第二監視艇隊戦時日誌組込中。昭和18年03月まで。組込んだ船歴は安州丸、第二日の丸、興和丸、第五恵比壽丸、海龍丸、第三松盛丸、榮吉丸、第五清壽丸、高城丸、第一福久丸、呂宋丸、第三千代丸、第二海鳳丸、第二旭丸、海神丸、第二千代丸、第六海南丸、第七海南丸、第一龍重丸、第十八南進丸、第二十六南進丸、第三十三南進丸、第三十八南進丸、第二号天~丸、第十二号八龍丸、第三藥師丸、第二号金比羅丸、海リ丸、工進丸、第三大戎丸、第三五十鈴丸、盛勇丸、第三号八千代丸、第十一光榮丸、第二号kg丸、第八盛運丸、第拾光榮丸。
JACARの資料はDjVuでダウンロードしていたのだが変な所で分割されてるのでファイル数ばかり多くなって見づらいし、原資料自体に乱丁があっても修正がきかない。そこでちょっと前から資料のPDF化を図っている。これで結構作業時間がとられるのだが、あとで利用するときの便を考えれば致し方ない。DjVuなんていう超マイナーな形式ではいつ見れなくなるかもわからないし。資料が増えすぎてどこのフォルダにあるかわからなくなってきたので、ついでにファイルも防研の分類にあわせて整理中。
今年最後の更新です。歳とると1年が早いです。皆さま良いお年を。
横須賀防備戦隊戦時日誌組込み中。昭和18年01月まで。組込んだ船歴は初島、笠置丸、京津丸、第二号日吉丸、でりい丸、興海丸、まつ丸、たつ丸、こうせい丸、東郷丸、新東北丸、第二号金剛丸、鳴尾丸、第一鶚丸、第三鶚丸、員山丸、瑞光丸、利國丸、素水丸、鷺州丸、通海丸、瓊山丸、卑南丸、一新丸、第八利丸、第一京仁丸、第二京仁丸、第十八播州丸、第十昭和丸、第1〜4曳船、博丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、鎌倉丸、龍田丸、淺間丸、諏訪丸、山西丸、河北丸、盤谷丸、會幸丸、第二圖南丸、吉田丸、第101号敷設艇、第52号驅潜特務艇、第53号驅潜特務艇、第7号掃海特務艇、第9号掃海特務艇、第10号掃海特務艇。
第十九号掃海特務艇戦時日誌組込み。関連して第十八日之出丸、陸前丸も更新。
哨戒特務艇の艇歴を更新すべく第3〜第6監視艇隊の戦時日誌を再調査。第174号哨戒特務艇爆沈の記録を発見。本船は従来終戦時敦賀に所在と伝えられていたもの。
一般徴傭船(雑用船)は数が多いので、噸数によって6分割しようと思っていたが1,000t以上は200隻程度であることが判明したのでこれらはひとまとめにする予定。
今度の長崎出張も収穫なし。残業・出張・忘年会で作業も進まない。
本サイトでは公開していないが航海速力とか載貨重量などの基礎資料を整理。日本汽船名簿については昭和18年版しか調査していなかったのだが昭和16年版には其の3という100t以下の部があることに初めて気付いた。これにより新たに建造所、進水日が判明した船がある。特に特設掃海艇についてはすべての建造所が判明した。また船名の読みについても王田丸(おうたまる→おうでんまる)、第二号日出丸(ひのでまる→ひでまる)、曽文丸(そぶんまる→そうぶんまる)、地久丸(ちくまる→ちきゅうまる)、楡林丸(ゆうりんまる→ゆりんまる)、大眞丸(だいしんまる→たいしんまる)、昭代丸(しょうだいまる→しょうたいまる)、第一、第二澎生丸(ほうせいまる→ぼうせいまる)等と訂正。
海軍配當船が終わったので、次は海軍一般徴傭船(雑用船)1000t以上の基礎データを収集中。
海軍配當船8頁目を整備。船舶運營會のメモにある海軍配當船の船歴も追加。他の海軍配當船も随時更新。一応これにて海軍配當船完了。
早いものでもう師走。この季節、残業続きで遅々として作業が進まない。
海軍配當船7頁目を整備。他の海軍配當船も随時更新。
第二監視艇隊戦時日誌組込中。昭和17年12月まで。組込んだ船歴は安州丸、第二日の丸、興和丸、第五恵比壽丸、海龍丸、第三松盛丸、榮吉丸、第五清壽丸、高城丸、第一福久丸、呂宋丸、第三千代丸、第二海鳳丸、第二旭丸、海神丸、第二千代丸、第六海南丸、第七海南丸、第一龍重丸、第十八南進丸、第二十六南進丸、第三十三南進丸、第三十八南進丸、第二号天~丸、第十二号八龍丸、第三藥師丸、第二号金比羅丸、海リ丸、工進丸、第三大戎丸、第三五十鈴丸、盛勇丸、第三号八千代丸、第十一光榮丸、第二号kg丸、第八盛運丸、赤城丸、粟田丸、~津丸。
海軍配當船6頁目を整備。
第二監視艇隊戦時日誌組込中。昭和17年8月まで。組込んだ船歴は安州丸、第二日の丸、興和丸、第五恵比壽丸、海龍丸、第三松盛丸、榮吉丸、第五清壽丸、高城丸、第一福久丸、呂宋丸、第三千代丸、第二海鳳丸、第二旭丸、海神丸、第二千代丸、第六海南丸、第七海南丸、第一龍重丸、第十八南進丸、第二十六南進丸、第三十三南進丸、第三十八南進丸、第二号天~丸、第十二号八龍丸、第三藥師丸、第二号金比羅丸、海リ丸、工進丸、第三大戎丸、第三五十鈴丸、盛勇丸、第三号八千代丸、第十一光榮丸、第二号kg丸、第八盛運丸、第一号東洋丸、山城丸、第二大寳丸、第二号報國丸、第二号海洋丸、錦正丸、第二和丸、第五和丸、第五開進丸、第三南進丸、パラオ丸、第二号八幡丸、第一澎生丸、第二十三日東丸、第二十一南進丸、長久丸、赤城丸、粟田丸、淺香丸、第二号東光丸、明石山丸、日産丸、君川丸、神津丸、第一雲洋丸、第十福榮丸、快鳳丸。
この戦時日誌は昨年7月、第三監視艇隊のあとすぐにとりかかったのだが一旦挫折したもの。なんで挫折したかというと母艦以外の個々の監視艇の発着日がよくわからないから。仕方ないので信頼性は乏しいが「旧海軍恩給年加算調書」で補足しながら作成中。
海軍配當船4〜5頁目を整備。
輸送艦、加徳の引揚輸送の航跡を追加。
海軍配當船2〜3頁目を整備。球磨丸の正体は結局よくわからないので不明とする。1頁目の各船も適宜更新。
特設監視艇の長の職名を修正完了。
放置してあったその他海軍船の部、海軍配當船のうち1頁目を整備。残業続きでなかなか作業が進まない。
とりあえず、あれ以来問題なくパソコンは動いている。やはりグラボがいかれていたのだろう。
横須賀防備戦隊戦時日誌組込み中。昭和17年11月まで。この戦時日誌の調査は遅々として進まない。2ヶ月かかってやっと2ヶ月分。なんか手間がかかりすぎて飽きるのです。組込んだ船歴は初島、笠置丸、京津丸、第二号日吉丸、でりい丸、興海丸、まつ丸、たつ丸、東郷丸、新東北丸、第二号金剛丸、鳴尾丸、第一鶚丸、第三鶚丸、員山丸、瑞光丸、利國丸、素水丸、鷺州丸、通海丸、瓊山丸、卑南丸、一新丸、第1曳船、盤谷丸、第二海運丸。
10月05日に「驅潜艇長と掃海艇長以外は特務艇長と呼ぶのが正式だと思うが、このへんも良く分からない。」と書いたが桜と錨さまより氏のブログで特設艦船の職名については「艦船令」をそのまま見るのではなく 「特設艦船部隊定員令」 を見るべき旨をご教示いただいた。そこで 「特設艦船部隊定員令」を見ると当初は特務艇長と定められていたものの時代を経て昭和10年までにはすべて捕獲網艇長、防潜網艇長。。。などと職名が変わっており、大東亞戦争中、特設特務艇に特務艇長という職はないことが確認できた。これで辞令公報と矛盾が生じない。あとは檜丸だけがスッキリしない。昭和17年12月29日に第125驅潜隊に所属し昭和19年9月15日に第25特別根據地隊に所属が替わるまで3人の長がいずれも驅潜艇長と辞令公報に掲載され一切訂正されていない。単純なミスが続いただけなのか、もう少し調べてから判断を下すこととしたい。特設捕獲網艇、特設防潜網艇、特設敷設艇、特設驅潜艇、特設掃海艇については職名を正しく修正。特設監視艇も徐々に修正中。それにしても浅学のまま作るからこういう大量修正をするはめになる。org 折角一覧表を作ったので、基礎資料の部に「艦船・特設艦船の長の職名」を追加。
艦艇の部、輸送艦(一等)の頁作成。
その他海軍船の部、一般徴傭船(気象観測船/測量船)の頁作成。
「海洋調査要報」より戦前の漁業調査船の動静を追加。圖南丸、紀洋丸、高知丸、肥後丸、白鴻丸、俊鷹丸、得撫丸、祥鳳丸、瑞鳳丸、高雄丸、日向丸、白鳥丸、武蔵丸、大東丸、ふさ丸、茨城丸、宮城丸、岩手丸、鶴丸、もがみ丸、神威丸、相模丸。
海軍辞令公報乙から船長人事追加。
大型発動艇と小輸送艇を新規公開資料に基づき更新。
海軍辞令公報甲から艦長人事追加。昭和20年01月〜昭和20年11月。
第二復員省辞令公報甲から艦長人事追加。昭和20年12月〜昭和22年02月。
復員庁第二復員局辞令公報甲から艦長人事追加。昭和21年07月〜昭和22年03月まで。
復員庁第二復員局辞令公報から艦長人事追加。昭和22年04月〜昭和23年02月まで。
今回は市販本を参考に記載していた艦長人事を確認し誤りを訂正するのが主眼だったので、ざっと調査したため見落としがあるかもしれない。また、補職されたあと昇任している場合も多々あるが一部を除いてこれについては省略している。予備士官制度の廃止に伴う階級の変更、復員官から復員事務官ヘの変更など、辞令がでないものについても不完全である。これらについては一度データを整理した上で再度見直す予定。特設軍艦、特設特務艦、監督官(指揮官)の乗船する特設特務船については一応人事は網羅できていると思う。よくわからないのは特設特務艇。特設驅潜隊や特設掃海隊に属するものは辞令がでるが、防備隊等に所属がかわると驅潜艇長や掃海艇長は防備隊附となってしまい、その間の艇長が不明となってしまう。捕獲網艇は捕獲網艇長なのか驅潜艇長なのかもよくわからない。驅潜艇長を捕獲網艇長に訂正しているかと思えば、檜丸のように驅潜艇長のままのものもある。驅潜艇長と掃海艇長以外は特務艇長と呼ぶのが正式だと思うが、このへんも良く分からない。
