「聖戦日記」組込み完了。この「聖戦日記」というのは伊藤義一海軍大佐(海兵42期)の戦時中の日記をご子息がHP上に公開していたものですが、どうやら閉鎖されてしまったようで、大変残念です。おそらく活字に直す際であろう誤謬も少なからずありますが大変貴重なものです。特設艦船に関する行動も多くでており、不明であった行動がいろいろ埋まりました。
第四十六警備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は旅順丸、高崎、足摺、彦島丸、日本海丸、第三昭南丸、王星丸。Wikiを見ると「日本の軍艦。。。では、「足摺」が6月1日にいたのはヤップ島となっているが、MS30 1904とMS30 1905を見る限りでは、6月1日の時点で「足摺」はヤップ島ではなくバリクパパンにいたということになる。」なんて書いてある。第30号掃海艇の戦時日誌を参照しているのだが、まったくもって戦時日誌の見方も知らないらしい。どう見たってバリクパパンにいたのは5月1日で、どこにも6月1日なんて書いてないじゃん。知ったかぶりして出鱈目書かないで欲しいものだ。因みにこの第46警備隊戦時日誌に6月1日ヤップ出港の記載がある。
航空母艦を2頁に分割する。伊吹は航空母艦として類別等級表に加わっていないので削除。
驅潜特務艇を掃海特務艇の上にもってくる。昭和8年の艦船令改正で驅潜艇が追加されたとき敷設艇の下、掃海特務艇の上にある。昭和15年11月に驅潜艇が独立艦種となり新たに驅潜特務艇が新設されたときは驅潜艇の位置を継承している。その後の特務艇の本籍・所属を定める一覧表でも常に驅潜特務艇が掃海特務艇より上位にある。
話変わって9月に入手した「報國第二號」の写真。何のこたぁない。小学生の時に買った秋田書店の「写真で見る連合艦隊3 日本の駆逐艦・特殊艦」に掲載されてるではないか。少年向けの本といえどあなどれず!
今年の更新はこれにて終了。皆さま良いお年を。
昭和10年から13年の「熊本縣水産試験場事業報告」より「肥後丸」の船歴追加。
「聖戦日記」より鶴見の艦歴組込み中。
特務艦「矢風」戦時日誌・戦闘詳報組込み。特務艦「攝津」の戦歴を訂正。特務艦の諸元を作成。意外と資料が少なく空白部分もでるのでまだUPしない。福井静夫氏が「志自岐」について「特務艦艇種類別標準は一九二〇年四月一日に改正されて、始めて特務船は特務艦と称され、それまで”○○丸”と称された船名から”丸”が取られた。ゆえに志自岐は、特務船志自岐丸であった。」と書いていて、おそらくそれを受けて世界の艦船でも「沈没直後の9年4月1日、特務船が特務艦と改称された際に志自岐と改名した。したがって現役時代の本艦の正確な艦名は志自岐丸である。」なんて書いてある。「志自岐丸」が「志自岐」に改名されたのはもっと前、まだ進水もしていない大正4年8月23日の達第110号であり、特務船が特務艦となったこととは関係なく全くの出鱈目。現役時代に公式に志自岐丸と呼ばれたことはない。
桜と錨さんのお言葉に甘えて内令提要巻三の各種兵器採用一覧に特二式内火艇が載っているかどうかを出沼さんのところで教えてくださいとおねだりしたところBUNさんや桜と錨さんからいろいろ教えてもらい、結果とし次のことが判明。特二式は特二式戦車が制式名称、特三式は特三式内火艇が制式名称。特二式内火艇とか特三式戦車という制式名称はない。特二式内火艇とか特三式戦車というのは「水陸両用及潜水艦搭載ニ關スル機密保持上」定められた名称で海軍省軍務局が出した軍務一機密第三五七號という文書に基づくものである。
特型戦車(海軍用水陸両用戦車一般的呼稱)
特二式内火艇(陸軍用九五式軽戦車ヲ改造セルモノ)
特二式戦車(特二式内火艇ヨリ浮舟ヲ離脱セルモノ)
特三式内火艇(陸軍用中型戦車ヲ改造セルモノ)
特三式戦車(特三式内火艇ヨリ浮舟ヲ離脱セルモノ)
故に、フロートがついていないのを特二式内火艇と言ったり、フロートのついてるものを特三式戦車と言うのは誤りです。水陸両用戦車の一般的呼称は「特型戦車」で要員を定める文書とか戦車講習規程といった公文書で使われている一方、「特型内火艇」という名称は、海軍の公文書中で、今のところ見つからないということです。従って、「特型内火艇」を「特型戦車」に訂正。
隻数も少ないのでとりあえず特務艦の基本枠組みを作成。特務艦「荒埼」戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第十七昭南丸。特務艦「白埼」戦時日誌組込み。大湊警備府と千島方面特別根據地隊の戦時日誌も参照。特務艦「早鞆」戦時日誌組込み。特務艦「攝津」戦時日誌組込み。「聖戦日記」より鶴見の艦歴組込み中。意外と特設艦船の行動も多く判明する。
半休をとって昭和15年の内令を写経に行く。第八砲艦隊編成の日付等を追記。内令提要巻三の各種兵器採用一覧を閲覧するがやはり昭和17年以降に特二式内火艇はない。昭和18年の40号は別の兵器。たまたま家で昔の丸を読んでいたら堀元美氏が特二式内火艇について「開戦以前から「特二式内火艇」と呼ぶ、フロート付水陸両用戦車は実現していた。」と書いてある。しまった!昭和16年以前はさらっと流してしまった。でも、昭和16年以前にもなかったと思うのだが。。。この丸では福井静夫氏が御紋章について書いてある。「軍艦のみ御紋章が艦首につけられていたことは周知の通りである。もっとも例外的に、軍艦から武装解除をして軍縮条約の規定により保有を許されていた特務艦には、その艦にかつての武勲などを記念するため、御紋章がそのままとなっていたものもある。」練習特務艦朝日には御紋章があり工作艦朝日にはないことを考えれば、この書き方はちょっと舌足らずではあるが間違いというほどのこともないし、つまりはそういうことであろう。
第六十四警備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第五昭南丸、第六昭南丸、東日本丸、第五kg丸、第五愛鷹丸、金比羅丸、日榮丸、第八住吉丸、第二號榮福丸、第二和丸、第三和丸、第五和丸。
近代デジタルライブラリで新たに公開された昭和10年から12年の「富山縣水産講習所事業報告」より「立山丸」(特設驅潜艇の方)の船歴、昭和15年から16年の「兵庫縣水産試験場事業報告」より「但馬丸」の船歴追加。
以前から気になってはいたが陸軍は専門でないのでどうしようかと迷っていた佐山二郎氏の火砲シリーズを思い切って全巻揃えた。ついでに持ってなかった「機甲入門」も購入する。ここで特二式内火艇などの写真が掲載されていたことで、特型内火艇の頁でもまとめてしまおうかと思った。それで特二式内火艇のことをネットでぐぐると、艦船名簿に記載されているだとか書いてある。特二式内火艇は兵器だから個々の車両に命名などされない。命名されないのにどうやって名簿に載せるのよ。そもそも艦船名簿って何。あるサイトでは「42年...直ちに「特二式内火艇」として制式化された(翌43年ともいわれる)。」と書いてある。それで調べたのだが特二式内火艇制式採用の内令兵が見当たらない。特三式内火艇と特四式内火艇一型は昭和19年内令兵第54号でそれぞれ仮称特三式内火艇と仮称特四式内火艇を制式採用している。しかし特二式は昭和18年内令兵第31号で仮称特二式戦車が特二式戦車として制式採用されているだけである。昭和17年の内令兵で(軍極秘のため?)内容がわからないのは10月頃の第80号だけ、昭和18年は第8号、40号、47号、71号の4つ。この中になければ仮称?特二式内火艇は制式採用されてないことになる。あるいは特二式内火艇は制式採用されず本体の戦車部分のみが制式採用されたのであろうか。特型内火艇という呼称も公式なものかどうか怪しく感じられてきた。結局、しばらく頁作成はペンディング。
菊の御紋章は何を根拠に付けているのかようやく判明。
軍艦前後部へ菊花御紋章附着の件(明治25年3月4日宮内省内事課丙100宮内大臣より海軍大臣宛)
「軍艦前後部へ菊御紋章附着之義に付去月26日附御照会之趣徽章として附着之義於当省差支無之候此段御解答候成」
↓
軍艦艦首に御紋章を付するの件(明治31年6月20日官房第2627号)
「新造軍艦は艦首正面へ徽章として金色にて御紋章を付し其他艦首尾とも装飾は一切付着せざることに定む
但在来の装飾は大修理を加うべき時機を計り漸次取除くべし」
↓
艦船造修試験規則(明治31年7月2日達第101号)第五十二条
「軍艦は艦首正面に徽章として金色にて御紋章を附著すべし」
↓
艦船造修試験検査規則(明治37年7月2日達第106号)第五十九条
「軍艦は艦首正面に徽章として金色にて御紋章を附著するものとす」
↓
艦船造修試験検査規則改正(大正11年12月1日達第213号)
第五十九条中軍艦の下に「及練習特務艦」を加う
このときの該当艦は練習特務艦富士、のちの敷島や朝日も該当します。
↓
