実際に調べられた方から、この写真帳の撮影写真の提供を受けたことにより、写真資料の項目を小修正。この写真帳には「広順」の写真が含まれており、今は未公開であるが、将来公表されれば良いなと思います。
伊勢防備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は吉田丸、和美丸、地久丸、第二號日本丸、和風丸、慶祥丸、樫丸、高千穂丸、公称第1269号曳船(敷設艇型)、第二十五掃海隊(新東北丸、東郷丸、第二號金剛丸、第一鶚丸、鳴尾丸、第三鶚丸)、第二十六掃海隊(第一京仁丸、第二京仁丸、第十八播州丸、第十昭和丸)、大功丸、第十二興漁丸、筑前丸、有明丸、第二萬代丸、第六恵山丸。
伊勢防備隊戦時日誌で新たに判明したのは慶祥丸が沈没していなかったこと。いや、正確には確かに「太平洋戦争特設艦艇史」にあるように沈没しています。しかし、引揚げられて、再び就役していました。 昭和20年02月10日には大臣官房から機密第100152番電で除籍の連絡が入りますが、翌日伊勢湾部隊から機密第111004番電により03月10日修理完了予定が通知され、横須賀鎮守府は同日機密第111145番電により再び特設驅潜艇として伊勢防備隊附属とするよう要請しています。結局、どうなったかの記録はありませんが、内令が出されていないところをみると、02月10日付の除籍はなかったことにされたようです。
第一遣支艦隊の戦時日誌から小鷹の行動で判読不明だった地名が判明したので修正、早瀬の船歴も少しだけ追加。
外付けのポータブルHDを買った。今度は500G。延々とフォーマットをしている。いったい何時間かかるんだろう。フォーマットが終わり次第、データの引越しをせねば。
第七根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第十砲艦隊(まがね丸、吉田丸)、第十七掃海隊(慶南丸、第十一鶚丸、第五利丸、第八利丸)、第六十六驅潜隊(興義丸、文丸、第二関丸)、第七防備隊(第五福一丸、第二號太平丸、第五清壽丸、海龍丸、第三八千代丸、第二三徳丸、第一福久丸、榮吉丸、第三松盛丸、勝榮丸、鳥海丸、第五恵比壽丸、第二海鳳丸、海神丸、第一日東丸、第二日東丸、第二十三日東丸、第二十五日東丸、高貴丸、富士丸、第一澎生丸、第二澎生丸、第六海南丸、第七海南丸、第三日向丸、呂宋丸、楡林丸、有幸丸、第二號日出丸、第二旭丸、第二千代丸、第一大神丸、第一龍重丸、第三十三南進丸、第三十五南進丸、第三十八南進丸)、第一笹山丸、報國第十三號。
伊勢防備隊戦時日誌組込み中。
頼まれごとで「石川島重工業株式会社108年史」の船番リストをスキャンをしてると、以前調査して、なかったと思っていた「第三八千代丸」と「白鳥丸」の写真が掲載されているのを発見、サイトに追加。
第八根據地隊、第八、第五十一根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第五砲艦隊(日海丸、静海丸)、第十四掃海隊(玉丸、羽衣丸、能代丸)、第五十六驅潜隊(第五寿丸、第八玉丸、第三利丸)、君川丸、第三號朝日丸、備讃丸、第二南進丸、第十五大日本丸、第十一號紀美丸、美島丸、オーストラリヤ丸、鳥取丸、第五光進丸、吾妻山丸、五洋丸、長和丸、秋葉山丸、彰化丸、金龍丸、高瑞丸、黄海丸、第三関丸、第二文丸、長浦、義勇丸、第十七〜第二十日東丸。
伊勢防備隊戦時日誌組込み中。
第十三根據地隊、第二十一、第二十三、第二十五、第二十六特別根據地隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は辰宮丸、いくしま丸、千光丸、球磨川丸、萬洋丸、新興丸、長良丸、第一昭南丸、第二昭南丸、東石丸、研海丸、肥後丸、大鷹丸、鵲丸、旭櫻、鎭西丸、第125驅潜隊(檜丸、第十七日東丸、第十八日東丸)、第十七昭南丸、第五拓南丸、金鈴丸、海龍丸、京濱丸、第二號海王丸、第三號海王丸、島根丸、白山丸、立山丸、圖南丸、高津丸、第二高津丸、天城丸、第一〜三鈴谷丸、第一京丸、麗水丸、亞南丸、第五天海、南海、これらにリンクされる諸々。第二十五特別根據地隊は昭和18年11月頃より第二十六特別根據地隊の作戦指揮下にあり、この時期の戦時日誌は双方で齟齬がある場合がある。どちらを採用するかは航跡が継続するように筆者の独断で決めているのでご注意あれ。
