第三十四號掃海艇の艇歴
年 月 日:艇歴
18.12.13:起工、仮称艦名:第419號艦
19.01.25:命名:達第17号:第三十四號掃海艇
19.01.25:類別等級制定:内令第200号:種別:掃海艇、類別:掃海艇、艇型:第十九號型
19.01.25:本籍仮定:内令第204号:呉鎮守府
19.03.22:進水
19.05.08:艤装員長:海軍大尉 小森 敏
19.05.16:艤装員事務所を株式會社東京石川島造船所深川工場内に設置し事務を開始
19.05.29:本籍:内令第713号:呉鎮守府、役務:警備掃海艇
19.05.29:竣工、艤装員事務所撤去
19.05.29:戦時編制:呉鎮守府部隊呉防備戦隊
19.05.29:掃海艇長:海軍大尉 小森 敏
19.05.29:戦時編制:呉鎮守府部隊呉防備戦隊
19.05.29:掃海艇長:海軍大尉 小森 敏
19.06.01:重油、清水、酒保物品、二式爆雷30個補給
19.06.03:横須賀〜06.03的矢06.04〜06.04和歌浦06.05〜06.05呉
19.06.05:須式七十五糎探照燈、二号二型改四電波探信儀装備工事
19.06.06:弾薬搭載
19.06.07:1330 乙錨地繋留
1430 真水搭載
19.06.08:重油、生糧品補給
19.06.09:石炭、二式爆雷20個搭載
19.06.10:酒保物品搭載
19.06.11:呉〜06.11佐伯
19.06.11:軍隊区分:新造対潜艦艇訓練部隊
19.06.12:碇泊諸訓練(06.21まで)
19.06.17:教練射撃(十二糎砲、九九式小銃)
19.06.18:教練射撃(十二糎砲、九九式小銃)
19.06.22:佐伯〜豊後水道にて訓練〜06.22佐伯
19.06.23:0600 転錨
19.06.24:重油搭載
19.06.25:石炭搭載
19.06.26:爆雷教練投射1個
19.06.27:佐伯〜出動訓練〜06.27臼杵湾
19.06.28:臼杵湾〜出動訓練〜06.28佐伯
19.06.28:真水補給
19.06.29:佐伯〜出動訓練〜06.29佐伯
19.06.30:佐伯〜出動訓練〜06.30佐伯
19.06.30:軍隊区分:新造対潜艦艇訓練部隊退隊
19.07.01:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第一南遣艦隊第十特別根拠地隊
19.07.01:佐伯〜対潜捕捉訓練〜07.01佐伯
19.07.02:佐伯〜対潜捕捉訓練〜07.02呉
19.07.03:重油搭載
19.07.04:石炭、真水、爆雷15個補給
19.07.04:呉〜自差修正〜07.05三池
19.07.06:石炭、真水補給
19.07.06:(モマ02船団護衛)三池〜
〜07.12 0700 船団と分離、「國華丸」「安國丸」「凌風丸」を護衛、高雄に向う〜
〜07.12高雄(外港)
19.07.13:0700 岸壁繋留
1100 真水、重油、石炭搭載
19.07.14:(タマ21C船団護衛)高雄〜
〜07.16 0645 陸軍徴傭船「しあとる丸」被雷沈没、対潜掃蕩〜
〜07.17 0034 陸軍徴傭船「日山丸」被雷沈没〜
〜07.17 0045 爆雷投射〜
〜07.17 0345 陸軍徴傭船「山丸」被雷沈没〜
〜07.17 0600 敵浮上潜水艦発見、砲撃開始4発〜
〜07.17 0619 爆雷投射〜
〜07.17 0722 爆雷投射〜
〜07.17 1015 陸軍徴傭船「日山丸」遭難者335名救助〜
〜07.17 1730 陸軍徴傭船「祥山丸」遭難者8名救助〜
〜07.18 ---- 「第一號海防艦」「第二十二號海防艦」と共にマニラに向う〜
〜07.18 0300 視界不良により僚艦を見失い単独航行〜
〜07.19マニラ
19.07.19:重油搭載
19.07.20:0800 転錨
2015 石炭搭載
爆雷20個補給
19.07.23:(マサ09船団護衛)マニラ〜
〜07.25 0856 爆雷投射〜
〜07.28西貢
19.07.29:重油補給
19.07.30:石炭搭載
19.07.31:爆雷5個補給
19.08.01:(船団護衛)西貢〜08.05昭南(軍港)
