第二十號驅潜艇の艇歴
年 月 日:艇歴
15.12.14:起工、仮称艦名:第187號艦
16.05.15:命名:達第156号:第二十號驅潜艇
16.05.15:類別等級制定:内令第535号:種別:驅潜艇、類別:驅潜艇、艇型:第十三號型
16.05.15:本籍仮定:内令第536号:呉鎮守府
--.--.--:信号符字點付:達第号:JRXD
16.05.29:進水
16.07.18:艤装員長:海軍豫備大尉 綿貫 有士
16.07.25:艤装員事務所を玉造船所内に設置し事務を開始
16.08.20:竣工、艤装員事務所を撤去
16.08.20:本籍:内令第955号:呉鎮守府、役務:警備驅潜艇
16.08.20:戦時編制:呉鎮守府部隊呉防備戦隊
16.08.20:驅潜艇長:海軍豫備大尉 綿貫 有士
16.12.01:信号符字改正:達第369号:JZTP
17.01.07:機密呉防戦作戦命令第11号:作戦に関し佐伯防備隊司令の指揮を承くべし
17.01.08:佐伯防備隊電令作第13号:
3.第十九號、第二十六號驅潜艇は機密佐伯防備隊作戦命令第5号の哨戒を止め
1月10日以後、機密呉防戦命令第2号による潜校教務に参加すべし
17.01.16:佐伯防備隊電令作第17号:明17日より当分担任哨区を左の如く定む
1.ABC哨区 第二十五號、第二十號、第二十一號驅潜艇
DEF哨区 第二十六號驅潜艇、夏島、第十九號驅潜艇
(但し右順序により輪番当直とするも訓練の都合上、
第二十五號、第二十六號驅潜艇は18日以降の当直は特令す)
2〜5.略
17.02.01:驅潜隊編制:内令第194号:第十二驅潜隊
17.02.01:戦時編制:聯合艦隊第三艦隊第一根據地隊第十二驅潜隊
17.02.07:呉〜02.08奄美大島02.09〜02.13ダバオ02.15〜02.19スターリング湾
17.02.23:スターリング湾〜02.26ダバオ02.27〜
17.03.10:戦時編制:聯合艦隊第二南遣艦隊第二十三特別根據地隊第十二驅潜隊
17.04.01:軍隊区分:主隊
17.04.10:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第二南遣艦隊第二十三特別根據地隊第十二驅潜隊
17.05.01:驅潜隊編制:内令第774号:第十二驅潜隊解隊
17.05.01:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第二南遣艦隊第二十三特別根據地隊
17.08.20:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第一南遣艦隊第十一特別根據地隊
17.11.--:パラオ方面任務
〜11.01 Q点(北緯13度東経130度)からY船団護衛〜
〜パラオ
17.12.--:パラオ方面任務
17.12.--:パラオ〜01.04パラオ
18.01.05:パラオ〜護衛〜01.07パラオ
18.01.11:パラオ〜護衛並に掃蕩〜01.18パラオ
18.01.19:パラオ〜掃蕩〜護衛〜01.23パラオ
18.01.23:パラオ〜護衛〜01.25パラオ
18.01.25:パラオ〜護衛〜01.29パラオ
18.01.30:パラオ〜護衛〜02.03パラオ
18.02.--:軍隊区分:パラオ警備部隊
18.02.03:パラオ〜護衛〜パラオ
18.02.06:機関修理(02.18まで)
18.02.18:パラオ〜護衛〜02.21パラオ
18.02.23:パラオ〜護衛〜03.03パラオ
18.03.05:パラオ〜護衛〜03.07パラオ
18.03.09:パラオ〜護衛〜03.18パラオ
18.03.10:驅潜艇長:海軍豫備大尉 小林 直一
18.03.19:パラオ〜護衛〜03.22パラオ
18.03.26:パラオ〜護衛〜03.27パラオ
18.03.29:パラオ〜護衛〜03.31パラオ
18.04.02:パラオ〜護衛〜04.05パラオ
18.04.08:(護衛)パラオ〜04.12トラック
18.04.14:トラック〜対潜掃蕩〜04.16トラック
18.04.15:軍隊区分:聯合艦隊電令第526号:内南洋部隊より除き原隊に復帰
18.04.15:軍隊区分:E部隊電令作第303号:馬來部隊
18.04.17:(護衛)トラック〜04.19メレヨン
18.05.01:類別等級改正:内令第838号:種別:驅潜艇、類別:驅潜艇、艇型:第十四號型
18.05.20:軍隊区分:E部隊信電令作第94号(05.18):昭南根據地部隊
