第七海南丸の船歴

 年 月 日:船歴

--.--.--:起工 14.10.13:進水、命名:第七海南丸 --.--.--:竣工
14.10.--:新規登録 16.11.17:徴傭 16.--.--:〜12.03馬公
16.12.05:徴傭授受 16.12.10:入籍:内令第1625号:特設監視艇、佐世保鎮守府所管 16.12.31:内令第1780号:第七防備隊所属 16.12.31:戦時編制:聯合艦隊第五艦隊第七根據地隊第七防備隊 17.01.19:馬公〜01.24佐世保 17.02.01:内令第198号:横須賀鎮守府所管に変更 17.02.01:特設監視艇隊編制:内令第195号:第二監視艇隊 17.02.01:戦時編制:聯合艦隊第五艦隊附属第二監視艇隊 17.02.01:艦隊区分:第五艦隊附属(56)第二監視艇隊(2)第四小隊 17.02.01:軍隊区分:機密北方部隊命令作第14号:北方部隊哨戒部隊第二哨戒隊 17.02.01:監視艇長:海軍兵曹長 栗原 幸作 17.02.17:横須賀〜「ル」哨戒線哨戒〜03.06釧路 17.02.25:特設監視艇隊編制:内令第353号:第二監視艇隊  17.03.29:肋骨他腐食衰耗部修理 17.05.22:官房機密第657番電:兵器供給:九二式七粍七単装機銃A型(三脚架附)、      仮称40瓩発煙筺5個以内、発煙浮筺用筺嚢3個以内、      九五式爆雷(九五式爆雷改二)完備4個以内、落下傘一型爆雷と同数、      仮装投下台を装備 17.05.24:横須賀〜「ヨ」「ヘ」「ト」哨戒線哨戒〜06.13横須賀 17.06.18:横須賀〜「ヨ」「ヘ」「ト」哨戒線哨戒〜07.10横須賀 17.07.17:横須賀〜      〜07.21 哨区着〜      〜07.22 特設砲艦安州丸」と会合〜      〜07.24 特設砲艦「安州丸」と会合〜   〜07.24 1500「ヨ」哨戒線撤哨〜      〜07.25 0800「レ」哨戒線着〜      〜07.29 「レ二」哨戒線〜      〜07.30 1200 撤哨〜      〜08.02横須賀 17.08.12:横須賀〜      〜08.15 哨区着(「タ一レ一」哨戒線)〜      〜08.17 「タレ」哨戒線に移動〜      〜08.17 特設砲艦「安州丸」と会合〜      〜08.24 特設砲艦「安州丸」と会合〜      〜08.25 特設砲艦「安州丸」と会合〜      〜08.25 台風警報により哨戒線を東経148度に移す〜      〜08.28 哨区発〜      〜08.31横須賀 17.09.10:横須賀〜哨戒09.22〜09.26横須賀 17.10.04:横須賀〜      〜10.07(N37.10-E148.30) 台風により送信機故障、露天甲板のもの全部流失、          外板の一部、艦橋窓硝子、機械、上甲板一部、清水タンク破損、浸水相当〜      〜10.12 0840 特設砲艦興和丸」と会合〜      〜10.20横須賀 17.10.25:上甲板及び外板修理開始 17.10.27:入渠 17.12.20:出渠 17.12.29:上甲板及び外板修理完了 18.01.23:横須賀〜01.27 ワ線哨戒〜01.30横須賀 18.02.17:横須賀〜      〜02.20 ワ線哨戒〜      〜02.22 0925 特設砲艦「安州丸」と会合、負傷者退艇〜      〜03.01 1500 特設砲艦「安州丸」と会合〜      〜03.03 1000 特設砲艦第二日の丸」と会合〜      〜03.03 撤哨〜      〜03.06横須賀 18.03.19:横須賀〜      〜03.22 ノ線哨戒〜      〜03.23 ク線哨戒〜      〜03.23 1410 特設砲艦「安州丸」と会合〜      〜04.03 撤哨〜 18.04.04:哨戒部隊電令作第83号:帰投を取止め「ヌ」哨戒線(148度線)に就き哨戒、      第三直哨戒隊指揮官指揮下      〜04.05 「ヌ」哨戒線〜      18.04.06:哨戒部隊電令作第84号:撤哨帰投、第三直哨戒隊指揮官の指揮を解く      〜04.06 撤哨〜      〜04.12横須賀 18.04.