19.08.06:1720 第十号岸壁に横付け
19.08.10:二式爆雷改二5個、爆雷4個補給
19.08.--:九六式二十五粍機銃弾薬315発補給
19.08.13:石炭、重油補給
19.08.15:1640 羅針儀自差修正
転錨(ク一番浮標)
19.08.15:西方部隊電令作第131号:08.17昭南発の陸軍船団をマラッカ海峡航行中、間接護衛
19.08.17:昭南〜
〜08.19 0242(N04.08-E099.29)にて雷跡1本発見〜
〜08.19 2400 船団と分離し彼南に向う〜
〜08.20彼南
19.08.19:西方部隊電令作第134号:利水丸、第八號驅潜艇、第三十四號掃海艇護衛は昭南港発
サバンに回航、空ドラム其の他を搭載の上、昭南港に帰投
19.08.20:石炭、重油補給
19.08.--:西方部隊電令作第136号:彼南根據地隊指揮官の命を受け磁気掃海具及び掃海具を
ベラワン、バンガランスに輸送
19.08.23:彼南〜08.24ベラワン
19.08.24:石炭、重油補給、磁気掃海具を卸す
19.08.24:ベラワン〜
〜08.25 1245 特設運送船「利水丸」、「第八號驅潜艇」と合同〜
〜08.25 1845(N02.58-E100.18)にて爆雷投射〜
〜08.28サバン
19.08.28:石炭補給
19.08.29:(「利水丸」護衛)サバン〜
〜08.31 2030 一尋礁付近にて「第八號驅潜艇」が護衛を止め彼南に向う〜
〜08.31 2400 特設運送船「利水丸」と分離、単独昭南に向う〜
〜09.01昭南(軍港)
19.09.02:1400 第十三号岸壁に横付け
1515 真水搭載
19.09.03:石炭、重油補給
19.09.04:二式爆雷改二4個補給
19.09.05:転錨(ワ一番浮標)
19.09.08:1030 自差修正
19.09.08:西方部隊電令作第149号:永jロ護衛艦を第三十四號掃海艇及び第一京丸に指定
19.09.14:(「永jロ」護衛)昭南〜09.16タートルベック島付近09.16〜09.16コタバル沖09.17〜
〜09.19西貢
19.09.18:西方部隊電令作第155号:聖雀着後、直ちに昭南に帰投
19.09.19:補給
19.09.20:西貢〜09.22昭南(軍港)
19.09.23:石炭、重油補給
19.09.24:西方部隊電令作第156号:EMB対潜掃蕩作戦(M4作戦)実施09.27より1週間
19.09.26:昭南〜
〜09.27 1440 反転、ムカ岬の170度102浬に浮上した敵潜水艦の掃蕩に向う〜
〜09.28 1000 「第二號驅潜特務艇」と合同〜
19.09.29:彼南根據地部隊電令作第30号:
第三十四號驅潜艇、第二號驅潜特務艇は30日0200現場掃蕩を打切りディンデング水道北口に於て
友軍潜水艦(UIT24)と合同の上同艦を彼南迄護衛すべし
〜09.30 0200 敵情を得ず、電令作第30号に従い行動〜
〜09.30 ディンデング水道北口からドイツ潜水艦UIT-24を護衛〜
〜09.30彼南
19.09.30:重油補給
19.09.30:彼南根據地部隊電令作第31号:
第八號驅潜艇及び第三十四號掃海艇は第十一驅潜隊司令式の下に1日彼南出撃ダイヤモンド角より
アロア島間沿岸の敵潜掃蕩に任ずべし
19.10.01:彼南〜対潜掃蕩〜
〜10.04 1200 M4作戦終結〜
〜10.04 1300 掃蕩を止め昭南に向う〜
〜10.05昭南(軍港)
19.10.06:石炭、重油補給
19.10.05:昭南根電令作:便宜出港、昭南サバン間往復、大朝丸護衛
19.10.07:真水搭載
19.10.08:(「大朝丸」護衛)昭南〜
〜10.09 1535 対潜戦闘:爆雷攻撃〜
〜10.09 1600 「第四十一號驅潜特務艇」と合同〜
〜10.11 0900 サバン信号所89度5.5浬にて雷撃を受けるが被害なし〜
〜10.11 0910 対潜戦闘:爆雷投射13個〜
〜10.11サバン
19.10.11:補給
19.10.11:サバン〜対潜掃蕩〜10.12サバン
19.10.12:(「大朝丸」護衛)サバン〜
〜10.14 (N02.26-E101.45)巡洋艦「青葉」教練用魚雷収容〜
