早瀬の船歴
年 月 日:船歴
T08.--.--:起工、船番:342
T09.--.--:進水、命名:江慶(Kiang King)
T09.--.--:竣工、船主:招商局輪船公司(China Merchants Steam Navigation Company)
排水量:840、
全長:202'5"、垂線間長:193'5"、幅:31'0"、深さ:10'0"、吃水:10'0"、馬力:2,700、速度:14.66
T14.11.--:揚子江中流で座礁
T15.05.--:浮揚
T15.05.--:〜上海
T15.--.--:修理
改名:峨嵋(Ngo Mei)
08.06.--:Huentantzu Reefにて座洲
09.05.--:浮揚
09.05.--:〜上海
12.--.--:江南造船所にて再建造、船番:748
12.06.26:進水、命名:錦江 (Chin Kiang)
--.--.--:竣工、船主:William Hunt and Company、
運航:Hunt Steamship Corporation、信号符字:XNCO、船籍港:上海、
排水量:1,232、
全長:221'9"、垂線間長:210'0"、幅:33'0"、深さ:11'6"、吃水:9'0"
* Lloyd Register of Shippingでは
総噸数:1,077、
登録長:196.5'、登録幅:31.0'、登録深さ:9.6'となっているがこれは再建造前の数値と思われる
13.--.--:江南造船所にて着底
着底場所:江南造船所
着底原因:日本機の爆撃
13.09.22:第533番電:整備訓令
13.10.17:艤装完了
13.10.25:官房第5339号:今次事変に於て鹵獲せる戦利船を雑役船に編入
命名:雑役船「早瀬」(ハヤセ)
船種:工作船
所属:佐世保海軍工廠(第三艦隊司令部供用)、定数別:臨時附属
記事:支那事変戦利船「錦江」を改修せるもの
13.10.31:整備完了
13.12.10 漢口(朝日桟橋)に繋留換え
13.12.12:漢口
14.--.--:〜01.22漢口
14.01.24:砲艦「堅田」に将旗を移す
14.01.--:漢口〜01.28大通01.29〜
14.02.17:信号符字點付:達第25号:JQXD
14.03.12:軍隊区分:T作戦部隊附属隊
〜04.08漢口
14.04.10:漢口〜
14.04.23:岳州にて転錨
14.04.24:岳州〜04.24岳州
14.09.23:岳州〜三十噸起重機船を曳航〜
〜09.23 2010頃 洞庭湖二番浮標の215度1,045mにて座洲
14.09.24:0140 地方徴傭船「竹丸」来着
0710 八曳来着
0805 敷設艇「K島」、同「加コ」、一〇二號砲艇来援
1237 引卸準備作業完了
1432 引卸作業開始
2030 引卸作業一時中止、工作機械及び同要具等を起重機船に移載
14.09.25:0800 引卸作業開始
0843 敷設艇「K島」、同「加コ」が本船付近を高速航行し造波試験実施
0915 造波試験取止
1330 引卸作業開始
2030 引卸作業中止
14.09.26:0900 敷設艇「K島」、同「加コ」は作業終了し上江
1810 引卸準備復旧作業終了
14.09.27:1312 「大連丸」遭難地着
14.09.28:0830 「竹丸」現場を離れ上江
1520 「大連丸」は本船工員33名、測量隊員2名を便乗させ起重機船を曳航し下江する
---- 八曳現場を離れる
14.10.01:1442 八曳、雑役船「波島」来着
1530 救難準備作業着手
1605 八曳現場を離れ岳州に向う
2010 救難準備作業中止
14.10.02:0800 救難準備作業再開、八號曳船来着
1715 救難準備作業終了
1945 「竹丸」来着
14.10.03:0700 引卸準備作業開始
0740 引卸準備作業終了
0750 引卸作業開始
1118 離洲
1640 救難作業終了
14.11.15:漢口警備(02.16まで)
15.06.01:(現在)指揮官:海軍大佐 森川 章
15.11.01:軍隊区分:第一海軍工作部附属
16.03.28:上海〜03.28江陰03.29〜03.29鎮江03.30〜03.30南京(下関安宅桟橋)
16.04.01:南京〜鎮江〜江陰〜上海
16.04.--:上海〜江南〜上海
16.04.18:上海〜
16.12.01:信号符字改正:達第369号:JKSQ
17.02.18:特設砲艦「第一號新興丸」が本船内側に繋留
17.05.25:軍隊区分:せ號作戦部隊附属隊
〜05.25九江
17.06.02:星子〜B地点〜06.03大鶏山
17.06.03:大鶏山基地に小舟艇用桟橋を設営
17.06.06:黄磯崖に桟橋を設営
17.06.07:大鶏山〜06.07黄磯崖06.08〜06.08大鷄山06.22〜06.22小屏風山
17.06.23:小屏風山〜06.23九江06.24〜06.24大鷄山06.24〜06.24南瓢山
17.07.--:南瓢山〜07.07康山
17.07.--:「新鴻興」より砲艇用燃料及び潤滑油を移載
17.07.25:大鶏山水上機基地仮兵舎を撤去
17.08.11:軍隊区分:鄱陽湖部隊指揮官の作戦指揮下
17.08.12:康山〜08.12星子
17.08.24:星子〜08.24九江
17.08.27:軍隊区分:鄱陽湖部隊指揮官の作戦指揮を解く
17.08.27:軍隊区分:せ號作戦部隊解散
17.10.01:上海〜「りすぼん丸」救難作業
18.03.25:江南造船所にて繋留換え中の驅逐艦「栗」と接触
18.09.20:九江で爆撃により損傷
19.06.24:漢口在泊中
19.06.24:2300 B24 延18機と交戦
19.06.26:2300 B24 12機と交戦
19.07.24:2200 敵延24機と交戦
19.07.26:2300 B24 延24機と交戦
19. :漢口〜10.03安慶
19.10.--:安慶〜10.08九江
19.11.25:安慶在泊中
19.11.25:1406 P-51 2機と交戦
〜03.23上海
20.05.25;定海〜定海
20.06.20:定海にて「第百四十四號輸送艦」へ工作員派遣
20.08.15:残存
20.08.--:返還
--.--.--:改名:江和(Kiang Ho)
同型船
なし。
兵装
要調査。
写真資料
「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ 福井静夫 (3132-3133)
「海軍第十一巻 小艦艇 特務艦艇 雑役船 特設艦船」誠文図書 S56.09 「海軍」編集委員会(P.103,201)
「鳶色の襟章」 原書房 堀元美 (P.215)
雑誌「丸Graphic Quarterly」潮書房 No.20 「写真集 日本の小艦艇(続)」(P.153)
雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.53「日本の小艦艇」(P.39)
「歴史群像」学習研究社 太平洋戦史シリーズ51 真実の艦艇史(2)(P.39) -- 「第三天海」は誤り((ヒラ)氏による)
"China Merchats S.N. CO.(1872) 招商局輪船公司" Howard Dick & Stephen Kentwell
(https://www.oldchinaships.com/_files/ugd/45c03c_27f3dc93464b472d99798fff262f09eb.pdf)
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