波島・笠島の船歴
年 月 日:船歴
12.12.15:起工
13.03.05:官房第1004号ノ2:昭和十二年度新造雑役船
命名:雑役船「波島」(ハシマ)
船種:曳船兼救難船(六百瓲)
所属:横須賀海軍港務部、定数別:臨時附属
製造所:播磨造船所
契約納入引渡場所:横須賀工廠
納入予定期日:昭和13年03月28日
13.03.08:進水
13.04.13:信号符字點付:達第63号:JZWD
13.05.27:竣工
13.07.20:官房第1518号ノ4:船種変更
船種:救難船兼曳船
所属:横須賀海軍港務部、定数別:臨時附属
13.--.--:〜12.06漢口
14.03.12:軍隊区分:T作戦部隊救難隊第一小隊一番艇
14.03.12:九江〜03.12湖口
14.03.15:湖口〜03.15九江
14.03.17:九江〜03.17湖口
14.03.18:湖口〜03.18老爺廟
14.03.19:老爺廟〜03.19星子(星子大塔の94.5度1,600m)
14.03.19:0800 「八曳」の右150度方向300mに投錨曳索80粍ホーサー1房の準備
1858 機械前進
2000 作業中止
14.03.20:0730 作業再開
1310 曳卸作業開始
1450 作業一時中止
1700 引出開始
2000 作業一時中止
14.03.21:星子〜03.21湖口
14.03.21:(起重機船曳航)湖口〜03.21呉城
14.03.22:内火通船による「金比羅丸」救難作業
14.03.23:呉城総攻撃参加、陸戦隊派遣
14.03.25:呉城〜03.25寡婦岩
14.03.25:1050 「第三號掃海艇」曳卸作業開始
1220 「海晏」来着、続いて特設雑役船「住吉丸」がポンツーンを曳航して来着
1530 引出準備完了
1600 引出作業開始
1840 引出一時中止
1920 「第六号掃海艇」来着
14.03.26:0630 作業再興
1350 引出作業開始
1355 引出開始
1412 左艦尾引出用錨鎖切断
1415 引出一時中止
1620 作業再興
1640 「第六号掃海艇」と共に曳航開始
1840 作業一時中止
14.03.27:(ポンツーンを曳航)寡婦岩〜03.27星子
14.03.27:星子〜03.27寡婦岩
14.03.27:寡婦岩〜03.28呉城
14.03.28:救難隊指揮官は短艇にて「海晏」遭難現場に至り実況調査
14.04.04:呉城〜04.04寡婦岩
14.04.05:---- 「第三號掃海艇」曳卸の船内準備完了
14.04.06:1000 引出開始
1045 「第三號掃海艇」離洲
1315 収錨作業開始
1725 収錨作業終了
14.--.--:〜05.11上海
14.07.--:指揮官:海軍予備大尉 神澤 正コ
14.07.07:漢口(三北桟橋)〜
〜07.07 0715 「竹丸」を縦曳き〜
〜07.07 1002 側曳に変更〜
〜07.07 2101 龍口
14.07.08:龍口〜07.08岳陽
14.07.08:1523 地方徴傭船「竹丸」横付けを離す
14.07.13:0935 「民生」を右舷に横着
14.07.14:岳陽〜「竹丸」とともに「民生」を曳航〜
〜07.14 1730 漢口
14.07.29:0630「民生」を右舷、「遠寧」を左舷に横付け、「金星」を前曳とする曳航準備〜
0717 同作業終了
14.07.29:漢口(朝日桟橋)〜
〜07.29 0825 「金星」を先曳とすると追従性能が不良なため、「金星」は警戒艇となる〜
〜07.29 1950 九江
14.07.30:九江〜
〜07.30 0830 張家洲北港道付近にて「遠寧」の前部曳索切断、一時漂泊、曳索取替〜
〜07.30 0845 同作業終了〜
〜07.30 1525 荒天により宮洲右岸に仮泊
14.07.31:指揮官:海軍中佐 村上 暢之助