〜10.15昭南(軍港)
19.10.16:燃料補給
19.10.18:彼南根電令作第44号:準備出来次第出港、第四驅逐隊司令の命を受け
雄鳳丸、八紘丸船団の護衛
19.10.18:(「雄鳳丸」「八紘丸」護衛)昭南〜10.21ブルネイ
19.10.21:1700 戦艦「大和」に横付け重油補給
1850 投錨仮泊
1915 在泊船の爆雷84個を本艦に搭載
19.10.22:ブルネイ〜10.22ラブアン(ビクトリア港)
19.10.22:1130 爆雷陸揚作業開始
1530 爆雷陸揚作業終了
19.10.23:ラブアン〜
〜10.24 2035 対潜戦闘:砲撃〜
〜10.24 2049 敵潜水艦を見失い打方止め〜
〜10.24 2110 再度目標補足、砲撃開始〜
〜10.24 2115 砲撃を止む〜
〜10.25昭南(軍港)
19.10.25:西方部隊電令作第174号:
1.第三十四號驅潜艇及び第三十四號掃海艇は準備出来次第出撃、ブルネイ湾に急行、
機動部隊ブルネイ湾帰投の際の警戒並に泊地警戒に任ずべし
2.以下略
19.10.26:1130 第二号岸壁に横付け、燃料補給
1510 工作要具を搭載
19.10.26:昭南〜
〜10.28 潜望鏡らしきものを発見、砲撃(竹竿と判明)〜
〜10.29ブルネイ
19.10.29:1110 巡洋艦「高雄」に横付け、工作要具及び人員を移す
1449 巡洋艦「妙高」に横付け、弾薬搭載、工作要具及び人員を移す〜
1842 巡洋艦「羽黒」に横付け、弾薬を移す
19.10.30:0050 特設運送船「御室山丸」に横付け、重油補給
19.10.30:(「妙高」護衛)ブルネイ〜11.03昭南(セレター軍港)
19.11.03:重油、石炭補給
19.11.04:昭南〜
〜11.05 1926 潜望鏡らしきものを発見、砲撃5発(竹竿と判明)〜
〜11.06クチン
19.11.06:第一遊撃部隊電令作第126号:高雄艦長は清霜及び第三十四號掃海艇を指揮し
08日以降便宜ブルネイ発昭南に回航
19.11.07:クチン〜11.08ブルネイ
19.11.08:巡洋艦「大淀」より重油補給
19.11.08:(「高雄」護衛)ブルネイ〜11.11昭南(軍港)
19.11.12:0940 第二号岸壁に横付け、補給
1950 離岸、投錨
19.11.18:十根機密第182140番電:スマトラ向け船団5隻:日南丸、勝南丸、あやゆき丸、
栗榮丸、松榮丸、護衛艦:第三十五號驅潜艇、第三十四號掃海艇
19.11.19:昭南根據地部隊電令作第49号:
1.19日1840北緯10度34分東経102度55分敵浮上潜水艦あり
2.第三十四號掃海艇は船団より先航せしめ之を攻撃せよ
3.第三十五號驅潜艇、第四十五號驅潜特務艇は船団に合同之が護衛に任ずべし
19.11.19:(船団護衛)昭南〜
〜11.19 1837 海軍配當船「日南丸」被雷1本〜
〜11.19 1855 海軍配當船「日南丸」被雷1本〜
〜11.19 1913 海軍配當船「日南丸」沈没、船団を避泊させ対潜掃蕩〜
〜11.19 1915 対潜戦闘:二式爆雷改二投射18個〜
〜11.19 海軍配當船「日南丸」遭難者83名収容〜
〜11.20 1822 B−29 1機と対空戦闘〜
〜11.22 1503 爆雷投射:二式爆雷改二投射2個〜
〜11.23昭南(軍港)
19.11.24:重油、石炭、爆雷補給
19.11.26:西方部隊電令作第189号:
第三十四號驅潜艇、第三十五號驅潜艇、第三十四號掃海艇は第一海上護衛隊司令官の区処を受け
シサ30船団の護衛に任じたる後、速やかに昭南回航
19.11.26:(シサ30船団護衛)昭南〜11.26東仮泊地11.27〜11.30西貢河(ナベ)〜12.01西貢
19.12.02:西貢〜12.04昭南
19.12.08:昭南〜12.12聖雀12.13〜12.13聖雀
19.12.13:被雷した巡洋艦「妙高」の警戒、敵潜制圧
19.12.14:聖雀〜12.20昭南
19.12.21:昭南〜12.25昭南
20.01.08:西方部隊電令作第219号:
1.永jロ(護衛艇:雁、第三十四號掃海艇)は準備出来次第、昭南発サバンに回航、國津丸を
