公稱第1661號の船歴

 年 月 日:船歴

--.--.--:起工 --.--.--:進水 --.--.--:竣工
M38.06.--:仮称イ號浚渫船 M39.06.26:引揚:旅順口 M39.--.--:官房第4077号:横須賀海軍港務部にて受領保管方訓令 M39.10.24:横鎮第1305号ノ6:假称イ号泥浚船当分の間使用致度義に付上申 M39.10.30:官房第4215号ノ2:戦利假称イ号泥浚船使用の件認許
M39.--.--:官房第 号:明治三十七、三十八戦役戦利船       命名:雑役船「公稱第一六六一號」       船種:泥浚船       所属:大湊要港部附属 M--.--.--:旅順口〜横須賀〜大湊 M42.11.25:内令第201号:海軍各廰附属雑役船舟の種類及び定数:浚渫船 T05.04.01:官房第959号:       船種:浚渫船(バケット式)       所属:旅順要港部附属 T05.06.--:大湊〜07.02旅順 T09.04.05:旅順第一船渠出渠 T11.07.20:官房第2689号:       船種:浚渫船(バケット式)       所属:鎮海要港部、定数別:臨時附属 T11.11.21:旅順〜      〜11.21 1550 運送艦野島」が曳航し出港〜      〜11.23 0037 曳索切断〜      〜11.23 1100頃 運送艦「野島」が風上約150mに位置、古参兵16名が短艇にて来着し曳航作業〜      〜11.23 1315 曳航再開〜      〜11.23 1622 公稱第一六三四號泥受船に接近〜      〜11.23 1935 作業完了〜      〜11.23 1940 曳航再開〜      〜11.23 ---- 曳索切断、泥受船流出〜      〜11.24 0645 泥受船流失を知り捜索開始〜      〜11.24 0915 格列飛灯台の正南10浬に仮泊、運送艦「野島」は単独全速力にて泥受船を捜索〜      〜11.27(N35.16-E126.18)朝鮮全羅南道咸平湾外塩所面北端より北北西約1浬の地点の砂堆に漂着 T12.01.--:救難船猿橋」による救難作業 T12.01.30:夜 第一回浮揚作業開始 T12.01.31:0800 作業中止       夜  第二回浮揚作業開始 T12.02.07:作業中止 T12.04.--:曳船「第四佐世保」による救難作業 T12.05.10:(「利根」が曳航)咸平湾〜05.11鎮海 T12.05.--:鎮海要港部工作部にて修理 08.01.11:代船:公稱第二九七六號 08.07.11:佐鎮第25号ノ68ノ2:雑役船廃船に関する件上申 08.12.26:官房第4729号ノ2:廃船認許
09.02.07:売却:下関市東南部町五二番地 住友 助之S

同型船

 公稱第1648號

兵装

 なし。

写真資料

 JACAR:C08050474700, P.29,31

図面資料

 JACAR:C08050474700, P.14-19

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