第百四號哨戒艇の艇歴

 年 月 日:艇歴

--.--.--:起工 04.10.19:進水、命名:「Valk」 05.--.--:竣工、船主:Gouvernementsmarine(オランダ)
17.03.07:沈没
喪失場所:N.-E. チチャラプ 喪失原因:自沈
18.09.01:命名:達第203号:「第百四號哨戒艇」 18.09.01:類別等級制定:内令第1780号:種別:哨戒艇、類別:哨戒艇、艦型:なし 18.09.01:本籍:内令第1817号:佐世保鎮守府 18.09.01:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第二南遣艦隊第二十一特別根拠地隊 18.09.01:哨戒艇長:海軍大尉 小松 孝 19.--.--:軍隊区分:第一警備部隊 19.01.31:軍隊区分:第一警備部隊電令作第33号:直卒部隊 19.02.01:タンジュンプリオク:第百二海軍工作部ジャカルタ分工場第一岸壁繋留中 19.02.07:第三十一特別根據地隊電令作第42号:整備作業完了の上速やかにスラバヤに進出すべし 19.02.08:艤装完了 19.02.08:ジャカルタ〜02.10スラバヤ(D2番浮標) 19.02.11:第三十一特別根據地隊電令作第49号:15日発日章丸をラウト島端まで護衛 19.02.13:電動測深儀修理(03.02まで) 19.02.15:(「日章丸」護衛)スラバヤ〜02.17スラバヤ(D2番浮標) 19.02.19:第一警備部隊電令作第59号:南海丸をマカッサル迄護衛 19.02.20:(「南海丸」護衛)スラバヤ〜02.22マカッサル 19.02.23:(「朝威丸」護衛)マカッサル〜02.25スラバヤ(工作部第四岸壁) 19.02.24:特殊蛇管接手2個新設工事完了 19.02.26:工作部一番船渠にて入渠 19.02.26:一米半測距儀修理(02.28まで)、九二式水中聴音機装備工事(03.02まで) 19.02.27:九十糎探照燈保器、十二粍七機銃銃架修理(03.13まで) 19.03.01:スラバヤ工作部第一乾ドック入渠中 19.03.10:出渠、スラバヤ工作部第三岸壁に横付け 19.03.12:スラバヤ〜聴音公試〜03.12スラバヤ 19.03.12:真水補給 19.03.14:第一警備部隊電令作第97号:      1.大興丸飛隼丸曳航)は14日1200ラウト島南端通過        平龍丸は14日1100同地点通過、共にラウト海峡南口にて仮泊待機す      2.第百四號哨戒艇は修理を一時中止し準備出来次第出撃、右をスラバヤ迄護衛すべし 19.03.14:第一警備部隊電令作第98号:      1.略      2.第百四號哨戒艇は1300出撃、2100メインデルツ礁付近着の予定        赤城山丸をスラバヤ迄護衛すべし 19.03.14:重油補給 19.03.14:スラバヤ〜      〜03.14 2240 「國山丸」に会合、陸軍徴傭船「赤城山丸」を認めず〜      〜03.15 1600 第一警備部隊電令第2号によりカンゲアン島東方に向かう〜      〜03.16 1000 「第二號驅潜艇」に26個、「第十一號掃海艇」に20個爆雷補給〜      〜03.16バラン岬 19.03.17:バラン岬〜03.17スラバヤ(スラバヤ工作部第三岸壁) 19.03.19:真水補給 19.03.21:重油補給 19.03.22:スラバヤ〜聴音公試〜03.22スラバヤ(C1浮標) 19.03.22:第一警備部隊電令作第119号:      1.第百四號哨戒艇は23日スラバヤ発、生田川丸及びバリクパパン行千光丸を        ラウト海峡南口迄護衛したるのち、同地点に待機中の大興丸(飛隼丸曳航)及び        長田丸をスラバヤまで護衛すべし      2.