更新履歴とひとりごと

2016年12月31日 Version 16.52公開

昭和18年10月〜12月分佐伯防備隊戦時日誌より第31号哨戒艇、夏島、那沙美、怒和島、由利島、鳩、鷺、釣島、石廊等の船歴を追加。一部だけ呉防備戦隊の戦時日誌からも補足。
大正8〜10年までの雑役船(機動船艇)の船歴を整理。機動船艇からリンクを貼る。固有船名を持つものも整理中。
今年も残すところあと10時間ほど。皆さま良いお年を。

2016年12月23日 Version 16.51公開

昭和18年8月〜9月分佐伯防備隊戦時日誌より第31号哨戒艇、怒和島、由利島、鳩、釣島、大衆丸、第十六明玄丸、第十七明玄丸、麻豆丸、第十五長運丸、第十コ豐丸、甲山丸の船歴を追加。一部だけ呉防備戦隊の戦時日誌からも補足。
大正4〜7年までの雑役船(機動船艇)の船歴を整理。

2016年12月17日 Version 16.50公開

昭和18年6月〜7月分佐伯防備隊戦時日誌より第31号哨戒艇、怒和島、由利島、鳩、鷺、釣島、あきつ丸、聖山丸、第八拓南丸、第六玉丸、石廊、第十八號掃海艇、第十五長運丸、新港丸、大屯丸、第五日東丸、大衆丸、第十二日東丸、nu滿丸の船歴を追加。一部だけ呉防備戦隊の戦時日誌からも補足。
飛行機運搬船の頁を更新。

2016年12月10日 Version 16.49公開、滿洲國海軍艦船データベースVersion 2.2公開

昭和18年4月〜5月分佐伯防備隊、那沙美戦時日誌より第31号哨戒艇、第46号哨戒艇、夏島、那沙美、怒和島、由利島、鳩、第35号驅潜艇、第36号驅潜艇、釣島、大朝丸、海鳳、海龍、濟州の船歴を追加。一部だけ呉防備戦隊の戦時日誌からも補足。
艦船行動簿により菊の大正11年の動静を補足。
電纜敷設船の頁を更新。

2016年12月03日 Version 16.48公開、滿洲國海軍艦船データベースVersion 2.1公開

昭和18年3月分佐伯防備隊戦時日誌より第31号哨戒艇、第46号哨戒艇、夏島、那沙美、怒和島、由利島、鳩、第36号驅潜艇、釣島、昭勢丸、博丸、第三拓南丸、下松丸、山水丸、第十七明玄丸の船歴を追加。一部だけ呉防備戦隊の戦時日誌からも補足。
滿洲國海軍艦船データベースのメモ帳化完了。
もう師走。第五次掃討作戦のあと2〜3日は数匹の敗残兵を射殺したものの、その後は姿を見ない。寒くなって冬営しただけかもしれないが、ひとまず掃討作戦は完了。熾烈な戦いであった。

2016年11月26日 Version 16.47公開

昭和18年2月分佐伯防備隊戦時日誌より第31号哨戒艇、第46号哨戒艇、夏島、那沙美、怒和島、由利島、鳩、第36号驅潜艇、第37号驅潜艇、第39号驅潜艇、釣島、西貢丸、盤谷丸、第三圖南丸、神風丸の船歴を追加。一部だけ呉防備戦隊の戦時日誌からも補足。
佐伯防備隊の戦時日誌も段々辛くなってきたので、いろいろ浮気して目先を変えており、結果としてアップするネタがない。

2016年11月19日 Version 16.46公開

燕戦時日誌より燕、鴎、若鷹、第1号驅潜艇、第8号掃海艇、能登呂、球磨川丸、總洋丸、辰春丸、千光丸、箱根山丸、~風丸、天應丸、玄洋丸、乾隆丸、畿内丸、妙高丸、いくしま丸、東京丸、東海丸、大正丸、千山丸、扶桑丸の船歴を追加。
昭和17年12月〜昭和18年1月分佐伯防備隊戦時日誌、鳩戦闘詳報、那沙美戦闘詳報、第三十一號哨戒艇戦闘詳報より第31号哨戒艇、第46号哨戒艇、夏島、那沙美、怒和島、由利島、鳩、第36号驅潜艇、第37号驅潜艇、第39号驅潜艇、釣島、~威、能登呂、伊良湖、石廊、知床、能代丸、第二號東亞丸、C澄丸、~風丸、千山丸、東祐丸、日張丸、第二號天洋丸、富士川丸、第二日新丸、會昌丸、大黒天丸、昭勢丸、第七玉丸、第二號興亞丸、愽丸、大衆丸、あきつ丸の船歴を追加。
艦船行動簿により菊の大正12年の動静を補足。

2016年11月12日 Version 16.45公開

鴎戦時日誌より鴎、能登呂、辰春丸の船歴を追加。
昭和17年6月〜昭和17年11月分佐伯防備隊戦時日誌より第31号哨戒艇、第34号哨戒艇、第35号哨戒艇、第46号哨戒艇、夏島、那沙美、怒和島、由利島、鳩、第10号驅潜艇、第11号驅潜艇、第12号驅潜艇、第36号驅潜艇、第37号驅潜艇、第38号驅潜艇、第39号驅潜艇、第1号掃海艇、第3号掃海艇、能登呂、日朗丸、日威丸、あけぼの丸、富士山丸、日章丸、諏訪丸、日吉丸の船歴を追加。

2016年11月05日 Version 16.44公開

那沙美戦時日誌より那沙美、夏島、巨済、済州、壽山丸、漢江丸、昭益丸、第一号桐丸、第十六昭南丸、第一拓南丸の船歴を追加。
昭和16年12月〜昭和17年5月分佐伯防備隊戦時日誌より第31号哨戒艇、第46号哨戒艇、夏島、那沙美、第19号驅潜艇、第20号驅潜艇、第21号驅潜艇、第25号驅潜艇、第26号驅潜艇、第27号驅潜艇、第六玉丸、第七玉丸、第八拓南丸、王星丸の船歴を追加。
艦船行動簿により菊の大正13〜14年の動静も補足。
futaba tadakichiさまからのご指摘により荒埼特務艦長を訂正、第一號輸送艦長、南進の供用先変更を追記。荒埼の特務艦長として記載していた小野大尉だが、これは可成丹念に調べないと誤りは見つけられない難易度の高いもので、ご教示いただいたfutabaさまに深謝。

