第百五號哨戒艇の艇歴

 年 月 日:艇歴

--.--.--:起工 06.05.09:進水、命名:「Arayat」 06.07.06:竣工、船主:米(フィリピン)政府、船種:税関監視船
16.12.27:沈没
喪失場所:N.-E. キャビテ沖(五号桟橋前) 喪失原因:日本軍機の空爆
17.08.26:引揚作業着手 17.10.--:防水工事継続中(11特工機密第101705番電)
18.09.01:命名:達第204号:「第百五號哨戒艇」 18.09.01:類別等級制定:内令第1780号:種別:哨戒艇、類別:哨戒艇、艦型:なし 18.09.01:本籍:内令第1817号:佐世保鎮守府 18.09.01:戦時編制:聯合艦隊南西方面艦隊第三南遣艦隊 18.09.01:哨戒艇長:海軍大尉 平石 廉 18.10.04:高雄より「第百三號哨戒艇」にて乗組員到着 18.10.07:マニラ〜10.07オロンガポ10.08〜10.08マニラ 18.11.17:菲島部隊電令第183号:      1.甲船団の一貫護衛艦を第二京丸とし第二號哨戒艇の護衛区域を北緯3度30分        東経127度30分附近迄とす      2.甲船団と第十二京丸との合同地点は菲南部隊指揮官所定による      3.乙船団の護衛艦より第四十二號驅潜特務艇を除く      4.第百五號哨戒艇は便宜カウ発マニラに帰投すべし 19.02.13:菲島部隊電令作第136号:H船団の護衛区分:H二〇 第百五號哨戒艇 19.03.09:菲島部隊電令作第150号:H船団の護衛区分:H二三、第百五號哨戒艇、第百三號哨戒艇 19.03.30:菲島部隊電令作第284号:      1.第百五號哨戒艇、第百三號哨戒艇は31日マニラ発セブ経由H二三船団の護衛に任ずべし        興嶺丸第二十四號驅潜特務艇はマニラ、セブ間右護衛に協力すべし      2.第四十五號驅潜艇は帝龍丸を護衛し4月2日中にセブ着、H二三船団護衛に任ずべし 19.03.31:(H23船団護衛)マニラ〜04.02セブ 19.04.03:第三南遣艦隊電令第29号:   第百五號哨戒艇長はH二三船団(護衛艦:第百五號哨戒艇、第百三號哨戒艇、   第四十五驅潜艇)を護衛、04月05日セブ発、07日1200バタド角(N06-E124.37)の180度       20浬に於いて、ダバオ待機中のH二二船団の陸軍船2隻(護衛艦:第一號東光丸、       八代丸)を併せサンギ島西方を経てカウに入泊せしむべし 19.04.04:菲北部隊電令作第19号:      1.H二三船団護衛艦中、第四十五號驅潜艇を削除      2.同船団は04月05日以後、成るべく速やかにセブ発、第百五號哨戒艇、第百三號哨戒艇は        所定の護衛に従事すべし。バシラン以後南方に迂回航路を取れ      3.第四十五號驅潜艇はバコロド角より笠置山丸(ザンボアンガ発07日頃バコロド島)を        護衛マニラに回航すべし 19.04.06:(H23船団護衛)セブ〜      〜04.07 ダバオ発の陸軍徴傭船「水戸丸」、同「對馬丸」が合同〜      〜04.10カウ 19.04.11:カウ〜04.11ワシレ 19.04.12:(M17船団護衛)ワシレ〜04.14ベオ04.14〜      〜04.15 2330 陸軍徴傭船「~祐丸」被雷小破〜      〜04.16 0230 陸軍徴傭船「山形丸」被雷〜      〜04.16 0237 威嚇投射4個〜      〜04.16 0256 爆雷攻撃17個〜      〜04.16 1058 陸軍徴傭船「山形丸」沈没、船団を先行させ、特設驅潜艇八代丸」と共に             陸軍徴傭船「~祐丸」を警戒〜   〜04.16 1115 「第百三號哨戒艇」が陸軍徴傭船「~祐丸」に横付け、便乗者収容開始〜      〜04.16 1158 「第百三號哨戒艇」が陸軍徴傭船「~祐丸」便乗者収容終了59名〜      〜04.16 1215 「第百三號哨戒艇」がザンボアンガに向かう〜      〜04.17 ---- 陸軍徴傭船「~祐丸」を曳航〜      〜04.17 ---- 「第百三號哨戒艇」が護衛に復帰〜      〜04.17ザンボアンガ 19.04.19:軍隊区分:菲島部隊電令作第276号:      1.