略 19.03.23:(「生田川丸」「千光丸」護衛)スラバヤ〜03.24ラウト島 19.03.25:(「大興丸」「長田丸」護衛)ラウト島〜      〜03.27 032- バソヤン島南西方30浬にて敵浮上潜水艦らしきものを認めるが見失う、             威嚇を行い捜索中船団と迂回針路をとり単独西口に向かう〜      〜03.27 0650 敵情を得ず〜      〜03.27 0700 機帆船を発見、敵潜は機帆船の誤りと判明、捜索を打切り西口に向かう〜      〜03.27スラバヤ 19.03.27:重油、真水補給 19.03.27:第一警備部隊電令作第125号:      1.南緯7度27分東経115度55分に於て日南丸雷撃を受け沈没せり      2.略      3.第十一號掃海艇及び第百四號哨戒艇は至急出撃、攻撃及び救難に任ぜよ 19.03.27:スラバヤ〜対潜掃蕩〜      〜03.28(S7.27-E115.57)第一警備部隊電令作第127号により反転〜      〜03.29 0330 「第十二號掃海艇」座礁地点(セパンジャン島セシル島西端)着 19.03.29:「第十二號掃海艇」救援作業 19.03.29:セパンジャン島セシル島西端〜03.29セパンジャン 19.03.29:第一警備部隊電令作第129号:電令作第127号による船団出撃を中止 19.03.29:第一警備部隊電令作第130号:電令作第127号による船団は30日行動を再興 19.03.29:第一警備部隊電令作第131号:       1.略      2.第百四號哨戒艇及び第十二號掃海艇は右船団ロンボック仮泊地着後、スラバヤに帰投 19.03.29:(「平安丸」「國山丸」護衛)セパンジャン〜03.30スラト島 19.03.30:第一警備部隊電令作第132号: 1.春川丸は30日0800スラバヤ発31日1200 8度119度00分東航、クーパンに向かう      2.第百四號哨戒艇は電令作第131号による任務終了後、ロンボック海峡北方の対潜掃蕩を        行いつつ31日右地点にて春川丸と会合しロンボック島北端付近まで護衛したる後、        スラバヤに帰投 19.03.31:スラト島〜      〜03.31 1040 特設捕獲網艇春川丸」と会合〜      〜03.31スラト島 19.03.31:スラト島〜スラバヤ 19.04.05:スラバヤ〜護衛〜04.09スラバヤ 19.04.12:スラバヤ〜護衛〜04.16スラバヤ 19.04.19:スラバヤ〜護衛〜04.21スラバヤ 19.04.21:第二南遣艦隊機密第211525番電:      1.第一警備部隊、第二警備部隊指揮官は04月27日までに第百四號哨戒艇及び第百二號哨戒艇        をマニラに派遣し竹船団護衛に関し菲島部隊、濠北部隊指揮官の指揮を受けしむべし      2.以下略 19.04.--:スラバヤ〜マニラ 19.04.28:濠北部隊電令作第72号:濠北部隊左に依り竹船団護衛を実施      1.竹船団護衛に関し濠北部隊指揮下に入らしめられたる部隊中、        第百二號哨戒艇、第百四號哨戒艇、濱風は第六警備部隊、        九三二空派遣水偵隊は九三四空部隊指揮官の指揮を受くべし      2.第六護衛船団艦艇は指揮下の兵力及第六警備部隊指揮官派遣兵力を指揮し        船団の直接護衛に任ずべし      3.以下略 19.05.01:哨戒艇長:海軍少佐 小松 孝 19.05.01:(竹船団護衛)マニラ〜      〜05.04 海軍配當船じゃんび丸」が船団から分離〜      〜05.06 1402 驅逐艦「藤波」が潜水艦発見〜      〜05.06 1402 陸軍徴傭船「亞丁丸」、同「但馬丸」、同「天津山丸」被雷〜      〜05.06 1406 陸軍徴傭船「亞丁丸」沈没〜      〜05.06 1408 爆雷投射2個〜      〜05.06 1414 一番二十五粍機銃にて潜望鏡附近を掃射〜      〜05.06 1415 爆雷投射7個〜      〜05.06 1433 爆雷投射5個〜      〜05.06 1438 探信儀により探索探知掃蕩開始〜      〜05.06 1720 救助作業開始〜      〜05.06 1903 短艇収納作業を終了〜      〜05.06 1905 再度掃蕩開始〜      〜05.06 2045 再度救助作業開始〜      〜05.06 2050 救助作業終了〜      