2016年10月29日 Version 16.43公開

第二號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第2号哨戒艇、早苗、隠戸、鶴見、知床、高崎、第3号驅潜艇、第4号驅潜艇、第5号驅潜艇、第6号驅潜艇、第30号驅潜艇、第31号驅潜艇、第33号驅潜艇、第11号掃海艇、第30号掃海艇、第105号哨戒艇、第108号哨戒艇、第101号特設輸送艦、第102号特設輸送艦、第131号特設輸送艦、第26号驅潜特務艇、第27号驅潜特務艇、第37号驅潜特務艇、第42号驅潜特務艇、第104号掃海特務艇、第106号掃海特務艇、南海、辰春丸、西安丸、第三東洋丸、第二京丸、第十二京丸、第十八長運丸、旭東丸、富士山丸、~國丸、第三小倉丸、白馬山丸、松祐丸、新玉丸、日本海丸、日榮丸、東星丸、安興、華山丸、旭光丸、聖山丸、帝香丸、日營丸、北安丸、亞南丸、那岐山丸、北海丸、日邦丸、淺香丸、さんるいす丸、共榮丸、水天丸、硯山丸、第十二南進丸、松本丸、春日山丸、まがね丸、昭永丸、朝日山丸、花川丸、大鳥丸、華山丸、東祐丸、越前丸、松榮丸、日遼丸、第十二雲海丸、第十一高砂丸、第一南興丸、蟠龍(非公開)の船歴を追加。さらに艦船行動簿により灘風の大正13〜14年の動静も補足。
驅逐艦の諸元を作成するときに誤って軍艦の諸元を上書きしてしまっていたのに気付き修復。した、つもりが、どうやっても変になってしまう。ローカルでは問題ないのだが、ウエブにアップするとレイアウトが崩れ、色が変わり無茶苦茶。スタイルシートが壊れているみたいなのだが、原因不明。仕方ないので、とりあえずPDFにしてあげる。で、PDFにならない。??スマホで見るとちゃんとなる。ということはこのPCのキャッシュの問題。再度チャレンジ。Edgeはキャッシュのクリアで復旧。IEはキャッシュのクリアだけではだめで、「Webサイトを表示するたびに確認する」設定に変更して漸く復旧。
Y.Hさまからのご指摘により良榮丸の船歴を修正。
荒埼、白埼の除籍日を訂正。荒埼の場合、最後の復員庁第二復員局公報が発行された昭和23年1月1日まで除籍の令達はでていない。調査継続。

2016年10月22日 Version 16.42公開

第三十六號哨戒艇戦時日誌より第36号哨戒艇、栗、早苗、朝顔、呉竹、刈萱、若竹、隼、鷺、第2号哨戒艇、第4号驅潜艇、第5号驅潜艇、第6号驅潜艇、石廊、鶴見、佐多、石廊、隠戸、塩屋、足摺、大瀬、第15号驅潜特務艇、第22号驅潜特務艇、第37号驅潜特務艇、第41号驅潜特務艇、C澄丸、聖川丸、長壽山丸、長白山丸、旭東丸、第三小倉丸、第二共栄丸、第二菱丸、共榮丸、興川丸、みりい丸、さんぺどろ丸、さんらもん丸、さんるいす丸、第二小倉丸、那智山丸、那須山丸、那岐山丸、五洋丸、武豊丸、広田丸、羽黒丸、雷山丸、麗洋丸、ばたびあ丸、泰安丸、錫蘭丸、五洋丸、じゃんび丸、崙山丸、杉山丸、山鶴丸、諾威丸、広進丸、滿泰丸、日達丸、延壽丸、旺洋丸、花川丸、にぎつ丸、摩耶山丸、帝海丸、亜米利加丸、湖北丸、うすりい丸、帝香丸、帝立丸、帝楓丸の船歴を追加。さらに艦船行動簿により藤の大正13〜14年の動静も補足。
この戦時日誌には昭和18年07月30日22:50に「第三圖南丸」が船団に合同していることが記されているのだが、この時期、第三圖南丸はトラックで修理中のはず。第二圖南丸も横浜で修理中。電文の宛先には単に「圖南丸」となっているので、この間の行動がよくわからない圖南丸として記しておく。第三圖南丸が本当にトラックで修理中だったのかも、気をつけて今後の調査にあたることにする。
Windows 10のAnniversary Updateに失敗し続けていたが、どうやら、またもWeb Cameraが原因だったみたい。接続をはずしたらUpdate成功。結局、またもやドライバを入れなおして。。。これからもずっとこんなことせにゃならんのか。Updateは成功したもののスタート画面にピン止めしたはずのアプリが消えたり、Groove ミュージックでアルバムアートが表示されなくなったり、いったいなんなのさ。

2016年10月15日 Version 16.41公開

第百一號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第101号哨戒艇、千歳、秋津洲、第4号掃海艇、足摺、洲埼、伊良湖、報國第一三號、相良丸、日枝丸、高千穂丸、瓊山丸、太隆丸、白山丸、南海丸、三星丸、天城山丸、日立丸、會幸丸、笠置丸、菊川丸、稲荷丸、相洲丸、北隆丸、那須丸、昭永丸、寳山丸二號の船歴を追加。昭和18年02月15日以前の分は横須賀防備戦隊戦時日誌により補足。
実は依然として戦闘が継続している。木曜日、大掛かりに第5次掃蕩作戦を決行。死闘はまだまだつづく。
いま、第三十六號哨戒艇戦時日誌の調査をとりまとめているところだが、兵装につきわかったことを先に記しておく。大枚はたいて購入した「各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表」から読み取れる第36号哨戒艇の昭和19年11月30日現在の兵装は砲2門、二十五粍二聯装機銃1基、同単装機銃4基である。しかし戦時日誌から読み取れる同時期の主な兵装は 四十五口径三年式十二糎砲2門、九六式二十五粍三聯装機銃1基、十三粍二聯装機銃1基、七粍七単装機銃である。第36号哨戒艇は昭和18年12月26日に佐世保を出港して以来、昭和19年中は一度も内地に戻っていない。二十五粍単装機銃の増備が行われたのは昭和20年3月になってからで、場所はスラバヤである。一方、第38号哨戒艇は昭和19年10月13日に佐世保を出港するまで佐世保海軍工廠で各種工事を行っており、7.7mm以下の機銃を除いては調査表と一致する。「各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表」では「第36、38号哨戒艇」の状況ということになっているが実のところは第38号哨戒艇の現況を表しており第36号哨戒艇の現況ではないことがわかる。第17号掃海艇の例もあるし、この調査表で複数の艦の名前があげられている場合、すべての艦にあてはまるかどうかは注意しなければならない。
二等驅逐艦から移籍された哨戒艇の最初の兵装は「日本海軍護衛艦艇史」などで
四十五口径(三年式)十二糎砲2門、二十五粍単装機銃1基(推定)、爆雷投射機2基(推定)、単艦式大掃海具1組
となっているが、おそらくは第35号哨戒艇と第37号哨戒艇の戦時日誌から
四十五口径三年式十二糎砲2門、九三式十三粍二聯装機銃1基、三年式(又は七粍七単装)機銃2基、三八式小銃29挺、陸式拳銃7丁、高角式七十五糎探照燈1基、武式二米測距儀1基、四年式一米半測距儀1基、九三式探信儀一型1基、爆雷水圧投下装置、爆雷(定数:36個)、対艦式大掃海具、単艦式大掃海具、小掃海具といったところではないかと思う。少なくとも二等驅逐艦改造の哨戒艇に最初から二十五粍単装機銃を装備していたなどあり得ない。

2016年10月08日 Version 16.40公開

第三十五號哨戒艇戦時日誌・遭難報告より第35号哨戒艇、千歳、蒼鷹、蓮、友鶴、鴻、鵯、第1号哨戒艇、第2号哨戒艇、第34号哨戒艇、早鞆、鶴見、明石、朝日、加徳、黒島、金龍丸、山陽丸、~川丸、いくしま丸、妙見丸、第十二昭南丸、淀川丸、駿河丸、あけぼの丸、日榮丸、黒潮丸、松本丸、~龍丸、山jロ、甲谷陀丸、善洋丸の船歴を追加。さらに艦船行動簿により蔦の大正13〜14年の動静も補足。

