石垣の艦歴

 年 月 日:艦歴

14.08.15:起工、仮称艦名:第12號艦 15.07.25:命名:達第149号:「石垣」(イシガキ) 15.07.25:類別等級制定:内令第483号:種別:軍艦、類別:海防艦、艦型:占守型 15.07.25:本籍仮定:内令第482号:舞鶴鎮守府 15.--.--:信号符字點付:JQFA 15.09.14:進水 15.11.15:艤装員長:海軍中佐 藤谷 安宅 15.12.07:艤装員事務所を設置し事務を開始(*日付は海軍公報掲載日) 16.02.15:竣工、艤装員事務所を撤去 16.02.15:本籍:内令第151号、役務:警備艦 16.02.15:艦長:海軍中佐 藤谷 安宅
16.09.01:戦時編制:大湊要港部部隊 16.09.03:艦長:海軍中佐 河野 康 16.11.20:戦時編制:大湊警備府部隊 16.12.01:信号符字改正:達第369号:JVAA 16.12.01:軍隊区分:機密大湊警備府命令作第6号:千島防備部隊 16.12.04:大湊〜      〜12.13 ---- 乙前湾口にて西航中のソ連汽船を発見、温禰古丹海峡に遁走〜      〜12.13 1910 停船を命じ臨検、釈放〜 16.12.14:千防機密第22番電      1.石垣は天寧に於て機械室に浸水しつつある瑞興丸の救難に赴け        尚瑞興丸は電源故障中      2.状況に依りては石垣は瑞興丸に代て単冠に座礁せる第二號新興丸救難に赴かしむ 16.12.15:大湊警備府機密第335番電:      1.八丈、石垣、國後は何分の令ある迄現任務を続行せよ      2.救難船那須丸は17日1400頃単冠湾着      3.糧食、救難材料等は會幸丸及び興東丸両船にて送る 16.12.29:官房機密第12389号:爆雷増載に伴う格納設備改正の件訓令 16.12.30:大湊警備府機密第395番電:       石垣の瑞興丸救援任務を解く 17.01.07:官房機密第12389号訓令に依る爆雷増載に伴う格納設備改正工事を指令外      〜01.07 ---- ソ連船「Olr」を臨検〜      〜乙前湾 17.01.08:軍隊区分:千防機密第54番電:二番隊 17.01.11:乙前湾〜哨区〜      〜01.11 1800 ソ連商船"Tisitra"を臨検〜      〜01.11 1300 大警電令作第5号(八丈、國後と現地交代、大湊に回航修理補給)受領〜      〜01.18乙前湾 17.01.15:軍隊区分:機密大湊警備府命令作第17号:千島防備部隊 17.01.20:乙前湾〜01.23大湊 17.01.23:舷外電路装備、船体、機関各部の整備及補給(02.01まで) 17.02.01:大湊〜 02.04乙前湾 17.02.12:乙前湾〜哨区〜02.16乙前湾 17.02.17:乙前湾〜02.20厚岸 17.02.20:特設運送船日産丸」より一号重油80t補給 17.02.22:厚岸〜      〜02.22 ---- 厚岸沖にて第一類教練作業実施〜      〜02.25 ---- 春牟古丹島水路部観測所員を救助〜      〜02.25乙前湾 17.03.04:乙前湾〜03.06乙前湾 17.03.11:乙前湾〜      〜03.13 0130 色丹島の100度85浬にてソ連船「アムール」を訊問〜      〜03.14室蘭 17.03.14:一号重油75t、二号外部油1,800立、糸屑100t、貯糧品2箇月分搭載 17.03.16:生糧品約40人分搭載 17.03.18:室蘭〜03.21乙前湾 17.03.24:乙前湾〜03.24柏原湾03.24〜03.24朝日湾03.25〜03.25乙前湾 17.03.30:乙前湾〜03.31乙前湾 17.04.10:乙前湾〜04.13大湊 17.04.13:補給、修理 17.04.15:重油100t、貯(生)糧品各1箇月分搭載 17.04.16:大湊〜04.16室蘭 17.04.18:室蘭〜04.22乙前湾 17.04.22:大湊警備府電令作第30号:      1.