第六十一號驅潜艇の艇歴

 年 月 日:艇歴

18.10.30:起工、仮称艦名:第5342號艦 18.12.22:命名:達第319号:第六十一號驅潜艇 18.12.22:類別等級制定:内令第2776号:種別:驅潜艇、類別:驅潜艇、艇型:第十四號型 18.12.22:本籍仮定:内令第2780号:佐世保鎮守府 19.03.10:進水 19.04.10:艤装員長:海軍大尉 別府 秀夫 19.04.18:艤装員事務所を株式會社新潟鐵工所新潟工場内に設置し事務を開始 19.05.08:竣工、艤装員事務所を撤去
19.05.08:本籍:内令第641号:佐世保鎮守府、役務:警備驅潜艇 19.05.08:戦時編制:呉鎮守府部隊呉防備戦隊 19.05.08:驅潜艇長:海軍大尉 別府 秀夫 19.06.06:戦時編制:高雄警備府部隊 19.06.22:(ヒ67船団護衛)門司〜      〜06.29 1515(N17.13-E118.22)特設運送船みりい丸」、陸軍配當船さらわく丸」被雷小破〜      〜06.30マニラ 19.07.14:(タマ21C船団護衛)高雄〜07.19マニラ 19.07.24:(ミ08船団護衛)マニラ〜       〜07.24 ---- 「第十七號掃海艇」が前路の探信掃蕩を止め船団に合同〜      〜07.26 0845 味方飛行機が10km先に爆弾投下〜      〜07.26 1700 驅逐艦呉竹」が船団に合同、護衛開始〜      〜07.27 0920 「第七十四號驅潜特務艇」、特設驅潜艇旺洋丸」が船団に加入〜      〜07.27高雄 19.09.23:軍隊区分:高雄警備府電令作第398号:呂宗海峡部隊 19.09.--:哨戒部隊第一哨戒隊 19.09.24:呂宗海峡部隊電令第1号:      1.第二十一掃海隊司令は第二十一掃海隊、第六十一號驅潜艇及び曳船長島を指揮し        バタン島イバナ沖に擱坐せる武藏丸の救難に任ずべし      2.航空部隊は右作業中、随意哨戒機を派し警戒すべし 19.09.25:呂宗海峡部隊電令作第1号:       第一哨戒隊は東港本隊(ラ)の187度73浬の敵潜を捕捉撃滅すべし       第六十一號驅潜艇は準備出来次第出撃すべし 19.09.25:高雄〜対潜掃蕩〜      〜09.27 1030 タマ27船団と合同、護衛開始〜      〜09.29高雄 19.09.29:呂宗海峡部隊電令作第9号:       第二十一掃海隊、第六十一號驅潜艇は30日午後高雄発のタマ二九船団をサンフェルナンドまで       直接護衛に任ずべし 19.10.01:(タマ29船団護衛)高雄〜10.03サンピオクイント 19.10.15:サンピオクイント〜10.16左営 19.10.17:左営〜対潜掃蕩〜10.18洋上退避〜10.19馬公 19.10.21:呂宗海峡部隊電令作第28号:      1.第二十一掃海隊、第六十一號驅潜艇は第二遊撃隊の前路掃蕩任務終了後敵情を得ざれば急速        バタン列島東方海面に進出、25日朝まで東経125度及び123度30分北緯21度20分乃至北緯17度を        以て包む海面の対潜掃蕩を実施すべし        但し夜間は東経123度30分以西の海面とし航空機点出せよ      2〜3.略  19.10.24:呂宗海峡部隊電令作第29号:       航空部隊、第六十一號驅潜艇はHN哨区に出現せる敵潜水艦を索敵撃滅すべし 19.10.24:呂宗海峡部隊電令作第30号:       第六十一號驅潜艇は春風船団の涼風丸、第三東洋丸、高雄に向け航行中、速に会合直接護衛に当れ 19.10.29:2000 遭難者(陸軍205名、船員45名)収容 19.10.29:サンピオクイント〜10.30高雄 19.11.--:軍隊区分:哨戒部隊第二哨戒隊 19.11.05:呂宗海峡部隊電令作第34号:      1.第六十一號驅潜艇及び第八十三號驅潜特務艇は5日1800高雄発の昭榮丸をサブタン泊地まで        護衛すべし      2.第六十一號驅潜艇は右任務終了後、第八十三號驅潜特務艇は概ね昭榮丸サブタン出港まで        同方面の警戒に任じたる後帰投すべし 19.11.05:呂宗海峡部隊電令作第35号:      1.第七十四號驅潜特務艇は明6日午前準備出来次第高雄発対潜掃蕩しつつサブタン泊地に回航        昭榮丸同地発まで警戒に従事したる後、第八十三號驅潜特務艇と共に帰投すべし      2.第六十一號驅潜艇は第七十四號驅潜特務艇サブタン着後、同地発帰投すべし       〜11.08左営 19.11.08:高警電令作第457号:       呂宗海峡部隊指揮官は第六十一號驅潜艇をして便宜佐世保に回航入渠後修理せしむべし       往路及び帰路は適宜船団の護衛せしむべし 19.11.09:呂宗海峡部隊電令作第38号:   第六十一號驅潜艇は佐世保に回航入渠修理の上成るべく速に帰投すべし       内地往返の途次第一海上護衛隊の船団護衛に協力すべし 19.11.09:呂宗海峡部隊電令作第39号:   第六十一號驅潜艇は1800高雄発10日0300北緯21度東経119度00分に他する如く行動し 爾後葉前路掃蕩に任じたる後、基隆に回航すべし      〜11.10 荒天のため馬公に避泊〜      〜基隆 19.11.16:(タモ29船団護衛)基隆〜11.18泗礁山11.19〜11.22羅老山11.22〜      〜11.23 0348(N34.25-E128.20)陸軍配當船z謚ロ」被雷沈没〜   〜11.23 0845(N34.10-E128.58)「修洋丸」被雷沈没〜      〜11.24門司 19.11.--:門司〜11.25佐世保 19.12.19:(ヒ85船団護衛)六連沖〜      〜12.20 1017 「せりあ丸」機械故障、海防艦鵜來」が護衛のため船団より分離〜      〜12.20 1340 故障復旧、船団に合同〜      〜12.20 2115 海防艦對馬」、大東」合同〜      〜12.23高雄(外港)
20.01.09:沈没 20.03.10:類別等級削除:内令第209号 20.03.10:除籍:内令第228号
喪失場所:N22.40-E120.04 海口泊地 喪失原因:米第38機動部隊艦載機による空爆

同型艇

 第六十號第六十三號

兵装

 四十口径三年式八糎高角砲1門、九六式二十五粍単装機銃3基、九三式十三粍二聯装機銃1基、
 九三式水中聴音機1基、探信儀1基、
 九四式投射機2基、爆雷装填台三型2基、爆雷投下軌道、九五式爆雷36個、
 二号二型電波探信儀1基。

写真資料

 雑誌「世界の艦船」海人社 1996年2月号増刊「日本海軍護衛艦艇史」(P.82)
 「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫 (2621-2622)

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