2016年10月01日 Version 16.39公開

第四十六號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第46号哨戒艇、夏島、那沙美、由利島、怒和島、千鳥、鳩、第18号掃海艇、第11号驅潜艇、第36号驅潜艇、釣島、伊良湖、國丸、西貢丸、高千穂丸、第三玉園丸、第三拓南丸、第八拓南丸、第三昭和丸、第五昭和丸、多摩丸、高砂丸、和美丸、第二號日本丸、八紘丸、尾上丸、第五日の丸、筥崎丸、山西丸、慶山丸、桑港丸、稲荷丸、乾安丸、摩耶山丸、にぎつ丸の船歴を追加。さらに艦船行動簿により第十二号驅逐艦の大正14年までの動静も補足。

2016年09月24日 Version 16.38公開

第百二號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第102号哨戒艇、八重山、若竹、呉竹、朝顔、栂、白鷹、第8号掃海艇、第29号掃海艇、第3号驅潜艇、第4号驅潜艇、第5号驅潜艇、第6号驅潜艇、第7号驅潜艇、第38号驅潜艇、第20号驅潜艇、第21号驅潜艇、第30号驅潜艇、第33号驅潜艇、第38号驅潜艇、第41号驅潜艇、第38号哨戒艇、第104号哨戒艇、第36号驅潜特務艇、第37号驅潜特務艇、第41号驅潜特務艇、第106号掃海特務艇、足摺、洲埼、鹽屋、荒埼、明石、興嶺丸、第二昭南丸、さんとす丸、聖川丸、億洋丸、能代丸、北上丸、健洋丸、日榮丸、吾妻丸、玄洋丸、あけぼの丸、~國丸、富士山丸、第三小倉丸、日榮丸、旭東丸、 東亞丸、日本丸、國洋丸、興川丸、日章丸、玄洋丸、良榮丸、あまと丸、たるしま丸、香久丸、那須山丸、天城山丸、廣田丸、山水丸、松祐丸、安城丸、じゃんび丸、辰珠丸、あとらす丸、明隆丸、C河丸、鹿島丸、帝海丸、和浦丸の船歴を追加。
昭和15年の内令を整理しなおしたので、それに伴う加除修正。

2016年09月17日 Version 16.37公開

第百三號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第103号哨戒艇、八重山、唐津、呉竹、友鶴、隼、第4号掃海艇、第17号掃海艇、第18号掃海艇、第20号掃海艇、第31号驅潜艇、第36号驅潜艇、第45号驅潜艇、第46号驅潜艇、第105号哨戒艇、第149号輸送艦、第24号驅潜特務艇、第39号驅潜特務艇、第42号驅潜特務艇、第84号驅潜特務艇、第7号掃海特務艇、第8号掃海特務艇、大立、佐多、尻矢、伊良湖、りん丸、木曽丸、興嶺丸、下松丸、第一號東光丸、第二京丸、第十二京丸、第十八長運丸、第二十一長運丸、八代丸、第十七日東丸、第十八日東丸、最上丸、~州丸、たるしま丸、笠置山丸、水天丸、北比丸、松本丸、春天丸、慶州丸、洛東丸、第三共榮丸、春島丸、王星丸、第一海洋、日鐵丸、夏川丸、あやぞの丸、美崎丸、杉山丸、阿蘇川丸、東祐丸、明石丸、帝海丸、三笠丸の船歴を追加。
軽質油船の頁を更新。
火曜日に専門部隊による最後の掃討作戦を実施。敵はついに壊滅。。。だと良いのだが。
Peter Cundall氏来日中。

2016年09月10日 Version 16.36公開

第一號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第1号哨戒艇、千歳、友鶴、初雁、蒼鷹、第3号驅潜艇、第8号掃海艇、第21掃海隊(第7-12号掃海艇)、第2号哨戒艇、第34号哨戒艇、第35号哨戒艇、第36号哨戒艇、第37号哨戒艇、第38号哨戒艇、第39号哨戒艇、早鞆、間宮、伊良湖、筑紫、葛城丸、りん丸、いくしま丸、大興丸、朝風丸、五隆丸、廣盛丸、日春丸、白令丸、第二號大井丸、湊丸、玄洋丸、さんくれめんて丸、帝洋丸、あかつき丸、妙高丸、南海丸、北陸丸、畿内丸、葛城丸、君島丸、天城山丸、浪速丸、天龍丸、白山丸、山霜丸の船歴を追加。
特務艦早鞆の大正年間と昭和11年の艦歴を更新。

2016年09月03日 Version 16.35公開

第三十八號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第38号哨戒艇、栗、蓮、鷺、隼、前島、第3号輸送艦、第23号驅潜艇、第33号驅潜艇、第102号哨戒艇、第39号驅潜特務艇、第95号驅潜特務艇、足摺、さんとす丸、木曾丸、長壽山丸、北京丸、第八長運丸、第三拓南丸、春日丸、英風丸、芙蓉丸、布引丸、さんるいす丸、さんぢゑご丸、第二小倉丸、昌榮丸、広田丸、松本丸、岩戸丸、重興丸、共栄丸、旺洋丸、第一日ノ丸、武豐丸、美崎丸、日鐵丸、山幸丸、武津丸、白馬山丸、あやなみ丸、辰珠丸、仁榮丸、昭永丸、東亞丸、愛宕丸、光コ丸、日南丸、第五雲海丸、愛宕丸、あとらす丸、國山丸、扶桑丸、しあとる丸、まにら丸、有馬山丸、南星丸、うらる丸、帝立丸の船歴を追加。
鎮海海軍港務部戦時日誌より、黒島、光済、霧社丸、第九朝洋丸、萩川丸、若宮山丸、備後丸、壽丸、 公称第674号曳船兼交通船、公称第730号曳船兼交通船、公称第792号曳船兼交通船、公称第744号交通船兼曳船、公称第811号交通船兼曳船、公称第945号交通船兼曳船、公称第990号交通船兼曳船、公称第1549号起重機船、公称第2522号起重機船、公称第5404号軽質油船の船歴を追加。
鎌田実さまからの情報により白山丸、東京丸、第一日之出丸、第二松生丸の船歴更新。

2016年08月27日 Version 16.34公開

第三十七號哨戒艇戦時日誌より第37号哨戒艇、第36号哨戒艇、第38号哨戒艇、第二圖南丸、第二號永興丸、千光丸、さんくれめんて丸、第二號大井丸、淀川丸、須磨の浦丸、あけぼの丸、鹿野丸、山彦丸、射水丸の船歴を追加。
香港港務部戦時日誌より、栗、蓮、嵯峨、舞子、初雁、第17号掃海艇、第101号掃海艇、第102号掃海艇、第9号驅潜艇、新井埼、第108号輸送艦、神威、嵐山丸、開南丸、下松丸、みりい丸、金泉丸、尊條丸、山幸丸、美保丸、辰泰丸、橋立丸、松島丸、天榮丸の船歴を追加。
火曜日に専門部隊による第三回目の掃討作戦を実施。でも次の日、依然として敵の敗残兵を発見して圧殺。この後は、ひたすら敵が残留毒ガス地帯に侵入して絶滅するのを待つのだというのだが、本当に大丈夫かなぁ。