辞令公報を見ていて04月19日の記述を少し訂正しなくてはならないことに気付いた。宮大佐であるが昭和20年05月10日附で第三特攻戦隊司令部附から第五特攻戦隊司令部附に異動となっている。従って宮大佐に限れば第五特攻戦隊で問題ない。羽仁氏の該当部分をよく読むと「この宮大佐は第五特攻戦隊司令となって当隊の魚雷艇全部と震洋艇六〇隻を指揮し、天草の牛深に前線基地を設置することになった。」とある。従って羽仁氏の記述は正しい。羽仁氏は「当隊」すなわち第三特攻戦隊川棚突撃隊としているのに、「宮大佐が第五特攻戦隊司令部附」だから「第五特攻戦隊の魚雷艇」というK氏のいつもの早とちりである。もっとも私自身「当隊」と書いてあるのに気付かず羽仁氏批判のような文章を書いてしまって人のことは言えないが。。。
パソコンが壊れた。正確にはグラフィックカードが壊れたらしい。グラフィックカードをはずしてアナログ接続した。とりあえずこれでしばらく様子をみることにする。それでもやっぱり突然画面が真っ暗になったらマザーボード自体がいかれたことになるので買い替えか?Windows 8はいやだし、かといってWindows 7でも手持ちのスキャナが使えなくなるので、なんとかこのまま収まれば良いのだが。。。アナログ接続するとちょっと文字が滲んで変な感じ。TVチューナーも使えなくなったし。。。
「昭和六〜八年度南方漁業調査報告書」より白鷹丸、榛名丸の戦前の船歴を追加。
海軍辞令公報から艦長人事追加。昭和18年09月〜昭和19年06月まで。
海軍辞令公報甲から艦長人事追加中。昭和19年06月〜昭和19年12月まで。
海軍辞令公報乙から艦長人事追加中。昭和19年06月。
北海道新聞社に頼んでいた写真が届く。若竹丸の写真は本サイトで紹介してあるものと同じだが鮮明で良い。石狩丸はお尻が切れているのが残念。赤城丸、白鷹丸もまぁまぁか。ぶえのすあいれす丸は船名らしき文字が3つなのは何故?大きい版にすれば読めるのかもしれないが、一番小さいサイズでも1,050円もするので断念。各写真掲載頁へのリンクを追記したので関心ある方はご購入を。
海軍辞令公報から艦長人事追加中。昭和16年12月〜昭和18年08月まで。
その他海軍船の部、一般徴傭船(救難船)の頁作成。
海軍辞令公報から艦長人事追加中。昭和14年01月〜昭和16年11月まで。
その他海軍船の部、一般徴傭船(給糧船)の頁作成。~光丸、千勝丸、北見丸、第二十二播州丸、(い号)高砂丸、第二十一明石丸、相洋丸、第八十五播州丸、第八十六播州丸、光照丸、第八一王丸の頁を追加。
海軍辞令公報から艦長人事追加中。昭和12年01月〜昭和13年12月まで。
その他海軍船の部、一般徴傭船(給糧船)の頁作成中。海コ丸、姫~丸、 第十七播州丸、(い号)海光丸、苅藻丸、滿光丸、エボン丸、大洋丸、拓榮丸、第三十一播州丸の頁を作成。海コ丸、 第十七播州丸の船歴調査のついでに野埼も更新。
横須賀防備戦隊戦時日誌組込み中。昭和17年08月まで。組込んだ船歴は初島、笠置丸、京津丸、第二号日吉丸、でりい丸、吉田丸、高千穂丸、興海丸、まつ丸、樫丸、たつ丸、東郷丸、新東北丸、第二号金剛丸、鳴尾丸、第一鶚丸、第三鶚丸、和美丸、地久丸、第二号日本丸、和風丸、大功丸、こうせい丸、員山丸、瑞光丸、利國丸、素水丸、鷺州丸、通海丸、瓊山丸、卑南丸、一新丸、吉野丸、慶祥丸、第一京仁丸、第二京仁丸、第十八播州丸、第十昭和丸、第1曳船〜第4曳船、第1号〜第2号掃海特務艇、第1号敷設艇、第2号魚雷艇、能代丸、まがね丸、富士川丸、鳴戸丸。
松山丸の写真が別船だったので削除。m(__)m
JACARで内令提要や辞令関係が公開される。甲標的が兵器採用されていることを確認。
第十二特別根據地隊戦時日誌に出てくる「特設監視艇一〇一号(隼)」について、山猫男爵さま(http://yamanekobunko.blog52.fc2.com/)より情報をいただいた。以下抜粋。
「12特根の「特設監視艇一〇一号(隼)」ですが、小澤一彦「インド洋孤島戦記」(光人社NF文庫、2008年)という回想に、「第一〇一号哨戒艇(隼)」という船が言及されており、同一船のことかと思います。
同書145-148頁によると、白鳥のように美しい小型高速艇で、英国からの拿捕ヨットをシンガポールで改装したと。
航空機用ガソリンエンジン2基で、巡航18ノット、戦闘時は25ノット以上。
武装は前甲板に陸軍の37mm速射砲1、後部甲板に13mm機銃1、ブリッジ上に7.7mm機銃1、後甲板両舷に爆雷6個装備となっています。」
乗員25名。回想を読むとソナーも装備していた模様。
1945年2月13日に、B-24と交戦して沈没とあります(190-197頁)。
山猫男爵さまありがとうございました。
お盆休みにこの「インド洋孤島戦記」を読破。「利水丸」「第一号敷設艇」の船歴追加。
他に「第七驅逐隊海戦記」も読破。この本の著者は第七驅逐隊付の掌通信士として驅逐艦「潮」に乗艦していたが、オランダの病院船を臨検した下りがある。当然にこの病院船は"Op ten Noort"のことと思われるが「潮」が臨検したとは初耳である。そこで"Op ten Noort"抑留の経緯についてあらためて調べてみた。前に調べた時はまだ戦時日誌も公開されていない頃であったので主な情報源は
「海軍病院船はなぜ沈められたか」三神國隆
「帝国海軍の最後」原為一(図書館で該当部分を読んだだけで今となっては記憶にない)
"Koninklijke Paketvaart-Maatschappij" A.J.J. Mulder
"Ozne Mooiste Koopvaardijschepen Deel 6" Arne Zuidhoek
の4つ。特に「海軍病院船はなぜ沈められたか」はかなり詳しい内容だったのでこれを鵜呑みにしていた。三神氏は原氏の記述を正として"Op ten Noort"の臨検を2月26日朝とし、いろいろ謎だ何だと書いているのであるが、2月26日朝というのがそもそもの誤りである。第二水雷戦隊戦時日誌と第四水雷戦隊戦時日誌を見ると、最初に"Op ten Noort"を臨検したのは第四水雷戦隊第二驅逐隊の「村雨」で2月28日16:35。このあと17:50第四水雷戦隊の依頼で第二水雷戦隊から「天津風」が派遣され再臨検を行い20:30に現場を離れている。このとき「天津風」は"Op ten Noort"に対し3月1日12:00迄バウエアン島北方海面に抑留碇泊を命じている(特令なければそれ以後の行動の自由を許可)。"Koninklijke Paketvaart-Maatschappij"によれば"Op ten Noort"はスラバヤ沖海戦の遭難者救助のために2月28日にスラバヤを出港したのであって海戦前の2月26日朝に抑留されるはずがない。"28/2-1942 uitgevaren uit Soerabaja om geredde overlevenden van Hr. Ms. DE RUYTER, JAVA en KORTENAER over te nemen (als hospitaalschip!) door de Japanese torpedobootjager AMATSUKAZE in de Java Zee, 40 mijl ten zuidwesten van Bawean, aangehouden en gedwongen te ankeren ten noorden van Bawean."三神氏は第二水雷戦隊と第四水雷戦隊の戦時日誌を参考文献にあげているにもかかわらず、これらを信用することなく、あまりに見事な原氏の作品に騙されてしまったのだろう。昔の話である。おそらく原氏は3月2日朝の記憶と2月28日夜の記憶がごっちゃになっていたのであろう。というわけで本サイトの船歴も修正。さて発端となった「潮」の臨検だが、本当にあった話なら3月1日深夜に停船命令を出して翌日07:00に臨検したことになる。3月1日22:25に「天津風」に護送命令が出されたあと、3月2日16:50にバンジャルマシンに到着し「蒼鷹」に引渡しを完了するまでの「天津風」の行動は戦時日誌からは不明である。この間に「潮」の臨検、確保があった可能性は否定できない。しかし「貴臨検隊は、その船をバリックパパン基地に回航すべし。」というあたりに疑問符がつく。あえて推理するなら、「潮」は3月2日の朝には"Op ten Noort"を「天津風」に引き渡し、バリックパパンに直行したと考えると辻褄があう。しかしそんなことは何も書いてない。ネットで検索すると他にもいろいろな作品があるのが分かるが、これらとの整合性をみる場合、現地時間と日本時間の差も考慮する必要があるだろう。
帰省の収穫はせとかぜ(CL-30)、ありおす(SS-43)、たまなみ(PC-81)。
第十五特別根據地隊戦時日誌より荒埼、第2号驅潜特務艇、第8号驅潜特務艇、第41号驅潜特務艇、第45号驅潜特務艇、第50号驅潜特務艇、第55号驅潜特務艇、第59号驅潜特務艇、第105号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇、第114号驅潜特務艇、第401号魚雷艇、第403号魚雷艇、第405号魚雷艇、第406号魚雷艇、第408号魚雷艇、第410号魚雷艇、第451号魚雷艇、第9号掃海特務艇、利丸、第二利丸、北上丸の艦歴組込み。これにて根據地隊終了。
来週は帰省するので更新はお休み。再来週もどうだか。
第十二特別根據地隊戦時日誌より第一号敷設艇、第四号敷設艇、第438号魚雷艇、第439号魚雷艇、第445号魚雷艇の艦歴組込み。この戦時日誌には「特設監視艇一〇一号(隼)」なる船の行動が載っているのだが第101号隼艇ではなく、もちろん特設監視艇にもそのものずばりの船はない。いったい正体は何であろうか?