18.07.01:驅潜艇長:海軍大尉 小林 直一
18.07.18:軍隊区分:E部隊電令作第329号:彼南根據地部隊
18.07.20:(ドイツ船護衛)昭南〜07.22彼南
18.07.29:彼南〜船団護衛〜08.01サバン
18.08.06:(「廣隆丸」護衛)サバン〜08.07ニコバル08.07〜08.08ブレア08.09〜08.11サバン
18.08.12:サバン〜08.13ニコバル
18.08.15:(「南海丸」護衛)ニコバル〜
〜08.17 1900 一尋礁着、特設運送船「南海丸」の護衛を終了〜
〜08.18彼南
18.08.20:軍隊区分:スマトラ根據地部隊
18.08.20:彼南〜対潜掃蕩〜08.24彼南
18.08.24:(「木曾川丸」護衛)彼南〜
〜08.25 0800 ドイツ船護衛のため会合点に向かう〜
〜08.27彼南
18.08.29:彼南〜R船団護衛〜
18.10.--:軍隊区分:馬來根據地部隊
〜11.09 1516 パンダン島の75度35浬にて敵潜探知〜
〜11.14 0600 ジャラク島の56度10浬にて浮上潜水艦を発見〜
〜11.14 0730 ジャラク島の60度17浬にて英潜水艦"Taurus"の砲撃を受け航行不能〜
18.12.27:驅潜艇長:海軍大尉 的場 虎之助
19.01.--:軍隊区分:西方部隊主隊
19.08.01:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第三南遣艦隊
19.08.17:(シミ09船団護衛)昭南〜08.21クチン08.24〜08.25ミリ
19.08.29:(ミ14船団護衛)ミリ〜09.05マニラ
19.09.10:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第三南遣艦隊第三十一特別根據地隊
19.10.21:(マタ30船団護衛)マニラ〜
〜10.23 1730(N18.58-E118.46)特設運送船「君川丸」被雷沈没〜
〜10.25高雄
19.10.26:第一海上護衛隊機密第261104番電:
春風、呉竹、第二十號驅潜艇、第三十八號哨戒艇、第百二號哨戒艇及び第二十五號海防艦
(揚陸後)は速にN19.30-E120.40に急行、第二十一驅潜隊司令の指揮を承け輸送船4
(人員約7,000名)の救難、敵潜掃蕩に任ずべし
19.11.02:(タマ31A船団護衛)高雄〜
〜11.03 0500(N19.51-E121.48)「第百十一號輸送艦」被雷小破〜
〜11.03ラポック湾
19.11.04:ラポック湾〜
〜11.04 1627 爆雷攻撃〜
〜11.04 1725 爆雷攻撃〜
〜11.04 1745(N15.56-E119.44)「第百十一號輸送艦」被雷中破〜
〜11.04 1748 特設運送船「香久丸」被雷、航行不能〜
〜11.04サンタクルーズ
〜11.07マニラ
19.11.12:サンタクルーズに入港
19.11.15:サンタクルーズ〜マニラ
20.01.21:西方部隊電令作第226号:
第二十號驅潜艇及び第三十五號驅潜艇は第一護衛艦隊参謀長の命を受け1月22日昭南発予定の
大越丸船団の護衛に任ずべし
20.01.22:(シサ35船団護衛)昭南〜01.27聖雀
20.01.24:軍隊区分:西方部隊電令作第227号:一時佛印根據地部隊
20.01.27:佛印根據地部隊電令作第37号:ヒ88B船団をキノン附近まで護衛
20.01.28:(ヒ88B船団護衛)聖雀〜01.29バンフォン湾01.30〜
〜01.30 キノン附近にて船団と分離反転〜
20.02.03:佛印根據地部隊電令作第41号:
第二十號驅潜艇は4日未明バロン湾出撃バレラ岬付近の敵潜制圧に任じ南下のヒ91船団に合同
パダラン岬南方約30浬まで護衛に協力の上カムランに帰投すべし
20.02.04:バンロー〜02.05カムラン湾
20.02.05:佛印根據地部隊電令作第42号:
第二十號驅潜艇は7日0800カナに回航、同地待機中の第三共榮丸(キノン行)を護衛し
1200頃パダラン岬通過予定のヒ88C梯団(船団2隻、護衛艦3隻、速力8)に合同、
北緯16度線附近まで護衛協力の上キノンに帰投すべし
20.02.--:カムラン湾〜カナ
20.02.--:(「第三共榮丸」護衛)カナ〜02.10キノン
20.02.10:佛印根據地部隊電令作第46号:
第二十號驅潜艇はキノンに於ける第三共榮丸出港準備完了せば同船を聖雀沖まで護衛すべし