〜05.06 2052 再度掃蕩開始〜   〜05.06 2335 驅逐艦「五月雨」、特設捕獲網艇興嶺丸」と共に掃蕩続行〜      〜05.07バンカ泊地 19.05.08:(竹船団護衛)バンカ泊地〜      〜05.08 1555(N01.24-E125.44)「第百二號哨戒艇」が敵潜望鏡を発見、爆雷攻撃3個〜      〜05.08 1800 「第三十八號驅潜艇」と「第百二號哨戒艇」が掃蕩続行〜      〜05.09ワシレ 19.05.12:南西部隊電令作第356号:東印部隊指揮官は       第百二號哨戒艇及第百四號哨戒艇をして南西部隊電令作第381号に依る任務終了後       引続き船団護衛に関し菲島部隊指揮官の指揮を受けしむべし 19.05.13:(竹船団護衛)ワシレ〜05.14レンヘーン泊地05.15〜05.20マニラ 19.05.21:マニラ〜05.21キャビテ(重油桟橋) 19.05.21:1626 重油桟橋発      1655 第百三工作部第二岸壁に横付け 19.05.23:二十五粍機銃俯角制限装置、九三式探信儀一型受振器修理(05.24まで) 19.05.26:キャビテ〜05.26マニラ 19.05.28:(H27船団護衛)マニラ〜05.31ホロ島05.31〜06.03バンカ泊地06.04〜反転〜      〜06.05バンカ泊地06.07〜06.08ワシレ 19.06.11:(H27船団護衛)ワシレ〜      〜06.12 0735 驅逐艦」と「第三十八號驅潜艇」を分離〜      〜06.15ホロ島06.17〜06.20マニラ 19.06.23:マニラ〜      〜06.23 1833 陸軍徴傭船「咸鏡丸」の曳航する陸軍徴傭船「白耳義丸」を             特設掃海艇第五十六播州丸」「第八號掃海特務艇」とともに護衛〜      〜06.24マニラ 19.07.13:(H31船団護衛)ビートン〜07.14ワシレ 19.07.15:(M27船団護衛)カウ〜07.17ビートン 19.08.09:東印部隊電令作第305号:      1.第百二號哨戒艇、第百四號哨戒艇、第三號驅潜艇は夫々原隊復帰        第一警備部隊、第二警備部隊指揮官は右艦艇の第一海上護衛隊司令官指定の地に派遣        護衛に関し同官の指揮を受けせしむべし      2.第三號掃海特務艇を第四警備部隊に復帰す 19.08.11:菲島部隊電令作第269号:      1.第百二號哨戒艇及第百四號哨戒艇は修理工事終了次第原隊復帰すべし      2.第三號驅潜艇は菲島部隊電令作第449号に依る護衛任務続行、マニラ帰投後原隊復帰すべし 19.08.12:第一〇三海軍工作部にて発電機及び油冷却器換装工事(08.19まで) 19.08.21:(マユ07船団護衛)マニラ〜08.25楡林 19.08.28:(ユタ11船団護衛)楡林〜09.02基隆 19.09.05:(タモ25船団護衛)基隆〜09.10門司 19.09.10:門司〜09.11佐世保 19.09.12:佐世保海軍工廠にて諸修理並に訓令工事(09.23まで) 19.09.23:(ミ21船団護衛)佐世保〜09.29高雄 19.10.01:(タマ28船団護衛)高雄〜      〜10.02 1915 対潜戦闘:爆雷攻撃〜      〜10.02 2249(N21.02-E121.26)陸軍徴傭船「津山丸」、同「マカツサ丸」被雷〜      〜10.02 2400頃 陸軍徴傭船「津山丸」沈没〜      〜10.03 朝 遭難者救助〜      〜10.06 1915 ラポック岬着〜      〜10.07 0030 ラポック岬発〜   〜10.07 1030 救助打切り〜      〜10.07 1230 対潜戦闘:爆雷攻撃、五番船遭難者救助〜      〜10.07 1600 ラポック着〜      〜10.08サンフェルナンド10.11〜10.11マシンロック10.12〜10.13マニラ 19.10.13:爆雷搭載、重油搭載 19.10.15:対空戦闘 19.10.17:(退避船団護衛)マニラ〜      〜10.18 1155 