第十三根據地隊戦時日誌、第十四根據地隊戦時日誌からは組込み事項なし。
一般徴傭船(給油船)のうち、残りの日新丸、第二天~丸、第五彌生丸、第三駿遠丸、第七二美喜丸の頁を作成。一般徴傭船(雑用船)10,000総噸以上の頁を整備。第二日新丸、箱根丸の船歴を追加。
初島の艦歴調査の為の横須賀鎮守府戦時日誌査閲終了。初島の艦歴に組込み。他に組み込んだのは大鷹、雲鷹、冲鷹、朝日、矢風、知床、能登呂、尻矢、石廊、佐多、隠戸、鳴戸、室戸、杵埼、早埼、宗谷、大泊、春日、第1号〜第2号敷設艇、第4号敷設艇、第101号敷設艇、第1号〜第2号掃海特務艇、第1号〜第6号魚雷艇、報国第13号、第三天海、第一〜第四海洋、長浦、海英丸、栗橋、公称第1314号曳船(敷設艇型)、公称第1313号曳船(敷設艇型)、公称第709号曳船兼交通船(敷設艇型)、公称第690号曳船兼交通船(敷設艇型)、能代丸、淺香丸、粟田丸、盤谷丸、清澄丸、赤城丸、神川丸、君川丸、國川丸、聖川丸、葛城丸、五州丸、富士川丸、りおん丸、慶洋丸、最上川丸、名古屋丸、関東丸、神祥丸、平安丸、日枝丸、長田丸、勝泳丸、昌榮丸、日海丸、江戸丸、弘玉丸、金剛山丸、吉田丸、興和丸、まがね丸、昭コ丸、光島丸、河北丸、長寿山丸、昭興丸、平壌丸、羅門丸、快鳳丸、でりい丸、第一号明治丸、長運丸、笠置丸、京津丸、第二号日吉丸、興義丸、興海丸、たつ丸、まつ丸、樫丸、高千穂丸、こうせい丸、員山丸、一新丸、瑞光丸、鷺州丸、瓊山丸、卑南丸、和美丸、素水丸、通海丸、文丸、第二關丸、利國丸、第二号日本丸、地久丸、大功丸、第十一昭南丸、高雄丸、第六済州丸、第七済州丸、第一京仁丸、第二京仁丸、第十八播州丸、第十昭和丸、鳴尾丸、第二号金剛丸、新東北丸、東郷丸、第一鶚丸 、第三鶚丸、安宅丸、鳥嶋丸、朝洋丸、第二朝洋丸、慶南丸、第十一鶚丸、第五利丸、第八利丸、第三魁丸、第二海運丸、第八事代丸、第拾振興丸、福長丸、第二号桐丸、第七琴平丸、第一振興丸、第貮月浦丸、慶祥丸、萬壽丸、和風丸、弁天丸、第十一五十鈴丸、安波丸、第二号天神丸、第十二号八龍丸、長功丸、第二十七長榮丸、第五日吉丸、第二須山丸、第一須山丸、第一天幸丸、第二天幸丸、第一長周丸、第二長周丸、第二福重丸、第一白髭丸、第五朝洋丸、第八振興丸、第七豊丸、第八金毘羅丸、感應丸、第一日東丸、第一澎生丸、第五惠比壽丸、月浦丸、第二号金比羅丸、第拾貮網島丸、第三五十鈴丸、第一日進丸、第三明~丸、第十二明~丸、第三萬龜丸、第三愛宕丸、第二号稻荷丸、第十一光榮丸、第七号正榮丸、第三号八千代丸、第三藥師丸、第二号kg丸、工進丸、海リ丸、三重丸、第五虎丸、第五神光丸、事代丸、第六神光丸、成田丸、紀洋丸、第二大寶丸、第一福神丸、第五三國丸、第五神光丸、第三神光丸、第五明~丸、第七神光丸、第二号八幡丸、第十あらふら丸、第二天神丸、紀洋丸、豊浜丸、長榮丸、旭東丸、日出丸、新玉丸、日春丸、辰武丸、日立丸、鳴門丸、立山丸、朝山丸、和洋丸、新夕張丸、石狩丸、三星丸、日帝丸、長光丸、第二号天洋丸、興亞丸、第三播州丸、豊光丸、秩父丸、榛名丸、北開丸、地洋丸、拓南丸、湊丸、鮮海丸、第三雲海丸、日向丸、第三共榮丸、健洋丸、神国丸、東邦丸、東亞丸、海城丸、第二号海城丸、日本丸、寶洋丸、東榮丸、共榮丸、満珠丸、あけぼの丸、帝洋丸、富士山丸、日章丸、第三小倉丸、吾妻丸、霧島丸、さんぢゑご丸、極洋丸、第二小倉丸、紀洋丸、第三圖南丸、第二圖南丸、第六眞盛丸、三江丸、日産丸、淀川丸、田子ノ浦丸、岩代丸、第十八御影丸、
海平丸、武庫丸、明天丸、乾隆丸、辰鳳丸、會昌丸、野島丸、長興丸、北陸丸、彰化丸、御嶽山丸、屏東丸、玖馬丸、興津丸、山霧丸、明石山丸、會幸丸、玉島丸、箱根山丸、東洋丸、國島丸、しろがね丸、金峰山丸、乾祥丸、太隆丸、桐川丸、北昭丸、浪速丸、第二東洋丸、山西丸、第三日ノ丸、日吉丸、山福丸、藤影丸、那須山丸、春天丸、神龍丸、第二号永興丸、松運丸、天龍丸、吾妻山丸、五洋丸、興新丸、秋葉山丸、関東丸、男鹿島丸、大順丸、第二南海丸、朝日山丸、東京丸、もんてびでお丸、恵昭丸、東海丸、第二号東亞丸、新國丸、吉野川丸、ぶらじる丸、あるぜんちな丸、龍田川丸、第八信洋丸、第二青山丸、千早丸、陽光丸、伯耆丸、第八桐丸、木津川丸、松江丸、
松榮丸、八海丸、山彦丸、浦上丸、氷川丸、白山丸、箱根丸、鎌倉丸、淺間丸、龍田丸、あかつき丸、日新丸、第二日新丸、海形丸、宮城丸、第一大勝丸、第一親船丸、ふさ丸、相模丸、武蔵丸、第一日之出丸、神威丸、岩手丸、大東丸、福田丸、第二笹ノ丸、第二千勝丸、第七住吉丸、福積丸、白鳥丸、第五大盛丸、第一新屋丸、第五振興丸、帝楓丸、帝香丸、帝村丸、コンテベルデ、有馬山丸。
第十一特別根據地隊戦時日誌より江之島、第2号驅潜特務艇、第8号驅潜特務艇、第61号驅潜特務艇、第7号掃海特務艇の艦歴組込み。
第二遣支艦隊戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は野島、室戸、第101号敷設艇、第74号〜第75号驅潜特務艇、第176号〜第177号驅潜特務艇、笠島、飛渡瀬、南陽、江祥丸、東照丸、正生丸、千洋丸、北京丸、岩戸丸、草山丸、開南丸、嵐山丸、筑紫丸、原地丸、やちよ丸、第十三南進丸、第十五南進丸、第三十六南進丸、第三十七南進丸、第十七長運丸、新勢丸、第一コ丸、安土丸、東園丸、もじ丸、江ノ島丸、さんるいす丸、牟婁丸、昭慶丸、笠置山丸、寳辰丸、尊条丸、香椎丸。特設掃海艇筑紫丸の最終喪失は19.08.23米潜水艦Tang(SS-306)の雷撃によるものとしていたが、これは船舶番号31186の別船であることが判明したので訂正。
その他海軍船の部、一般徴傭船(給油船)の頁を修正、諸元を追加。第二松丸、第三鷹取丸、金山丸、第三東勢丸、第十二喜久丸、運油丸、第十八日寶丸、葵丸、あかつき丸、弘コ丸、鳳城丸、第八C隆丸
、第五清隆丸の頁を作成。
日帰りだったので長崎の成果はなし。
第十特別根據地隊戦時日誌より能登呂、知床、江之島、第4号敷設艇、第2号驅潜特務艇、第8号驅潜特務艇、第41号驅潜特務艇、第45号驅潜特務艇、第50号驅潜特務艇、第55号驅潜特務艇、第59号驅潜特務艇、第70号驅潜特務艇、第105号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇、第7号掃海特務艇、第9号掃海特務艇、大立の艦歴組込み。第22魚雷艇隊関連(第401号〜第410号魚雷艇、第451号〜第454号魚雷艇)の18年11月の行動訂正。
第九根據地隊戦時日誌より第1号敷設艇、第4号敷設艇、第413号魚雷艇、第432号魚雷艇、第436号魚雷艇、第41号驅潜特務艇、大朝丸の艦歴組込み。この戦時日誌には第111号魚雷艇の記述もあるのだが組込みはペンディング。ラバウルの艇が何故第九根據地隊の戦時日誌に現れるか良くわからないため。
「行動不能艦艇所在並に各地方復員局保管分担表」から魚雷艇の終末状況を追記しようとしたが横須賀地方復員局を終えて挫折。艇名に雷艇が含まれている(と思われる)し艇種もかなり出鱈目。呉地方復員局の最初に出てくる「隼型四一」とは何であろうか。第41号隼艇は建造されていないし、第41号雷艇は隼型でない。「隼五七」について言えば第57号隼艇はフィリピンで戦没、第57号雷艇も隼型でない。たぶん両方とも雷艇のことだと思うが信頼性に欠けるのでペンディング。こうなると第49号驅潜特務艇の件もますます信憑性が低い。貴重な情報には違いないが使いこなすにはかなり勉強が必要。
江ノ島丸、朝嵐丸、鳳南丸などの元RFA船のサイトの情報をそれぞれの頁に追記。City of Vancouver Archivesをリンクに追記し各船の頁にも情報を追記。
第一根據地隊関連の戦時日誌より第111号〜第113号魚雷艇、第115号〜第117号魚雷艇、第5号〜第6号驅潜特務艇、第12号〜第13号驅潜特務艇、第23号驅潜特務艇、初島、立石、筑紫、早鞆、第十八眞盛丸の艦歴組込み。JACAR:C08030246200 P.27は「17年7月」のように読めるが18年8月分。魚雷艇は20mm機銃の架台取付けの記録はあるが機銃本体が取り付けられたかどうかは不明。修理修理で13mm機銃も外されていたことが多いようである。
第二特別根據地隊関連の戦時日誌より第3号驅潜特務艇、第10号驅潜特務艇、第47号驅潜特務艇、第49号驅潜特務艇、第60号〜第61号驅潜特務艇、第64号驅潜特務艇の艦歴組込み。ウエワク輸送の部分がメインなので駒宮氏の著作で補足。第47号驅潜特務艇戦闘詳報(JACAR:C08030250000)に次の記述がある。「第四十九号驅潜特務艇ハ本艇後方二〇浬ニ於沈没セルモノト思考ス乗員一名モ救助されず(後略)」
The Official Chronology of the US Navy in World War IIでも第49号驅潜特務艇は昭和19年3月19日南緯02度55分東経143度40分で米陸軍航空隊のB-24, B-25, A-20及びP-38の攻撃により第47号驅潜特務艇とともに撃沈されたことになっている。ところが「終戦と帝国艦艇」では第49号驅潜特務艇は昭和20年08月22日に新潟港灯台の36度3,500mで触雷沈没とされており、「日本海軍護衛艦艇史」でも日付は1日違って08月23日だが新潟港灯台沖で沈没とされている。昭和22年4月15日現在の「行動不能艦艇所在並に各地方復員局保管分担表」では新潟で水深50mにて全没とある。しかしそもそも第二特別根據地隊所属の艇が本当に終戦時新潟にいたのだろうか?もう少し戦後の記録を調べてみるつもりだが、おそらく新潟で沈没していた船は第49号驅潜特務艇でないと思う。
第三特別根據地隊戦時日誌より第2号〜第3号魚雷艇、第25号驅潜特務艇、第33号驅潜特務艇、杵埼、筑紫の艦歴組込み。