舞鶴鎮守府戦時日誌組込み。組込んだ船歴は康福丸、第35掃海隊(第六博多丸、第五十一播州丸、第二濟洲丸、第一濟洲丸)、紀進丸、第五十三播州丸、第二昭和丸、鮎川丸、第2〜3號厦門丸、第八桐丸、太隆丸、富士丸、山鳥丸、三星丸、第七博鐡丸、第十五博鐡丸、第二號新興丸、由良川、第四十八日ノ丸、第三十二日ノ丸、第三十一日ノ丸、第二十四日ノ丸、第十四日ノ丸、第十三日ノ丸、その他諸々。
鎮守府の戦時日誌では訓令などもわかって興味深い。昭和18年までは戦時編制の改正の推移も少しだけわかる。以前、「昭和十八年度帝国海軍戦時編制」は「大海幕機密第五九二號」により定められていることを出沼さんから教わっていたが、これの改正は「大海幕機密第五九二號ノn」(nは自然数)の形でずらずらでているのも興味深い。日付がわかれば、おそらくnの推定ができるはず。
舞鶴防備隊戦時日誌組込み。一曳〜四曳なども本来作成しておくべきだが、公称番号の確認が得られないので後回し。
舞鶴鎮守府戦時日誌組込み中。「山東丸」の船歴に「山月丸」のガ島輸送が混入していたので削除。
特設運送船の戦時編制修正の過程で「朝嵐丸」の所管の誤りを発見、即刻訂正。「朝風丸」と混同していた模様。
補給部隊編制表による記述の統一完了。
佐伯防備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は公稱第一二一六號曳船(敷設艇型)、公稱第八七九號曳船兼交通船(驅潜艇型)、その他、以前組み込んだ船艇も全般的に加筆修正。
伯防所属船は予想に反して非常に数が多かったため約3ヶ月もかかってしまった。五曳、六曳、雷艇なども本来作成しておくべきだが、これらは後回し。
舞鶴防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は「第三號厦門丸」「第三京仁丸」「第五京仁丸」「藤丸」「紀進丸」「富士丸」「公稱第1448號」。「第一雲洋丸」の戦時編制の日付を訂正。
「紀進丸」戦時日誌組込み。これも舞鶴防備隊戦時日誌の中に埋もれていたもの。舞防の戦時日誌では艇長が森沢大尉になっているが紀進丸の戦時日誌では則末大尉のままである。しかも森沢大尉は翌月には第51播州丸の艇長になっている。従って実際には発令のみで乗艇していないのか?
舞鶴鎮守府戦時日誌組込み中。これは「康福丸」の修正が中心だが、その他もろもろ訓令や指令、戦時編制なども各艦船に追加。これを機会に特設運送船の戦時編制を修正中。補給部隊編制表に従い外戦部は「所属」、内地機関は「配属」という記述に統一するよう変更中。
佐伯防備隊戦時日誌昭和18年08月まで組込み、さらに継続組込み中。組込んだ船歴は大衆丸、麻豆丸、鯨洋丸、第五日之出丸、第十七明玄丸、第一大東丸、にぎつ丸、興津丸、興業丸、山陽丸。
"SHIPBUILDING ON THE RIVER TEES"よりSmith Dock関連で「鯨洋丸」「第五昭和丸」の船番、進水日、竣工日を追記。
"SALVESEN"より「鯨洋丸」の戦前の船歴を追記。
舞鶴防備戦隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は山東丸、第一雲洋丸、香取丸、第35掃海隊(第六博多丸、第五十一播州丸、第二濟洲丸、第一濟洲丸)、紀進丸、第五十三播州丸、第二昭和丸、鮎川丸、第1〜3號厦門丸。第一號厦門丸の船歴の頁を急遽作成。
「空母「飛鷹」海戦記」読了。先週「人間の記憶など所詮そんなもの。」と書いたが、あとがきを読んでちょっと訂正。本書はご本人が書かれたものではあるが直接出版社に持ち込んだものではなくご子息が「父が戦後、戦後昭和三十年代に記録したもので、...ペンの字は滲み、...完全に消滅している文章すら」あるものを「原稿の下書きを参考にしながら、...復元し、完成した」ものであることが判明。したがって、第二砲艦隊とか第五十二驅逐隊といった単純ミスは、「復元」の過程でのミスかもしれない。ま、いずれにせよ史料的に問題があることには変わりないですけど。
佐伯防備隊戦時日誌昭和17年12月まで組込み、さらに継続組込み中。組込んだ船歴は大K天丸、第十六明玄丸、第三號日之出丸、第二漁勝丸、第五笹山丸、海王丸、新洋丸、第五盛秋丸、第三福吉丸、日章丸、あきつ丸、西安丸、二神。