艦船造修試験検査規則改正(大正12年11月1日達第211号)
第五十九条中「軍艦及び練習特務艦」を「軍艦、標的艦及練習特務艦」に改む
このときの該当艦は標的艦攝津。
↓
艦船造修規則(昭和6年8月11日達第97号)第百六十条
「軍艦、標的艦及練習特務艦は艦首正面に徽章として金色の御紋章を附著するものとす」
↓
艦船造修規則(昭和14年1月2日内令第1号)第二百二十七条
「軍艦及練習特務艦には艦首正面に徽章として金色の御紋章を附著するものとす」
↓
JACARに内令が現存していない昭和14〜15年中に練習特務艦が削除されていなければ、練習特務艦淺間、吾妻、春日にも御紋章があるはずです。
結論として「軍艦には菊の御紋章がついている」は○ですが、時代を限定しない限り「菊の御紋章がついているのが軍艦である」は×となります。
第六十四警備隊戦時日誌組込み中。昭和18年08月まで。組込んだ船歴は第五昭南丸、第六昭南丸、東日本丸、第五kg丸、第五愛鷹丸、金比羅丸、日榮丸、第八住吉丸、第二號榮福丸、第二和丸、第三和丸、第五和丸。
三週間ぶりの更新ですが、何もしてなかったわけではなく地道な基礎資料調査をしておりました。艦艇については一応内令綴りの調査完了。「佐多」の本籍を調べていて「來島丸」の行動があったので追記。それにしても本籍関係については「世界の艦船」をはじめとしてほとんど触れられていない。市販本では丸スペと石橋孝夫氏の日本帝國全艦船くらいか。石橋氏のシリーズは早く全巻完成させてもらいたいものだ。艦艇については「いつの時点から」調査をするかが問題。艦艇類別標準が異なれば種別の名称が変わってしまうので、本サイトでは太平洋戦争中も改正の上使われていた大正15年11月29日をベースに作成することにする。特務艦も同様に大正15年11月29日の特務艦類別等級標準をベースとする。特務艇は時代が進むが昭和8年5月23日の特務艇類別等級標準をベースとする。途中でめげて特務艇は後回しにしたので、再度内令の調査が必要。内令等の欠落部分を補うために内令堤要の調査に防研まで行くか、それともJACARでの公開を待つかは微妙な所。
波號第百一潜水艦などは艦艇類別標準別表では三等となっている。何で二等扱いするんだろうと思っていたら、何のことはないあとで正誤がでていて二等に訂正されていた。なぁんだ面白くない。艦艇類別標準別表に掲載されるとき、竣工日にかかわらず、大体は仮称番号順になる。しかし「松型」驅逐艦はこれがまるで滅茶苦茶。何か意味がある載せ方だと思うのだがこの辺を調べてみるのも面白そう。
特設艦船に関しては昭和18年の調査は完全ではなかったので改めて精査。「昌榮丸」「第二文丸」に誤記があったので訂正。
近代デジタルライブラリが10頁から20頁にダウンロード数をあげたのは大歓迎。おかげで「海軍制度沿革」のダウンロードが一気に進む。JACARの資料もDjvuではなくpdfに変換して落としてみたが一長一短。pdfにすれば欠落頁を補完したり、必要な頁だけ編集したりは容易だが、同じ文書を2重3重に開けないと戦時日誌の調査にはちょっと支障がある。
今週も残業続き。土日は艦艇に関する内令綴りの基礎調査のため更新するネタがないのでアップしない。
今週は残業続き。土日は艦艇に関する内令綴りの基礎調査のため更新するネタがないのでアップしない。
達号綴りを詳細調査完了。ちょっとした修正・訂正・追記はしているが雑多かつマイナーなのでここではとくに記載しない、というかできない。
信号符字は加古を例にとればGQAO→JGSA→JJAA→JJHAと変化しているらしい。らしいというのは最後のJJHAが確認できないから。最後の改正は故森恒英氏の著書にみられるもので昭和17年ごろの大改正のものと思われる。一体どこで仕入れた情報であろうか?最初の改正(GQAO→JGSA)は昭和8年、国際無線条約に関連した改正で、次(JGSA→JJAA)は開戦に先立ち昭和16年12月1日に大改正されたもの。もともと信号符字と海軍無線電報取扱規約にある略符号は別物で加古の場合、前者はGQAO、後者はJLXの3文字であったが、昭和15年3月19日に信号符字と海軍無線電報取扱規約にある略符号は同一とされた。昭和16年4月23日に海軍無線通信規約が制定されると海軍無線電報取扱規約は廃止されてしまう。従って本当は昭和16年12月1日のJGSA→JJAAの改正はこれが信号符字の改正か単に略符号の改正なのかは規則だけではわからない。そして昭和17年4月1日に「略符号と同一とする」という達も廃止され、同時に海軍無線通信規約から略符号の記載されている附表も削除されてしまう。一部雑役船の一覧には信号符字を掲載してあるが主には昭和16年12月1日の大改正前のものであり、改正後の方に修正するか、いっそ削除してしまうか思案中。
第六十四警備隊戦時日誌組込み中。昭和18年05月まで。組込んだ船歴は東日本丸、第五kg丸、第五愛鷹丸、金比羅丸、日榮丸、第八住吉丸、第二號榮福丸、第二和丸、第三和丸、第五和丸、第五昭南丸、第六昭南丸、興亜丸。
海軍公報を詳細調査中。内火伝馬船、カッターの頁を更新。
海軍公報を詳細調査中。ちょっとした修正・訂正・追記はしているが雑多かつマイナーなのでここではとくに記載しない、というかできない。
「エルマノ・カーロット」であるが昭和18年12月3日の海軍公報で自沈防止を図った港務員が表彰されている。
雑役船に編入されていない報國號の名称が数隻判明。
逓信省告示より昭和05年〜11年の船主、傭船主の変更を追記。会社の昼休みなども利用してこつこつ調べているのだがまだまだ時間がかかりそう。ようやく外に食べに行ける季節になってきたのでもう昼休みはあまり期待できそうにない。
参考文献に福井丸や最上川丸の出典を追記。
その他海軍公報の整理作業中に目に付いた艦船行動から由良川とか栗橋、北洋の船歴を適宜追記。
第六十四警備隊戦時日誌組込み中。昭和18年02月まで。組込んだ船歴は東日本丸、第五kg丸、第五愛鷹丸、金比羅丸、日榮丸、第八住吉丸、第二號榮福丸、第二和丸、第三和丸、第五和丸、第五昭南丸、第六昭南丸。
舞鶴鎮守府公報 甲組込み。これにより舞防三曳、四曳の素性が判明、舞鶴防備隊戦時日誌より公称第729號、公称第689號の船歴追加。一曳、二曳も推定により公称第1217號、公称第1121號の船歴に追加。
佐世保鎮守府公報組込み。艦(艇)長人事の追加。
大阪警備府公報組込み。これにより紀伊防一曳の素性が確定、公称第827號の船歴更新。
重油船、橋船の頁を更新。
今月の新刊「海防艦「占守」電探室異常なし」を購入。お目当ては所載の「軍艦「最上川丸」ラバウル航海記」である。当時に書かれた日記は信頼性が高い。本書より最上川丸はもちろん、吾妻山丸、五洋丸、金龍丸、立山丸の船歴を追加。
第六十四警備隊戦時日誌組込み中。昭和17年10月まで。組込んだ船歴は東日本丸、第五kg丸、第五愛鷹丸、金比羅丸、日榮丸、第八住吉丸、第二號榮福丸、第三號榮jロ、第二和丸、第三和丸、第五和丸、日豊丸、立山丸、第五昭南丸。
内火傳馬船、傳馬船、岩砕船、標的船(大型)、特種標的船、水船、起重機船、測量艇の頁を更新。浮桟橋、揮發油船を追加。昭和17年官房第4400號の日付を間違えていたので訂正。
舞鶴鎮守府公報(部内限り)組込み。
交通船の頁を更新。交通船の諸元と船歴を追加。予想外にてこずる。工作船の頁に飛渡瀬の写真を追加。
特型運貨船の頁を更新。
先週昭和館へ行ったときついでに神田の古書店街をうろつき、「報國第二號」の写真を見つけたのだが躊躇した挙句に買わずに帰った。しかしやっぱり欲しくなったので月曜日に「海軍グラフ」を買う。これに満州国江防艦隊の記事が載っており、少年向けなのかすべて仮名が振ってあり、おかげで「江清」や「親仁」の読みがわかる。
「日國丸」「朝山丸」「最上丸」「第八日之出丸」の写真追加。「金耶摩山丸」写真差替え。
カッターの命名文書番号を大量に追記。ヨットの所属追記。
「海と空」をコピーしに昭和館へ行く。しかし。禁複写だった。orz。仕方ないのでとりあえず2冊古書店に注文。コピーなら40円で済むのに4000円。痛い。
「海と空」から起工日や竣工日の情報を追記。官報や達からも情報を適宜追記。
第六十四警備隊戦時日誌組込み中。昭和17年07月まで。組込んだ船歴は東日本丸、第五kg丸、第五愛鷹丸、金比羅丸、日榮丸、第八住吉丸、第二號榮福丸、第三號榮jロ、第二和丸、第三和丸、第五和丸、第二圖南丸、第三圖南丸、御嶽山丸、大寶山丸、高砂丸、長光丸、武庫丸、日春丸、昭福丸。
海軍公報から新たに判明した交通船兼曳船、内火艇、長官艇、二神の命名文書番号を追記。
達号から改正後の信号符字を追加。郵政省告示の記述は艦船の場合あまり意味がないので削除。達を全部みれば大和も武蔵もわかるかと思ったが昭和15年1月23日を最後に全然載っていない。達でなくなったのか何なのか?
