年 月 日:船歴
T08.08.15:起工 T09.03.03:進水、命名:りん丸 T09.05.06:竣工
T09.05.--:新規登録:登録純噸数:4,340(註:大正十〜十一年日本船名録の2,245は誤植) T09.05.16:横浜〜西廻りニューヨーク航路 T--.--.--:石炭焚きから重油焚きへ改造 T12.09.03:震災避難民82人乗船 T12.09.03:横浜〜神戸 T12.09.--:震災避難民82人退船 T12.09.--:神戸〜横浜 T12.09.15:震災避難民31人乗船 T12.09.15:横浜〜神戸 T12.09.--:震災避難民31人退船 T13.--.--:横浜にて第一次第一種定期検査 T13.--.--:李浦線に就航 04.--.--:横浜にて第一次第二種定期検査 07.02.--:横浜にて第一次第三種定期検査 11.02.22:第二次第一種定期検査 11.--.--:公称馬力:2,400→3,400に変更 12.03.01:神戸〜パレスタイン〜李浦
12.08.05:徴傭:陸軍、船番号:264 12.11.12:呉淞〜 14.02.14:中間検査 15.02.19:神戸にて第二次第二種定期検査 16.01.13:解傭
16.01.13:徴傭 16.01.15:浦賀船渠株式會社にて艤装工事開始 16.03.01:入籍:内令第170号:特設航空機運搬艦、横須賀鎮守府所管 16.03.01:艦長:海軍大佐 岸人 三郎 16.04.03:艤装工事完了 16.04.10:艦隊編制:聯合艦隊第十一航空艦隊附属 16.--.--:内地〜マーシャル群島飛行機輸送 16.04.11:横須賀〜南洋方面〜04.28横須賀 16.05.14:古江〜南洋方面〜07.04古江 16.07.19:横須賀〜南洋方面〜08.31横須賀 16.08.11:艦長:海軍大佐 中尾 八郎 16.09.01:中尾大佐着任、岸大佐退任 16.09.01:戦時編制:聯合艦隊第十一航空艦隊附属 16.10.18:高雄〜南支方面〜10.28高雄 16.12.20:高雄〜ダバオ 16.12.29:ダバオ〜 〜スリガオ水道東方にて驅逐艦「天津風」が護衛を終了〜 〜01.04高雄 17.01.10:高雄〜高雄 17.01.18:(鹿屋第三航空隊輸送)高雄〜ダバオ 17.01.23:ダバオ〜バンカ 17.01.--:軍隊区分:蘭印部隊第二護衛隊機密第3号:第二梯団 17.01.26:0000 アンボン攻略作戦発動 17.01.29:(アンボン攻略作戦:第二梯団)バンカ〜 〜01.29 0930 巡洋艦「~通」が右舷後方に占位〜 〜01.29 1533 巡洋艦「~通」は西方に避行〜 〜01.29 1623(N00.10-E126.05)驅逐艦「天津風」が爆雷攻撃〜 〜01.30 0715 「第九號掃海艇」、「第十一號掃海艇」が合同〜 〜01.30 1045 驅逐艦「雪風」、同「時津風」が警戒航行隊形の配備を徹し本隊に復帰〜 〜01.30 1200 本隊が第二梯団より分離〜 〜01.30 2215 ピル水道に於て特設運送船「第五日の丸」が敵潜の雷撃を受けるが被害なし〜 〜01.30 2318 驅逐艦「天津風」が浮上潜水艦を発見、爆雷攻撃、「第十一號掃海艇」が制圧〜 〜01.30アンボン(ヒトラマ泊地) 17.01.31:1200 一空、三空聯合陸戦隊55名揚陸 17.02.04:1500 飛行場南西方甲錨地にて荷役 17.02.--:アンボン〜クーパン 17.02.25:「第一號哨戒艇」に貯糧品を補給 17.03.01:クーパン〜 〜03.02 「第二號哨戒艇」と合同〜 〜03.02 0800 船団から分離、予定を変更しアンボンに向かう〜 〜03.03アンボン 17.03.05:軍隊区分:南方部隊航空部隊輸送部隊 17.03.09:アンボン〜03.17トラック 17.03.20:トラック〜03.26タロア03.28〜03.29ヤルート 17.04.01:軍隊区分:南方部隊航空部隊輸送部隊 17.04.07:艦長:海軍大佐 高木 伴治郎 17.04.10:軍隊区分:基地航空部隊輸送部隊 17.04.08:ヤルート〜04.20横須賀 17.05.11:浦賀船渠にて修理開始 17.05.20:軍隊区分:基地航空部隊輸送部隊 17.05.23:修理完了 17.06.22:横須賀〜07.01横須賀 17.07.28:横須賀〜 〜07.29 2035(N32.---E137.--)驅逐艦「初風」、同「涼風」が護衛を終了〜 〜08.02サイパン 17.08.03:サイパン〜08.08ラバウル 17.08.07:艦長:海軍大佐 千葉 成男 17.08.14:ラバウル〜08.23横須賀 17.09.