第二十五號掃海艇の艇歴
年 月 日:艇歴
17.04.08:起工、仮称艦名:第410號艦
17.07.10:命名:達第197号:第二十五號掃海艇
17.07.10:本籍仮定:内令第1213号:横須賀鎮守府
17.07.10:類別等級制定:内令第1222号:種別:掃海艇、類別:掃海艇、艇型:第十九號型
17.12.22:進水
17.12.22:本籍:内令第2363号:横須賀鎮守府
18.03.25:艤装員長:海軍豫備大尉 小田 壽夫
18.04.01:艤装員事務所を呉海軍工廠内に設置し事務を開始
18.04.28:役務:内令第810号:警備掃海艇
18.04.28:竣工
18.04.28:戦時編制:横須賀鎮守府部隊
18.04.28:掃海艇長:海軍豫備大尉 小田 壽夫
18.07.01:掃海艇長:海軍大尉 小田 壽夫
18.08.23:横海防信電令作第347号:澤風、千鳥、第二十五號掃海艇、第二十七號掃海艇、
第四十八號驅潜艇は08月24日便宜横須賀発、野島崎南方海面に出動
18.10.05:0550(N41.16-E141.30)尻矢埼の173度10浬にて敵潜水艦らしきものを探知し爆雷攻撃
18.10.26:横海防信電令作第417号:準備出来次第出港、第十一鶚丸被雷撃現場にて対潜掃蕩
18.10.26:長浦〜
18.11.25:横須賀鎮守府海面防備部隊信電令作第432号:
第二十五號掃海艇、第二十七號掃海艇は機密横鎮電令作第334号に応ずる如く佐世保に回航すべし
18.11.25:戦時編制:佐世保鎮守府部隊
18.11.25:軍隊区分:佐世保海面防備部隊
18.12.02:軍隊区分:佐世保鎮守府海面防備部隊電令作第114号:第一護衛部隊
18.12.02:三番浮標に繋留替え、一号発電機修理
18.12.02:生糧品搭載
18.12.03:貯糧品搭載
18.12.14:清水搭載
18.12.14:佐世保鎮守府海面防備部隊電令作第4号:
1.0417北緯33度10分東経125度00分に於て筥崎丸雷撃を受け沈没、第三十八號哨戒艇攻撃中
2.第二十五號掃海艇、海威(燃料補給後)は右敵潜を掃蕩撃滅すべし(指揮官第二十五號掃海艇長)
3.各部隊警戒を厳にせよ
18.12.14:佐世保〜
〜12.15 1130 佐海防電令作第8号(1200以後捜索線を東方に変更し済州島の南方30浬を経て神之浦に向え)〜
〜12.15 1000(N30.43-E125.00)滿洲國海上警察隊警備船「海威」と編隊掃蕩開始〜
〜12.16神ノ浦
18.12.17:神ノ浦〜12.17佐世保
18.12.18:重油、清水搭載
18.12.19:石炭補給
18.12.20:生糧品搭載
18.12.21:清水搭載
18.12.21:佐世保鎮守府海面防備部隊信電令作第1号:
第二十五號掃海艇は準備出来次第出撃、野母埼南方の敵潜を撃滅すべし
18.12.21:佐世保〜
〜12.22 1112 佐海防電令作第24号(野母埼の290度15浬地点より南方に約三十浬幅五十米の浮油帯あり
捜索の重点を該地区に移せ、差当り第二十五號掃海艇は該地点に急行せよ)〜
〜12.22 1240 佐海防電令作第25号(野母埼の290度15浬にに急航せよ、油の湧出点は該地点なり)〜
〜12.24恵美須湾
18.12.24:恵美須湾〜12.24佐世保
18.12.25:石炭搭載
18.12.26:清水搭載
18.12.27:佐世保〜対潜掃蕩〜12.27富江
18.12.30:富江〜対潜掃蕩〜12.30伊万里
18.12.30:軍隊区分:佐世保鎮守府海面防備部隊電令作第30号:機雷部隊
18.12.31:(シ第一一一船団護衛)伊万里〜01.03上海
19.01.04:石炭、重油、清水、生糧品搭載
19.01.05:(モ第五〇一船団護衛)上海〜
〜01.10 0200 神島にて「北壽丸」解列〜
〜01.10佐世保
19.01.11:機関手入(01.21まで)
19.01.11:清水搭載
19.01.12:重油搭載
19.01.16:石炭、清水搭載
19.01.20:軍隊区分:機密佐世保鎮守府命令作第53号:海面防備部隊機雷部隊
19.01.20:軍隊区分:佐世保鎮守府海面防備部隊電令作第50号(01.21附):機雷部隊
19.01.20:貯糧品、酒保物品搭載
19.01.21:爆雷、清水搭載
19.01.23:生糧品搭載
19.01.23:(第十八戦隊護衛)佐世保〜支那東海南東海域第一機雷礁敷設警戒〜01.25前島沖
19.01.26:(第十八戦隊第一小隊護衛)前島沖〜01.26油谷湾01.27〜01.28舞鶴
19.01.29:石炭、清水搭載
19.01.31:生糧品搭載
19.01.31:(第十八戦隊第一小隊護衛)舞鶴〜01.31舞鶴
19.02.03:(第十八戦隊第一小隊護衛)舞鶴〜02.04佐世保