14.07.31:宮洲〜
〜07.31 0650 「金星」は「遠寧」の横付け曳航、本船は「民生」を横付け曳航〜
〜07.31 2115 南京
14.08.01:0700-1015 糧食搭載
14.08.01:南京〜08.01福姜洲
14.08.02:福姜洲〜
〜08.02 1230 「民生」浮標繋留準備〜
〜08.02 1455 呉淞沖着〜
〜08.02 1505 呉淞沖発〜港務部前より二曳先曳〜
〜08.02 1845 江南(八番浮標)
14.09.24:鎮港投錨
14.09.25:鎮江〜岳州〜漢口09.30〜09.30龍口10.01〜10.01洞庭湖(二番浮標附近)
1530 雑役船「早瀬」救難準備作業着手
2010 救難準備作業中止
14.10.02:0800 救難準備作業再開、八曳来着
1715 救難準備作業終了
1945 地方徴傭船「竹丸」来着
14.10.03:0700 引卸準備作業開始
0740 引卸準備作業終了
0750 引卸作業開始
1118 雑役船「早瀬」離洲
1640 雑役船「早瀬」救難作業終了
14.10.03:洞庭湖〜10.03岳州10.03〜10.03城陵磯
14.10.--:特型運貨船「ホ23號」残骸全部搭載
14.10.04:城陵磯〜特型運貨船「ホ11號」曳航〜10.04漢口
14.10.06:漢口〜10.06九江10.08〜10.08威徳州10.09〜10.09蕪湖10.09〜10.09南京
14.10.12:南京〜10.12銅稜沙10.13〜10.13東疏10.14〜10.14九江10.17〜10.17白石港10.18〜
〜10.18漢口
14.10.24:試験用繋留浮標1個朝日桟橋沖に設置
14.11.13:軍隊区分:九江港務部
14.11.13:漢口〜
15.10.25:官房第433号ノ10:船名変更
改名:「笠島」(カサシマ)
船種:曳船兼救難船(六百瓲)
所属:横須賀海軍港務部(支那方面艦隊司令部供用)、定数別:臨時附属
〜11.13広東
16.12.01:信号符字改正:達第369号:JKHQ
16.12.01:軍隊区分:機密南支部隊命令第18号:厦門方面部隊
16.--.--:厦門〜
〜12.08 0750 川石島附近にて川石島香港間海底電線切断〜
〜12.11碣石湾
16.12.14:(拿捕船護送)碣石湾〜12.16厦門
16.12.--:厦門〜12.28紅海湾
16.12.28:運送艦「野島」救難作業〜
17.01.--:運送艦「野島」を曳航〜01.29香港
17.02.15:軍隊区分:機密南支部隊命令第5号:厦門方面部隊
17.02.17:福州沖にて座礁の陸軍徴傭船「豊川丸」救難作業(02.21まで)
17.04.01:軍隊区分:南支部隊より除く
17.04.01:軍隊区分:上海方面部隊電令第197号:支那方面艦隊上海方面部隊第一警戒隊
〜05.26銅山湾05.27〜厦門
17.06.01:軍隊区分:機密せ号作戦急襲部隊命令第1号:せ号作戦急襲部隊救難隊
17.06.07:軍隊区分:機密せ号作戦急襲部隊命令第4号:特令により救難隊に加える
17.06.20:石浦〜上海
17.07.01:軍隊区分:上海方面部隊電令第18号:せ号作戦急襲部隊救難隊
17.07.01:(現在)指揮官:海軍予備大尉 江代 謹治
17.07.05:軍隊区分:機密せ号作戦急襲部隊命令第5号:せ号作戦急襲部隊救難隊
17.07.05:上海〜07.05定海07.06〜07.06石浦07.07〜07.07臺州列島07.08〜
17.07.08:特設砲艦「第十二日正丸」の右舷に横付け、曳航〜07.08七口洋
17.07.09:七口洋〜07.09楽清湾07.10〜07.10飛雲江口
17.07.12:飛雲江口〜07.12大龍嶼北方07.13〜07.13黒牛湾
17.07.13:糧食補給