會幸丸1710北緯49度25分、東経155度25分に於て敵潜水艦の追躡を受けつつあり(同船        武蔵湾に向う)      2.石垣、八丈之を撃滅せよ 17.04.22:乙前湾〜      〜04.23 1020 幌筵島倶楽部埼の185度9浬にて潜望鏡らしきもの、続いて浮流油を発見、爆雷攻撃〜      〜04.24武藏湾04.24〜04.24乙前湾 17.04.26:乙前湾〜04.27擂鉢湾 17.04.27:一般徴傭船快鳳丸」より重油45t補給 17.04.27:擂鉢湾〜04.27乙前湾 17.05.11:第二回教練作業 17.07.01:類別等級削除:内令第1186号 17.07.01:除籍:内令第1178号
17.07.01:命名:達第192号:「石垣」 17.07.01:類別等級制定:内令第1186号:種別:海防艦、類別:海防艦、艦型:占守型 17.07.01:本籍:内令第1179号:舞鶴鎮守府、役務:警備海防艦 17.07.01:海防艦長:海軍中佐 河野 康 17.07.04:0830 倶楽部埼173度91浬に於て雷跡発見、爆雷攻撃 17.07.17:千防機密第363番電:       石垣は直に出港樺里埼に座礁せる球磨川丸の救援に任ずべし       附近に雷警泊中 17.07.17:      〜07.17 ---- 温禰古丹海峡樺里崎着〜      〜07.18 2140 特設運送船球磨川丸」離礁〜      〜07.19 ---- 驅逐艦「~風」(船首)と本艦で特設運送船「球磨川丸」を曳航〜      〜07.20加熊別湾 17.07.22:樺里埼揚陸中の物件及陸兵を加熊別湾に移し終わる 17.--.--:加熊別湾〜08.23大湊 17.09.12:大湊〜      〜09.13 0530 魹埼の90度線着、同線鮫角90度線間距岸20浬乃至30浬海面を掃蕩〜      〜09.29八戸 17.09.29:八戸〜 17.10.26:大湊警備府電令作第123号:      1.石垣に対する津防指揮官の作戦指揮を解く        石垣は整備、補給終了せば北千島方面に進出すべし 17.11.01:海防艦長:海軍大佐 河野 康 17.11.06:(熱田島第二次攻略作戦第一次第二回輸送船団護衛)幌筵〜11.12熱田島 17.11.12:熱田島〜11.17幌筵
17.11.25:戦時編制:大湊警備府部隊千島方面特別根據地隊 17.11.25:軍隊区分:機密大湊警備府命令作第36号:千島防備部隊 17.11.--:幌筵〜      〜11.26 1440(N52.40-E170.30)B船団の護衛を終了〜      〜12.05片岡湾 17.12.06:片岡湾〜12.06幌筵 17.12.11:幌筵〜12.12片岡湾12.15〜12.15鳥川沖12.18〜12.18鳥川沖12.22〜12.22片岡湾 17.12.28:片岡湾〜12.28鳥川沖 17.12.29:(船団護衛)鳥川沖〜01.06片岡湾 18.01.09:片岡湾〜01.15片岡湾 18.01.18:官房艦機密第243号:水中聴音機装備の件訓令 18.01.21:片岡湾〜01.23片岡湾 18.01.25:片岡湾〜      〜01.25 0900 特設運送船第二號東光丸」遭難現場(幌筵島北岸磐城崎西南西23km付近)着〜      〜01.28片岡湾 18.02.07:(第13船団護衛)片岡湾〜02.13片岡湾 18.02.15:片岡湾〜02.21大湊 18.03.26:大湊〜03.31幌筵 18.04.04:片岡湾〜04.05武藏湾04.09〜04.09片岡湾 18.04.12:片岡湾〜04.14片岡湾 18.04.17:片岡湾〜04.18武蔵湾04.22〜04.23片岡湾 18.04.25:片岡湾〜04.27片岡湾 18.04.29:片岡湾〜  18.05.23:官房艦機密第2642号訓令による九三式探信儀一型一組を大湊工作部にて施行指示 18.05.--:(「~島丸」護衛)ペトロパブロフスク〜06.01片岡 18.06.01:軍隊区分:機密千防部隊命令作第2号:哨戒部隊 18.06.01:千防信電令作第55号:      1.