2016年08月20日 Version 16.33公開

第三十一號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第31号哨戒艇、雲鷹、香取、若竹、第18号掃海艇、第26号驅潜特務艇、第32号驅潜特務艇、第六玉丸、第七玉丸、多摩丸、第三拓南丸、第八拓南丸、麻豆丸、恒春丸、第三號日之出丸、武津丸、朝日山丸、山幸丸、日鐵丸の船歴を追加。
第百四號哨戒艇戦時日誌・戦闘詳報より第104号哨戒艇、栂、白鷹、第2号驅潜艇、第3号驅潜艇、第20号驅潜艇、第21号驅潜艇、第35号驅潜艇、第38号驅潜艇、第56号驅潜艇、第63号驅潜艇、第11号掃海艇、第12号掃海艇、第20号掃海艇、第101号哨戒艇、第102号哨戒艇、第8号掃海特務艇、第10号掃海特務艇、第11号驅潜特務艇、第87号驅潜特務艇、第92号驅潜特務艇、華山丸、大興丸、長田丸、千光丸、壽山丸、春川丸、興嶺丸、第五十六播州丸、研海丸、第十三京丸、八紘丸、第十七日東丸、十勝丸、生田川丸、朝威丸 國山丸、飛隼丸、平龍丸、大越丸、延喜丸、あやなみ丸、昭永丸、辰珠丸、~祐丸、湖北丸、帝海丸、和浦丸、まにら丸、暁征丸、帝楓丸の船歴を追加。
第百七號哨戒艇戦時日誌より第107号哨戒艇、第7号掃海特務艇、第53号驅潜艇の船歴を追加。

2016年08月12日 Version 16.32公開

鳴海戦時日誌より鳴海、鳥羽、勢多、堅田、比良、保津、熱海、二見、伏見、隅田、須磨、多々良、栗、蓮、飛渡瀬、公稱第841號曳船兼交通船、第二松丸、第十二喜久丸の船歴を追加。
第百八號哨戒艇戦時日誌より第108号哨戒艇、第2号哨戒艇、第36号哨戒艇、第12号掃海艇、第5号驅潜艇、第56号驅潜艇、第3号掃海特務艇、第103号掃海特務艇、第41号驅潜特務艇、第106号驅潜特務艇、第113号驅潜特務艇、球磨川丸、豐成丸、亞南丸、第二昭南丸、第二彌榮丸の船歴を追加。
鹿島戦時日誌より鹿島の船歴を追加。
6月の第四次上海事変の際、どうやら帰国荷物に便衣兵が紛れ込んでいたようである。敵は真夜中にゲリラ戦を仕掛けてくるため朝目覚めると布団が流血に染まり、痒みも尋常でない。我が隊においては市販の化学兵器で反撃を試みるも歯が立たず、ついに専門部隊の派遣を要請し今月始め毒ガスによる掃蕩作戦を決行。結果、被害は大分減ったものの、未だ毎晩のように敵の斥候を発見しては圧殺を繰り返している次第。我方の婦人部隊も新たに発見した敵アジトを急襲したり、頻繁なる洗浄、毒ガス散布で敵の殲滅を試みているものの、最近では少年兵も紛れ込んでくるようになっており、敵もしぶとく戦力の増強を図っている模様である。本日、専門部隊による第二回目の掃討作戦を敢行。これで敵兵力を一掃できれば良いのだが、敗残兵が戦力を立直したらどうなることやら。今回の戦費は30万円弱。このような事態が恒常化すると、敵より先に我が軍が財政破綻してしまう。
さて帰省だ。来週の更新はちょっと遅れます。

2016年08月06日 Version 16.31公開

安宅戦時日誌より安宅、第38号驅潜艇、海Cの船歴を追加。
興津戦時日誌より興津、第38号驅潜艇の船歴を追加。
須磨戦時日誌より須磨、隅田、多々良の船歴を追加。
鳥羽戦時日誌より鳥羽の船歴を追加。
真鶴戦時日誌より真鶴の船歴を追加。
第九艦隊戦時日誌より白鷹、第26号驅潜艇、第32号驅潜艇、第34号驅潜艇、第35号驅潜艇の船歴を追加。
第二根據地隊戦時日誌より白鷹、第26号驅潜艇、第32号驅潜艇、第33号驅潜艇、第34号驅潜艇、第35号驅潜艇、若鷹、第21水雷隊、第11掃海隊、第30掃海隊の船歴を追加。因みに第九艦隊戦時日誌として公開されているJACAR:C08030023500のP8-P13が第二根據地隊戦時日誌で欠落している昭和18年11月分である。
浮船渠の頁を更新。
鵲、第105号哨戒艇関係の頁をMr. Erich Mühlthalerからの情報に依り更新。

2016年07月30日 Version 16.30公開

第二遣支艦隊戦時日誌より蓮、栂、栗、前島、初雁、友鶴、鵲、鵯、鴻、雁、雉、橋立、宇治、嵯峨、須磨、舞子、第102号掃海艇、第176号驅潜特務艇、第177号驅潜特務艇、室戸、開南丸、長平丸、香椎丸、~州丸、第五呉の船歴を追加。
哨戒艇の頁を作成。
Arayat(のちの第百五號哨戒艇)の写真をついに発見!いまだに1888年建造のスペイン砲艦と信じている人がいるのには困りものである。また、当時フィリピンはアメリカの植民地であるからフィリピンと書いてもアメリカと書いてもどちらも正解なのに、それすら分かっていない人もいるようで?である。
光徳丸と蓮のサムネイルを追加。

2016年07月23日 Version 16.29公開

第一砲艦隊戦時日誌より隅田、伏見、二見の船歴を追加。
第十二根據地隊戦時日誌より雁、第七号掃海艇、第七号驅潜艇、香椎の船歴を追加
哨戒艇より二等驅逐艦の方が先にデータが集まったのでこちらを先に公開。
諸元はExcelからhtmlに変換しているのだが驅逐艦の表は間延びした形に変換されてしまうようになり、他の頁と整合がとれない。Wordと同じようにそのうちメモ帳に代えるか特設艦船のようにPDF化しなくてはならないのか?
公称第1061号浮船渠の船歴を追加。
昭和17年10月09日官房第5997號を官房第5957號と誤記しているのに気付き訂正m(__)m。起重機船に漏れがあったので追記。 防研で短時間で写経していたころに作ったものなのでまだまだ転記ミスはあると思われ。。。個船毎の頁を作る際に必ず再度原文にあたるようにしていますのでいつかは直ると思いますm(__)m。お気づきの向きは是非お知らせください。