敵潜探知、陸軍徴傭船「あらびあ丸」、同「鎭西丸」被雷沈没、             爆雷攻撃19個〜      〜10.19マニラ 19.10.19:0900 遭難者揚陸終了 19.10.19:マニラ〜      〜10.19 1600 特設驅潜艇第十三京丸」「第百二號輸送艦」等と遭難現場を捜索〜      〜10.19 日没 捜索を打切り、船団を追及〜      〜10.20バキット 19.10.21:(退避船団護衛)バキット〜      〜10.22 対空戦闘:B−24 1機と交戦〜      〜10.23 対空戦闘:B−24 1機と交戦〜      〜10.24 対潜戦闘:爆雷攻撃〜      〜10.24ガヤ湾 19.10.26:(哨一〇四船団)ガヤ湾〜10.26ラブアン島10.27〜10.27ブルネイ沖10.28〜10.28ミリ 19.10.28:重油搭載 19.10.30:(ミシ21船団護衛)ミリ〜      〜10.31 対潜戦闘:爆雷攻撃、二式爆雷改二投下〜      〜11.03昭南 19.11.03:昭南造船所第四船渠にて入渠 19.11.04:一、二番単装機銃甲板外舷張出新設工事、同甲板補強工事、機銃台ハンドレール改造、      投射機取付口雨漏り修理(11.18まで)、      シ式手動七十五糎探照燈保器修理、仮称電波探知機改一型受信機修理(11.15まで)、      九三式探信儀送波器三型、同一型受振器維持策修理  19.11.05:対空戦闘:B-29 2機と交戦 19.11.08:出渠 19.11.09:重油搭載 19.11.22:(シマ05船団護衛)昭南〜      〜11.22 1600 対潜戦闘:爆雷攻撃、二式爆雷改二投下〜   〜11.24ミリ 19.11.24:重油搭載 19.11.27:(シマ05船団護衛)ミリ〜11.28ラブアン11.29〜11.29ダラワン11.30〜      〜11.30 1110 対潜戦闘:爆雷攻撃、二式爆雷改二投下〜      〜12.01バキット12.02〜      〜12.02 「第百五十一號輸送艦」遭難者93名救助中、シドラウ島南岸3.2mで礁に触底〜      〜12.02コロン12.03〜      〜12.03 対空戦闘:B-24 3機と交戦〜      〜12.04マニラ(キャビテ、カナカオ) 19.12.04:重油搭載 19.12.04:マニラ〜      〜12.04 2000 曳船が左舷に接触〜      〜12.05 0030 マシ04船団に合同〜      〜12.05 対空戦闘:B-24 1機と交戦〜      〜12.10 0715 対潜戦闘:爆雷攻撃、二式爆雷改二投下〜   〜12.13昭南 19.12.14:昭南第一造船所第二船渠にて入渠 19.12.14:爆雷装填台三型、爆雷投下軌道修理(12.19まで)  19.12.15:弾薬搭載 19.12.17:軍隊区分:第一警備部隊電令第458号:護衛に関し第一護衛艦隊長官の作戦指揮下 19.12.17:英式爆雷45個搭載 19.12.17:出渠、第一岸壁横付け 19.12.19:第一岸壁〜12.19昭南(セレター軍港) 19.12.21:昭南〜      〜12.22 1552 サシ37船団と合同〜      〜12.22 1202 巡洋艦「妙高」護衛のため分離〜      〜12.23 0817 巡洋艦「妙高」と合同〜      〜12.25昭南(セレター軍港) 19.12.25:重油搭載 19.12.30:(シサ32船団護衛)昭南〜01.04聖雀 20.01.04:重油搭載 20.01.06:(サシ39船団護衛)聖雀〜01.09昭南 20.01.11:対空戦闘:B-29 10機と交戦 20.01.13:(退避船団)昭南〜01.14バンカ海峡01.15〜01.16昭南(セレター軍港) 20.01.17:重油搭載 20.01.22:(シサ35船団護衛)昭南〜01.27聖雀 20.01.28:重油搭載 20.01.28:(ヒ88B船団護衛)聖雀〜01.29バンフォン湾01.30〜      〜01.30 2220 海防艦「能美」が敵浮上潜水艦2隻を砲撃〜      〜01.31 0635 