第四根據地隊関連(第四十一警備隊を含む)の戦時日誌より第3号敷設艇、第5号〜第6号掃海特務艇、第7号驅潜特務艇、第9号驅潜特務艇、第14号驅潜特務艇、第16号驅潜特務艇、第18号〜第19号驅潜特務艇、第23号驅潜特務艇、第25号〜第32号驅潜特務艇、第34号驅潜特務艇、第40号〜第41号驅潜特務艇、第46号驅潜特務艇、初島、荒埼、湊丸、第二芙蓉丸の艦歴組込み。第33号驅潜特務艇の18年8月の第3813船団護衛については他の記録と矛盾するのでペンディング。
第二文丸戦時日誌より第101号敷設特務艇、第三關丸戦時日誌より第20号驅潜特務艇の艦歴組込み。
第六根據地隊戦時日誌より第1号〜第6号魚雷艇、第14号驅潜特務艇、第18号〜第19号驅潜特務艇、第21号驅潜特務艇、杵埼の艦歴組込み。
第七根據地隊戦時日誌より第112号〜第113号魚雷艇の艦歴組込み。
第八特別根據地隊・第八根據地隊戦時日誌より第1号〜第2号掃海特務艇、宗谷の艦歴組込み。
第六号驅潜特務艇戦時日誌組込み。第3号驅潜特務艇、第7号驅潜特務艇、第10号驅潜特務艇、第20号驅潜特務艇、第23号驅潜特務艇、第30号驅潜特務艇の艦歴も組込み。
第六十号驅潜特務艇戦時日誌組込み。第64号驅潜特務艇の艦歴も組込み。
羅津方面特別根據地隊戦時日誌より公稱第1268号、八仙丸、苗栗丸、第十一興漁丸、第五輝丸、第六黄海丸の船歴組込み。
千島方面根據地隊戦時日誌より山東丸、第二号新興丸、第17号掃海特務艇、第58号驅潜特務艇、第65号驅潜特務艇、第69号驅潜特務艇、第73号驅潜特務艇、第77号驅潜特務艇、第78号驅潜特務艇、第193号驅潜特務艇、第194号驅潜特務艇、第206号驅潜特務艇、第209号驅潜特務艇、初島、立石の艦歴組込み。
19年5月14日1930第69号驅潜特務艇長は次の無電を発している「千防信令作第二七号ニ依ル占守小泊崎沖探索セルモ内火艇ラシキモノ発見シ得ズ 其ノ他異状ナシ」
ところが5月の「麾下艦船部隊ノ行動」では第65号驅潜特務艇とともに舞鶴(05.10発)から大湊(05.17着) に回航の途中である。5月14日に占守にいた船が果たして17日に大湊に帰りつけるか、また、10日に舞鶴にいた船が14日に占守で配置につけるか、はなはだ疑問である。舞鶴防備隊の戦時日誌では大湊回航のため舞鶴を発したのは4月10日である。其の他、呉発舞鶴着の日も参考に総合的に判断して19年5月に掲載されている「麾下艦船部隊ノ行動」のうち驅潜特務艇に関しては4月の行動を記載してある可能性が極めて高いと判断した。
第三十二特別根據地隊戦時日誌・戦闘詳報より第11号驅潜特務艇、第15号驅潜特務艇、第465号魚雷艇、第466号魚雷艇、第56号隼艇、第64号隼艇、第68号隼艇、第69号隼艇の艦歴組込み。
馬公方面特別根據地隊戦闘詳報より江ノ島、圓島、第75号驅潜特務艇、第83号驅潜特務艇、第96号驅潜特務艇、第152号驅潜特務艇、第216号驅潜特務艇、第224号驅潜特務艇、第228号驅潜特務艇、第235号驅潜特務艇の艦歴組込み。
宗谷防備隊戦時日誌より大泊、第17号掃海特務艇、第18号掃海特務艇、葦埼、K埼、初島の艦歴組込み。公称第3827号重油船と公称第1332号飛行機救難船の船歴を作成。公称第1332号飛行機救難船について「海上保安庁全船艇史」では
23.05.01:海上保安庁保管船、港務用船 あけぼの H-104
24.08.15:巡視船PB-46
25.07.04:PS-46
27.07.01:曙丸
28.04.01:あさちどり
29.05.01:PS-103
46.12.14:解役
という経過をたどるのだが、官報に掲載されている運輸省告示ではPB-46と標識が定められた時点で「あさちどり」と改名されているのが分かる。「あけぼの」という船は同時期に(H-104)以外にも「あけぼの丸」(H-10)、「あけぼの」(H-23)、「あけぼの」(H-107)というのがあって、どうやらこれらと混同していると思われる。
雷艇の所属変更、除籍の情報を追記。
第三十一特別根據地隊関連の戦時日誌より第7号掃海特務艇、第8号掃海特務艇、第11号驅潜特務艇、第24号驅潜特務艇、第39号驅潜特務艇、第42号驅潜特務艇、第60号驅潜特務艇、第61号驅潜特務艇、第91号驅潜特務艇、 第508号魚雷艇、第523号魚雷艇、伊良湖の艦歴組込み。
第三十特別根據地隊・第三十根據地隊関連の戦時日誌・戦闘詳報より第15号驅潜特務艇、第22号驅潜特務艇、第26号驅潜特務艇、第27号驅潜特務艇、第32号驅潜特務艇、第47号驅潜特務艇、第53号驅潜特務艇、第60号驅潜特務艇、第61号驅潜特務艇、第64号驅潜特務艇、第116号驅潜特務艇、立石、佐多、石廊、北開丸、第三昭和丸、八紘丸、得撫丸、藤影丸、慶州丸の艦歴組込み。
億洋丸、第五信洋丸、咸興丸、京城丸、昭興丸(以上特設砲艦)、たつ丸(特設捕獲網艇)、長安丸(特設敷設艇)、大井丸(特設驅潜艇/特設掃海艇)、太東丸(特設掃海艇)、喜多丸(特設運送船)のサムネイル差替/追加。大井丸や長安丸は口絵ではなく裏表紙に三菱重工業が出している広告に掲載されていたもの。三菱は毎号のように写真を替えていて流石にリーディングカンパニーだけのことはある。
満州国の方は「海運」に「海鳳」の写真が掲載されていたのでその情報を追記したのみ。この写真は藤田兵器研究所で公開されている写真と同じネガからとったもの。
英語版は特設驅潜艇以外更新。Wordのバグでサムネイルを入れ替えると背景が全部かわったり、関係ない船に写真が勝手にかわったりするので、一旦全部の写真を削除してから再度貼り付け、ハイパーリンクの設定をしなければならない。非常に手間がかかり、もう疲れたので特設驅潜艇はあとまわし。
「戦時輸送船団史II」412の船団名は第1125船団ではなく「廣順丸」船団が正しいらしい。これの出典は第六十号驅潜特務艇の戦闘詳報と思われる。「敵機ハ一一二五船団ニ機銃掃射ヲ加ヘ...」1125は時刻であり船団名ではない。鶚丸、得撫丸、瑞鷹丸の船歴を修正。
第四南遣艦隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第3号掃海特務艇、第4号掃海特務艇、第9号掃海特務艇、第10号掃海特務艇、第104号掃海特務艇、第105号掃海特務艇、第37号驅潜特務艇、第102号驅潜特務艇、第103号驅潜特務艇、第110号驅潜特務艇、第112号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇、第116号驅潜特務艇、第101号魚雷艇、第109号魚雷艇、第110号魚雷艇、第118号魚雷艇、立石、檜丸、王星丸、昭益丸、星光丸、長良丸、第五拓南丸、第十七昭南丸、第十七日東丸、第十八日東丸、海龍丸、圖南丸、第三号海王丸、天城丸、立山丸、京濱丸、第一鈴谷丸〜第三鈴谷丸、島根丸、白山丸、旭櫻、第一昭南丸、第二昭南丸、生田川丸、第二永洋丸、あさなぎ丸、巨港丸、金鈴丸、日營丸、朝威丸、水天丸、大朝丸、壽山丸、大興丸、昌榮丸、第四天海。
さすがに艦隊レベルになると根據地隊の戦時日誌と大分齟齬が出てくる。基本は根據地隊優先で矛盾しない部分を埋めていくことになる。
ようやく足の痛みが取れる。まだ完全には復活してないがなんとか歩けそうだったので午後休をとり海事図書館に行った。新たに数枚写真を発掘し、現在スキャン中なので来週にはまとめてアップできそう。「海運」から得た情報をもとに起工日、進水日や「屋島丸」引揚の経緯などをちょこちょこと追加。それにしても海事図書館のコピー料金も安くなったものである。一昔前だったら数千円かかったところが今は千円でおつりがくる。遠慮なくどんどんコピーできるのが嬉しい。
第二十七魚雷艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第417号魚雷艇、第419号魚雷艇、第426号魚雷艇、第427号魚雷艇、第430号魚雷艇、第441号魚雷艇、第443号魚雷艇、第446号魚雷艇、第448号魚雷艇、第493号魚雷艇、第495号魚雷艇〜第500号魚雷艇、第802号魚雷艇、第805号魚雷艇、第806号魚雷艇、第809号魚雷艇〜第818号魚雷艇、第820号魚雷艇〜第823号魚雷艇、第826号魚雷艇、第834号魚雷艇、第835号魚雷艇、第841号魚雷艇、第844号魚雷艇〜第846号魚雷艇、第851号魚雷艇〜第853号魚雷艇、第2号雷艇、第5号雷艇、新興丸。
第二十六特別根據地隊の戦時日誌より第3号掃海特務艇、第9号掃海特務艇、第10号掃海特務艇、第105号掃海特務艇、第102号驅潜特務艇、第103号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇、第116号驅潜特務艇、第101号魚雷艇、第109号魚雷艇、第110号魚雷艇、第118号魚雷艇、星光丸、立石、第十八日東丸、朝日山丸。
第二十二魚雷艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第416号魚雷艇〜第420号魚雷艇、第426号魚雷艇〜第430号魚雷艇、木津川丸。本隊の魚雷艇もT36だがパラオに進出した艇はすべて13mm機銃を装備している。一方、内地に残留した艇には機銃装備の記録はなく、雷艇に格下げされたり除籍されている。確証はないのでとりあえずそのまま変更しないでおくが、これらの艇は機銃を装備しなかった可能性が高い。
第二十三特別根據地隊の戦時日誌より第1号敷設艇、第2号敷設艇、第4号敷設艇、第101号驅潜特務艇、第110号驅潜特務艇、第112号驅潜特務艇、第118号驅潜特務艇、第3号掃海特務艇、新興丸、長良丸、第一昭南丸、第二昭南丸の艦歴追加。