--:軍需品、人員その他搭載 17.09.10:横須賀〜09.16サイパン09.18〜09.22ラバウル 17.09.23:官房機密第11998号ノ2:電動測深儀装備の件訓令 17.09.23:ラバウル〜09.28ブイン 17.09.25:11AF信電令第23号:11AF第25111343番電: りおん丸は第六航空隊基地員、基地物件及第十六、第十八設營隊用物件をブインに輸送し 帰途ショートランドに寄港し東港空基地物件、燃料陸揚後、速にラバウルに帰投せよ 17.10.01:(現在)軍隊区分:南東方面部隊補給部隊 17.10.09:ブイン〜10.11ラバウル 17.10.14:ラバウル〜10.25横須賀 17.11.16:横須賀〜木更津11.18〜11.30ラバウル 17.12.12:ラバウル〜カビエン〜サイパン12.18〜12.24横須賀 17.12.24:戦時編制:聯合艦隊南東方面艦隊第十一航空艦隊附属 17.12.24:軍隊区分:基地航空部隊附属 18.01.12:横須賀〜01.13四日市01.16〜01.27ラバウル 18.02.03:ラバウル〜02.04カビエン02.12〜02.19メナド02.21〜02.23バリクパパン 18.02.14:軍隊区分:機密基地航空部隊命令作第19号:附属 18.03.08:バリクパパン〜03.18ラバウル 18.03.30:ラバウル〜04.18横須賀 18.06.21:横須賀〜07.01高雄07.09〜マニラ 18.07.20:マニラ〜07.22セブ 18.08.19:(第2194船団)ラバウル〜08.23トラック 18.08.31:(第1313船団)トラック〜09.04ラバウル 18.10.06:艦長:海軍大佐 石K 虎雄 18.11.13:(オ305船団)ラバウル〜11.20パラオ 18.11.24:(第2514船団)パラオ〜11.30バリックパパン 18.12.01:石黒大佐退艦 18.12.01:石炭700t搭載(12.06まで)、空ドラム艦搭載(12.03まで) 18.12.03:清水318t搭載(12.04まで)、航空燃料搭載(12.07まで) 18.12.04:艦長:海軍大佐 三好 七郎 18.12.04:生糧品、貯糧品搭載 18.12.11:生糧品搭載 18.12.12:(第2613船団)バリックパパン〜12.17パラオ港外12.18〜12.18パラオ 18.12.16:艦長:海軍大佐 峰松 寧夫 18.12.19:生糧品搭載 18.12.23:清水搭載(12.25まで) 18.12.26:峰松大佐着任 18.12.30:生糧品搭載 19.01.01:除籍:内令第15号
19.01.01:入籍:内令第16号:特設運送船(雑用船)、横須賀鎮守府所管 19.01.01:戦時編制:海軍省配属、特設運送船(甲) 19.01.01:指揮官:海軍大佐 峰松 寧夫 19.01.02:生糧品、貯糧品搭載 19.01.05:(ソ504船団)パラオ〜 〜01.10 対潜戦闘:砲撃〜 〜01.11 対空戦闘:射撃〜 〜01.12 対空戦闘:射撃〜 〜01.12ラバウル 19.01.12:航空燃料揚陸(01.16まで) 19.01.16:空ドラム艦搭載 19.01.17:缶室に爆弾1発命中、航行不能 19.01.21:生糧品搭載 19.01.22:生糧品搭載 19.01.24:爆弾2発命中、艦橋爆破、船内炎上、総員退去
19.01.24:放棄 20.11.30:除籍:第301730番電 21.09.30:解傭
喪失場所:S04.13-E152.11 ラバウル 喪失原因:米海兵隊のTBFによる空爆
(L型) りま丸、りすぼん丸。
(開戦時の標準兵装) 十五糎砲2門、十三粍二聯装機銃2基、七粍七単装機銃2基。
雑誌「船の科学」船舶技術協会 1982年9月号「日本商船隊の懐古 No.39」山田早苗 雑誌「世界の艦船」海人社 別冊「日本郵船船舶100年史」(P.178) 「新造船写真史」三菱重工業株式会社 横浜造船所 S56.07(P.9) "State Library of New South Wales", Digital order No. a638217 "Australian War Memorial", ID No. 303553 "ONI 208-J Japanese Merchant Ships Recognition Manual" (P.227)
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