20.02.14:(「第三共榮丸」護衛)キノン〜02.16聖雀
20.02.19:佛印根據地部隊電令作第48号:
第二十號驅潜艇は便宜西貢出撃、20日午後聖雀発予定のヒ88G梯団に合同、楡林まで護衛の上
カムラン発予定のヒ88G梯団に合同、楡林迄護衛の上、カムランに帰投すべし
20.02.22:(船団護衛)聖雀〜02.28楡林
20.02.26:軍隊区分:海上護衛総部隊電令作第397号:第一南遣艦隊護衛部隊
20.02.27:佛印根據地部隊電令作第52号:
1.第二十號驅潜艇は楡林着後、速に補給の上概ね左に依り西貢に帰投すべし
右行動中対潜哨戒を行うべし
2100 楡林発 翌0800ツーラン着
同日 2200発 翌0900キノン着
同日 2200発 翌0800ナトラン着
同日 1800発 翌0900聖雀着
2.西貢に於て急速補給の上別令任務に従事せしむ
20.03.05:戦時編制:大海幕機密第608号ノ210:海上護衛総司令部第一護衛艦隊
20.03.--:艦隊区分:隊番号:40、艦船番号(52)
20.03.05:軍隊区分:第一南遣部隊作戦指揮下
20.03.18:当艦隊に復帰
20.03.25:聖雀〜03.25聖雀
20.03.26:聖雀〜ヒ88J船団護衛〜03.27ナトラン
20.03.28:(ヒ88J船団護衛)ナトラン〜
〜03.28 1042(N12.32-E109.22)海軍配當船「阿蘇川丸」被爆沈没〜
〜03.28 1220(N12.40-E109.28.5)陸軍徴傭船「鳳南丸」被雷大破、擱坐〜
〜03.29 0710(N14.44-E109.16)「第八十四號海防艦」被雷沈没〜
〜03.29 1130(N15.14-E109.26)「海興丸」被爆沈没〜
〜03.29 2330(N17.17-E109.47)「第百三十四號海防艦」被爆小破〜
〜03.30三亞
20.03.31:(ヒ88J船団護衛)三亞〜
20.04.26:(シモ03船団)泗礁山〜
〜04.27 2220(N33.48-E122.57)驅逐艦「朝顔」が敵浮上潜水艦を発見、砲撃、爆雷投射〜
〜04.27 2250 機銃掃射により「第百二號哨戒艇」の舵索切断、操舵不能〜
〜04.28 0017 「第百二號哨戒艇」が敵潜探知〜
〜04.28 0125 掃蕩を打切り「第百二號哨戒艇」が船団に合同〜
〜04.29甲島04.30〜04.30蛇梁島04.30〜05.01油谷湾05.02〜05.02門司
20.05.01:驅潜艇長:海軍少佐 的場 虎之助
20.06.01:軍隊区分:第一護衛艦隊電令作第72号(05.27附):直率護衛部隊
20.06.01:驅潜艇長:海軍大尉 上野 将
20.08.15:残存
20.08.25:役務:内令第747号:第一豫備驅潜艇
20.11.30:帝國海軍編制より除く(第281840番電にて予定)
21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
21.08.15:臨時艦長:復員事務官 山下 雅夫
22.05.03:除籍:複二第327号
同型艇
第十三號、第十四號、第十五號、第十六號、第十七號、第十八號、第十九號、第二十一號、
第二十二號、第二十三號、第二十四號、第二十五號、第二十六號、第二十七號。
兵装
(計画時)
四十口径三年式八糎高角砲1門、九三式十三粍二聯装機銃1基、
十四年式拳銃5丁、
九三式水中聴音機1基、九三式一型探信儀1基、
九四式投射機2基、爆雷装填台三型2基、爆雷投下軌道1基、九五式爆雷36個。
写真資料
雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.49「駆潜艇・哨戒艇」 (P.10)
雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.111「終戦時の帝国艦艇」(P.30)
雑誌「世界の艦船」海人社 1996年2月号増刊「日本海軍護衛艦艇史」(P.72)
「海軍 第十一巻 小艦艇 特務艦艇 雑役船 特設艦船」誠文図書 S56.09 「海軍」編集員会(P.57)
「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫 (2586)
"Naval History and Heritage Command" Catalog #:80-G-351878
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