公報を精査していたら「第八日東丸」の除籍が取り消されているのを発見。訂正する。
先週、郵船歴史博物館の企画展「日米交換船とその時代」を見に行った。パンフにもう少し大きな写真を期待していたのだがこれは、はずれ。
逓信省告示より昭和12年〜16年の船主、傭船主の変更を追記。共同漁業から日本水産への移籍は昭和12年3月31日としていたが昭和12年4月24日、5月4日、5月7日の3回にわけて行われているようである。無線施設をもたなかった船の詳細は不明なので昭和12年3月31日のままにしてあるが5月7日の可能性が高い。近海郵船から日本郵船への移籍は合併した昭和14年9月8日ではなく昭和14年8月16日に前もって行われているようである。また東亞海運への移籍は昭和14年8月12日ではなく昭和14年9月1日に行われているようである。
第六十三警備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は桂丸、清勝丸、海幸丸、第二那智丸、第一和丸、海昌丸、竹浦丸、第六神光丸、事代丸、男鹿島丸、巴蘭丸。
近代デジタルライブラリで「海軍制度沿革」が公開された。待ち切れずにコピーをとりにいったのが昨年の12月。もう少し待てばよかったかなと思いつつ、しかし、一部頁が欠落している部分があったりして、その点原書房の復刻版の方がしっかりしている。また、早速「艦砲射撃訓練規則」を読み、ある程度標的についてわかったのでいずれ標的船の頁を改定せねば。この「海軍制度沿革」であるが一部不具合がありダウンロード用ファイルが完全には生成されない。早く修正して欲しい。
JACARでは法令が公開される。これでもう防研に行く必要がさらに減る。それにしても官報、制度沿革、法令とこれだけ立て続けに公開されると全く調査が追いつかない。うれしい悲鳴である。
第六十一警備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第一號太平丸、鷹壽丸、第三龍~丸、第二紀州丸、~洲丸、第一~丸、第三~光丸、第五三國丸、第七~光丸、大盛丸、第二号愛國丸、山城丸、第三大洋丸、第二号報國丸、パラオ丸、第三昭南丸、第六昭南丸、第七昭和丸、第六京丸、第七京丸、第五玉丸、海光丸、蘭丸、金生丸、第八住吉丸、第五愛鷹丸、第五福吉丸、第六~光丸、第五朝洋丸、御嶽山丸、第十八御影丸、さんとす丸、湊丸、安土丸、男鹿島丸、總洋丸、桂丸、第三壽丸。前回組み込んだ牟婁丸の記録は7月1日の記録に齟齬が生じたため別船の可能性があり削除した。
船名変更の日付追記。第三小倉丸。
長崎日帰り出張から戻る。収穫なし。明日から一週間帰省するので来週の更新はお休み。
第六十一警備隊戦時日誌組込み中。昭和18年06月まで。組込んだ船歴は第一號太平丸、鷹壽丸、第三龍~丸、第二紀州丸、~洲丸、第一~丸、第三~光丸、第五三國丸、第七~光丸、大盛丸、第二号愛國丸、山城丸、第三大洋丸、第二号報國丸、生田丸、大同丸、立山丸、五隆丸、第三壽丸、第五玉丸、第七昭和丸、第八昭和丸、第三昭南丸、第五昭南丸、第六昭南丸、第十一昭南丸、第七拓南丸、第六京丸、湊丸、安土丸、榛名丸、興亞丸、巴蘭丸、男鹿島丸、光島丸、興津丸、第五朝洋丸、蘭丸、牟婁丸、乾祥丸、第十八御影丸、海運丸、金生丸、第五kg丸、第二號榮jロ、事代丸。
昭和14年逓信省告示第2781號に基づき「安波丸」のよみを「あんばまる」に訂正。その他逓信省告示より船名変更の日付追記。幸生丸、第二十日之出丸、長門丸、第十京丸、第五長勝丸、第五十一播州丸、第五十二播州丸、第五十三播州丸、第五十六播州丸、第五播州丸、第三播州丸、第十八播州丸、第二東日本丸、第七琴平丸、興和丸、第三清津丸、球磨川丸、最上川丸、第七幸丸、第二勢榮丸、さんとす丸。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は第一雲洋丸、網地丸、第十三南進丸、第五進取丸、第十五南進丸、第五笹山丸、第五幸神丸、第七明神丸、第三十七南進丸、第一日進丸、第八海形丸、雄勝丸、制海丸、全洋丸、進政丸、ほ号高宮丸、第三正丸、第六勇喜丸、第五福壽丸、新山丸、第五旭丸、大孝丸、第十八號住吉丸、第三松福丸。
第六十一警備隊戦時日誌組込み中。昭和17年12月まで。組込んだ船歴は海形丸、第一號太平丸、鷹壽丸、第三龍~丸、第二紀州丸、~洲丸、第一~丸、第三~光丸、第五三國丸、第七~光丸、大盛丸、第二号愛國丸、山城丸、第三大洋丸、ニウギニア丸、第二号報國丸、パラオ丸、那岐山丸、八海山丸、生田丸、松安丸、第一あまかす丸、竹浦丸、三輪崎丸、大同丸、長光丸、第十五昭南丸、久榮丸。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。昭和20年03月まで。組込んだ船歴は第一雲洋丸、網地丸、第十三南進丸、大紀丸、第五進取丸、第十五南進丸、第五笹山丸、第七明神丸、第三十七南進丸、第一日進丸、第三感應丸、第八海形丸、雄勝丸、制海丸、全洋丸、進政丸、ほ号高宮丸、第三正丸、第六勇喜丸、第五福壽丸、新山丸、第五旭丸、大孝丸、第十八號住吉丸、第五幸神丸、第三松福丸、第二十七長榮丸、第八事代丸、第三號昭和丸、第三十六南進丸、第五寶榮丸、榮jロ、第二榮jロ、第十七長運丸、第参共和丸、新南丸、第二號旭丸、第拾貮網島丸、海晃丸、第三大和丸、月浦丸、第一昭鵬丸、第一高知丸。
「月浦丸」の喪失原因を米潜水艦Trepang(SS-412)の雷撃としていた。これは「太平洋戦争特設艦艇史」によったのだが第三監視艇隊戦闘詳報によれば「第一昭鵬丸」が「月浦丸」の沈没を打電するも潜水艦に関する記述はない。今は便利である。米軍側の記録も閲覧できる。TrepangのWar Patrol Reportを確認したが8月17日やその前後に戦闘の記録はない。従って「太平洋戦争特設艦艇史」の記述は何かの勘違いと断定。
今週は広島日帰り出張をはじめ、飲み会続きで多忙のため更新がはかどらない。もちろん広島での収穫はなし。
J-aircraftでのメッセージのやりとりの過程で聖川丸の兵装の記述に誤りを発見し訂正。
第六十一警備隊戦時日誌組込み中。昭和17年09月まで。組込んだ船歴は海形丸、第一號太平丸、鷹壽丸、第三龍~丸、第二紀州丸、~洲丸、第一~丸、第三~光丸、第五三國丸、第七~光丸、ニウギニア丸、大盛丸、第二号愛國丸、第二号報國丸、パラオ丸、山城丸、第三大洋丸、榛名丸、興亞丸、第五新開丸、淺間丸、鎌倉丸、靖國丸、明天丸、第一あまかす丸、第三昭南丸、第六拓南丸、第三壽丸、日豊丸、立山丸、興亜丸、諏訪丸、松安丸、昭徳丸、第二圖南丸、男鹿島丸、大宝山丸、第三昭和丸、第七昭和丸、第八昭和丸、第三玉丸、第五玉丸、第三文丸、第三壽丸、岩代丸、八海山丸。