航空機と協力し対潜掃蕩〜      〜01.31 0730 海軍配當船延喜丸」沈没〜      〜01.31 ---- 海軍配當船大越丸」は北緯15度02分東経108度55分にて任意擱坐〜   〜01.31 1300(N15.15-E107.08) 対空戦闘:B−29 1機と交戦〜   〜01.31 1700 対潜戦闘:爆雷攻撃43個〜      〜02.02西貢 20.02.03:西貢〜02.06昭南(セレター軍港) 20.02.06:重油搭載 20.02.09:(ヒ88E船団護衛)昭南〜      〜02.10 1630 「第百三十二號海防艦」が対潜戦闘:爆雷42個使用〜      〜02.10 大レダン島南西海面に仮泊〜      〜02.11 仮泊地発〜      〜02.15 0845(N11.07-E108.48)対潜戦闘:爆雷攻撃41個〜      〜02.15 ---- 英式爆雷(投射)1個早発事故〜      〜02.15カムラン湾02.16〜      〜02.16 対空戦闘:B-24 1機と交戦〜      〜02.16クサンデ湾02.17〜      〜02.17 対空戦闘:B-24 1機と交戦〜      〜02.17バタンガン岬02.18〜02.18ツウラン湾02.19〜      〜02.20 対空戦闘:B-24 1機と交戦〜      〜02.21海南海峡02.21〜02.22牛角山南西側02.23〜02.24古雷山正方02.25〜02.28梅散島 20.02.28:重油搭載 20.03.02:(ヒ88E船団護衛)梅散島〜03.02大洋山島03.03〜03.06猪仇里湾03.07〜      〜03.07三浦湾03.08〜03.08門司 20.03.09:門司〜03.09御厨03.10〜03.10佐世保 20.03.10:佐世保海軍工廠第六船渠にて入渠 20.03.11:爆雷投下軌道六個載延長工事 20.03.20:哨戒艇長:海軍大尉 丸山 春喜 20.03.21:出渠、第一岸壁に横付け 20.03.24:仮称二号電波探信儀二型改四1組増備 20.03.24:丸山大尉着任 20.03.25:小松少佐退艇 20.03.26:九六式二十五粍二聯装機銃1基、同単装2基増備 20.04.06:佐世保〜試運転〜二十五粍機銃試射〜04.07佐世保(十四番浮標) 20.04.10:第二岸壁に横付け 20.04.15:タ三番浮標に繋留 20.04.30:艦隊区分:第二南遣艦隊電令第671号:第二十一特別根拠地隊より除く
20.04.30:戦時編制:大海幕機密第608号ノ240:大阪警備府部隊 20.04.30:軍隊区分:阪警機密第050936番電:海面防備部隊 20.05.08:佐世保〜05.08鉢子島05.09〜05.09博多 20.05.15:博多〜遭難船捜索〜05.16博多 20.05.25:博多〜      〜05.25 1805 蓋井灯台66.5度5,400mにて触雷、後部爆雷庫、舵頭室、軸室に浸水〜      〜05.25吉母湾 20.05.25:排水並に応急修理作業 20.05.29:吉母湾〜05.29門司(第七岸壁)
20.06.01:戦時編制:大阪警備府部隊第六特攻戦隊 20.06.01:門司〜06.01彦島(二番浮標) 20.06.06:0900 三菱重工業株式會社下関造船所二番船渠にて入渠 20.06.10:出渠、三番浮標係留 20.06.14:彦島〜06.14門司 20.06.14:1000 門司第六岸壁に横付け 20.06.18:0007 対空戦闘:B-29 15機と交戦 20.06.22:門司〜06.22梶掛鼻06.23〜06.23呉 20.07.--:呉〜大阪 20.07.--:修理完成 20.07.26:大阪〜07.26由良 20.07.28:0602 対空戦闘:八糎高角砲60発、二十五粍機銃5,000発発射
20.08.24:沈没  20.09.05:哨戒艇長:海軍少佐 丸山 春喜 20.09.15:除籍:(機密第091742番電にて予定) 21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
喪失場所:関門海峡 喪失原因:触雷