2016年07月16日 Version 16.28公開

海軍配當船の頁のメモ帳化完了。海軍配當船の一覧表に載っていないが船舶運營會のメモと兵備三機密第18号の8の37に載っている船を附録として別ににまとめた。これにあたり天南丸と泰南丸の船歴を新たに追加。
練習船(艇)の頁を更新。
練習船には旧二等驅逐艦が6隻ある。驅逐艦長の情報はネグろうかと思ったが、性格上結局調べてしまった。哨戒艇のこともあり、ついでだからと所謂樅型と若竹型の諸艦の驅逐艦長も全部調べた。これらについてはWikiをはじめネット上ではまだ完全な驅逐艦長人事がまとめられていない。しかし「艦長たちの軍艦史」があるから簡単と思っていたが、この本、太平洋戦争参加艦だけだったんですねぇ。hushさんとこの情報も参考にしながら1箇月近くかけてなんとか確認しました。「艦長たちの軍艦史」に誤りがあることは聞いていたが、掲載されている二等驅逐艦9隻に対して間違いが17箇所。階級や数日の発令日の誤記を除いた、主な過誤を列挙すれば、
【栗】
(誤)五年五月二十六日、小島斉志少佐(43期、愛媛出身)着任。
(正)小島少佐はこのとき海軍軍令部参謀に補職しておりこのような事実はない。十二月一日吉田少佐に代わるまで驅逐艦長は崎山少佐のままである。
(誤)六年十二月一日、藤田俊造少佐(42期、広島出身)着任。
(正)このような事実はない。七年十二月一日中原少佐に代わるまで驅逐艦長は吉田少佐のままである。
【蓮】
(誤)初代艦長は六月十日より艤装員長をつとめた有馬直少佐
(正)これは蓬のこと。蓮の初代艦長は三月一日より艤装員長をつとめた斎藤二郎少佐
【若竹】
(誤)九年十一月十五日、森艦長は「野風」に移り、馬場昇大尉着任。
(正)森少佐は十月二十二日に退任、後任は新谷喜一大尉。十一月十五日附発令の馬場大尉は呉竹驅逐艦長。
【呉竹】
(誤)昭和九年十月二十二日、新谷喜一大尉(50期、広島出身)が着任。
(正)昭和九年十一月十五日馬場昇大尉に代わるまで驅逐艦長は北村少佐のまま。
確かに十月二十三日発行の官報において新谷大尉の十月二十二日附呉竹驅逐艦長の辞令が掲載されているが、同月二十六日の官報で若竹驅逐艦長に誤記訂正されている。
【早苗】
(誤)十一年十二月一日、吉井五郎少佐(50期、高知出身)が着任、
(正)吉井少佐の発令は十二年十二月十五日。この間に矢野寛二大尉(のち少佐)が九年九月二十九日から驅逐艦長をつとめている。
【朝顔】
(誤)大正十四年十二月一日、古賀七三郎少佐(36期、佐賀出身)着任。
(正)このような事実はない。驅逐艦長は大正十五年十一月一日まで坂野民部少佐のまま。ただし、坂野少佐は大正十四年十二月一日に第十六號(芙蓉)驅逐艦長に兼補されている。
【刈萱】
(誤)十一年十二月一日、若林一雄少佐(51期、山口出身)着任。
(正)このとき若林少佐は第十八號掃海艇長に補職。吉田少佐が着任する昭和十二年十二月一日まで驅逐艦長は笹川少佐のままである。
驅逐艦の頁を作る気はなかったのだが、せっかく調べたのでそのうち二等驅逐艦の頁だけは作ろうかと思う。
放置してあった特殊漁船の頁をメモ帳化に伴い少しだけ整備。MS Wordで作ると勝手に表の形が変わったりするので頻繁な更新は躊躇されていたが、メモ帳で作るとそういうことはなくなるので楽。ただ、もしもIEの提供が終わり、全面的にEdgeになったらどうしよう。Edgeでは簡単にソースが変更できないのでIEを止めるなら早くなんとかしてもらいたい。昭榮丸の特殊漁船時代の船歴を追加。

2016年07月09日 Version 16.27公開

海軍配當船の頁のメモ帳化中。
第二十四砲艦隊戦時日誌より鳴海、多多良、隅田、宇治、須磨、伏見、勢多、堅田、早瀬、飛渡瀬、鄱陽の船歴を追加。

2016年07月02日 Version 16.26公開

海軍配當船の頁のメモ帳化中。
第二十三砲艦隊戦時日誌より熱海、二見、伏見、須磨、保津の船歴を追加。

2016年06月25日 Version 16.25公開

海軍配當船の頁のメモ帳化中。
第二十二砲艦隊戦時日誌・戦闘詳報より保津、比良、伏見、隅田、熱海、須磨、多々良、早瀬、飛渡瀬の船歴を追加。

2016年06月18日 Version 16.24公開

特務艇の頁のメモ帳化完了。
艦船所在、艦船従軍年始終期、鳴戸行動圖から鳴戸の艦歴を更新。これにて鳴戸の更新は一旦終了。さて次は何にするか。
雑役船、内火艇(艦載水雷艇型)/(水雷艇型)、曳船(驅潜艇型)の頁を更新。
第二十一砲艦隊戦時日誌・戦闘詳報より勢多、堅田の船歴を追加。

2016年06月11日 Version 16.23公開

特務艇は電纜敷設艇の頁までメモ帳化完了。魚雷艇の頁のメモ帳化中。
鳴戸の艦歴を更新。昭和13年12月まで。
水上機母艦、潜水母艦、敷設艦、練習巡洋艦の頁を追加。
残るは海防艦と哨戒艇か。海防艦は旧軍艦の海防艦をどう扱うか迷うところ。平海、寧海は調査したいけど。哨戒艇は驅逐艦との絡みがあるからどうするか?
航空母艦、砲艦、水雷艇、敷設艇、掃海艇、驅潜艇の頁を更新。
第一遣支艦隊戦時日誌・戦闘詳報より安宅、勢多、堅田、比良、保津、熱海、二見、伏見、隅田、第八曳船(公稱第841號)、信陽丸の船歴を追加。
月曜日から1泊2日の上海出張。あー。やだ。

2016年06月04日 Version 16.22公開

艦艇の頁のメモ帳化完了。特務艇の頁のメモ帳化中。
鳴戸の艦歴を更新。昭和12年12月まで。
Portable HDは全然問題なく動いていたが、残り容量も10%程度となったので新しく購入。今度もI-Oにしたかったが適当な製品がないので仕方なくWDにする。データを移行していて気付いたのは容量があると思って仮置きしていた動画ファイルが200GB近くあったこと。これを消してしまえば、、、、まだ50%はあるじゃないか。なんてこったい!まぁもう6年使ったからいっか。
舞子艦長の階級を間違えていたのを訂正。m(__)m

2016年05月28日 Version 16.21公開

艦艇・特務艇の頁のメモ帳化中。
鳴戸の艦歴を更新。昭和11年12月まで。
驅潜艇に本籍仮定の情報が漏れていたので追記。
造船協会雑纂の記事から戸島丸・黒島丸の起工日・進水日を追加・変更。従前進水日は黒島の場合、T03.10.29、戸島の場合、T03.10.05としていたが、造船協会雑纂の記事に合わせた。
参考文献を少し追加。

2016年05月21日 Version 16.20公開

特務艦の頁のメモ帳化完了。艦艇・特務艇の頁のメモ帳化中。
鳴戸航泊日誌組込完了。昭和10年12月まで。ついでにでてくる膠州、春日、矢風、神威、矢風、室戸、洲埼、建川丸、東亞丸の艦歴も更新。
砲艦の頁をアップしてストックがなくなったので潜水母艦等の準備に入る。軍艦の人事は「艦長たちの軍艦史」があるから楽勝と思っていたが、軍艦についても意外と抜けがある。「歴代全艦長。。。」というのは誇大広告ですな。Wikiでは長鯨の艦長として藤永紫朗中佐の名を上げ、吉富説三大佐がその前後にいるものの退任や着任の日付を不詳としている。藤永中佐は副長であって、吉富大佐はその間ずっと艦長だったのだから不詳なのは当たり前。官報を出典にするのは良いけど、誤植をそのまま引用するようじゃまだまだです。まぁ、叩き台があるとないとじゃ調査にかける時間のかかり方が段違いなのでWikiの情報には感謝しますが。。。午後休をとって防研にも行ったので、とりあえず公開できる程度の情報は集まった。
特設特務艇の諸元が特設特務艦船の諸元になっていたのを修正。軍艦の艦長人事を調べていて判明した野間の特務艦長を一部訂正。

2016年05月14日 Version 16.19公開

艦艇・特務艦艇の頁のメモ帳化中。
鳴戸航泊日誌組込中。昭和10年10月まで。ついでにでてくる第一〜第六号掃海艇、燕、鴎、能登呂、鶴見、神威、間宮、室戸、青島、洲埼、大泊、春日、極東丸、昭洋丸、東亞丸の艦歴も更新。