2006年09月05日に「巴蘭丸」の読みを「ばらんまる」と変更したが「ぱらわんまる」に訂正する。第六十一警備隊戦時日誌の「神州丸」の行動記録に「パラワン丸」が「09.14ミルー水道出港、09.24ミルー水道沖合にて遭遇」の記録があり「巴蘭丸」の行動と矛盾しないこと、日本船に「パラワン丸」という船は登録されていないこと、「巴蘭丸」の旧名が「Palawan」であることから、「Palawan」に「巴蘭」の字を充てたものと推定。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。昭和19年12月まで。組込んだ船歴は長運丸、第一雲洋丸、月浦丸、網地丸、第十三南進丸、第二榮jロ、大紀丸、第五進取丸、第十五南進丸、海晃丸、第八事代丸、第五笹山丸、第参共和丸、第七明神丸、榮jロ、第三十六南進丸、第三十七南進丸、第拾貮網島丸、第一日進丸、全洋丸、第三感應丸、第五寶榮丸、第八海形丸、雄勝丸、制海丸、新南丸、第三大和丸、進政丸、第二十七長榮丸、第二號旭丸、第十七長運丸、第三號昭和丸、みゆき丸、第三八千代丸、第三愛宕丸、第六朝洋丸、第三富正丸、第六虎丸、第五幸神丸、大孝丸、新山丸、第十二事代丸、浮島丸。
国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで官報が公開されている。これでもう国会図書館に行く必要がない。ざっと見た結果約3/4の信号符字改正の年月日が判明。
「海事図書館」へ本を返しに行ったときふと「高等商船学校出身者の戦歴」が目にとまる。海事図書館にもあったのかと早速貸し出しを受け必要部分をスキャンする。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。昭和19年06月まで。組込んだ船歴は長運丸、第一雲洋丸、月浦丸、網地丸、第十三南進丸、第二榮jロ、第六朝洋丸、第三愛宕丸、大紀丸、第五進取丸、第十五南進丸、海晃丸、第八事代丸、第五笹山丸、第参共和丸、第七明神丸、榮jロ、第三十六南進丸、第三十七南進丸、第拾貮網島丸、第一日進丸、全洋丸、第三感應丸、第五寶榮丸、第八海形丸、雄勝丸、制海丸、國宮丸、第三萬龜丸、第三號昭和丸、第十七長運丸、新洋丸、第七號正榮丸、第拾振興丸。
名村造船所が100年史を出したという情報を得て「海事図書館」へ行く。船番リストが完全になっているようだったので貸出しを受けて精査する。何か変である。1番船〜15番船までは「第1船〜第15船」となっておりその後は「0006〜0147」「245」「0149」「252」と続く。何のことはない第15番船以降の船番不明船に「0016〜」順に仮の番号を振っているだけである。何の説明もなくこれでは何も知らない人は全く誤解してしまうであろう。さらに9番船と10番船が取り違えられている。P.58の「第七大源丸」の写真は一目で戦後の船とわかる。おそらく同名の300番船であろう。こりゃだめだ。「博丸」は名村の建造船であるが該当船がリストにない。どうも「新威丸」が「博丸」のことのようなのでこれを追記。
第四十一警備隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第二芙蓉丸、第一金寶丸、幸生丸、第一吉祥丸、壽満丸、第三號寶宰丸、羽衣丸、第二號能代丸、金城丸、王星丸。
先週の日曜日に「よこすかYYのりものフェスタ 」に行く。収穫は「きりしま(DDG174)」「さわゆき(DD125)」(この2隻には乗艦)「たかなみ(DD110)」「はたかぜ(DDG171)」「おおなみ(DD111)」「あすか(ASE6102)」その後ろに「むらさめ」型1隻他2隻、自衛隊の潜水艦4隻、曳船79号、「John S. McCain(DDG-56)」「Nueces(APL-40)」「無蓋運貨船(YC-7)」 なんだかわからないがUS Navyと書かれた快速艇1隻。
佐世保鎮守府戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は萬光丸、辰和丸、君島丸、幸成丸、第二號興東丸、長和丸、しろがね丸、とよさか丸、昭慶丸、日寅丸、その他佐世保鎮守府部隊所属艦船。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。昭和18年12月まで。組込んだ船歴は第一雲洋丸、月浦丸、網地丸、第十三南進丸、第二榮jロ、第六朝洋丸、第三號昭和丸、第三愛宕丸、大紀丸、第十七長運丸、第拾振興丸、第五進取丸、第十五南進丸、海晃丸、第八事代丸、第三萬龜丸、國宮丸、第五笹山丸、第参共和丸、第七明神丸、榮jロ、第三十六南進丸、第三十七南進丸、新洋丸、第拾貮網島丸、第一日進丸、第七號正榮丸、全洋丸、第三感應丸、第五寶榮丸、第八海形丸、雄勝丸、浮島丸、新京丸、安州丸、~津丸、品川丸、第八日之出丸、昭興丸、興和丸、永隆丸、第五千代丸、白鳥丸。
佐世保鎮守府戦時日誌組込み中。昭和18年12月まで。組込んだ船歴は萬光丸、那智山丸、辰和丸、山霧丸、君島丸、幸成丸、第二號興東丸、長和丸、金泉丸、しろがね丸、とよさか丸、昭慶丸、西安丸、大仁丸、第二號桂丸、春島丸、日寅丸、北京丸、長寿山丸、華山丸、山陽丸、いくしま丸、日本海丸、壽山丸、瑞鳳丸、得撫丸、神鷹丸、祥鳳丸、新安丸、旅順丸、海雲丸、鶚丸、南鵬丸、瑞鷹丸、大鷹丸、第二號海王丸、第三號海王丸、昭代丸、鎮西丸、旭櫻、海龍丸、京浜丸、鵲丸その他佐世保鎮守府部隊所属艦船。
佐世保鎮守府戦時日誌組込み中。昭和18年06月まで。組込んだ船歴は萬光丸、那智山丸、辰和丸、山霧丸、君島丸、妙高丸、幸成丸、日吉丸、菊川丸、北安丸、第二號興東丸、西阿丸、新夕張丸、長和丸、金泉丸、第七博鐡丸、第十五博鐡丸、しろがね丸、とよさか丸、昭慶丸、兩コ丸、春田丸、唐山丸、第二號東亞丸、畿内丸、東洋丸、桐川丸、高瑞丸、聖川丸、興新丸、朝風丸、田子ノ浦丸、淺間丸、山鳩丸、第二號春日丸、河北丸、山東丸、紀洋丸、第二號桂丸、河北丸、第二日正丸、浮島丸、立神、亞南丸、巴蘭丸、北比丸、第三圖南丸、満珠丸、球磨川丸、吾妻丸、木曾丸、阿蘇丸、神盛丸、その他佐世保鎮守府部隊所属艦船。
昭和18年03月の「麾下艦船部隊の行動」では関丸と第七利丸の行動がてれこになっている、鎮守府レベルの戦時日誌だとままあることで一つの資料だけ見ていては分からない。注意が必要である。
04月21日に鳴門丸、順豊丸、金龍丸、安国丸、雲海丸、盛祥丸、護衛の鷹島を「支第一船団」と書いた。確かに戦時日誌にそう書いてあるのだがその後の記述を総合的に判断すると「支第一船団」ではなく「支第二船団」が正解。「支第一船団」は峯風に護衛された雲仙丸、上海丸、吉林丸の船団である。
今J-Air Craftに香港丸は誰が撃沈したかを問うている。しかし18年6月21日にはこの方面に聯合国の潜水艦はいないという。米潜水艦Gunnel(SS-253)は6月19日に常盤丸を撃沈した後、6月21日には攻撃を行っていない。原因は触雷なのであろうか。しかし 雷跡や潜望鏡を認めて砲撃や爆雷投下したというのは一体???