第百五號哨戒艇、第百三號哨戒艇に対する菲南部隊指揮官の指揮を解く      2.第百五號哨戒艇、第百三號哨戒艇はM一七船団を護衛、速やかにマニラに帰投 19.04.20:(M17船団護衛)ザンボアンガ〜04.22セブ04.22〜04.24マニラ 19.05.01:哨戒艇長:海軍少佐 平石 廉 19.06.12:菲島部隊電令第378号:      1.H二九船団(船団部隊指揮官草川大佐乗船第十號海防艦、船団七隻、        護衛艦:第十號海防艦、第百五號哨戒艇、第百三號哨戒艇、第四十五號驅潜艇)は        06月12日マニラ発ワシレに回航、同地に於ける揚搭終了せる船舶を護衛、        速やかにマニラに帰投せよ      2.略 19.06.12:(H29船団護衛)マニラ〜06.18バンカ 19.06.18:菲島部隊電令作第214号:H二九船団はカウ直航を見合せバンカ泊地にて待機せよ 19.06.19:菲島部隊電令第389号:H二九船団は速やかにハルマヘラにに回航すべし 19.06.20:バンカ〜湾口哨戒〜06.20バンカ 19.06.20:(H29船団護衛)バンカ〜06.22カウ 19.06.24:(M25船団護衛)ワシレ〜      〜06.28 0730 陸軍徴傭船「山菊丸」被雷沈没、「第十號海防艦」と遭難者救助、             敵潜攻撃、「第百三號哨戒艇」は船団を嚮導護衛〜      〜06.29ザンボアンガ 19.06.29:(M25船団護衛)ザンボアンガ〜       〜07.01 0750頃セブ沖通過、陸軍徴傭船「仏蘭西丸」、同「大祐丸」が船団より分離〜      〜07.03マニラ 19.07.01:哨戒艇長:海軍大尉 香坂 峯三 19.07.19:(船団護衛)マニラ〜ビートン 19.07.31:ビートン〜カウ 19.08.13:菲島部隊電令第478号:      1.第三十一號驅潜艇はビートンに回航の途次セブ、ホロ間知床艦長の指揮を受け        同艦の護衛に任じたる後ザンボアンガに回航、H三三船団に合同        また第百五號哨戒艇はセブに於てH三三船団に合同、之が護衛に任ずべし      2.第百五哨戒艇、第三十一號驅潜艇はザンボアンガ以後H三三船団を護衛、        ビートン着後(状況により途中船団と分離)菲島部隊電令第470号の任務に従事すべし      3.H三三船団行動予定を左の通り予定す、以下略 19.10.08:(ミ19船団護衛)マニラ〜      〜10.09 1945(N12.48-E118.05)海軍配當船コ和丸」、さんるいす丸」被雷〜      〜10.10バクダナン10.11〜10.12ダラワン港10.03〜      〜10.14 0209(N06.02-E115.59)海軍配當船日鐵丸」、永享丸」、陸軍配當船大善丸」被雷〜      〜10.14キマニス10.14〜10.15ラブアン10.16〜10.16ビクトリアパッチ10.17〜      〜10.17ミリ 19.10.25:(サマ13船団護衛)ミリ〜
19.11.29:沈没 20.01.10:類別等級削除:内令第16号 20.01.10:除籍:内令第29号
喪失場所:N10.59-E124.33 オルモック湾 喪失原因:米魚雷艇(PT-127)の雷撃

同型艇

 なし。

兵装

(新造時)
 要調査。

写真資料

 "HANSA", Deutsche nautische Zeitschrift Januar 1932
 "The Far Eastern Review 1932.5"(P.238)

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