第二十四特別根據地隊・第二十四根據地隊の戦時日誌より第3号掃海特務艇、第4号掃海特務艇、第10号掃海特務艇、第105号掃海特務艇、第102号驅潜特務艇、第103号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇、第118号驅潜特務艇、萬洋丸、たるしま丸、弘玉丸、海城丸、リ山丸の艦歴追加。
第二十五特別根據地隊の戦時日誌より第9号掃海特務艇、第10号掃海特務艇、第104号掃海特務艇、第105号掃海特務艇、第102号驅潜特務艇、第103号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇、第116号驅潜特務艇、第101号魚雷艇、第109号魚雷艇、第110号魚雷艇、第118号魚雷艇、星光丸、第十二昭南丸、千光丸、東照丸の艦歴追加。第102号驅潜特務艇と第109号魚雷艇の喪失記録はこの戦時日誌に在る。第105号掃海特務艇は昭和18年11月1日に第26特別根據地隊所属となり昭和20年7月10日第25根據地隊から除かれている。第26特別根據地隊は昭和20年5月29日に解隊されたので昭和18年11月2日〜昭和20年1月9日までの間に第25特別根據地隊か昭和20年1月10日〜昭和20年5月29日までの間に第25根據地隊に異動になっていなくてはならないのだがこの異動の記録が見つからない。
逓信省告示より大正11年までさかのぼり船主の変更を追記。
大立の艦歴組込み。やっと終わった。あとは初島か。これも結構時間がかかりそう。調査の過程で判明した佐多、野島、能登呂、早鞆、おは丸、大瀬、足摺、洲埼、似島、第163号哨戒特務艇、第5号掃海特務艇、第6号掃海特務艇、第5号驅潜特務艇、第12号驅潜特務艇、第13号驅潜特務艇、第24号驅潜特務艇、第25号驅潜特務艇、第33号驅潜特務艇、第39号驅潜特務艇、第42号驅潜特務艇、第62号驅潜特務艇、第66号驅潜特務艇、第87号驅潜特務艇、第89号驅潜特務艇、第90号驅潜特務艇、第99号驅潜特務艇、第154号驅潜特務艇、第158号驅潜特務艇、第160号驅潜特務艇、第168号驅潜特務艇、第169号驅潜特務艇、第173号驅潜特務艇、第179号驅潜特務艇、第200号驅潜特務艇、第201号驅潜特務艇、第205号驅潜特務艇、第207号驅潜特務艇、第231号驅潜特務艇、第233号驅潜特務艇、第234号驅潜特務艇、第244号驅潜特務艇、初島、釣島の艦歴も追加。第244号驅潜特務艇は「日本海軍護衛艦艇史」にあるような沖縄南方ではなく五島列島の黒島で戦没していること、第200号驅潜特務艇は佐多岬西方ではなく伊座敷沖で戦没していることが判明。今回の調査では第168号驅潜特務艇のように25mm機銃2基の例もあるが後期の艇の多くは13mm機銃を標準装備の上、25mm機銃を増備しているように思える。
第二十一魚雷艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第401号魚雷艇〜第415号魚雷艇、第431号魚雷艇〜第434号魚雷艇、第436号魚雷艇〜第440号魚雷艇、第442号魚雷艇、第444号魚雷艇〜第445号魚雷艇、第451号魚雷艇〜第453号魚雷艇、第3号驅潜特務艇、熊野丸、黄河丸、縣丸、第一京丸、第七昭南丸。
昭和19年01月23日に佐世保を発したT36型は第414号魚雷艇以下15隻となっているが、2隻の艇名が不明。昭和19年5月10日に除籍された第429号魚雷艇と第435魚雷艇ではないかと推定されるが確認がとれない。これらの艇であれば輸送中「第二圖南丸」が被雷した時に損傷を受け使い物にならなくなって除籍された可能性が高い。
本隊の戦時日誌で対空戦闘を行っている艇はT23型もT36型もすべて13mm機銃を撃っている。「日本海軍特務艦船史」によるとT36型の機銃は25mmだが、本隊に配属されたT36型はすべて13mmを装備していたと推定される。因みに確認できた魚雷の種類は総て四十五糎四四式二号魚雷改一。
1月26日に「「米国高速魚雷艇30噸」を引揚げており」と書いたがよく見ると「米国」ではなく「未詳」のようである。m(__)m
第二十一特別根據地隊の戦時日誌より第3号掃海特務艇、第101号掃海特務艇〜第105号掃海特務艇、第107号掃海特務艇、第101号魚雷艇、第109号魚雷艇、第110号魚雷艇、第115号魚雷艇〜第120号魚雷艇、第162号魚雷艇、第42号驅潜特務艇、第104号驅潜特務艇〜第108号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇〜第115号驅潜特務艇、第117号驅潜特務艇、第118号驅潜特務艇、立石、早埼の艦歴を組込み。この戦時日誌に次の一文がある。「第一〇二海軍工作部ニ於テ整備セル戦利鋼製魚雷艇及び驅潜特務艇(引揚船)各一隻、六日附當隊ニ假配属トナリ夫々敷島、飛礫ト命名、直チニスラバヤ軍港警備ノ任ニ就カシム」順序通りに読むと魚雷艇が「敷島」で驅潜特務艇が「飛礫」だが、魚雷艇「飛礫」、驅潜特務艇「敷島」と読むのが妥当であろう。「飛礫」は第119号魚雷艇であり何故旧名があったのかはあっさり解決。「敷島」の件は初耳だが時期的にみて第118号驅潜特務艇のことではないかと思う。この戦時日誌には他にも聞き慣れない船名が多数でてくる。「朝日」「富士」「稲妻」「津浪」、警戒艇「櫻」(20.02.01沈没)、特務艇「暁」(56.5t)。「丸」がついていないのでおそらくオランダ軍の戦利艇だと思うがよくわからない。詳細をご存知の方は是非ご教示ください。それにしてもこの戦時日誌は以前に一度調査しており「飛礫」のこともメモしてあったにもかかわらず全く記憶から抹消されていた。第101号掃海特務艇は「日本海軍護衛艦艇史」によると「終戦時スラバヤに所在。戦後オランダに引渡し、25年インドネシア所属となる」とのことだが、戦時日誌では昭和19年05月17日に戦没しており、"Schepen van de Koninklijke Marine in W.O.II"にもオランダに返還されたというようなことは書かれていない。その他もろもろご関心ある方は是非当ウエブサイトと「日本海軍護衛艦艇史」を比べてみてください。
第十二魚雷艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第51号隼艇〜第58号隼艇、第61号隼艇〜第64号隼艇、第67号隼艇〜第72号隼艇、第457号魚雷艇、第458号魚雷艇、第460号魚雷艇〜第467号魚雷艇、第470号魚雷艇、第471号魚雷艇、第473号魚雷艇、第482号魚雷艇〜第4884号魚雷艇、第801号魚雷艇〜第804号魚雷艇、第二圖南丸。「日本魚雷艇物語」の記述も参照。
第一特攻戦隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第11号魚雷艇、第13号魚雷艇〜第15号魚雷艇、第17号魚雷艇。
第二特攻戦隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第541号魚雷艇、第542号魚雷艇、第544号魚雷艇、第547号魚雷艇。
第五特攻戦隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第134号哨戒特務艇、第163号哨戒特務艇、第164号哨戒特務艇、第174号哨戒特務艇。
第十特攻戦隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は山水丸。
川棚突撃隊戦闘詳報組込み。組込んだ艦歴は第1125号魚雷艇、第1129号魚雷艇〜第1131号魚雷艇。
「日本魚雷艇物語」ではP.165でK氏の「小艦艇入門」を引用している。筆者は当然K氏の本を持っていないので引用ミスがないとの前提だが「第五特攻戦隊」は「第三特攻戦隊」、「魚雷艇一二隻」は「魚雷艇二隻」の誤り。Wikiの情報なので確信はないがこの時期「第38機動部隊」ではなく「第58機動部隊」のはず。たった4行の引用で2箇所〜3箇所も誤りがある。いつもいつもどうしてこうも杜撰なのだろう。因みにGoogleとどうやらK氏の底本は羽仁謙三著「海軍戦記」文芸社, 2001らしい。Google Bookでサンプルページが公開されており、確かに「第五特攻戦隊」とか「宮大佐は「対空戦闘開始」の旗をあげ、これに応じ一ニ隻の魚雷艇はいつせいに散開、対空射撃を開始した。」と書いてある。(会社のパソコンだと当該ページが表示されたのだが家のパソコンでは表示されない。何故?)しかし事実は川棚突撃隊の戦闘詳報の通り。ノンフィクションということだが戦後50年も経ってから書かれたものだけに記憶違いもあるだろう。さて羽仁謙三という人だが「永興丸」の主計長をしていたということで興味あることも書いてある。「我が永興丸の備砲は艦首に一二センチ砲が一門あるだけで後部にはない。」「対空装備は、七・七ミリ機関銃一基だけ」「爆雷投下テスト」。永興丸の兵装については知られていないのでこれを引用しようかと思ったが、一方でこんなことも書いている。「進水時大正三年」「速力最高八ノット」。永興丸は昭和12年進水の比較的新しい船であり、公試のときの最高速力は14ノットを超えている。これらをみるとどこまで信用して良いものか判断がつきかねる。なお「日本魚雷艇物語」でわざわざ註をつけて訂正している「宮氏は当時中佐」というのは誤り。宮中佐は昭和19年5月1日附で大佐に進級しており原文通りで正しい。2人の関係者が大佐といっているのになんで中佐と訂正したのか意味不明。どうしても二階級特進にしたかった?