佐世保鎮守府戦時日誌組込み中。昭和17年12月まで。組込んだ船歴は萬光丸、那智山丸、辰和丸、山霧丸、畿内丸、白山丸、君島丸、妙高丸、南海丸、幸成丸、祐捷丸、とよさか丸、しろがね丸、第十五博鐡丸、第七博鐡丸、金泉丸、第二號興東丸、第二號東亞丸、東洋丸、北安丸、菊川丸、昭慶丸、日吉丸、桐川丸、西阿丸、新夕張丸、長和丸、兩コ丸、晴山丸、春田丸、唐山丸、新浦丸、ちとせ丸、第八長運丸、海威、紀洋丸、住吉丸、瑞鳳丸、照南丸、高雄丸、いくしま丸、大和丸、八海丸、明天丸、第二東洋丸、日輪丸、江ノ島丸、福山丸、伯耆丸、天塩丸、興安丸、五隆丸、木曽川丸、屏東丸、第二號春日丸、笠置山丸、千光丸、国津丸、安土丸、檜丸、第十七日東丸、第十八日東丸、廣コ丸、盛京丸、その他佐世保鎮守府部隊所属艦船。
佐世保海軍警備隊事変日誌・戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第一號海洋丸、第三南薩丸、大斗丸、北洋丸、第十三長運丸、有幸丸、第五大成丸、山彌丸、東照丸、新興丸、高榮丸、西貢丸、第五信洋丸、春田丸、大安丸、第八長運丸、目斗丸、烏來丸、第二號天山丸、三峡丸、呂宋丸、楡林丸、有幸丸、第二號日出丸、第五千秋丸、長久丸、高城丸、第二日東丸、第二十五日東丸、第三號昭和丸、喜洋丸、大紀丸、第六朝洋丸。
昭和17年06月12日官房機密第7254号の読み方を間違えており、一部の艇には7.7mm機銃の供給訓令がでていなかったので訂正。
広徳丸の行動は昭和17年9月でもまだサラモア沖擱坐のままである。おやっと思い「戦時船舶史」をはじめとして各種文献を比較する。救助された広徳丸側の記録「広徳丸遭難顛末報告」(広徳丸残機密第二號、佐鎮戦時日誌所載)には「最後に龍田よりの処分砲撃により不日沈没するものと認む」としているが第18戦隊の戦闘詳報には「龍田」が砲撃処分したという記録はない。同じ「広徳丸遭難顛末報告」の後半の下りではサラモア沖に擱坐してからの状況が続いている。ということで、「広徳丸」が7月30日に「龍田」の砲撃処分でワードフント岬45度65kmで「沈没した」とするのは誤りなので訂正。
佐世保鎮守府戦時日誌組込み中。昭和17年06月まで。組込んだ船歴は富津丸、新京丸、浮島丸、河北丸、第二號桂丸、柏丸、縣丸、陵水丸、曽文丸、第三號報国丸、寶永丸、萬光丸、廣コ丸、那智山丸、辰和丸、山霧丸、畿内丸、白山丸、君島丸、妙高丸、南海丸、~陽丸、幸成丸、八海丸、祐捷丸、とよさか丸、しろがね丸、第十五博鐡丸、第七博鐡丸、金泉丸、第二號興東丸、第二號東亞丸、東洋丸、北安丸、菊川丸、昭慶丸、日吉丸、桐川丸、西阿丸、新夕張丸、長和丸、香久丸、大和丸、あきつ丸、諏訪丸、うらる丸、ぶゑのすあいれす丸、能代丸、金城山丸、田子ノ浦丸、第三御影丸、興西丸、山西丸、松江丸、たるしま丸、國津丸、笠置山丸、第一號〜第三号厦門丸、春田丸、立神、松運丸、とかち丸、江ノ島丸、淑星丸、海威その他佐世保鎮守府部隊所属艦船。「戦時輸送船団史II」や「日本商船隊の懐古」では「吾妻山丸」がミッドウェー攻略作戦に参加したことになっており、今までこれらを参考に記載していたが本作戦に参加したのは「吾妻山丸」ではなく「吾妻丸」であったことが第二水雷戦隊等の戦時日誌で確認できたので「吾妻山丸」の方からこの部分の記述を削除。
佐世保防備戦隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は新興丸、西貢丸、高榮丸、富津丸、太安丸、第三號太平丸、第一拓南丸、第十六昭南丸、海威、第二新東丸、第五十一播州丸、第六博多丸、寶永丸、姫島丸、第七博多丸、第八長運丸、ちとせ丸、新浦丸、第七利丸、關丸、長門丸、三峡丸、烏來丸、大安丸、竹東丸、龍井丸、第二號天山丸、目斗丸、第十六長運丸、第二號日出丸、山彌丸、大斗丸、第一號海洋丸、第三南薩丸、北洋丸、第五大成丸、有幸丸、第十三長運丸、陵水丸、曾文丸、第三號報國丸、藤丸、第三京仁丸、第五京仁丸、第七榮丸、たるしま丸、南邦丸、帝亞丸。
佐世保防備隊戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は第十六長運丸、第二號天山丸、目斗丸、三峡丸、山彌丸、第二號日出丸、第三號太平丸、太安丸、第五十一播州丸、第一號海洋丸、有幸丸、大斗丸、北洋丸、第八長運丸、第二萬代丸、第六恵山丸、第七恵山丸、第八恵山丸、第一太平丸、第九~威丸、第九白~丸、第四十三日ノ丸、第三十一郵船丸、第三桐丸、第四太平丸、第六太平丸、第八義宗丸、第十二義宗丸、第十五義宗丸、第四十一郵船丸、第四十二郵船丸、第三拓南丸、第二新東丸、大安丸、竹東丸、第十三長運丸、第十一郵船丸、第二十七郵船丸、麗光丸、平和丸、高榮丸、金泉丸、三曳、四曳。
佐世保鎮守府戦時日誌組込み中。昭和17年03月まで。組込んだ船歴は西貢丸、盤谷丸、昭興丸、富津丸、新京丸、浮島丸、華山丸、河北丸、唐山丸、北京丸、第二日正丸、第二號桂丸、第五信洋丸、第四十一掃海隊(第一、第三京丸、麗水丸、高雄丸)、第四十二掃海隊(第六、第七濟洲丸、關丸、第七利丸)、第四十四掃海隊(第六、第七長運丸、利丸、第二利丸)、寶永丸、新浦丸、下松丸、朝輝丸、若宮丸、萬光丸、廣コ丸、那智山丸、辰和丸、山霧丸、白山丸、君島丸、南海丸、幸成丸、八海丸、東洋丸、~陽丸、日吉丸、桐川丸、菊川丸、北安丸、興西丸、山西丸、昭慶丸、松江丸、たるしま丸、第二號興東丸、國津丸、笠置山丸、金泉丸、鎌倉丸、もんてびでお丸、乾陽丸、第一雲海丸、衣笠丸、香取丸、第一雲洋丸、安州丸、羅門丸、第一號〜第三号厦門丸、春田丸、K潮丸、立神、笠島、中和丸、第三共榮丸、第十八御影丸、仙台丸、第二號大井丸、第二十五日東丸、箱根山丸、霧島丸、鮮海丸、第三號昭和丸、喜洋丸、大紀丸、第六朝洋丸、金城丸。
関連条約・勅令・達・内令・文書等に南方物資輸送規程も追加。
紀伊防一〜二曳船船歴追加。一曳、二曳の呼称は概して大型のもの新しいものから一、二、三、・・・とつけるようである。紀伊防の場合、該当船は150t型の公称第827号と100t型の公称691号であり、一曳は150t型であることが「旧陸海軍所属雑役船名簿」で確認できたので、一曳を公称第827号、二曳を公称691號と推定した。佐防の場合は該当船が公称第910號、公称第828号、公称第800号、公称第777号の順となり、公称第800号の戦闘詳報と三曳、四曳の行動を比較し、三曳を公称第800号、四曳を公称第777号と推定した。残る一曳と二曳はそれぞれ公称第910號と公称第828号ということになるのだが、公称第910号が鎮海で建造されているのがひっかかる。佐世保海軍警備隊で150t曳船が使われておりこれを一号曳船と呼んでいるのだが、二曳はいまのところ全く見つからない。
佐世保防備戦隊・佐世保防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年12月まで。組込んだ船歴は富津丸、寶永丸、姫島丸、第七博多丸、第八長運丸、ちとせ丸、新浦丸、第七利丸、關丸、海威、第二新東丸、長門丸、三峡丸、烏來丸、大安丸、竹東丸、龍井丸、第二號天山丸、目斗丸、第十六長運丸、第二號日出丸、山彌丸、大斗丸、第一號海洋丸、第三南薩丸、北洋丸、陵水丸、曾文丸、第三號報國丸、音羽山丸、西安丸、西阿丸、第二號興東丸、とよさか丸、日寅丸、第三播州丸、日輪丸、第一南海丸、第二小倉丸、第六昭和丸、熊野丸、黄河丸、縣丸、柏丸、第二日正丸、立神。