2016年05月07日 Version 16.18公開

特設特務艇の頁のメモ帳化完了。要目一覧をPDFにした。艦艇・特務艦艇のメモ帳化中。
鳴戸航泊日誌組込中。昭和10年07月まで。ついでにでてくる能登呂、早鞆、鶴見、神威、室戸、青島、春日、那沙美、建川丸の艦歴も更新。
千鳥、鴻のサムネイル追加、隼鷹のサムネイル更新。敷設艇のサムネイルの色目を統一。
大海指による軍隊区分を追加完了。でも、やはり写経漏れがあるんだなぁ。
砲艦の頁を追加。メモ帳化などは筆者の自己都合であり、見てる人には関係ないわけで、全然コンテンツが増えないのもなんだしなぁと、本当は少し艦歴を書き足した上で公開しようと思ってお蔵入りさせていたものを引っ張り出してきた次第。Wikiを含め完全な砲艦の艦長人事など、まだ誰も公開していないので、少しは役に立つはず。

2016年04月30日 Version 16.17公開

特設特務艇の頁のメモ帳化中。
海南警備府戦時日誌から鴻の艇歴を追加。
大海指による軍隊区分を追加中

2016年04月23日 Version 16.16公開

特設特務艇の頁のメモ帳化中。
海南警備府戦時日誌から隼の艇歴を追加。
久々に昭和館に行った。入館証の有効期間が満了しており、更新。そんなに来てなかったかなぁ。大海指を写経したので、大海指による軍隊区分を追加中

2016年04月17日 Version 16.15公開

特設特務艇の頁のメモ帳化中。
鳴戸航泊日誌組込中。昭和10年04月まで。ついでにでてくる神威、千鳥、真鶴、間宮、青島、那沙美、野島、朝日の艦歴も更新。

2016年04月09日 Version 16.14公開

特設特務艦船の頁のメモ帳化完了。要目一覧をPDFにした。
鳴戸航泊日誌組込中。昭和10年03月まで。ついでにでてくる神威、初雁、間宮、鶴見、勝力、野島の艦歴も更新。
先週は土日で湯河原温泉へ行った。ということでネタが少ない。

2016年04月02日 Version 16.13公開

特設軍艦の頁のメモ帳化完了。スリム化のため要目一覧をPDFにしてみる。
鳴戸航泊日誌組込中。昭和10年02月まで。ついでにでてくる隠戸、神威、青島、洲埼、春日、第2号掃海艇の艦歴も更新。
4月になり2人が転出、新入社員1名が配属された。2014年に会社を去った上司がカムバックした。驕れる平家の世が終わったのである。

2016年03月26日 Version 16.12公開

安導券を付与された船、一般徴傭船の頁のメモ帳化完了。特設艦船をメモ帳化中。スリム化のためトップ頁をindex.htmのファイル名に統一しています。工事中は各頁においてリンク切れが多発しご不便をおかけします。
鳴戸航泊日誌組込中。昭和10年01月まで。

2016年03月19日 Version 16.11公開

救難船兼曳船の頁を更新。各雑役船の頁(特設艦船と同じ型式の頁のみ)のメモ帳化、船歴の体裁統一作業完了。「雑役船」の頁を更新し報国號で船名が判明しているものを表形式で追加。船歴も追加、陸軍船の頁(特設艦船と同じ型式の頁のみ)、外国傭船(フランス船)のメモ帳化完了。
作業をしていると、あるアプリケーションで突然ポインタが消える。そのアプリケーションの外にポインタを出すとまた現れる。こういう事象が頻発。ネットで検索するとALT+CNTL+DELを押せとか再起動せよとか書いてあるがALT+CNTL+DELでは復旧せず、アプリの再起動は面倒だし、何とかならないかと探っていたのだが、あるサイトで無線のマウスが悪さしているとあったので、うちのは(無線ではないが)、このPCに附属していたHPのマウスに代えてみた。するとこういう現象は発生しなくなった。相性が悪かったのかなぁ。使い慣れたDELLのマウスではあったが、ご臨終。お疲れ様でした。
鳴戸航泊日誌組込中。昭和09年11月まで。ついでにでてくる大和、隠戸、室戸、神威、青島、洲埼、膠州、春日の艦歴も更新。

2016年03月12日 Version 16.10公開

動力船、海洋観測船、測量船、測量船兼海洋観測船、測量船兼交通船の頁を更新。雑役船の頁を順次MS Wordからメモ帳に作り替え中。結構、誤記を発見し訂正。m(__)m
鳴戸の艦歴を更新。昭和09年10月まで。

2016年03月05日 Version 16.09公開

飛行機救難船の頁を更新。水光丸について話題にしたのは2009年11月14日だからもう6年も前か。ついこの間だと思ったのに。一応、今わかる範囲での調査結果である。
「終戦と帝国艦艇」には公称第1579号の写真が2枚掲載されている。
(49) S21.12.03 鹿児島県海潟
(71) S21.春  長崎県佐世保

(49)は丸スペNo.53 35頁の上写真と同じものである。この2つを見比べると(71)は簡易船型の戦時建造船だが(49)の方はそうでないことは一目瞭然である。 昭和22年2月1日二復總第四九號別冊「行動不能艦艇所在並ニ各地方復員局保管分担表」によると

とあるので、公称第1579号は海潟で撮影された(49)の方である。

丸スペNo.53 35頁の中写真は公称第1165号で戦時急造タイプとのキャプションがついている。撮影日や場所が記されていないがクレーンが支柱のみとなっていることから上記の公称第1165号の状態と一致している。おそらく(71)もこの公称第1165号であろう。ところで「Japanese Naval Veesels at the end of War」にも書かれてあるが公称第1165号は25t砲艇に付与された番号で飛行機救難船に付与されたものではない。
6年前にも書いたが鹿屋丸とは鹿屋航空基地所属の150t型飛行機救難船公称第932号のことと推定される。
では公称第1165号と垂水丸の本当の公称番号は何だろうか?
300t型で終末がよくわからないのは、

公称第1165号はS21.春に撮影されており、公称第1579号と同時に掲載されている、そして簡易船型であることから考えると公称第1263号でもない。

公称第1537号の場合、青森県三澤市配属の船が長崎県佐世保市にいるのは解せない。しかも公称第1537号が簡易船型ならば、それより大きい番号の公称第1579号も簡易船型と思われ、(49)の写真の説明がつかなくなる。よって、公称第1165号は公称第1634号のことではないかと推定される。

「船舶史稿」の写真を見ると垂水丸もまた簡易船型である。公称第1579号と同時に掲載されているので、公称第1579号ではない。

一番ありそうな垂水海軍航空隊の公称第1579号が消えてしまうし、垂水丸もまた公称第1634号のことではないかと推定されてしまう。どちらかが終戦時工程80%だった鎮海海軍工作部の建造船であれば説明がつくのだが。結論として、公称第1165号と垂水丸の本当の公称番号は、。。。わからないorz。

もう1隻福山近くの鞆で沈没した300t型、通称松山丸というのがある。のちに若汐丸となった船で若汐丸自体は300t型の寸法をしている。これが150t型や200t型なら別の候補があるが、そうでないのでこれは公称第1263号と推定するしかない。