石垣は2日0600出撃武蔵湾に至り八丈の任務を継承せよ        八丈は之と交代片岡に回航 18.06.01:清水18t補給 18.06.02:重油21t補給 18.06.02:片岡〜06.02武蔵湾 18.06.02:千防信電令作第57号:      1.國後は現任務を打切り武蔵湾に回航石垣の任務を継承せよ      2.石垣は大警機密第311801番電基地調査団幌筵島方面行動中其の乗艦として調査団の要求に応じ        機宜行動任務終了後片岡湾に帰投せよ      3.基地調査団は3日午前武蔵湾発の予定 18.06.03:基地調査任務 18.06.04:武蔵湾〜06.05片岡 18.06.06:片岡〜武蔵湾 18.06.06:基地調査任務 18.06.07:軍隊区分:機密大湊警備府命令作第44号:千島防備部隊 18.06.07:千防信電令作第61号:      1.石垣は現任務終了次第成るべく速に松輪に回航、乙哨区を担当主として同地附近の警戒に任ぜよ 18.06.07:武蔵湾〜      〜06.07 1600 倶楽部埼附近に於てソ連商船"Djujma"(UPKZ)を訊問〜      〜06.08 ---- 松輪哨区哨戒〜      〜06.14 0615 千防信電令作第64号(16日松輪発武蔵湾経由(電探員輸送)片岡に回航)〜      〜06.16幌筵海峡 18.06.16:重油29t搭載 18.06.17:清水17t搭載 18.06.18:千防信電令作第67号:       19日以後当隊対潜警戒配備左の通定む       (イ)部隊名(ロ)指揮官(ハ)兵力(ニ)配備標準(ホ)分担区域の順以下同断      1.甲哨区(幌筵方面)       (イ)東側隊(ロ)石垣海防艦長(ハ)石垣、第十四號驅潜艇、第十五號驅潜艇 民星丸       (ニ)武蔵湾方面二隻、幌筵海峡南口 民星丸、片岡湾一隻(ホ)甲哨区東岸及武蔵湾方面      5.各隊内の配備及交代は各隊指揮官所定とす      6.武蔵湾の交代は現地交代とす      7.本令発動時機19日0000 18.06.18:片岡〜      〜06.18 ---- 陸軍徴傭船高島丸」護衛、幌筵海峡発〜      〜06.19 ---- 護衛終了、幌筵哨区哨戒〜      〜06.26 2120 千特根機密第262120番電(倶楽部崎の150度6,000m敵潜らしきものを掃蕩攻撃)〜      〜06.27 ---- 幌筵哨区哨戒〜      〜07.01 ---- 敵潜掃蕩〜      〜07.02片岡 18.07.03:片岡〜      〜07.06 ---- 敵潜掃蕩〜      〜07.10 1630 千防信電令作第78号(N50.13-E155.52の敵潜掃蕩)〜      〜07.14片岡 18.07.15:片岡〜      〜07.16 ---- 敵潜攻撃〜      〜07.21 ---- 敵潜掃蕩〜      〜07.24片岡 18.07.24:片岡〜      〜07.26 0615(N49.55-E155.58)浮流機雷処分〜
18.08.05:戦時編制:大湊警備府部隊千島方面根據地隊 18.08.09:2206 北緯50度19分東経156度12分の潜望鏡らしきものを索敵するも手掛りなし 18.08.10:1941 主担任区域:擂鉢の120度線以北 18.08.10:軍隊区分:機密千防部隊命令作第4号:哨戒部隊 18.08.22:千防電令作第5号:       カムチヤツカ日魯漁業引揚輸送護衛に関し左の通定む      1.期日    8月22日より特令する迄(9月10日頃迄の予定)      2.護衛指揮官 石垣海防艦長        同兵力   石垣、八丈、國後      3.