同型艇

 Arend

兵装

(新造時)
 四十口径七糎五砲2門。

(19.02.08現在)
 四十口径八糎高角砲1門、九六式二十五粍単装機銃2基、米ブ式十二粍七単装機銃2基、
 九十糎探照燈1基、九六式一米半測距儀1基、
 一号電波探信儀三型1基、仮称電波探知機1基、
 九二式水中聴音機1基(03.02新設)、九三式探信儀1基、
 九四式投射機、爆雷装填台三型、爆雷投下軌道六個載2基、
 九五式爆雷、機雷。

(19.11.30現在)
 四十口径八糎高角砲1門、九六式二十五粍二聯装機銃2基、同単装4基、米ブ式十二粍七単装機銃2基、
 シ式手動七十五糎探照燈1基、九六式一米半測距儀1基、
 一号電波探信儀三型1基、仮称電波探知機1基、
 九二式水中聴音機1基、九三式探信儀1基、
 九四式投射機、爆雷装填台三型、爆雷投下軌道六個載2基、
 二式爆雷改二、機雷。

(19.12.17)
 英式爆雷45個、二式爆雷改二20個程度?。

(20.04.30現在)
 四十口径八糎高角砲1門、九六式二十五粍二聯装機銃3基、同単装6基、米ブ式十二粍七単装機銃2基、
 シ式手動七十五糎探照燈1基、九六式一米半測距儀1基、
 一号電波探信儀三型1基、仮称二号電波探信儀二型改四1基、仮称電波探知機1基、
 九二式水中聴音機1基、九三式探信儀1基、三式探信儀1基、
 九四式投射機、爆雷装填台三型、爆雷投下軌道八個載2基、
 二式爆雷改一78個。

* 昭和19年11月30日現在の「現状調査表」では十三粍聯装機銃2基となっていますが、図では単装機銃が描かれてあり、その後十三粍機銃の装備、十三粍機銃弾の消耗も記録されておりませんのでブローニング式十二粍七単装機銃のままと推定しています。ブローニング式機銃については昭和19年11月の戦時日誌で対空戦闘による銃弾9発の消耗後、記録はありません。六個載の爆雷投下軌道の装備時期は不明で、昭和19年02月08日以降の可能性もあります。

写真資料

 "De Gouvernements Marine in het Voormalige Nederlands-Indie 1861-1949 3"
   Unieboek bv 1986 F.C. Backer Dirks (P.98-99,166)
 "Maritiem Digitaal"(ID:084935,092168)

前の艇へ ← 哨戒艇 → 次の艇へ

Homeへ戻る