昭南まで曳航すべし
2.第六十三號、第三十四號、第三十五號驅潜艇はサバン、昭南、永jロ船団の護衛に任ずべし
3.一三空部隊指揮官は教務に支障なき範囲に於て永jロ船団サバン出入港時の対潜警戒を実施すべし
20.01.08:(「永jロ」護衛)昭南〜01.11サバン01.12〜01.15昭南
20.01.18:西方部隊電令作第222号:
第三十四號掃海艇及び第三十四號驅潜艇は第一護衛艦隊長官の区処を受けせりあ丸の昭南聖雀間
護衛に任ずべし
20.01.20:(シサ34船団護衛)昭南〜01.23聖雀
20.01.24:聖雀〜01.24西貢
20.01.24:軍隊区分:西方部隊電令作第227号:
1.第三十四號驅潜艇及び第三十四號掃海艇を一時佛印根據地部隊に編入
佛印根據地部隊指揮官は右兵力及び麾下艦艇をして佛印東岸の対潜掃蕩を実施すべし
2.第二十號驅潜艇及び第二十三號驅潜艇、佛印着以後、第三十四號驅潜艇、第三十四號掃海艇と
任務交代、第三十四號驅潜艇、第三十四號掃海艇はサシ船団護衛昭南に帰投(原隊復帰)
せしむべし
20.01.24:佛印根據地部隊電令作第36号:対潜掃蕩
20.01.25:西貢〜対潜掃蕩〜
20.01.29:佛印根據地部隊電令作第38号:対潜掃蕩打切り
〜01.30西貢
20.01.31:西貢〜01.31聖雀
20.02.01:(サシ41C船団護衛)聖雀〜
〜02.02(N04.00-E103.30)「第十九南進丸」被雷沈没〜
〜02.07昭南
20.02.10:昭南〜02.16聖雀02.19〜02.24昭南
20.02.18:軍隊区分:機密第一警備部隊命令作第5号:挺身輸送隊
20.02.24:機関修理(02.28まで)
20.03.08:(二號作戦第一次輸送)スラバヤ〜03.11クーパン03.11〜03.13スラバヤ
20.03.16:軍隊区分:第一警備部隊直卒部隊
20.03.24:スラバヤ〜対潜掃蕩、護衛〜
〜03.28 1931 マカッサル港外にてB-24 一機と交戦し「第十一號掃海艇」沈没〜
〜03.30スラバヤ
20.04.03:スラバヤ〜輸送〜04.08スラバヤ
20.04.22:第一警備部隊電令作第155号:
第百十三號驅潜特務艇護衛船団に会合、同船団を併せ指揮
20.04.22:(護衛)スラバヤ〜
〜04.24 1840 カラミアン島北10浬にてB-24 1機の触接を受ける〜
〜04.24 1930 B-24 1機が船団を銃撃、陸軍徴傭船「龍興丸」火災〜
〜04.24 2310 陸軍徴傭船「龍興丸」救助作業終了〜
〜04.25 1128 敵機と交戦〜
〜04.26 0317(S05.27-E116.27)敵浮上潜水艦を発見〜
〜04.26 0335 潜水艦を砲撃〜
〜04.26 1035 敵浮上潜水艦を発見、直に潜没〜
〜04.26 1210迄に爆雷攻撃3回〜
〜04.28スラバヤ
20.04.28:第一警備部隊電令作第163号:
第三十四號掃海艇は第百十三號驅潜特務艇を指揮し28日出撃、北掃海水路北西方の
敵潜水艦を掃討し29日日没時までに帰投すべし
20.05.01:掃海艇長:海軍少佐 小森 敏
20.05.21:沈没
20.06.10:類別等級削除:内令第531号
20.06.10:除籍:内令第524号
喪失場所:S06.15-E116.01 ジャワ海セパンジャン島北方110km付近
喪失原因:米潜水艦Chub(SS-329)の雷撃
同型艇
第二十五號、第二十六號、第二十七號、第二十八號、第二十九號、第三十號、第三十三號、
第三十八號、第三十九號、第四十一號。
兵装
(計画時)
四十五口径十一年式十二糎砲3門、九六式二十五粍二聯装機銃1基、
十四年式拳銃6丁、三八式歩兵銃22挺、須式電動七十五糎探照燈四型改一1基、九六式二米測距儀1基、
九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、爆雷水圧投下台2基、爆雷投下台二型4基、爆雷36個、
対艦式大掃海具4組、単艦式掃海具2組、小掃海具一型改一1組。
写真資料
要調査
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