護衛要領       (イ)指揮官所定に依り二隻宛輪番「カムチヤツカ」西海岸領海外に於て機宜対潜掃蕩しつつ          碇泊荷役中の引揚船を護衛引揚船出港後東経153度線到達迄成し得る限り直接護衛同線以西          間接護衛とす       (ロ)引揚船航路一番船乃至九番船は積荷後東経153度線迄基準針路概ね270度とし爾後T46(          中知床岬の180度5浬)に向うものとす十乃至十四番船は積荷後幌筵海峡に集合船団護衛に          加入          右以外細目は指揮官所定とす      4.通信        引揚船は無線封止を厳守し非常の場合500KCにて送信す使用暗号書北洋警備通信暗号書      5.輸送船の行動予定5F機密第220805番電通り 18.09.01:カムチャツカ西岸 18.09.14:千防電令作第12号:千防第141135番電:       加熊別湾沖合に敵浮上潜水艦一隻見ゆ一一三〇       石垣、第三十六號驅潜艇は直に之を攻撃掃蕩せよ 18.09.14:1820 阿頼度丸山の216度74浬に於て敵浮上潜水艦を発見      1822 距離約3,000mにて砲撃三斉射一分にて敵全没      1828 潜没点等到達、爆雷21個投射 18.09.20:カムチャツカ西岸 18.10.01:海防艦長:海軍大尉 瀬戸 末吉 18.10.01:カムチヤツカ 18.10.06:幌筵海峡〜      〜10.08 1700 「幸光丸」の護衛終了〜      〜10.08 1832 阿頼度島魚見埼の295度18.6浬にて103度約3,000mに敵浮上潜水艦を発見〜      〜10.08 1838 砲撃開始、艦橋及船体各部に砲弾10数発、機銃弾多数命中〜      〜10.08 1846 米潜水艦"S-44"(SS-155)を撃沈〜      〜10.08 1900 捕虜2名収容 〜      〜10.08片岡湾 18.10.10:軍隊区分:機密千防部隊命令作第7号:第一警戒部隊 18.10.18:千防信令第8号:      1.岩木丸、~明丸、笠戸丸明19日小樽経由函館に向け幌筵発の予定      2.石垣は右船団を小樽迄護衛すべし 18.10.20:(「岩木丸」「~明丸」「笠戸丸」護衛)幌筵海峡〜10.24小樽 18.10.26:千防電令作第40号:       石垣は最近小樽発輸送船(又は船団)を護衛し幌筵に進出すべし 18.10.28:(「紅海丸」「信濃丸」「室戸丸」「東照丸」護衛)小樽〜11.01稚内 18.11.01:海防艦長:海軍少佐 瀬戸 末吉 18.11.01:(「紅海丸」「信濃丸」「東照丸」「永保丸」護衛)稚内〜11.05幌筵 18.11.07:千防電令作第45号:       石垣は明8日0700発日の出丸を片岡より列島線に添い北緯49度線迄直接護衛したる後温禰古丹島の       西方海面を対潜掃蕩しC哨区に於て主として武蔵湾擂鉢方面の警戒に任ずべし 18.11.08:千防電令作第46号:       霞は明早朝発C哨区に進出主として武藏擂鉢方面の警戒に任ずべし       石垣をして護衛任務終了後11日頃迄に現地交代せしむる予定 18.11.09:幌筵〜「浦潮丸」「日の出丸」護衛〜11.13幌筵 18.11.14:千防電令第19号:      1.本日1750占守島小泊崎東方約50米に蘇聯貨物船(約三千屯)一隻坐礁せり      2.石垣は準備出来次第出港同船の臨検並に警戒に任ずべし 18.11.14:幌筵〜      〜11.14 0300 小泊崎沖着、座礁ソ連商船を警戒〜      〜11.15 1230 臨検概報(船名:Mariupol、船籍;浦鹽斯徳、総噸数:7,019)〜      〜11.18 1253 千防信電令作第3号(坐礁ソ連船救難作業)〜      〜11.22 ---- 小泊崎沖発〜      〜11.22片岡 18.11.24:千根機密第242045番電:       石垣は今次護衛終了後大湊に回航修理並に入渠工事に従事すべし 18.11.24:片岡〜「めるぼるん丸」「昭浦丸」「信濃丸」護衛〜11.30大湊 18.12.08:入渠(予定) 18.12.