17.07.14:黒牛湾〜07.14飛雲江口07.14〜07.14楽清湾
17.07.15:軍隊区分:上海方面部隊せ作電令第43号:急襲部隊の編成を解く
17.07.15:清水補給
17.07.17:糧食補給
17.07.18:水路啓開作業援助
17.07.19:清水補給
17.07.22:楽清湾〜07.22黄華村沖
17.07.22:陸戦隊が押収した高角砲砲身、砲架等を本船デリックにて戎克より「~榮丸」に積替え
17.07.25:聯合陸戦隊引揚の為、舟艇全部を派遣し援助
17.07.27:盤石下流4000mに転錨
17.07.27:七里、盤石方面を威嚇照射、射撃、40粍機銃7発発射
17.07.28:七里沖〜07.28楽清湾
17.07.28:清水補給
17.07.29:石炭補給
17.07.29:楽清湾〜07.29七里沖08.08〜08.08楽清湾
17.08.08:楽清湾〜08.08七里沖
17.08.09:糧食補給
17.08.13:七里沖〜08.13楽清湾
17.08.13:ポンツーンを船尾に繋留
17.08.15:糧食補給
17.08.16:(ポンツーン曳航)楽清湾〜08.16石浦
17.08.17:軍隊区分:上海方面部隊電令第36号:支那方面艦隊上海方面部隊第一警戒隊
17.08.18:(ポンツーン曳航)石浦〜08.18定海
17.08.18:定海〜08.18五嶼
17.08.18:特設砲艦「第七大源丸」より拿捕船受領
17.08.19:(拿捕船曳航)五嶼〜08.19呉淞08.20〜08.20上海(港務部前)
17.10.10:(現在)軍隊区分:支那方面艦隊機密第396号ノ2:上海方面部隊第一警戒隊
17.10.01:「りすぼん丸」救難作業〜10.02上海
18.05.04:軍隊区分:上海方面部隊電令作第16号:第八警戒隊指揮官指揮下
〜05.09金門島05.11〜05.11定海
18.05.15:定海〜05.15金門島05.16〜05.16黒牛湾
18.05.17:黒牛湾〜05.17福瑶島05.21〜05.21黒牛湾
18.05.22:黒牛湾〜05.22七口洋
18.05.27:特設運送船「昭慶丸」の応急修理
18.05.28:七口洋〜05.28披山〜楽清湾
18.05.29:軍隊区分:上海方面部隊電令作第23号:高見山丸、筥崎丸遭難現場急派、第六警戒隊指揮官指揮下
18.05.29:楽清湾〜05.30泗礁山
18.05.30:上海方面部隊電令作第25号:補給完了次第、泗礁山泊地にて待機
18.05.31:泗礁山〜
18.06.01:軍隊区分:上海方面部隊電令作第27号:第六警戒隊指揮官の指揮を解き第八警戒隊指揮官の指揮下に復帰
18.06.18:坎門に陸戦隊揚陸
17:00 陸戦隊帰艦
18.06.18:坎門〜定海〜上海
18.06.25:上海方面部隊電令第286号:準備でき次第、驅逐艦栗と芝罘丸の衝突現場へ急行
18.06.28:目節峡にて驅逐艦「栗」の護衛を特設砲艦「第一號新興丸」から引継ぎ
18.06.29:指揮官:海軍大尉 江代 謹治
18.07.01:軍隊区分:上海方面部隊電令作第34号:第八警戒隊指揮下
18.07.04:上海根據地隊電令作第35号:
1.白馬山丸は4日0145左の地点に於て敵潜水艦の雷撃を受け沈没の虞あり
北緯29度45分東経124度15分
2.哨戒部隊は第一三一號砲艦、栂及笠島を急派右潜水艦の撃滅及救難に任ずべし
3.航空部隊は速に艦攻適宜を急派敵潜水艦の索敵攻撃及派遣艦艇の誘導に任ずべし
18.07.06:牛鼻山水道
18.08.04:黒牛湾〜08.04臺州列島
18.08.05:臺州列島〜08.05佛肚水道08.06〜08.06定海
18.08.12:軍隊区分:上海方面部隊電令第291号:第六警戒隊
18.08.15:(標的曳航)定海〜檀頭山島東2浬にて標的1個流出〜08.15石浦