今回、定説を無視したものとしては公称第1089号がある。公称第1089号は戦後巡視船「こつくす丸」「館空丸」「わかちどり」と名前を変えた船である。上記「分担表」では「館空丸」として掲載されている。しかし公称第1089号はもともと高雄海軍航空隊(昭和20年6月15日からは高雄海軍警備隊)の所属であり、終戦時、高雄商港に在泊していたことも判明している(JACAR:C08010537800)。中国が戦利船をおいそれと返還などするはずがない。「Japanese Naval Veesels at the end of War」でも公称第1089号と「館空丸」は併記されており、館空丸は「BELONGED TO TATEYAMA FLYING CORPS, AT TATEYAMA, CHIBA PREF, AT THE END OF WAR, TOWED TO URAGA IN JAN, 1947」、公称第1089号は「PRESENT CONDITIONS OR EXISTENCES UNKNOWN」である。「Japanese Naval Veesels at the end of War」は公称第1340号を300型と間違えているが、公称第1340号は200t型であり、消去法でいくと本船は木更津海軍航空隊の公称第1340号とみるしかない。Wikiによると木更津海軍航空隊は昭和17年12月に解隊されているが、館山海軍航空隊が引き継いでいたとしても不自然さはないと思う。
「ゆうちどり」は記録をたどるとこういう結果になってしまうのだが、「豊空丸」から「一六」になる過程がどうも納得いかない。

鳴戸の艦歴を更新。昭和09年02月まで。

2016年02月27日 Version 16.08公開

第17号掃海艇の艇歴を更新。横須賀鎮守府、横須賀防備戦隊、海軍公報の艦船所在、公文備考、支那事変功績概見表第8〜10回、功績便覧、小型艦艇行動調書からの補足。
鳴戸の艦歴を更新。昭和07年12月まで。

2016年02月20日 Version 16.07公開

第十七號掃海艇戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は鷺、鵯、園島、第21号驅潜艇、第61号驅潜艇、第99号驅潜特務艇、来島丸、紀進丸、第二利丸、旺洋丸、第六長運丸、日鐵丸、東亞丸、能登呂、辰珠丸、あやきり丸、徳和丸、あやなみ丸、まにら丸、さんぢえご丸、さんるいす丸、仁榮丸、梅榮丸、帝楓丸、山幸丸、おりんぴあ丸、武津丸、瑞穂丸、あらびあ丸、みりい丸、榮邦丸。
第三南遣艦隊、第三十一特別根據地隊、呉鎮守府、呉防備戦隊、佐伯防備隊、第一海上護衛隊、第一護衛艦隊戦時日誌から第十七號掃海艇戦時日誌の欠落部分を補足。

第17号型掃海艇の投射機については
(a)丸スパシャル第50号「掃海艇・輸送艦」
でも
(b)世界の艦船増刊「日本海軍護衛艦艇史」
でも九四式1基である。

しかし、公文書をたどると、
【第17号】
(c)一般計画要領書(計画):投射機八一式2、装填台2、投下台水圧三型2、手動二型(2)4
(d)一般計画要領書(現状:昭和18年3月現在に於ける兵器簿に依る):投射機八一式2、装填台一型2、投下台水圧二型1
(e)各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表(19.04.15現在):(九四式1基、八一式2基、装填台3)
(f)各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表(19.09.01現在):八一式爆雷投射機2、装填台2

つまり、昭和18年3月〜9月の間(もしくはそれに加え竣工から昭和18年3月までの一時期)だけ九四式投射機を装備していたことになる。こんなことがあるだろうか?

【第18号】
(c)一般計画要領書(計画):投射機八一式2、装填台2、投下台水圧三型2、手動二型(2)4
(g)海軍艦艇公式図面集:昭和11年:九四式投射機1、装填台1
(h)戦時日誌:19.03.13〜27の間工事:八一投射機、装填台4基新設、爆雷投下台、爆雷水圧投下台撤去
(e)各艦機銃、電探、哨信儀等現状調査表(19.03.20現在):(九四式1基、八一式2基、装填台3)
写真は、
(i)大和ミュージアム
に各3枚あり、他に第17号2枚、第18号2枚が知られている。

九四式投射機の装備位置は(a)や1989年発行の模型雑誌では二番砲後方に描かれてあるが、上記(e)や(g)では二番砲前方にある後檣の前である。(f)の八一式投射機の位置も同じ場所であるから装備位置としては後檣前とみて間違いないだろう。(b)の写真解説でも後檣前と記述されている。この位置に投射機があるという前提でこれらの写真をみると。

【第17号】
 日立造船100年史:S11:小さく不鮮明 
x(i)-PG069039:S13.春 杭州湾:前方からの撮影の為、投射機は不明
x(i)-PG069000:S17   館山湾:81式?	投下台あり
x(i)-PG069038:S22.03 佐世保:前方からの撮影の為、投射機は不明
x(b)-P.57    :S17.6-S18.春 東京湾口(推定):? 投下台あり?

【第18号】
 (i)-PG068987:S12-13 上海  :94式?	投下台あり
 (a)-P.13上 :S13.初夏魚精膜:94式?	投射機のある後部は写っていない
 (a)-P.14上 :S13.4-6 杭州湾:後方からの撮影の為、投射機は不明
 (i)-PG069036:S13     揚子江:94式?	投下台あり?
x(i)-PG068998:S17     館山湾:94式?	投下台あり

どの写真も明瞭とは言い難く、上の判定も筆者にはそのように見えるというにすぎない。そうじゃないでしょと言われればあえて反論するつもりはないし、そもそもできないが、その場合、xを付したものは艇名が描かれていないので、艇名取違えの可能性も加味する必要がある。資料(e)は第17号と第18号の機銃・電探・哨信儀の状況を示すためのもので、投射機については対象外であるから、第18号の図面を第17号に流用しただけの可能性がある。一方、資料(f)は機銃・電探の他に投射機についても調査対象となっているので第17号の現状をきちんと示していると考えられる。

結論としては第17号型のうち第17号は計画通り八一式投射機2基を装備しており、九四式投射機を装備したのは第18号のみであったというのが事実ではなかろうか。

もう一つ、気になるのは(d)で第17号の13mm機銃が聯装1基ではなく「九三式十三粍二型2」となっていることである。「日本海軍艦載兵器大図鑑」では九三式十三粍単装機銃が第17号型2隻に2基装備されたことになっており、聯装になったのはそれぞれ昭和11年1月と昭和11年4月とある。写真ではほとんどが聯装機銃に見えるし、(d)も昭和18年3月現在の状況だからこの時点では聯装のはずだが、この「九三式十三粍二型2」の意味は何だろう?そもそも13mm機銃は保式だがいつから九三式と呼ばれるようになったのか?「海軍制度沿革」に も「極秘内令提要」にも九三式の記述がないので保式で代用すると

兵器名組合機銃型別組合銃架型別
保式十三粍二聯装機銃一型保式十三粍機銃二型保式十三粍二聯装銃架一型
保式十三粍二聯装機銃二型保式十三粍機銃二型保式十三粍二聯装銃架二型
保式十三粍二聯装機銃三型保式十三粍機銃二型保式十三粍二聯装銃架三脚架
保式十三粍単装機銃一型保式十三粍機銃一型保式十三粍単装銃架一型

単装機銃に二型がないことから、これは兵器名ではなく組合機銃型別のことを言っていると思われる。よって、昭和18年3月現在は九三式十三粍機銃二型2挺(=二聯装機銃1基)と読むべきなのだろう。