--:軍隊区分:機密第二監視命令作第4号:第一小隊 18.04.15:横須賀〜 18.04.16:哨戒部隊電令作第91号:配備線を「ト」線(150度線)に変更      〜04.19 「ト」哨戒線〜      〜04.21 1220 特設砲艦「第二日の丸」と会合〜      〜04.26 1250 特設砲艦「第二日の丸」と会合〜 18.04.26:哨戒部隊電令作第94号:04.27 1200 「ユ」哨戒線(152度線)に進出 18.04.27:哨戒部隊電令作第95号:04.27 0800 東経155度線に進出 18.04.28:哨戒部隊電令作第96号:155度線進出以後、移動哨戒第三法実施      〜04.28 「ワ」哨戒線〜 18.04.28:哨戒部隊電令作第97号:04.30 0800 「ユ」哨戒線(152度線)に進出 18.04.30:二監視機密第420番電:「ユ」哨戒線への移動延期 18.04.30:哨戒部隊電令作第98号:横須賀帰投      〜05.06横須賀 18.05.15:横須賀〜      〜05.17 「ク」哨戒線哨戒〜 18.05.18:二監視機密第603番電:「第七海南丸」浸水、「第十二號八龍丸」護衛横須賀帰投に付、      哨戒配備「第二號kg丸」以北のものを二分宛て南に移動      〜05.22横須賀 18.05.30:清水東海造船所にて入渠 18.08.31:下架 18.09.--:清水東海造船所にて修理中 18.10.13:監視艇長:海軍兵曹長 畠山 重雄 18.11.27:入渠 18.11.30:出渠 18.12.22:修理完了 19.02.--:軍隊区分:二直哨戒隊 19.02.02:横浜〜      〜02.23横浜 19.02.21:戦時編制:聯合艦隊北東方面艦隊第二十二戦隊第二監視艇隊 19.03.--:軍隊区分:二直哨戒隊 19.03.06:横浜〜      〜03.13 特設砲艦~津丸」と会合〜      〜03.19 0100 撤哨〜      〜03.24横浜 19.04.--:軍隊区分:二直哨戒隊 19.04.08:横浜〜      〜04.09 0920 浸水毎時0.5t、浸水箇所不明〜      〜04.09 1800 後部より浸水増加^      〜04.17 1000 158度線に向う〜      〜04.21 浸水のため撤哨〜      〜04.24 1630 特設監視艇海竜丸」と合同、護衛〜      〜04.25 0530 特設監視艇「海竜丸」が曳航〜      〜04.27 0630 曳索切断〜      〜04.29横浜 19.05.12:下田船渠にて修理開始 19.05.20:入渠 19.07.29:出渠 19.07.--:第五小隊 19.08.01:戦時編制:聯合艦隊第二十二戦隊第二監視艇隊 19.08.--:(現在)監視艇長:海軍兵曹長 田中 重行 ?19.08.15:二十五粍及び十三粍単装機銃2〜3基装備工事(08.29まで) 19.09.02:修理完了 19.10.06:横浜〜10.25横浜 19.11.09:横浜〜 19.11.10:哨戒部隊電令作第167号:第二直哨戒隊は「リ」線着哨せよ 19.11.13:軍隊区分:第二哨戒部隊電令作第1号:乙直哨戒隊 19.11.20:軍隊区分:第二哨戒部隊乙直哨戒隊電令作第1号:臨時乙直第三小隊      〜11.23 特設砲艦「~津丸」と会合〜      〜11.25 撤哨〜       〜11.29横浜 19.12.17:横浜〜      〜12.27 特設砲艦「~津丸」と会合〜      〜01.--横浜 20.01.--:軍隊区分:第二哨戒隊第五小隊 20.01.--:横浜〜      〜01.21 1550(N30.02-E140.05)敵潜望鏡発見〜      〜01.21 1658 特設監視艇第三寶松丸」と会合〜      〜01.23 0900 特設監視艇「第三寶松丸」と会合〜      〜01.23 1040 右舷後部機械室附近に被雷
20.01.23:沈没 20.02.20:特設監視艇隊編制:内令第159号:第二監視艇隊より削る 20.02.20:除籍:内令第162号 20.02.20:解傭
喪失場所:N30.00-E140.55 鳥島南方60km付近 喪失原因:米潜水艦Sennet(SS-408)の雷撃 *本船の沈没位置は米側の記録と大きく異なり、米側の記録が正しければ攻撃した潜水艦は別艦になります。

同型船

 第六海南丸

兵装

(18.07.01現在-Ref. JACAR:C08030072100, P83)
 迫撃砲1門、七粍七単装機銃1基、
 三八式小銃5挺、拳銃2丁、
 九五式爆雷改二4個。

写真資料

 要調査

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