19.02.05:清水、重油、石炭搭載
19.02.05:機雷部隊電令作第1号:
第二十五號掃海艇は5日午後佐世保発六連島に回航、6日0500同地発の高榮丸、新興丸を
佐世保まで護衛すべし
19.02.05:佐世保〜02.05加唐島
19.02.06:加唐島〜
〜02.06 0630 第十八戦隊第二小隊護衛〜
〜02.06佐世保
19.02.07:生糧品搭載
19.02.08:石炭搭載
19.02.08:海上護衛總部隊電令作第45号:海護總機密第081142番電:
佐世保鎮守府司令長官の第二十五號掃海艇及第二十七號掃海艇に対する指揮を解く
各艇を横須賀鎮守府海上護衛部隊に復帰す
19.02.08:軍隊区分:横鎮電令作第83号:直接護衛部隊
19.02.08:横海防電令作第24号:速やかに神戸に回航、阪警長官の協議に応じ
適宜東航船団を護衛横須賀に帰投
19.02.09:佐鎮機密第091745番電:
第二十五號掃海艇及第二十七號掃海艇は海上護衛電令作第45号により佐鎮長官の作戦指揮を解かれたる
處、当方目下護衛艦なき爲機雷部隊の第二次敷設(2月13日)終了迄本府作戦に協力のことに御取計を
得度
19.02.09:横海防電令作第26号:横海防機密第639番電:
第二十五號、第二十七號掃海艇は佐鎮機雷部隊の第二次敷設に協力したる後、速やかに神戸に回航
大阪警備府長官の協議に応じ東航船団を護衛、横須賀に帰投すべし
19.02.12:清水搭載
19.02.13:機雷部隊信令第5号:
1.第二十五號掃海艇は明朝便宜当地発富江に回航、爾後目標艇の設標発見に協力すべし
富江出港時決定せば報告すべし
19.02.13:(第十八戦隊護衛)佐世保〜02.13恵美須湾
19.02.14:恵美須湾〜02.14富江
19.02.14:富江〜浮標探索〜02.15富江
19.02.16:富江〜02.16佐世保
19.02.16:石炭、清水搭載
19.02.17:(第十八戦隊護衛)佐世保〜
〜02.18 1410 敷設開始〜
〜02.18 1910 敷設終了〜
〜02.20 0600 第十八戦隊護衛終了〜
〜02.20呉
19.02.20:戦時編制:横須賀鎮守府部隊横須賀防備戦隊
19.02.21:石炭、清水、生糧品搭載
19.02.21:呉〜02.23浦賀02.23〜02.23横須賀(長浦)
19.02.24:石炭、清水、生糧品搭載
19.02.24:横海防電令作第44号:25日横須賀出撃予定の御嶽山丸の直接護衛
19.02.24:横須賀〜02.24館山
19.02.25:(第3225船団護衛)館山〜
〜02.27 0810 護衛終了〜
〜02.27二見
19.02.27:石炭、清水、重油搭載
19.02.27:横海防電令作第50号:小笠原部隊指揮官の命に応じ適宜北上船団を護衛し横須賀に帰投
19.03.01:軍隊区分:機密横鎮電令作第162号:甲直接護衛部隊
x19.03.02:(船団護衛)二見〜03.07長浦
x19.03.10:長浦〜対潜掃蕩〜03.13長浦
19.03.13:軍隊区分:機密横鎮電令作第200号:一時、甲直接護衛部隊
x19.03.14:長浦〜対潜掃蕩〜03.15長浦
x19.03.21:長浦〜03.21木更津沖
x19.03.22:(東松3号船団護衛)木更津沖〜03.25長浦
x19.03.26:長浦〜03.28長浦
19.03.29:(東松4号船団護衛)長浦〜
〜03.31 2000頃 東松二號船団と合同〜
〜04.01 0930 解列〜
〜04.01長浦
19.04.05:軍隊区分:機密横須賀鎮守府命令作第366号:甲直接護衛部隊
x19.04.06:長浦〜04.06館山湾
x19.04.07:(東松5号船団護衛)館山湾〜04.09父島
x19.04.15:(船団護衛)父島〜04.17長浦
19.04.27:横防戦電令作第102号:東松7号船団を青ヶ島付近まで直接護衛したる後、
適宜対潜掃蕩を実施しつつ30日午前中に帰投
x19.04.27:長浦〜04.27木更津沖
19.04.28:(東松7号船団護衛)木更津沖〜
〜04.29 1200 八丈島の72度130浬にて護衛終了、反転〜
〜04.30長浦
19.05.01:掃海艇長:海軍少佐 小田 壽夫
x19.05.01:入渠
二十五粍機銃増設
十二糎砲(三番砲撤去)
投射機増設
19.05.02:軍隊区分:機密横鎮電令作第334号:甲直接護衛部隊
1.指揮官:横須賀海面防備隊司令官
2.兵力:旗風、澤風、千鳥、鵯、第二十五號、第二十七號掃海艇、第四十八號、第五十號驅潜艇、
長運丸
3.任務:東京湾北航路及同西航路の船団(船舶)直接護衛、特命船団(船舶)の直接護衛
敵潜の掃蕩及び捕捉撃滅、被害船舶の救難、急速戦備の充実及び戦力の練成、その他特令作戦