佐世保防備戦隊・佐世保防備隊戦時日誌組込み中。昭和18年06月まで。組込んだ船歴は富津丸、第二日正丸、第七利丸、關丸、姫島丸、第七博多丸、寶永丸、第八長運丸、ちとせ丸、新浦丸、第十六長運丸、目斗丸、第二號天山丸、第六昭和丸、長門丸、龍井丸、三峡丸、烏來丸、大安丸、竹東丸、第二新東丸、熊野丸、黄河丸、山彌丸、第二號日出丸、新京丸、海威、柏丸、縣丸、第三號報國丸、陵水丸、曾文丸、金城丸、あきつ丸、照川丸、田子の浦丸、鳴門丸、橘丸、西安丸、第二號興東丸、第一南海丸、立神。
今回の発見。「太平洋戦争輸送艦船史」の86として掲載されている「A船団」鳴門丸、順豊丸、金龍丸、安国丸、雲海丸、盛祥丸、護衛の鷹島。これは「A船団」ではなく「支第一船団」。では「A船団」はというと吉林丸、雲仙丸、武豊丸、利根丸、福榮丸、輝洋丸、護衛の大立からなるもので18.04.02ベルブイに到着した船団である。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。昭和18年06月まで。組込んだ船歴は第一雲洋丸、昭興丸、興和丸、雄勝丸、第十七長運丸、榮jロ、國宮丸、第七明神丸、第十三南進丸、第十五南進丸、第三十六南進丸、第三十七南進丸、喜洋丸、第六朝洋丸、大紀丸、第三號昭和丸、海晃丸、第五進取丸、第五寶榮丸、第八日之出丸、新洋丸、第五笹山丸、第八事代丸、第拾振興丸、第参共和丸、第三萬龜丸、月浦丸、第三愛宕丸、第拾貮網島丸、第一日進丸、第七號正榮丸、全洋丸、第三感應丸、品川丸、第二榮jロ、網地丸、第八海形丸、赤城丸、粟田丸、第二日の丸、神津丸、第五大盛丸、第一大勝丸、第三千代丸、日帝丸。
佐世保防備戦隊・佐世保防備隊戦時日誌組込み中。昭和17年12月まで。組込んだ船歴は河北丸、富津丸、第二日正丸、第七利丸、關丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、姫島丸、第七博多丸、寶永丸、第八長運丸、ちとせ丸、新浦丸、金城丸、第十六長運丸、目斗丸、第二號天山丸、第六昭和丸、長門丸、龍井丸、三峡丸、烏來丸、大安丸、竹東丸、第二新東丸、熊野丸、黄河丸、山彌丸、第二號日出丸、新京丸、第二號桂丸、海威、柏丸、縣丸、第三號報國丸、陵水丸、曾文丸、あるぜんちな丸、長壽山丸。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。昭和17年12月まで。組込んだ船歴は第一雲洋丸、昭興丸、第十七長運丸、榮jロ、國宮丸、第七明神丸、第十三南進丸、第十五南進丸、第三十六南進丸、第三十七南進丸、喜洋丸、第六朝洋丸、大紀丸、第三號昭和丸、海晃丸、第五進取丸、第五寶榮丸、第八日之出丸、新洋丸、第五笹山丸、第八事代丸、第拾振興丸、第参共和丸、第三萬龜丸、月浦丸、第三愛宕丸、第拾貮網島丸、第一日進丸、第七號正榮丸、全洋丸、第三感應丸、品川丸、第三福吉丸、安州丸、赤城丸、粟田丸。
佐世保防備戦隊・佐世保防備隊戦時日誌も組込み中。昭和17年8月まで。組込んだ船歴は河北丸、富津丸、第二日正丸、浮島丸、第七利丸、關丸、第六濟洲丸、第七濟洲丸、姫島丸、第七博多丸、寶永丸、第八長運丸、ちとせ丸、新浦丸、金城丸、第十六長運丸、目斗丸、第二號天山丸、第六昭和丸、長門丸、龍井丸、三峡丸、烏來丸、大安丸、竹東丸、第二新東丸、熊野丸、黄河丸、山彌丸、第二號日出丸、新京丸、第二號桂丸、海威、柏丸、縣丸、第三號報國丸、陵水丸、曾文丸、湖北丸、まにら丸、とよさか丸、呂宋丸、高城丸、第五信洋丸、北京丸、華山丸、唐山丸、第六朝洋丸、喜洋丸、大紀丸、第三號昭和丸、第五大成丸、王田丸、第二號明治丸、瑞穂丸、神風丸、玄洋丸、千光丸。
先週の土曜日に「しょうけい館」に行き上田喜八郎氏の絵画を観覧。絵のサイズは意外と小さかった。千代田図書館の展示は。。。まぁおまけですな。ついでに昭和館にも行く。図書館はフリーであったが、知らずに常設展示のチケットを買って入館してしまう。とりあえずこんなもんだというのはわかったから、ま、いっか。図書館の方はなかなか良い。戦史叢書もあるし、附表もコピーしやすい。学生のときはお金もなかったので補給部隊のところしかコピーしていなかったので、その他の部分の戦時編制表を複写する。アジ歴で公開されている海上交通保護用船名簿は欠落部分があるがこちらはきちんと全部揃っている。とりあえず信号符字の部の欠落部分を全部複写。北比丸、喜多丸、春島丸の信号符字を訂正。大光商船小史も必要部分を複写。第八信洋丸に船主変更を追記。「旧陸軍特殊船舶記録」も閲覧。け号装置の説明、伊號高速輸送艇の寸法を追記。
昨日から伊豆へ行き、今日は戸田造船郷土資料博物館に行く。カツオ船の資料は概して戦後のものであった。強風で傘は壊れるし。。。疲れた。
第六監視艇隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は喜久丸、第一高知丸、第六虎丸、第一親船丸、源勝丸、漁勝丸、第五幸~丸、大孝丸、第二全勝丸、第十八號住吉丸、第一號大晴丸、第十二號事代丸、第二振興丸、第十五振興丸、 新山丸、第五萬榮丸、第五號鹿島丸、第六勇喜丸、第十號大黒丸、第一昭鵬丸、ほ號高宮丸、~鷹丸、第五たか丸、第二福整丸、第三富正丸、第五旭丸。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。組込んだ船歴は昭興丸、王田丸、瑞穂丸、第二號明治丸、第八號住吉丸、雄勝丸、第二三徳丸、第三八千代丸、第十二號八龍丸、赤城丸、淺香丸。
海邊警察隊旗の説明に備考を追加。Wikiにも困ったものである。
第五監視艇隊戦時日誌・ふさ丸戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は長運丸、第二號富士丸、第一繁伍丸、第五南薩丸、第一日之出丸、昭榮丸、第二松生丸、第二號明神丸、第七住吉丸、第二千勝丸、海形丸、福田丸、長榮丸、第一大喜丸、第七大K丸、第三會漁丸、徳壽丸、第十一號住吉丸、第三松福丸、第一新屋丸、第三大黒丸、龍歳丸、大鳳丸、武蔵丸、岩手丸、白鳥丸、ふさ丸、大東丸。