第二十一突撃艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は釣島、朝輝丸、第542号魚雷艇、第547号魚雷艇、第217号隼艇。
第三十三突撃艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第860号魚雷艇〜第868号魚雷艇、第115号隼艇、第117号隼艇、第118号隼艇。
第百一突撃艇隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は朝輝丸。
光突撃隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第一号桐丸。
大神突撃隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第一号桐丸、白銀丸。
渡辺保著「奇跡の軍艦 驅逐艦春風」より東園丸、天山丸、揚梅丸、龍井丸、神川丸の行動を追記。
サムネイル追加(差替え):静海丸、八海山丸、昭徳丸、平壌丸、第二号桂丸、興和丸(以上特設砲艦)、第六京丸、第八京丸、第十京丸、大功丸、第三鈴谷丸(以上特設驅潜艇)、葵丸、第二号黄浦丸(以上特設掃海艇)、五隆丸、第一あまかす丸(以上特設給水船)、第二東洋丸、金泉丸、國津丸、第二南海丸、第十八眞盛丸、新國丸、第二青山丸、日營丸、慶州丸(以上特設雑用船)、春田丸(特設救難船)。これだけ一気に写真が見つかることは今後ないと思う。あと、たつ丸、第五信洋丸、昭興丸のサムネイルについては足が治って海事図書館に行ってから。
「第二次大戦中の主要海運会社拿捕船 運航形態一覧表」の記述にヒントを得て帝春丸の船歴更新。
雑誌「海運」口絵船舶写真について各船の写真資料に何年何月号かを追記。号数が2つかいてあるののほとんどは古い日付が進水時で新しい方が航行中の写真。
第三魚雷艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第241号魚雷艇、第242号魚雷艇、第245号魚雷艇〜第247号魚雷艇、第249号魚雷艇〜第251号魚雷艇、第10号隼艇、第11号隼艇、第14号隼艇、第18号隼艇〜第21号隼艇、K埼、第88号驅潜特務艇、大功丸、東郷丸、満壽丸、快鳳丸、吉野丸、第二玉園丸。
第二魚雷艇隊と異なりこちらは「日本海軍特務艦船史」通りのノーマルな兵装のようである。ただしどの艇かははっきりしないが爆雷を搭載している。
第二魚雷艇隊の第三次進出隊は輸送艦に搭載されて父島に向ったわけだが、輸送艦については二等輸送艦が特設輸送艦だったことから早期に艦歴調査に入りたかったものの陸軍機動艇との関連が不明なため躊躇している。最近、光人社NF文庫「地獄の戦場「沖縄」奇跡の脱出航海記」を買った。「丸」編集部編の一連のものは古い「丸」の記事を集めたものでマイナーなものがのっているので役に立つ。今回はこの中の「陸軍あかつき機動艇隊奮戦記」福田正和著というのがお目当てである。機動第101号艇は丸スペ第50巻によると「第162号輸送艦に予定されたもので、19年10月、日立向島で完成した」とある。福田氏は機動第101号艇に乗り組んだのだが、つぎの記述がある。「ようやく六月もなかばとなった十四日、われわれはいよいよ海軍側から渡されたSB機動艇受領と、教育訓練および艤装のために櫛ケ浜を出発し、山陽線に乗って同月十五日、大阪造船所に到着したのだった。そして、特別のはからいでわれわれ乗組員は、ふつうの旅館で二十九日まですごし三十日、いよいよ新造の第一〇一機動艇に乗艇したのである。」この記述にうそいつわりがなければ本船は大阪造船所の建造船であり日立向島の第162号輸送艦ではあり得ない。大阪造船所で6月に竣工したのは15日の第105号特設輸送艦と30日の陸軍用の第1506号艇の2隻だけ。第105号特設輸送艦が陸軍船となった記録はないし、30日に乗艇しているのだから機動第101号艇はまずこの第1506号艇とみて間違いない。第1506号艇は9月5日付で陸軍から海軍に移管され第106号輸送艦となるのだが、本書の次の記述とも矛盾しない。「東京船舶隊長の指示により突然−九月五日、わが機動艇をすみやかに海軍側に引渡し、櫛ケ浜の原隊に帰還するよう命ぜられたのである。」福田氏はその後機動第103号艇に乗り組むのだがやはり大阪へ受領しに行っている。この艇は11月末に艤装を完了したことから24日竣工の第1516号艇(第116号輸送艦に相当)とみて間違いないだろう。では、何故丸スペでは10月に竣工した第1562号艇(第162号輸送艦に相当)を機動第101号艇としたのであろうか?今、筆者が考えているのは機動第101号艇や機動第103号艇が実は2隻あったのではないかということ。福田氏が乗艇した機動第101号艇は初代の方で機動第103号艇は二代目の方。機動艇を竣工日順に並べ9月5日以降に最初に竣工した第1562号艇等に海軍に移管され欠番となった(と思われる)機動艇の名前を再度割り当てれば機動第114号艇が第1587号艇(第187号輸送艦に相当)というのもうまく説明できる。これからさらに艦歴を詳しく調べてこの仮説の証明を試みたいと思う。
逓信省告示より大正13年までさかのぼり船主の変更を追記。
頼んでいた"SOLD EAST"が木曜日に届く。送料込みでAUD120。1AUD80ぐらいで10,000円切ると思っていたが知らないうちにアベノミクスのせいで今1AUD100円を超えている。USDより高いとは。。。これはキャッシュでもってるAUDも今換金した方が良いなと思いつつ、足を怪我して思うように歩けず外貨両替に行けない。というわけで、海事図書館にもいけず、「たつ丸」等の出典も確認できず。トホホ。まぁ、Amazonで買うと最低でも47,468円するので良しとしよう。私が使っている(といっても2回目だが)のは Antiqbook(http://www.antiqbook.com/)というサイトでいわば日本の古本屋の海外版といったところ。注文も簡単だし確認のメールがすぐくるので安心です。今回メールがくるのにちょっと日数があったがこれは向こうがイースター休暇だったためで休み明けにはすぐ確認のメールがきた。「受け取ったよ」とメールしたらものの5分もしないうち「連絡ありがとう」と返信が。好感度さらにアップ。
さてSOLD EASTであるがこれは「買い」で正解だった。思いもかけなかったHenry Keswick(慶州丸)の写真が掲載されている。あの堀元美氏も写真を提供しており、その中で特に注目するのがDiana Moller(第二号黄浦丸)の写真。2004年4月4日に「「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ(3008)の写真はどうみても"Bremen"号とは別船。「第一号黄浦丸」でないとすると、ひょっとして(3008)は「第二号黄浦丸」ではないだろうか?」と疑問を呈したが、この同じ写真がSOLD EASTでは「第二号黄浦丸」として紹介されているのである。9年たってようやく確信、もう間違いないだろう。
国会図書館の複写物はようやく金曜日に到着。デジタル化された資料の複写だがまぁそんなに画質は悪くなかったので一安心。頼み方が悪く口絵全部を頼んだつもりが例にあげた船名の船の頁だけが複写されてくる。足りない分は海事図書館かなぁ。
第二魚雷艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第11号魚雷艇、第13号魚雷艇〜第15号魚雷艇、第243号魚雷艇、第244号魚雷艇、第248号魚雷艇、第252号魚雷艇、第253号魚雷艇、第12号隼艇、第13号隼艇、第15号隼艇、第16号隼艇、第22号隼艇〜第32号隼艇、第59号隼艇、第73号隼艇、第212号隼艇〜第214号隼艇、第二拓南丸、第十拓南丸、第三關丸、第七京丸、第七明~丸、第11号掃海特務艇、第14号掃海特務艇。
「日本海軍特務艦船史」で第241号型魚雷艇は九三式十三粍単装機銃1基装備とされているが、第二魚雷艇隊に配属された第243号、第252号、第253号には九六式二十五粍単装機銃1基の装備が確認できる。このことから少なくとも第二魚雷艇隊の各艇については九六式二十五粍単装機銃1基が装備されていたもの思われる。
第二魚雷艇隊に配属されたH38型(=第十号型)隼艇は昭和20年になって機銃2挺を卸して隊内工作で雷装に変更している。またH35型(=第二十七号型)には最初から雷装がある。これにより「隼艇=雷装がない」というのは誤りなので魚雷艇の説明にちょっと手を加えた。
T51b型の兵装を九六式二十五粍二聯装装機銃3基としていたのは九六式二十五粍単装機銃3基の誤りなので訂正。
「日本魚雷艇物語」今村好信著光人社刊2003年に「北硫黄島守備部隊の救出作戦」というのが紹介されていて艇名の特定を試みたが、戦時日誌は20年6月までしか残っていない。「T-38型魚雷艇七隻をもって母島に進出」という下り。6月末の時点で父島で行動可能だったT-38型は第244号魚雷艇、第248号魚雷艇、第252号魚雷艇、第253号魚雷艇の4隻しかない。7月中に新たに第二魚雷艇隊の所属となった艇はないのでT-38型7隻というのはあり得ない。対象を隼艇に広げれば第13号隼艇、第15号隼艇、第16号隼艇、第22号隼艇、第23号隼艇、第73号隼艇の6隻がH-38型であるから、これら10隻のうちのどれかということになる。6月末までの司令艇は第30号隼艇だがこれはH-35型である。7月に司令艇が変更されたのか、それともT-38型というのがそもそも誤りなのか結局謎だけが残る。