x19.05.10:出渠、小海岸壁繋留
x19.05.13:小海〜公試〜05.13長浦
x19.05.16:長浦〜05.16館山
x19.05.17:(第3515船団護衛)館山〜05.20横須賀(鳶ヶ鼻)
x19.05.21:横須賀〜05.21横浜
19.05.21:機密横鎮電令作第376号:
1.機密横鎮電令作第370号による銭州西方海面の哨戒掃蕩を終止し掃海艇1隻の待機を解除す
2.熊野山丸、九州丸及び第三九九八號重油船を以て第三五二三船団を編成、父島に向け出撃せしむ
甲直接護衛部隊指揮官は第二十五號掃海艇をして右船団の横浜父島間護衛を実施せしむべし
19.05.21:横防電令作第125号:
1.第二十五號掃海艇の待機を解く
2.第二十五號掃海艇は第三五二三船団の横浜、父島間護衛を実施すべし
x19.05.23:(第3523船団護衛)横浜〜05.27父島
x19.05.30:(船団護衛)父島〜06.04長浦
19.06.08:機密横鎮電令作第414号:
第十八號驅潜艇及び第八昭和丸は第二十五號掃海艇と合同後、杉山丸護衛を同艇に引継ぎ
速かに追及原隊に復帰する如く行動すべし
19.06.08:長浦〜
〜06.09 1700 一般徴傭船「杉山丸」及び護衛艦に合同できず〜
〜06.10長浦
19.06.13:横鎮電令作第433号:
1.敵機動部隊南方諸島空襲の算あり
2.小笠原部隊指揮官は在父島艦艇船舶を以て船団部隊を編成、古賀大佐を船団部隊指揮官として
至急出港、横浜に帰投せしむべし
編成、行動を予定報告すべし
3.甲直接護衛部隊指揮官は皐月、千鳥、第二十五號掃海艇をして至急出港、右船団部隊に合同
護衛に任ぜしむべし、合同以後前項船団部隊指揮官の指揮下に入る
4.小笠原部隊東京湾北航路部隊指揮官は右船団に対する飛行警戒を特に厳にすべし
19.06.14:長浦〜
〜06.15 0800 彌榮丸船団(旧第3609船団)護衛〜
〜06.18長浦
19.06.19:横防戦電令作第143号:速やかに出撃、木更津沖に不時着の水上偵察機救助
19.06.19:長浦〜不時着機捜索〜06.22長浦
19.06.25:横防戦電令作第150号:第3628船団を東京湾父島間直接護衛
19.06.28:長浦〜06.28館山
19.06.29:(第3628船団護衛)館山〜
〜07.02 1105 父島列島西島の295度2.5浬にて船団が雷撃を受けるが被害なし、船団を入泊させ攻撃〜
〜07.02父島
19.07.02:燃料補給、真水、生糧品搭載
19.07.04:0350 対空戦闘開始
0455 出港
1115 グラマン戦闘機15機の来襲を受け第一缶室に直撃弾、全缶破損、航行不能
1230 総員退去
1835 沈没
19.07.04:沈没
19.09.10:類別等級削除:内令第1065号
19.09.10:解役:内令第1059号
19.09.10:除籍:内令第1060号
喪失場所:N28.30-E141.13 父島の337度75浬
喪失原因:米第58機動部隊艦載機による空爆
同型艇
第二十六號、第二十七號、第二十八號、第二十九號、第三十號、第三十三號、第三十四號、
第三十八號、第三十九號、第四十一號。
兵装
(計画時)
四十五口径十一年式十二糎砲3門、九六式二十五粍二聯装機銃1基、
十四年式拳銃6丁、三八式歩兵銃22挺、須式電動七十五糎探照燈四型改一1基、九六式二米測距儀1基、
九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、爆雷水圧投下台2基、爆雷投下台二型4基、爆雷36個、
対艦式大掃海具4組、単艦式掃海具2組、小掃海具一型改一1組。
(19.05.10)
四十五口径十一年式十二糎砲2門、九六式二十五粍二聯装機銃3基、同単装機銃3基、
拳銃、小銃、
九四式投射機2基、爆雷装填台三型2基、三式投射機2基、装填台2基、爆雷投下台2基、
九三式水中聴音機1基、仮称電波探知機1基、二式爆雷改二。
写真資料
あり(米軍撮影映像)
備考
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従来本船竣工日を昭和18年04月30日としているものがほとんどですが、警備掃海艇の制定、掃海艇長への補職日が04月28日であることから本サイトでは昭和18年04月28日としています。
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艇歴の日付前に"x"を付したものの出典は本艇の戦時日誌ですが、「資料全部ノ亡失セルタメ乗組生存者ノ記憶ニ依リ調整」したものであるため、正確でない可能性があります。
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