帝立丸の船歴

 年 月 日:船歴

--.--.--:起工 T11.10.29:進水、命名:Leconte de Lisle --.--.--:竣工
T11.--.--:新規登録:信号符字:OVGQ、           所有者:Société des Services Contractuels des Messageries Maritimes、           船籍港:Marseilles、           登録総噸数:9,877、登録純噸数:5,376、           登録長:452.8呎、登録幅:61.0呎、登録深:40.5呎 08.--.--:信号符字変更:FOBC 15.06.--:ディアゴスレス 15.12.23:ディアゴスレス〜フランス 16.05.07:フランス〜ダカール〜マダガスカル 16.--.--:嵐によりケープタウン沖でプロペラ折損 16.--.--:ディアゴスレスにて修理 16.--.--:西貢〜マニラ〜上海線 17.01.29:ハイフォン〜02.06西貢 --.--.--:休航、西貢に係船
17.04.10:徴傭手続き開始 17.--.--:改名:帝立丸、      抑留船舶証明書発給:帝國船舶株式會社に管理委託 17.上期 :信号符字點附:JKGR 17.06.03:運航:大阪商船株式會社 17.06.15:日本仏印海軍間で徴傭実施基礎協定調印(JACAR:B02032439000) 17.09.02:帝國船舶株式會社は船舶運營會と再傭船契約を締結 18.05.01:第1次海軍指定船 18.09.28:(第102船団)六連〜      〜09.29 1300 三池発の「帝楓丸」「はあぶる丸」が船団に加入〜      〜10.03高雄 19.03.08:(モタ09船団)門司〜03.08富江03.09〜      〜03.11 0950 落伍船「忠洋丸」捜索の為、「第三十八號哨戒艇」が約2時間反転〜      〜03.13 1130 敷設艇前島」が護衛に加入〜      〜03.13 1844(N25.58-E121.34)「第三十八號哨戒艇」が敵潜水艦らしきものを探知〜      〜03.13 1851 「第三十八號哨戒艇」が爆雷50個を反復投射〜      〜03.14馬公 19.03.15:(モタ09船団)馬公〜      〜03.15 1210 「第三十八號哨戒艇」が船団に復帰〜      〜03.15高雄 19.04.--:陸軍配當船として運航:船番号:5072 19.05.23:(ヒ62船団)昭南〜05.30マニラ06.01〜06.08六連 19.06.01:(現在)船長:池添 新 19.06.01:マニラ〜06.08関門 19.06.08:陸軍用貨物185.58t揚荷、便乗者326名下船 19.06.08:関門〜06.09神戸 19.06.--:陸軍用貨物990.63t揚荷、便乗者39名下船 19.06.13:神戸〜06.14新居浜 19.06.--:ボーキサイト3,050t揚荷 19.06.18:揚荷終了 19.06.18:陸軍配當船として運航終了 19.06.18:新居浜〜06.19神戸 19.06.--:民需品1,274.75t積載 19.07.02:神戸〜07.03関門 19.07.--:民需品188.65t搭載、船客189名、部隊2,271名、陸軍便乗者21名乗船 19.07.04:関門〜07.05三池 19.07.05:部隊1名下船 19.07.07:三池〜07.09関門 19.07.--:船客4名、部隊1名下船 19.07.13:(ミ11船団)関門〜07.21高雄 19.07.--:船客1名、部隊7名、陸軍便乗者21名下船、軍需品61.94t搭載 19.07.29:(ミ11船団)高雄〜      〜07.31 0340(N19.05-E120.55)陸軍徴傭船吉野丸」被雷沈没〜      〜07.31 0410(N19.08-E120.13)「光榮丸」、陸軍徴傭船扶桑丸」、特設運送船萬光丸」被雷沈没、             「第一小倉丸」被雷速力半減、陸軍徴傭船だかあ丸」被雷航行不能〜      〜07.31 1300 バンギィ湾仮泊〜      〜08.01 1200 バンギィ湾発〜      〜08.02 1000 サンフェルナンド仮泊〜       〜08.02 1330 サンフェルナンド発〜      〜08.03マニラ 19.08.