お正月休みだし、久々に文庫本を買った。一冊目は「空母「飛鷹」海戦記」。正規艦艇については、ほとんど調べてないし、しかし、一応「飛鷹」のページは作成してあるので、何かの足しになるかと思い購入した次第。裏にこそっと「ユニークな蘭印戦線転戦記も併せて収録」って書いてあるけど、内容の半分以上はこちらの蘭印戦線転戦記である。従って、「飛鷹」ものと思って購入すると、あれっと思われるかもしれません。もっとも、第24特別根拠地隊時代の方が特設艦船DATA BASE的にはかえって興味のあるところである。全般的には読みやすいし、良い本だと思うけど、史料的にはちょっと問題である。以下、おかしな点とか。P.79「第三砲艦隊(萬洋丸、億洋丸、愛国丸)」。愛国丸が特設巡洋艦であることはこのサイトを訪問されている方には常識以前の問題、特設砲艦隊に属するわけがない。本書ではずっと第三砲艦隊が24特根摩下にあったように記載されてあるが、第三砲艦隊(南浦丸、木曾丸、阿蘇丸)は31特根の摩下でフィリピン方面にあり、アンボン方面にはいない。正解は第二砲艦隊(億洋丸、萬洋丸、大興丸)である。P.96「第五十二驅逐隊」。第五十二驅潜隊(第十五榮丸、第十七昭南丸、第五拓南丸)の誤りである。P.98あたりからの記述にある空爆により損傷した特設砲艦は「大興丸」であり、救難に従事した特設驅潜艇は「第五拓南丸」である。これにより「第五拓南丸」の艇長が「神道寛治予備中尉」であったことがわかるが、DATA BASEに追記して良いものやら? P.109 「クーパンにきて三日目の四月二十九日の...、「西安丸」は午前八時に抜錨し、同島北岸の中央部にあるスペイン領デリーに向かった。」24特根の戦時日誌によると「西安丸」は4月29日はアンボンに在泊したままである。クーパンからデリーに向かったのは5月27日であり出港時刻は14:00。同じくP.109「損傷艦は「西安丸」に曳航させ、...、スラバヤに向かった」。「大興丸」は7月になって「千光丸」が曳航してシンガポールで修理を受けたのが正解。「千光丸」といえばP.64に指揮官の名前(山本雅一中佐)がでてくるがこれも追記して良いものやら? P.114「水上機母艦山霧丸」、P.118「輸送隊...、特設驅潜艇一隻、第一航空部隊...、山霧丸および搭載機(水上機)...」。山霧丸が特設運送船で水上機など搭載していないことは、本サイト訪問者であればすぐにお分りと思います。「山霧丸」ではなく「山陽丸」そして特設驅潜艇ではなく第五十二驅潜隊の特設捕獲網艇「第十五榮丸」が正解。第五十二驅潜隊は「第十五榮丸」しかT作戦には参加しておらず、他に第五十四驅潜隊から「第一昭南丸」が参加している。結局、当時の参謀長とはいえ、人間の記憶など所詮そんなもの。当時の日記でも参照しながら執筆していない限り、作戦の方針とか背景、当時の雰囲気は参考になっても細かい日付とかは全く参考にならない。そういうわけで急遽、第24特別根據地隊の戦時日誌(西安丸、第十五福榮丸、第五拓南丸、第十七昭南丸、第一昭南丸)を組込み。
「第拾参號金コ丸」について「日本船名録」を調査。結果、昭和33年版まで記載があることを確認(「戦時日本船名録」によると昭和33年6月13日登録抹消)。本船は戦没していないと確信。また「船舶被害状況調査」に記載があることを発見、これが元データと判明。そしておそらくこれが間違っているのではないかと推定。例えば水路部で使用されたことがあり昭和21年3月2日に登録抹消されている「第拾貮號金徳丸」とか。再び備考修正。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。今年こそはのんびりした良い年でありますように。
佐伯防備隊戦時日誌組込み中。組込んだ船歴は第拾参號金コ丸、第一號新平丸、公稱第一〇〇八號曳船(敷設艇型)。
大島防備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第二新東丸、第三號報国丸、曾文丸、龍井丸、竹東丸、第十三長運丸、第七博多丸、第十六昭南丸、大安丸、第五十一播州丸、第三拓南丸、姫島丸、第一號海洋丸、北洋丸、大斗丸、有幸丸、第八長運丸。