18.08.16:石浦〜標的捜索〜捜索打切り〜08.16臺州列島
18.08.18:臺州列島〜08.19定海08.22〜08.22臺州列島
18.08.31:上海根據地隊電令第293号:
1.31日1010松東丸敵潜水艦の雷撃を受け沈没の虞あり鷺護衛中
位置北緯28度34分東経123度05分
2.栂、笠島及航空部隊の一部は右敵潜水艦の掃蕩攻撃並に救難に任ずべし
18.08.31:臺州列島〜09.02佛肚水道09.03〜09.03定海
18.09.07:定海〜09.07石浦09.08〜09.08黒牛湾09.09〜09.09福瑶島
18.09.17:福瑶島〜09.17黒牛湾09.18〜09.18牛鼻山水道09.19〜09.19定海
18.09.20:定海〜09.20呉淞
18.10.26:上海〜対潜掃蕩〜10.27臺州列島
18.--.--:臺州列島〜11.06臺州列島
18.11.08:臺州列島〜11.08定海
18.11.12:定海〜11.12金門
18.11.13:金門〜対潜掃蕩〜11.17石浦
18.11.18:石浦〜舵故障のタ704船団「美山丸」を魚山まで護衛〜定海
18.11.21:定海〜11.21韭山列島
18.11.23:韭山列島〜対潜掃蕩〜11.24臺州列島
18.11.24:(ヒ21船団護衛)臺州列島〜11.24七口洋
18.11.26:軍隊区分:上海方面部隊電令作第66号:第六護衛隊
18.11.26:七口洋〜11.26臺州列島
18.11.28:(第222船団護衛)臺州列島〜11.29韭山列島にて護衛終了〜11.29定海
18.11.30:定海〜11.30韭山列島
18.12.01:(タ904船団護衛)韭山列島〜12.01臺州列島
18.12.06:特設砲艦「第七大源丸」より清水補給
18.12.06:臺州列島〜12.06韭山列島
18.12.07:(タ603船団護衛)韭山列島〜12.08福瑶島
18.12.10:福瑶島〜12.10黒牛湾12.11〜12.11臺州列島
18.12.12:臺州列島〜12.12定海
18.12.16:定海〜12.16韭山列島12.18〜12.18臺州列島
18.12.19:(「金門丸」護衛)臺州列島〜護衛終了〜12.20韭山列島
18.12.20:韭山列島〜12.20佛肚水道12.22〜12.22臺州列島
18.12.26:臺州列島〜タ602船団前路警戒〜12.27定海
18.12.30:定海〜12.30臺州列島
19.01.01:臺州列島〜01.02石浦01.02〜01.02佛肚水道01.03〜01.03上海
19.01.16:上海〜01.16崎嶇列島01.17〜01.17石浦01.18〜01.18臺州列島
19.01.24:臺州列島〜01.24黒牛湾
19.01.25:黒牛湾〜第130船団「摩耶丸」「第一小倉丸」衝突現場向け航行
19.01.25:1320 右5度12,000m高度3,000mに飛行機5機発見
1321 配置につく
1325 B25、5機であることを確認
1326 四十粍機銃、七粍七機銃射撃開始
1330 B25、5機が銃撃開始
1342 第6回攻撃:右舷より銃撃しながら投弾、機関部に命中
1346 総員退去下令
19.01.25:沈没
--.--.--:除籍
沈没場所:N26.22-E120.56 台北の北西200km附近
沈没原因:米B-25による空爆
同型船
ニ~。
兵装
四十粍機銃1基、七粍七機銃1基、爆雷。
写真資料
「昭和十六年度 九江方面警備記念写真帖 九江基地隊」(日本軍 Photo Archives ref. B003001)
「鎮魂の旧大日本帝國陸海軍」(http://cb1100f.b10.coreserver.jp/collection2_f.html)
前の船へ ← 救難船兼曳船 → 次の船へ
Homeへ戻る