昭和19年11月16-17日にかけての「ふさ丸」と米潜水艦との水上戦闘については、ふさ丸戦闘詳報、RonquilとBurrfishのWar Patrol Reportsを比較しながら構成しました。記載してある時間には多少のずれがあると思います。日米双方ともお互いに船名を確認しているわけではないので、各艦の位置関係により筆者の判断で船名を特定しています。これらの一次資料はすべてインターネット上で公開されていますので関心がある方はご自分でも是非比較検討してみてください。そして筆者の判断に誤りがあればご指摘くだされば幸いです。アメリカ側ではRonquilの損傷は後の調査で自艦の砲弾によるものと推定(The casualty appears to have been caused by one of its own shells exploding upon contact with a stanchion aft.-- FF12410/A16-3(15) Serial 02780)していますが、本サイトではふさ丸戦闘詳報によっています。もっとも爆雷の爆発による衝撃→(機関)砲の防発という複合原因の可能性もあるかと思います。戦闘詳報に「爆雷投下時敵潜ハ之ニ気付カザルモノノ如ク回避セズ」とあり、また、War Patrol Reportにも全く爆雷の記載がされていないことからアメリカ側では爆雷攻撃されたことに全く気付いていないようです。あくまでふさ丸戦闘詳報が全くの大本営発表でないということが前提ですが。。。
参考文献にWar patrol reportの掲載先(Histric Naval Ships Association)を追加。落とせなくしているとサイトが閉鎖されたら二度とみれなくなるのでFlashでなくpdfにしてくれていればもっと良いのに。
第三監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み中。組込んだ船歴は羅門丸、第一天幸丸、第二天幸丸、第五千代丸、萬榮丸、第六虎丸、第一白髪丸、第一長周丸、第二長周丸、第二福重丸、第十あらふら丸、第三富久丸、長榮丸、第一岩手丸、長渡丸。
第四監視艇隊戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は麗光丸、王田丸、平和丸、もがみ丸、第七幸丸、第六號大丸、第八號正榮丸、第五日吉丸、第二號東洋丸、第五福丸、日向丸、鶴丸、昭和丸、第二良榮丸、第二海幸丸、第六富正丸、第一黄海丸、第三號旭丸、たかしま丸、第二昭榮丸、第三寿々丸、第一紀宝丸、第二號稲荷丸、第三十五南進丸、第拾光榮丸、第二號金比羅丸、第三號八千代丸、第三千代丸、第二旭丸、第十七長運丸、第三號昭和丸、但馬丸、 第十二興漁丸、筑前丸、第一振興丸、第一福徳丸、第二號天神丸、三重丸、大鴎丸、新洋丸、有明丸、大信丸、海王丸、海和丸、進政丸、精良丸、第二號旭丸、みゆき丸、第三大和丸、新南丸、第二十七長榮丸、第貮共和丸、第二號富士丸、第二號明神丸、第一繁伍丸、海形丸、福田丸、第三會漁丸、ふさ丸、第三大K丸、第一新屋丸、第一大喜丸、第二松生丸、第一日之出丸、昭榮丸、岩手丸、第七大K丸、白鳥丸、第七住吉丸、大鳳丸、山東丸。
「太平洋戦争特設艦艇史」の「2号稲荷丸」の記述は「第二稲荷丸」(船舶番号44095)のことであり本船ではない。「平和丸」も戦没していないことが判明したので訂正。
長らく見たいと思っていた「焼津市史 漁業編」を国会図書館で閲覧。保証責任焼津信用購買利用組合と東海遠洋漁業株式會社が合併し昭和18年1月に昭和漁業株式會社として設立登記が完了したことが判明したので関連船の船歴にこの旨を追記。「焼津のカツオ船とマグロ船」も戦前・船中の船の写真をすべてコピーしてきたが新たに写真が見つかったのは第八日之出丸のみ。
第四監視艇隊戦時日誌組込み中。昭和18年05月15日の解隊まで。組込んだ船歴は第一號明治丸、辨天丸、第一長周丸、第二長周丸、安波丸、第二號桐丸、第十一五十鈴丸、第七琴平丸、第五日吉丸、第二福重丸、長功丸、第二天幸丸、第三魁丸、第二十七長榮丸、第一振興丸、第二海運丸、第一須山丸、第二須山丸、萬壽丸、第一天幸丸、慶祥丸、和風丸、第二京仁丸、海形丸、宮城丸、第一大勝丸、ふさ丸、相模丸、武蔵丸、第一日之出丸、神威丸、岩手丸、福田丸、第二笹の丸、第二千勝丸、第七住吉丸、福積丸、白鳥丸、第五大盛丸、第一新屋丸、第一宮庄丸、第三大喜丸、第貮共和丸、第二漁勝丸、第五盛秋丸、第八號正榮丸、第二幸昌丸、海王丸。第四監視艇隊戦時日誌で不明の部分を一部「旧海軍恩給年加算調書」で補う。
「天城山丸の昭和16年の噸数の変更はおかしいんじゃないの」とMr.Gilbertに指摘される。そんなこと言われても船名録の通り書いてるのであって困ってしまう。確かに船名録以外は総噸数に変更はないし2906トンもの減トンは異常である。戦時船名録にヒントがあった。18年版のあとで7620トンに戻っているのである。そこで18年版の追録を確認すると確かに7620トン。どうも17年版編集の際に間違えて赤城山丸の数値を入れてしまっているようなのである。ついでに18年版追録調査の時のメモ書きを改めてみなおすと、この変更をちゃんと記録してある。そういえば追録は船主変更に重点をおいて船歴修正したことを思い出す。他のデータも取り込まねば。そういうことで訂正します。
前回までに第一、二、四海上護衛隊の戦時日誌の調査が終わったので、第三海上護衛隊の調査を一気にしてしまうつもりが、この戦時日誌は解釈が難しいのに加え状態も良くないため後回し決定。
第二特攻戦隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は朝輝丸、紀進丸、第一號桐丸、富士丸、海雲丸、あきつ丸、白銀丸。
第五特攻戦隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は姫島丸、第七利丸、第三號報國丸、鶴丸、昭榮丸、ふさ丸、第二號明神丸、岩手丸、第一繁伍丸。
世界の艦船の書評にあった「中国海軍と近代日中関係」を購入。江平、利濟、江通の船歴修正。
高雄警備府戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第二十日之出丸、第八鶚丸、六甲丸、武藏丸、長白山丸、若宮丸、岩戸丸、長安丸、揚梅丸、鹽水丸、秋津丸、草山丸、蘭陽丸、南岬丸、錦水丸、嘉南丸、朗洋丸、旺洋丸、白眉丸、第二十一日東丸、第二十二日東丸、北比丸、廣田丸、縣丸、第三拓南丸、音羽山丸、帝亞丸、吉野丸、華山丸、長島、海威、西貢丸、新興丸、高榮丸、公称944号60瓲交通船兼曳船。
第二海上護衛隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は長運丸、浮島丸、能代丸、西安丸、第二號長江丸、第二號長安丸、金龍丸、清澄丸、國川丸、聖川丸、衣笠丸、高榮丸、日祐丸、最上川丸、名古屋丸、大興丸、香取丸、河北丸、平壌丸、第十一昭南丸、第十五昭南丸、第六拓南丸、第七拓南丸、安宅丸、旭東丸、立山丸、五隆丸、朝山丸、日豊丸、日立丸、辰武丸、尾上丸、北開丸、榛名丸、湊丸、北上丸、駿河丸、長光丸、地洋丸、豊光丸、~洋丸、日本丸、健洋丸、玄洋丸、~國丸、東亞丸、日榮丸、金鈴丸、極洋丸、紀洋丸、寶洋丸、御室山丸、あけぼの丸、日章丸、東榮丸、第三小倉丸、松本丸、さんぢゑご丸、さんくれめんて丸、昭洋丸、富士山丸、總洋丸、第十八御影丸、かもゐ丸、第六眞盛丸、武庫丸、菊川丸、千早丸、興津丸、第二南海丸、諏訪丸、乾陽丸、玉島丸、君島丸、日吉丸、山西丸、畿内丸、球磨川丸、御嶽山丸、天城山丸、吉野川丸、秋葉山丸、那岐山丸、昌寶丸、筥崎丸、あきつ丸、摩耶山丸。
