永城丸の船歴
年 月 日:船歴
19.05.13:起工
19.08.11:進水、命名:永城丸
19.09.02:竣工
20.01.29:徴傭
20.01.26:大阪にて徴傭授受
20.03.10:入籍:内令第220号:特設敷設艦、呉鎮守府所管
20.03.10:戦時編制:大海幕機密第608号ノ212:海上護衛総司令部第十八戦隊
20.04.07:艦長:海軍少佐 薗田 肇(臨時)
20.04.10:戦時編制:大海幕機密第608号ノ230:聯合艦隊第七艦隊第十八戦隊
20.04.10:軍隊区分:聯合艦隊電令作第615号:佐世保鎮守府部隊
20.04.11:艦長着任
20.04.12:呉海軍工廠にて艤装工事完了
20.04.13:軍艦旗掲揚
20.04.13:呉〜04.14八島04.14〜04.15佐伯
20.04.15:艦長:海軍大尉 宰務 礎
20.04.16:機雷搭載(04.22まで)
20.04.20:真水搭載
20.04.22:佐伯〜
〜04.23 0430 姫島灯台の85度12浬にて缶故障、航行不能〜
〜04.23祝島(北西端)
20.04.24:0700 機雷部隊と合同
0800 敷設艇に機雷移設開始
1200 敷設艇「怒和島」、同「巨濟」に機雷移載
1800 敷設艇「濟州」、同「新井埼」に機雷移載
20.04.28:缶応急修理完了
20.04.28:祝島〜04.28呉
20.04.30:宰務大尉着任
20.05.01;艦長:海軍少佐 宰務 礎
20.05.20:呉〜05.20佐田岬
20.05.20:佐伯にて機雷搭載
20.05.26:佐田岬〜05.26刈田沖05.28〜05.28部埼05.31〜05.31呼子
20.05.31:特設敷設艦「高榮丸」に横付け機雷搭載
20.06.01:呼子〜
〜06.01 1528 対馬海峡機雷堰第五次對馬東水道機雷堰(Vノ2)敷設開始〜
〜06.01 1815 第3列九三式機雷三型170個敷設終了〜
〜06.01 1835 特設敷設艦「高榮丸」「第四十四號海防艦」「第百十八號海防艦」、
敷設艇「濟州」解列〜
〜06.03 0839 舞鶴湾口博奕岬灯台の345度2,000mにて敷設艦「常磐」が触雷小破〜
〜06.03舞鶴
20.06.03:軍隊区分:海護總電令作第483号:大湊警備府護衛部隊
20.06.04:佐世保鎮守府信電令作第135号:
1.機雷部隊の編制を解く
2.第十八戦隊、第二十二號、第二十九號海防艦に他する本職の指揮を解き
濟州、巨濟、新井埼を九州方面護衛部隊に編入す
20.06.05:戦時編制:大海幕機密第608号ノ257:聯合艦隊第七艦隊
20.06.05:舞鶴〜大湊
20.06.11:2320 以降消息不明
20.06.17:沈没
20.08.10:除籍:内令第727号
20.08.10:解傭
喪失場所:N42.43-E139.57 北海道奥尻島沖
喪失原因:米潜水艦Spadefish(SS-411)の雷撃
同型船
(2D型戦時標準船)
兵装
四十五口径十年式十二糎高角砲1門、
九六式二十五粍三聯装機銃2基、同二聯装2基、同単装4基、
シ式七十五糎探照燈、九三式二米高角測距儀、
機雷390個。
写真資料
雑誌「丸Graphic Quarterly」潮書房 No.17「写真集 日本の小艦艇」(P.85)
「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫 (2939)
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