--:大湊にて入渠、修理補給中 18.12.27:出渠(予定) 19.01.05:千防電令作第58号:       石垣、工事完了次第、小樽に進出       小樽武官の協議に応じ当分の間、小樽東経145度線間の区間護衛に任ずべし 19.01.10:工事完成 19.01.10:大湊〜01.11小樽 19.01.13:軍隊区分:大海指第318号:北東方面艦隊司令長官の作戦に関する指揮を解く 19.01.13:軍隊区分:北東方面部隊電令作第43号(01.16附):北方部隊より除く 19.01.14:軍隊区分:海護總電令作第27号:       3.大警長官は石垣をして第二海上護衛隊司令官の作戦指揮を受けしむべし 19.01.15:軍隊区分:大湊警備府電令作第143号:       石垣は成可く速に横須賀に回航、作戦に関し第二海上護衛隊司令官の指揮を受くべし       行動を予定し関係各部に報告通報すべし 19.01.16:小樽〜01.17大湊 19.01.18:大湊〜01.20横須賀 19.01.25:(船団護衛)横須賀〜02.04トラック 19.02.07:(船団護衛)トラック〜02.12サイパン 19.02.15:サイパン〜02.18サイパン 19.02.20:(船団護衛)サイパン〜02.29横須賀 19.02.25:軍隊区分:大湊警備府電令作第151号:      1.25日附第一驅逐隊(二隻欠)及石垣に対する各護衛隊司令官の作戦指揮を解かる      2.右各艦は北上船団の護衛に任じつつ大湊に回航、原隊に復帰すべし 19.02.25:軍隊区分:北東方面部隊電令作第52号:北方部隊 19.03.06:(「日帝丸」護衛)大湊〜03.11松輪
19.03.15:戦時編制:聯合艦隊北東方面艦隊千島方面根據地隊 19.03.31:松輪〜 19.04.01:北方部隊電令作第18号:      1.東一号演習輸送終了迄之が護衛並に北東方面に於ける海上交通保護は本職之を指揮す      2.使用兵力第七驅逐隊、第十八驅逐隊、第二十一驅逐隊(若葉、初春)、第一驅逐隊(~風、        野風、波風)、國後、石垣、八丈、快鳳丸、俊鶻丸 19.04.01:軍隊区分:北東方面部隊命令作第56号:北方部隊指揮官の指揮下 19.04.01:軍隊区分:千防電令作第77号(04.07附):東一號輸送終了迄北方部隊指揮官の指揮下 19.04.02:(「日帝丸」護衛)大湊〜04.04釧路 19.04.07:(ヌ船団護衛)大湊〜04.12片岡 19.04.15:(リ船団護衛)片岡〜04.24大湊 19.04.30:(カ船団護衛)大湊〜05.02厚岸 19.05.05:(船団護衛)厚岸〜05.07松輪 19.05.13:(カ船団護衛)松輪〜05.19小樽 19.05.20:(ネ船団護衛)小樽〜05.24松輪 19.05.30:松輪〜対潜掃蕩〜       〜05.31 ---- ネ船団護衛〜      〜05.31 1144(N48.28-E151.30)被雷
19.05.31:沈没 19.05.31:海防艦長:海軍中佐 瀬戸 末吉(戦死) 19.07.10:類別等級削除:内令第833号 19.07.10:除籍:内令第842号
喪失場所:N48.00-E153.00 松輪島西方 喪失原因:米潜水艦Herring(SS-233)の雷撃

同型艦

 占守國後八丈

兵装

(計画時)
 四十五口径三年式十二糎砲G型3門、二十五粍二聯装機銃2基、
 一一式軽機銃2挺、一四式拳銃25丁、三八式小銃50挺、
 九三式水中聴音機1基、九三式探信儀一型1基、須式七十五糎探照燈四型改一1基、
 九四式投射機1基、爆雷装填台三型1基、爆雷水圧投下台2基、爆雷手動投下台一型4基、九五式爆雷18個、
 小掃海具一型2組、水中処分具一型2基。

写真資料

 雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.28「海防艦」(P.9)
 「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫(2258)

前の艦へ ← 海防艦 → 次の艦へ

Homeへ戻る