海事図書館でもう1冊気になったのが戦没商船拿捕船研究会事務局の研究員と称する宮田幸彦氏の著した「第二次大戦中の主要海運会社拿捕船 運航形態一覧表」という112頁の小冊子。春田丸を海軍特設救難曳船とか寶辰丸の前身を英国船Aphroditeとしている時点でその正確さについてはご想像いただけると思うが、写真付きで100隻あまりの船を収録したことは評価できる。もっとも油野丸の写真に別船が使われていたり、同型船や類似船として関係ない船も多いので注意が必要。この中で注目したのが春田丸(Halldor)の写真。きちんと出典を記されているので、早速古書店に注文。オーストラリアの書店だがちゃんと届くだろうか?とりあえず水曜日に発送するというメールは受け取っている。ただあとでわかって愕然としたのはこの本、海事図書館にあるのです。結構高かったので。。。。
国会図書館から「海運」の昭和12年06月号附録は所蔵されておらず複写謝絶との連絡がある。海事図書館のWebではうまく検索できなかったのだが実際に行ってみると所蔵されていた。貸出しはしないということなのでその場で「第三鈴谷丸」の写真を複写。「昭興丸」やなんと「たつ丸」の写真まであることがわかった。こちらも複写したが昭和15年の何月号かを控え忘れたので、再度、海事図書館で確認した上でアップする予定。国会図書館に頼んだものは結局まだ届かず。
第一魚雷艇隊戦時日誌組込み。組込んだ艦歴は第201号〜第212号魚雷艇。
第一魚雷艇隊戦時日誌を見る限り「小型艦艇正岡調査ノート、1」にある第201号〜第212号魚雷艇の竣工日は実際の竣工日ではないようなので訂正。
「世界の艦船」2013年1月号で紹介されていた「大東亜戦争日本艦船戦時日誌」を海事図書館で探していたとき五十嵐温彦という人の作った「太平洋戦争に於けるXXX殉難船航跡資料集」という一連の冊子が目に留まる。この航跡資料集自体はともかく、これを作るため?にまとめられた「雑誌「海運」口絵船舶写真(目録と索引)」というB5のフラットファイルに納められているデータが非常に参考になる。3月2日にアップした浦上丸や第三共榮丸の写真の出所はこれによって判明したものである。今回全頁を複写した上で改めてじっくり調査したところ、新たに筆者未見のいろいろな写真がある。そこで雑誌「海運」を古書検索したが売りには出されていない。国立国会図書館の蔵書を検索すると、すでにデジタル化がすんでいるものの公開は館内限定である。いずれ著作権がクリアされればインターネット公開されるであろうが、それは明日かもしれないし10年後かもしれない。仕方ないのでとりあえず郵送で複写申し込みできる上限20冊分の口絵を注文。来週か再来週にはアップできるのではないかと思う。
釣島の戦時日誌があったので艦歴組込み。調査の過程で判明した黒神、片島、第6号驅潜特務艇、第7号驅潜特務艇、第9号驅潜特務艇、第11号驅潜特務艇、第15号驅潜特務艇、第16号驅潜特務艇、第17号驅潜特務艇、第20号驅潜特務艇、第31号驅潜特務艇、第34号驅潜特務艇、第40号驅潜特務艇、第41号驅潜特務艇、第45号驅潜特務艇、第50号驅潜特務艇、第55号驅潜特務艇、第59号驅潜特務艇、第64号驅潜特務艇、第65号驅潜特務艇、第69号驅潜特務艇、第70号驅潜特務艇、第78号驅潜特務艇、第79号驅潜特務艇、第86号驅潜特務艇、第89号驅潜特務艇、第95号驅潜特務艇、第151号驅潜特務艇、第152号驅潜特務艇、第156号驅潜特務艇、第158号驅潜特務艇、第163号驅潜特務艇、第164号驅潜特務艇、第165号驅潜特務艇、第167号驅潜特務艇、第174号驅潜特務艇、第175号驅潜特務艇、第176号驅潜特務艇、第177号驅潜特務艇、第178号驅潜特務艇、第187号驅潜特務艇、第188号驅潜特務艇、第198号驅潜特務艇、第199号驅潜特務艇、第204号驅潜特務艇、第214号驅潜特務艇、第215号驅潜特務艇、第222号驅潜特務艇、第226号驅潜特務艇、第227号驅潜特務艇、矢風、大瀬、第883号魚雷艇、第41号雷艇、第42雷艇、第43号雷艇、第44号雷艇、第45号雷艇、第46号雷艇、高知丸、初島、富津丸、伊良湖、二神、葵丸、第136号哨戒特務艇、第137号哨戒特務艇、第175号哨戒特務艇の艦歴も追加。
弓張、三浦、花島、淀橋、早瀬、公称第709号、公称第740号のサムネイルを追加。
逓信省告示より昭和03年の船主の変更を追記。
立石の戦時日誌があったのでちょっと組み込むつもりが、せっかくだから舞防や舞鎮の戦時日誌も見直してと。それなら、他の特務艦艇もついでにと。そうして3週間ほど前からどつぼにはまっていたが、ようやく終了。組込んだ船歴は立石の他に初島、鷲埼、戸島、第19号掃海特務艇〜第21号掃海特務艇、第4号敷設艇、室戸、佐多、鞍埼、矢風、第18号驅潜特務艇、第21号驅潜特務艇、第28号驅潜特務艇、第31号驅潜特務艇、第46号驅潜特務艇、第47号驅潜特務艇、第51号驅潜特務艇(初代)、第61号驅潜特務艇、第65号驅潜特務艇、第69号驅潜特務艇、第71号驅潜特務艇、第74号驅潜特務艇、第78号驅潜特務艇、第83号驅潜特務艇、第153号驅潜特務艇、第157号驅潜特務艇、第162号驅潜特務艇、第163号驅潜特務艇、第166号驅潜特務艇、第172号驅潜特務艇、第176号驅潜特務艇、第184号驅潜特務艇、第192号驅潜特務艇、第195号驅潜特務艇、第204号驅潜特務艇、第210号驅潜特務艇、第216号驅潜特務艇、第228号驅潜特務艇、第235号驅潜特務艇、第238号驅潜特務艇、第501号魚雷艇、第504号魚雷艇、第506号魚雷艇〜第516号魚雷艇、第518号魚雷艇〜第524号魚雷艇、第526号魚雷艇、第529号魚雷艇〜第538号魚雷艇、第542号魚雷艇〜第543号魚雷艇、第546号魚雷艇〜第548号魚雷艇、第550号魚雷艇、第552号魚雷艇〜第555号魚雷艇、第55号雷艇、第83号雷艇〜第86号雷艇。特設艦船や雑役船もあらためていろいろ追記。
命名文書からは海軍工廠で建造されたように読み取れる魚雷艇のうちいくらかは部外発注されたようである。少なくとも舞鶴鎮守府の戦時日誌から第553号と第555号は株式會社四国船渠工業所で建造されたことが判明。特務艇の諸元には「海軍工廠建造分には部外発注のものを含む」と注記することにした。
第三共榮丸、浦上丸、海龍丸、鵲丸、第三神光丸、特務艦、第一号隼艇のサムネイルを追加。天城丸、第一鈴谷丸のサムネイルをより鮮明なものに差替え。
特務艇の基本枠組み作成完了。
特務艇の基本枠組みを作成中。驅潜特務艇5頁目まで。曳船(驅潜艇型)からもリンクできるようにした。
逓信省告示より昭和04年の船主、傭船主の変更を追記。
特務艇の基本枠組みを作成中。魚雷艇完了。内火艇(魚雷艇型)からもリンクできるようにした。魚雷艇は隻数が多いためタイプ毎の紹介にとどまりきちんと個々の艇の行動を示したものはなく全貌を知りたかったものの一つです。今回は枠組みだけですが所属等もわかるので詳細な調査をしたい人にとっては便利だと思います。昭和18、19年の戦時艦船建造補充計画(急計画)の建造番号(仮称艦名)と実際建造された乙型艇との関連はまだ完全には解明できません。
しあとる丸の船歴を更新。
海上保安庁関連の記述に官報の情報を追記。
特務艇の基本枠組みを作成中。魚雷艇25頁目まで。
特務艇の基本枠組みを作成中。隻数だけでいけば驅潜特務艇にとりかかるところであるが、驅潜特務艇は結構手間がかかるので、先に魚雷艇にとりかかる。今のところ11頁分。戦利魚雷艇のうち第114号以外はオランダの魚雷艇であるがこれらの前歴ははっきりしない。 外人さんがバイブルとしている"Warships of the Imperial Japanese Navy, 1869-1945"によると
第101号魚雷艇(元TM 3) 第102号魚雷艇(元TM 4) 第103号魚雷艇(元TM 6) 第104号魚雷艇(元TM 8) 第105号魚雷艇(元TM 9) 第106号魚雷艇(元TM10) 第107号魚雷艇(元TM11) 第108号魚雷艇(元TM12) 第109号魚雷艇(元TM13) 第110号魚雷艇(元TM14) 第111号魚雷艇(元TM15) 第112号魚雷艇(元TM 5) 第113号魚雷艇(元TM 7) 第115号魚雷艇(元TM16:未成) 第116号魚雷艇(元TM17:未成) 第117号魚雷艇(元TM18:未成) 第118号魚雷艇(元TM19:未起工) 第119号魚雷艇(元TM20:未起工) 第120号魚雷艇(元TM21:未起工)となっている。 しかし、「戦利船利用予定表」では
第101号魚雷艇(第 4号船:17t、ローレン2、ロールスロイス1) 第102号魚雷艇(未成船、約20t) 第103号魚雷艇(未成船、約20t) 第104号魚雷艇(未成船、約20t) 第105号魚雷艇(未成船、約20t) 第106号魚雷艇(未成船、約20t) 第107号魚雷艇(未成船、約20t) 第108号魚雷艇(未成船、約20t) 第109号魚雷艇(第 9号船:17t、ローレン3) 第110号魚雷艇(第10号船:17t、ローレン3) 第111号魚雷艇(第11号船:17t、ローレン3) 第112号魚雷艇(第27号船:17t、ローレン3) 第113号魚雷艇(第30号船:18t、ローレン3) 第115号魚雷艇(第31号船:17t、ローレン3) 第116号魚雷艇(第36号船:18t、カーマス3) 第117号魚雷艇(第50号船:17t、ローレン3) 第118号魚雷艇(第59号船:17t、ローレン3) 第119号魚雷艇(未成) 第120号魚雷艇(未成)となっており、 第102号〜第108号魚雷艇は未成船であるからTM4,6〜12であることはあり得ない。 第101号や第116号は主機が異なるし「日本海軍特務艦船史」のように排水量だけみて3つのグループにわけるのもどうかと思う。"Schepen van de Koninklijke Marine in W.O.II"によるとTM4〜TM15は同型艇であり、排水量17t、TM16〜TM21も排水量17t。TM14型とTM16型の違いはわからず同型艇かもしれない。TM IIIは排水量16tである。「戦利船利用予定表」には「横廠に輸送の上現状調査し第103乃至第108号魚雷艇を整備のことに主務者打合せにて決定」という記述があるが、結局、第102号〜第108号魚雷艇は命名されることも、本籍が定められることもなかった。第119号艇にのみ旧名があって「飛礫」と称していたのも謎である。第十一特別工作部スラバヤ分遣隊が昭和17年10月18日「