--:船客1名、部隊10名下船 19.08.13:(マサ10船団)マニラ〜      〜08.13 ---- 特設驅潜艇春日丸」が船団より離脱、護衛任務を解かれる〜      〜08.14バターン(ルカニン) 19.08.14:(マサ10船団)バターン〜      〜08.15 ---- 特設驅潜艇布引丸」、英風丸」が後落〜      〜08.16 ---- 特設驅潜艇芙蓉丸」が後落、護衛任務を解かれる      〜08.20カムラン湾 19.08.--:部隊7名下船 19.08.21:(マサ10船団)カムラン湾〜      〜08.21 0953 陸軍配當船「だあばん丸」被雷〜      〜08.21カムラン湾 19.08.25:(マサ10船団)カムラン湾〜08.26西貢 19.08.--:民需品1,460.40t、軍需品61.94t揚荷、船客183名、部隊2,245名下船 19.08.--:民需品3,468.21t、軍需品963.95t積載、 19.09.--:船客88名、部隊110名、英霊宰領者11名、陸軍便乗者12名、貨物宰領者1名乗船 19.09.03:西貢〜09.07昭南 19.09.--:軍需品909.91t、民需品3,402.84t揚荷、      船客3名、部隊110名、陸軍便乗者12名、貨物宰領者1名下船 19.09.--:軍需品2,408.17t、民需品599.19t搭載、      部隊131名、陸軍便乗者9名、貨物宰領者3名乗船 19.10.12:昭南〜10.16西貢 19.10.--:軍需品2,408.17t、民需品599.19t揚荷、      船客23名、部隊131名、陸軍便乗者4名、貨物宰領者3名下船 19.10.--:軍需品0.50t、民需品3,696.40t搭載、      船客30名、陸軍便乗者5名乗船 19.11.08:西貢〜 19.11.20:(航海中)遭難船員107名乗船      〜11.21香港 19.11.--:陸軍便乗者12名乗船 19.11.23:香港〜11.26高雄 19.11.--:軍需品1.64t揚荷、船客28名下船 19.11.--:民需品189.93t搭載、船客17名、部隊92名、陸軍便乗者11名乗船 19.11.30:高雄〜12.01基隆 19.12.--:陸軍便乗者1名下船      陸軍便乗者67名乗船 19.12.07:基隆〜12.17門司 19.12.--:部隊96名、陸軍便乗者99名、船客28名及遭難船員17名下船、軍需品4.50t揚荷       船客1名乗船 19.12.18:門司〜12.19神戸 19.12.--:部隊7名、船客54名、遭難船員90名下船      民需品3,951.70t、軍需品48.40揚荷  20.01.08:神戸〜01.09因島土生 20.01.09:中間検査のため日立造船株式會社因島造船所にて入渠 20.04.23:出渠 20.04.23:土生〜04.24門司 20.04.--:積荷6,220.44t、船客67名乗船 20.04.28:門司〜05.01清津 20.05.02:清津〜05.02羅津 20.05.--:揚荷5,430.71t、船客41名下船      積荷3,891.61t、船客23名乗船 20.05.12:羅津〜05.14敦賀 20.05.--:船客23名下船 20.05.16:敦賀〜05.16舞鶴 20.05.--:揚荷3,891.61t 20.05.31:揚荷のため舞鶴碇泊中 20.06.27:(N35.26-E130.20)敵機と交戦 20.07.28:西舞鶴〜羅津向け
20.07.28:擱坐 23.08.18:浮揚 25.12.14:舞鶴〜横浜 25.12.21:返還
喪失場所:博奕岬陸軍桟橋南方沖 喪失原因:触雷

同型船

 なし。

兵装

 野砲。

写真資料

 「大阪商船株式会社八十年史」S41 大阪商船株式会社 (P.96)
 「客船がゆく」情報センター出版局 H03.07 土井全二郎 (P.143,145,150,154)
 雑誌「船の科学」船舶技術協会 1948年11月号 (P.32)
 雑誌「船の科学」船舶技術協会 1951年1月号「佛國返還船帝立丸」
 「戦前船舶」第14号 戦前船舶研究会 (P.24)
 "The World's Merchant Fleets 1939" Chatham Publishing 1999 Roger Jordan (P.39)
 "ONI 208-J (Revised) Japanese Merchant Ships Recognition Manual (1944)" (P.18)
 "L'Encyclopédiedes Messageries Maritimes"

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