救難船/曳船兼救難船/救難船兼曳船

救難船/曳船兼救難船/救難船兼曳船について

海難救助、沈没船の引き揚げに使用される強力な喞筒を有する船です。日露戦争において海軍では民間の救難船を傭入し利用していましたが、旅順口や大連湾に沈没しているロシア艦を速やかに引き揚げ我が方の戦力として利用するためには民間の救難船だけでは間に合わず「猿橋」「栗橋」の2隻を外国から購入したのが嚆矢です。その後、日露戦争の捕獲船も救難船や曳船兼救難船として利用しました。昭和に入るとこれらの老朽化が進み代船として800t型や600t型の曳船兼救難船が計画されました。「立~」や「波島」は当初曳船兼救難船として船種が定められましたがのちに救難船兼曳船へ変更され曳船兼救難船という船種は姿を消しました。

救難船兼曳船の昭和14年10月現在の定数は7で、横須賀・呉・舞鶴の各港務部に1、佐世保港務部に2、馬公・大湊の各要港部に1でした。定数上は救難船や600t曳船(「第四佐世保」及び「第五呉」)も救難船兼曳船に含まれます。

救難船/曳船兼救難船/救難船兼曳船の諸元

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救難船/曳船兼救難船/救難船兼曳船の船歴

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(猿橋)

栗橋

(北洋)

(板橋)

淀橋

(白銀)

立~

波島/笠島

ニ~

雄島

長浦

來島丸

長島

三浦

弓張

花島

 

写真出典:

  1. 猿橋:「明治三十七八年 戦時書類 巻二百十九」(JACAR:C09020367700)
  2. 栗橋、長浦:"ONI 208-J Supplement No.2 (March 1945) Far-Eastern Small Craft"
  3. 北洋:"Japan's Fight for Freedom Vol.II" The Ama;gamated Press, 1905 H.W. Wilson, M.A
  4. 立~:「播磨造船所50年史」 株式会社播磨造船所
  5. 來島丸:雑誌「海と空」増刊「世界商船要覧」 (海と空社)
  6. 淀橋、三浦、弓張、花島:

 

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