第101号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第102号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第103号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第104号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第105号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第106号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第107号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第108号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第109号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第110号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第111号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第112号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第113号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第115号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第116号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第117号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第118号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第119号魚雷艇(元TM16〜TM21) 第120号魚雷艇(元TM16〜TM21)となるのだが、 こうすると未成船が3隻足りなくなってしまう。TM3〜TM9までは比較的多くの写真が残っているがTM10〜TM15の写真は見つからず、この中に未成艇があるのかもしれない。結局、よくわからないので、本当はTM IIIだけ別型だか、全隻同型艇としておき、
第101号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第102号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第103号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第104号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第105号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第106号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第107号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第108号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第109号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第110号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第111号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第112号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第113号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第115号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第116号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第117号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第118号魚雷艇(元TM 3〜TM15) 第119号魚雷艇(元TM10〜TM21) 第120号魚雷艇(元TM10〜TM21)としておくことにする。 因みに第114号魚雷艇はネットで検索すれば結構情報が得られ、Q-111時代の写真も入手できる。この船が"Luzon"という艇名であることは何故か日本の書物にはでてこない。「戦利船利用予定表」には別人が加筆した形跡がある。もともと正しくQ一一一とあったのをわざわざQVと間違った訂正をしていたりしていて、加筆された箇所には注意が必要。もっとも大和ミュージアムのPG068841などはQVとも見えなくもないが。
特務艇の基本枠組みを作成中。次に隻数の少ない哨戒特務艇のとりあえずの艦歴を作成。
哨戒特務艇において妙な内令がいくつかある。一つは第三十五号哨戒特務艇に関するもので、もう一つは第百二号哨戒特務艇に関するもの。前者は本籍と所属のみが定められ、他に記録が一切ないもの、後者は昭和20年12月1日〜昭和21年3月25日の期間の掃海艦としてのものだがこれまた建造に関する記録が一切ないもの。いずれも何らかの事務手続き上のミスと思われるが調査も必要。
特務艇の基本枠組みを作成中。隻数の少ない敷設特務艇と海防艇のとりあえずの艦歴を作成。
雑誌「世界の艦船」1997年3月号増刊「日本海軍特務艦船史」をはじめとしてWikiなどネットでは初代「測天」等が昭和6年5月30日に敷設艇二等から敷設艇(等級なし)に変更されたように書かれている。確かに昭和6年5月30日軍令海第1号により艦船令が改正され「艦艇特務艦艇類別標準」中にある敷設艇の等級は廃止された。しかしこのことをもって昭和6年5月30日に敷設艇二等から敷設艇(等級なし)に変更されたとは言えないのである。「艦艇特務艦艇類別標準」の「備考」において「海軍大臣ハ本表ニ依リ各艦艇及特務艦艇ノ類別及等級ヲ定ム」と定められている。すなわち、艦船令で改正されたのは「標準」であって「類別及び等級」そのものではない。実際にこの類別標準に基づき特務艇類別等級表が改正されたのは2年後の昭和8年5月23日(内令第190号)であり、このときに敷設艇の等級が廃止された。艦船令の改正日のみを見て内令をしっかり調査していないとこういう誤りがおきる。福井静夫著作集第十巻(P.300)の「敷設艇の一、二等などの等級は一九三四年に廃止された」などというのは論外である。
特務艇の基本枠組みを作成中。隻数の少ない電纜敷設艇と掃海特務艇のとりあえずの艦歴を作成。
戦利艇の写真を求めて久しぶりにMaritime Digitaalを検索。和蘭船関係で新たにたくさんの写真を入手。喜多丸や千早丸、暁征丸の前より大きい写真など。
昭和18年10月15日付軍務一機密第833号という文書がある。これによると「魚雷艇は建造訓令発布後適当の時機に於て命名し同時に本籍を定む」ことになっている。そして「魚雷艇は竣工の日を以て特令なくして在籍の鎮守府又は警備府(外地建造のものに在りては当該工作長所属艦隊)の防備隊、警備隊若は潜水艦基地隊の所属と」なり「特設魚雷艇隊解隊の場合は原所属に復帰す」る。昭和19年10月20日の内令第1195号では自第五百三十八号至第千百八号魚雷艇の本籍が佐世保鎮守府と定められているが、同日付の命名文書達第352号では第九百一号から第千号の命名はされておらず、また、特務艇類別等級表への追加もされていない。このことから内令第1195号による第九百一号から第千号魚雷艇の本籍制定は誤りと考える。
J-Aircraftで紹介されていた横浜都市発展記念館のHPを掘り下げたところ、ぶゑのすあいれす丸、玖馬丸、白鴻丸の写真が掲載されていたのでリンクを貼る。写真をみると白鴻丸の読みは「はっこうまる」が正しいようなので訂正。
正月休みで一気に特務艇を仕上げるつもりであったが意外と手こずる。驅潜特務艇や魚雷艇は数が多いのでまだまだかかりそう。とにかく本年もよろしくお願いいたします。