それにしても掃海艇に関する市販本も少ないものである。話は変わるが(f)の図は「福井静夫著作集 日本補助艦艇物語」にも掲載されているが、換装前の13mm聯装機銃をそのままにし、25mm聯装2基と勘違いしてしまっている。値段も高いし、「福井静夫著作集」と同じものを買う必要があるか迷ったが、こういう間違いがあると原本(の写し)を購入した価値はあったといえるだろう。

鳴戸の艦歴を更新。昭和05年12月まで。

2016年02月13日 Version 16.06公開

第18号掃海艇の艇歴を更新。横須賀鎮守府、横須賀防備戦隊、第三南遣艦隊、第二根據地隊戦時日誌、海軍公報の艦船所在、公文備考、支那事変功績概見表第8〜10回、功績便覧、小型艦艇行動調書からの補足。第18号掃海艇については持てる資料をフルに動員してかなり徹底的に調べたつもり。組み込んでいない丸スペの行動とあわせればほぼ全容が解明されるはず。
鳴戸の艦歴を更新。昭和04年12月まで。
以前に作った頁の体裁を直し、艦艇へのリンクをぼちぼちと追加中。

2016年02月06日 Version 16.05公開

第十八號掃海艇戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は前島、初雁、鷺、由利島、第17号掃海艇、第20号掃海艇、第30号掃海艇、第19号驅潜艇、第32号驅潜艇、第41号驅潜艇、第3号輸送艦、第六南進丸、第七長運丸、春日丸、芙蓉丸、布引丸、英風丸、音羽丸、留萌丸、第五八千代丸、第一甚幸丸、祇園丸、日鐵丸、山幸丸、武津丸、廣田丸、第二圖南丸、國山丸、帝北丸、大峰丸、武豊丸、さんるいす丸、松本丸、南星丸、日南丸、第五雲海丸、第二小倉丸、光徳丸、愛宕丸、梅榮丸、徳和丸、うらる丸、帝立丸、旺洋丸、浅間丸、共榮丸。
第三十一特別根據地隊、呉鎮守府、呉防備戦隊、佐伯防備隊戦時日誌から第十八號掃海艇戦時日誌の欠落部分を補足。
「戦時輸送船団史」一貫番号312、モタ16船団の元ネタはこの「第十八號掃海艇戦時日誌」と思われる。「戦時輸送船団史」では泗礁山泊地で合同し、10日0700に船団から分離した船を「長白山丸」としているが、「第十八號掃海艇戦時日誌」では泗礁山泊地で合同したのは「長山丸」、10日0700に船団から分離した船は「長白山丸」となっている。「戦時輸送船団史」では「長山丸」を「長白山丸」の誤記と見たようだが、「第十八號掃海艇戦時日誌」の電文部分には「長山丸RNG 十日〇七〇〇白沙沖ニテ分離基隆ニ向ハシム」とあり「長白山丸」が「長山丸」(JRNG:関東州826:大連汽船)の誤記とわかる。モタ16船団は伊万里湾発ではなく04日4隻の輸送船で六連発、伊万里湾で「日鐵丸」「山幸丸」「武津丸」が加入していることもわかる。作戦経過概要では「広田丸」が欠落しているのにも注意が必要である。因みに「長白山丸」はこのときサイパンからパラオに向かって航行中である。
鳴戸の艦歴を更新。昭和03年05月まで。富士、春日、神威、高崎、洲埼、青島、尻矢、大和、松江、膠州、大泊、淀橋、栗橋、第1号〜第4号掃海艇の艦歴も更新。
「船長 藤田徹」を購入。「三池丸」「大榮丸」「伊予丸」の船歴を補足。順次他の船の船歴も組込む予定。
「各艦 機銃、電探、哨信儀等現状調査表」も購入。

2016年01月30日 Version 16.04公開

第二十號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第20号掃海艇、慶洋丸、第17号掃海艇、第25号掃海艇、第10号驅潜艇、第41号驅潜艇、第48号驅潜艇、第63号驅潜艇、猿島、稲荷丸、第二号興亞丸、白山丸、日本海丸、東豊丸、錦州丸、濱江丸、麗海丸、営口丸、第八雲洋丸、夏川丸、明島丸、千代丸、第二文丸、ばたびや丸、第十八日正丸、春川丸、海光丸、第171号驅潜特務艇、九州丸、第十雲海丸、鵯、豊岡丸、明隆丸、興業丸、第三東洋丸、鞍埼、その他リンクを貼った艦船。
第八特別根據地隊、高雄警備府、舞鶴鎮守府、鎮海警備府戦時日誌から第二十號掃海艇戦時日誌の欠落部分を補足。
鳴戸の艦歴を更新。大正14年12月まで。

2016年01月23日 Version 16.03公開

第二十一號掃海艇戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第21号掃海艇、鷺、友鶴、宇治、第20号驅潜艇、第23号驅潜艇、第30号驅潜艇、慶州丸、第二十一長運丸、その他リンクを貼った艦船。
第八特別根據地隊、高雄警備府、舞鶴鎮守府、鎮海警備府戦時日誌から第二十一號掃海艇戦時日誌の欠落部分を補足。
リンクの頁を更新。

2016年01月15日 Version 16.02公開

襟裳航泊日誌組込み完了。公文備考にある行動報告、海軍公報の艦船所在と艦船従軍年始終期、第五水雷戦隊戦時日誌で補足し、襟裳の全期間の艦歴を作成終了。
襟裳航泊日誌に出てくる朝日、浅間、春日、隠戸、青島、室戸、野島、間宮、おは丸、勝力、那沙美、片島、黒神、第6号掃海艇、第13〜第15号掃海艇の入出港の記録も追記。
年末に報国第9号の絵葉書を購入したのを機に長官(司令官)艇のページをリニューアル。
Version 16.01をアップして確認したところ、Note PCではうまく表示されるも、この作成機ではスタイルシートの変更が反映されていない。Edgeではうまく表示されている。何故?cssファイルを保存しなおしたらアップしてもないのに治ってしまった。キャッシュが悪さしていた?iOSではまだレイアウトが崩れるが、スマホ対応じゃないから仕方ないか。

2016年01月09日 Version 16.01公開、滿洲國海軍艦船データベースVersion 2.0公開

艦艇・特務艦艇の部で記述の統一性を持たせた。そしてスタイルシートをいじり、IE11対応とした。また、これを機にMS Wordで作っていたものはできるだけメモ帳で作り直した。一応、Edgeでも大丈夫なようである。

2016年01月01日 Version 16.00公開

新年明けましておめでとうございます。本年も地道に更新してまいりますのでどうぞよろしくお願い申し上げます。
襟裳航泊日誌組込中。昭和10年05月まで。ついでにでてくる隠戸、室戸、野島、青島、洲埼、朝日、片島、黒神、勝力、矢風、那沙美、浅間丸、秩父丸、第6号掃海艇、第15号掃海艇、第16号掃海艇の入出港の記録も追記。
第一根據地隊戦時日誌から第二十二號掃海艇戦時日誌の欠落部分を補足。他に組込んだ船歴は野島、長浦、 五洲丸、~川丸、第十八眞盛丸。
敷設艇の頁を追加。諸元は敷設特務艇と統合。


2015年の履歴はこちら  2014年の履歴はこちら  2013年の履歴はこちら  2012年の履歴はこちら  2011年の履歴はこちら
2010年の履歴はこちら  2009年の履歴はこちら  2008年の履歴はこちら  2007年の履歴はこちら  2006年の履歴はこちら
2005年の履歴はこちら  2004年の履歴はこちら  2003年の履歴はこちら

Homeへ戻る