年 月 日:船歴
T08.10.15:起工 T09.05.31:進水、命名:りすぼん丸 T09.07.08:竣工
T09.07.--:新規登録:登録総噸数:7,037、登録純噸数:4,341 T09.07.07:登録検査、船級:LR ✠100A1 T--.--.--:石炭焚きから燃油焚きに改造 T12.--.--:登録総噸数:7,053、登録純噸数:4,307に変更 T12.--.--:神戸にて第一次第一種定期検査 T12.11.22:紐育〜Baltimore〜Galveston〜Cristobal〜Balboa〜San Pedro〜01.27横浜 T13.03.11:Iloilo〜Mangarin〜馬尼羅〜香港〜上海〜太沽〜大連〜神戸〜四日市〜04.15横浜 T13.06.16:紐育〜Baltimore〜Savanna〜Cristobal〜羅府〜08.09横浜 T13.10.06:馬尼羅〜香港〜基隆〜上海〜大連〜太沽〜神戸〜四日市〜10.28横浜 T13.12.29:紐育〜Baltimore〜Galveston〜Cristobal〜羅府〜神戸〜大阪〜03.18横浜 03.--.--:横浜にて第一次第二種定期検査 07.09.--:神戸にて第一次第三種定期検査 09.--.--:孟買線に臨時就航(定期及臨時) 10.02.22:神戸〜名古屋〜ムンばい〜波斯〜イラク 11.08.22:横浜にて第二次第一種定期検査 14.06.01:中間検査 15.10.25:横浜にて第二次第二種定期検査 16.10.31:中間検査
16.11.01:徴傭:陸軍 16.11.27:古仁屋〜12.24アチモナン12.30〜01.14宇品 17.01.15:宇品〜01.16青島 17.01.31:青島〜馬公 17.02.02:馬公〜 〜02.02 0900 吃仔尾燈台の南方海面にて防潜網上を航過し触雷、機関爆発、浸水、航行不能〜 〜馬公警備府防備部隊の救援に依り附近浅所に曳航擱坐 17.02.12:機密馬公警備府命令第13号: 1.馬公警備府信令第6号に依る陸軍輸送船りすぼん丸救難に於ける派遣救難隊の編制を解く 2.馬公海軍工作部長は成るべく速に同船の修理浮揚後の情況を見て官房機密第287番電の趣旨に 従い所要工事を施行せしむる予定なり 17.02.13:官房機密第297番電: 救難船立~を馬公に派遣、りすぼん丸に対する馬公警備府の援助作業に協力せしむる様取計ふべし 17.02.14:佐鎮機密第983番電: 佐世保海軍港務部長は救難船立~を準備出来次第馬公に派遣しりすぼん丸に対する馬公警備府の 援助作業に協力せしむべし 行動を予定し報告(通報)すべし 17.02.19:機密馬公警備府命令作第17号: 救難船立~は2月13日官房機密第297番電に依り陸軍輸送船りすぼん丸に対する馬公警備府の 救難作業に協力す 右期間中馬公海軍工作部長は同船を区処すべし 17.05.16:馬警機密第632番電: 陸軍徴傭船りすぼん丸は曳航中も立~搭載の排水喞筒にて連続排水を要するに付立~搭載の 排水喞筒にて連続排水を要するに付立~の内地回航期日を6月上旬迄延期のことに取計はれ度 りすぼん丸(被曳航)は5月23日以後天候の模様に依り馬公発速に九龍に回航せしむる予定 17.05.19:馬警機密第647番電: 立~はりすぼん丸より移載の喞筒及電動機の復旧工事を5月21日完了し22日の船団に加入し 佐世保に帰還せしむ 17.05.26:機密馬公警備府命令第46号: 1.陸軍輸送船りすぼん丸は応急修理の上、陸軍曳航指揮官指揮の下に陸軍輸送船第一吉田丸に 曳航され5月30日馬公発香港に回航す 第十一特別工作部附属救難船秋津丸は右被曳航作業に協力す 2.特設砲艦長白山丸、特設驅潜艇旺洋丸、朗洋丸は、りすぼん丸被曳航中之が護衛に任ずべし 本行動中、長白山丸砲艦長は特設驅潜艇を指揮すべし 3.馬公海軍港務部長、馬公防備隊司令、馬公海軍病院長は左の通下士官兵を派遣すべし
派遣先 | 派出元 | 種別員数 | |
第一吉田丸 | 馬公防備隊 | 掌信号員三 | |
りすぼん丸 | 馬公防備隊 | 掌信号員一 | |
馬公海軍港務部 | 掌信号員二(内下士官一) | ||
馬公海軍病院 | 看護兵曹一、看護兵一 |
4.馬公海軍工作部長は武富造船中佐、工員一〇六名をりすぼん丸に派遣し同船被曳航中応急修理を 続行せしめ船内作業に関し陸軍曳航指揮官の協議に応じ之に協力せしむべし 5.馬公海軍港務部長はりすぼん丸の被曳航準備並に被曳航作業に関し陸軍曳航指揮官に協力すべし 6.長白山丸砲艦長は香港到着後、適宜回航、関係員を収容し別に指示する所に依り軍需品を搭載 帰投すべし 17.05.30:(「第一吉田丸」が曳航)馬公〜06.02香港 17.06.04:1100 太古船渠にて入渠 17.09.27:香港〜 〜10.01 0710頃 被雷(不発)〜 〜10.01 0715 被雷、航行不能〜 〜10.01 0855 総員退船発令〜 〜10.01 0907 沈没
17.10.01:沈没 17.10.02:解傭
喪失場所:N30.17-E123.13 舟山列島兄弟島東北東32km附近 喪失原因:米潜水艦Grouper(SS-214)の雷撃
(L型)
りま丸、りおん丸。
要調査。
雑誌「船の科学」船舶技術協会 1989年9月号「日本商船隊の懐古 No.122」山田早苗 雑誌「世界の艦船」海人社 別冊「日本郵船船舶100年史」(P.141, 179) 「知られざる戦没船の記録(下)」柘植書房 H07.08 戦没船を記録する会(P.58) 「日本郵船株式會社五十年史」 S10.12 日本郵船株式會社(P.438) 「船体写真集」S42.03 日本郵船株式会社(P.78) 「新造船写真史」三菱重工業株式会社 横浜造船所 S56.07(P.9) 「日本郵船戦時戦史上巻」S46.05 日本郵船株式会社(P.123) "ONI 208-J Japanese Merchant Ships Recognition Manual"(P.227)
"Lloyd's Register Foundation-Heritage & Education Centre", Unique reference code:- LRF-PUN-007834-007845-0290-P