前にも書いたが昭和18年02月から10月の戦時日誌は第四根據地隊戦時日誌の中に紛れている。そこで再度これも見直した。
第二南海丸が曳航していた特35號とはおそらく特殊油槽船「第三十五南油」であることが判明。
Mr. Alsleben Allanから第二號東亞丸の最後について攻撃側の詳細なレポートを入手したのでそれに従い修正。
第四海上護衛隊戦時日誌組込み。組込んだ船歴は富津丸、第二新東丸、第三拓南丸、長門丸、大安丸、竹東丸、龍井丸、第三號報國丸、曽文丸、第一拓南丸、第十六昭南丸、第一號海洋丸、有幸丸、北洋丸、大斗丸、第七利丸、關丸、第七博多丸、姫島丸、ちとせ丸、新浦丸、第八長運丸、寶永丸、太安丸、第三號太平丸、第五十一播州丸、第六博多丸、第三南薩丸、第五大成丸、第十三長運丸、第二十七郵船丸、第三十一郵船丸、三峡丸、第一號新興丸、 長壽山丸、とよさか丸、日輪丸。
第二海上護衛隊戦時日誌組込み中。昭和17年07月まで。組込んだ船歴は金城山丸、能代丸、長運丸、三江丸、さんぢゑご丸、第二號長江丸、地洋丸、北開丸、第二圖南丸。
高雄警備府の戦時日誌は来週にはアップできそう。
「日立造船100年史」に掲載されている「ラモナ号」が"Ramona"ではないことが判明。「ラモナ号」の正体は不明だがとにかくサムネイルを差し替え。
第四海上護衛隊戦時日誌組込み中。昭和19年08月まで。組込んだ船歴は富津丸、第二新東丸、第三拓南丸、長門丸、大安丸、竹東丸、龍井丸、陵水丸、第三號報國丸、曽文丸、第一拓南丸、第十六昭南丸、第一號海洋丸、有幸丸、北洋丸、大斗丸、第七利丸、關丸、第七博多丸、姫島丸、ちとせ丸、新浦丸、第八長運丸、寶永丸、太安丸、第三號太平丸、第五十一播州丸、第六博多丸、第三南薩丸、第五大成丸、第十三長運丸。
第四海上護衛隊は奄美大島と沖縄を根拠に活動する部隊である。ここを通る船団の護衛も複雑だ。結局、出発地の佐世保鎮守府関係の戦時日誌を先に調査した方が理解がしやすい気がする。分量が多いから後回しにしていたのだが、あと少しの高雄警備府の戦時日誌をとにかく先に調査してしまうかどうするか、悩むところである。先に調査した大島防備隊の戦時日誌と齟齬が生じている箇所も多々あるが原則大島防備隊の記述を優先することにした。大島防備隊に記載の電令作なども必要に応じ組込み中。
駒宮さんが書いた「戦時輸送船団史」はご本人が記されているように掲載にあたっては「かなり絞らざるを得ない結果となった」ものである。昭和17年4月から昭和19年1月までの本土発台湾着の船団で言えば230船団中の7%ほどしか「戦時輸送船団史」には取り上げられていない。こういう状況なので、他の航路も推して知るべし。駒宮さんはそのあと2冊続編を出しているがトータルでも10%取り上げているにすぎない。要するに駒宮さんの本だけ見て輸送船団史などとても語れないのである。
折角、第一海上護衛隊戦時日誌・戦闘詳報を調査したので一昨年末に買った「戦時輸送船ビジュアルガイド2」について補足をする話題をひとつ。ホ号船団はホ02以外記録がないとされているが、ホ01船団の記録はある(JACR:C08030140700)。ホ01船団はテ05船団の復航船団である「テ06船団の発航を取止め昭南丸以下6隻、護衛艦第1号海防艦、第8号海防艦、第20号海防艦を以て」編成された船団で昭和19年5月19日楡林発、同26日ビンタンに到着している。また台湾方面への空襲を警戒して香港に向け退避するホ04船団が昭和19年11月6日高雄を発している。このホ04船団のホは香港のホでボーキサイトのホではないかもしれないがとりあえずホがつく船団である。なお、このホ04船団は途中で高雄に引返している。因みにテ号船団の方もテ04船団が最後ではなく先に記したようにテ05船団が楡林に到着しており、第一海上護衛隊戦時日誌では昭和19年5月20日門司発のテ07船団まで確認できる。
第一海上護衛隊戦時日誌・戦闘詳報組込み。組込んだ船歴は華山丸、北京丸、長壽山丸、唐山丸、でりい丸、浮島丸、海鷹、~鷹、大鷹、雲鷹、第七玉丸、第三拓南丸、第八拓南丸、K潮丸、甲谷陀丸、藤影丸、靖國丸、永福丸、射水丸、第二小倉丸、六甲丸、たるしま丸、木曾丸、さんぺどろ丸、第五昭和丸、第二京丸、第二鶚丸、新京丸、第十五日之出丸、島根丸、海龍丸、第二號海王丸、第三號海王丸、春川丸、漢江丸、縣丸、第六長運丸、第七長運丸、第二利丸、十勝丸、八代丸、照風丸、最上丸、辰和丸、長白山丸、第三十六共同丸、松本丸、萬光丸、開南丸、長田丸、富津丸、第七長運丸、長安丸、第八鶚丸、第二十日之出丸、紀進丸、鎮西丸、南鵬丸、新安丸、鞍馬丸、喜久丸、加茂丸、第十三京丸、慶州丸、阿波丸、海光丸、宇品丸、第一號桐丸、春日丸、~盛丸、宮古丸、瑞鳳丸、第十七日東丸。
高雄警備府戦時日誌組込み中。昭和18年12月まで。組込んだ船歴は第二十日之出丸、第八鶚丸、六甲丸、武藏丸、長白山丸、星光丸、若宮丸、第三東洋丸、岩戸丸、長安丸、揚梅丸、鹽水丸、秋津丸、草山丸、蘭陽丸、南岬丸、錦水丸、嘉南丸、朗洋丸、旺洋丸、白眉丸、第二十一日東丸、第二十二日東丸、北比丸、廣田丸、紀洋丸、あまつ丸、慶州丸、第二圖南丸。
「海洋調査要報 第八号」より戦前の「鶚丸」の船歴追加。
高雄警備府戦時日誌組込みにあわせて台湾を通る船団の動静も記録しているのだがなかなか面倒。そこである程度一気に解決するため第一海上護衛隊の戦時日誌・戦闘詳報の調査も並行して開始。「辰和丸」と「第三小倉丸」、「淺香山丸」と「音羽山丸」、「富士丸」と「帝亞丸」などが船団航行中に衝突しているというような興味深い事実がわかる。
高雄警備府戦時日誌組込み中。昭和18年09月まで。組込んだ船歴は第二十日之出丸、第八鶚丸、六甲丸、武藏丸、長白山丸、星光丸、若宮丸、第三東洋丸、岩戸丸、長安丸、揚梅丸、鹽水丸、秋津丸、草山丸、蘭陽丸、南岬丸、錦水丸、嘉南丸、朗洋丸、旺洋丸、白眉丸、第二十一日東丸、第二十二日東丸、北比丸、廣田丸、鎌倉丸、さんとす丸、愛國丸、長壽山丸、華山丸、帝亞丸、昌平丸、寶永丸、烏來丸、國島丸、長門丸、姫島丸、黒潮丸、國洋丸、安藝丸、日章丸、北京丸、あらびあ丸、瑞穂丸、萬光丸、第七利丸、第二號興東丸、霧島丸、新玉丸、帝香丸、Calitea、隆興丸、春島丸、立神、他にもあるかもしれないが、あとはわかんない。
「愛知縣水産試驗場事業概報」等より戦前の「白鳥丸」の船歴追加。
馬公警備府戦時日誌組込み。組込んだ船歴は第二十日之出丸、第八鶚丸、六甲丸、武藏丸、千洋丸、長白山丸、星光丸、若宮丸、第三東洋丸、岩戸丸、長安丸、揚梅丸、鹽水丸、秋津丸、蘭陽丸、南岬丸、錦水丸、嘉南丸、朗洋丸、旺洋丸、白眉丸、東石丸、研海丸、第二十一日東丸、第二十二日東丸、北比丸、廣田丸、第三圖南丸、大和丸、昭慶丸、華山丸、帝村丸、帝楓丸、清澄丸。
「兵庫縣水産試驗場事業報告」より戦前の「但馬丸」の船歴、「兵庫縣水産試驗場事業要覧」よりサムネイル追加。
この「更新履歴とひとりごと」も10頁目。まだまだ不十分な内容ではありますが今年もいろいろとご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。