南阿丸の船歴

 年 月 日:船歴

14.06.17:起工 15.04.16:進水、命名:南阿丸 15.06.29:竣工
15.06.--:新規登録 15.06.29:登録検査、船級:TK N.S.*、船級番号:939 --.--.--:(以下の動静はすべて出帆表による予定) 15.07.12:横浜〜神戸07.18〜07.19門司07.19〜西貢〜新嘉坡〜ダーバン〜景府〜西阿海岸諸港〜ダカー〜神戸 15.12.21:神戸〜横浜12.23〜羅府〜パナマ運河〜南米東岸諸港〜サントス〜モンテビデオ〜      〜ブエノスアイレス〜 16.04.28:中間検査 16.08.05:Rio de Janeiro〜09.14横浜
16.09.21:徴傭 16.10.01:入籍:内令第1168号:特設運送船(雑用船)、舞鶴鎮守府所管 16.10.01:監督官:海軍大佐 猪原 薫一 16.10.12:株式會社大阪造船所にて艤装工事完了 16.10.15:戦時編制:第十一航空艦隊所属、特設運送船(甲) 16.12.--:航空用燃料搭載 16.12.31:高雄〜01.05ダバオ 17.01.07:ダバオ〜01.10タラカン 17.01.21:軍隊区分:機密蘭印部隊第一護衛隊命令作第3号(01.18附):輸送船隊      輸送船隊区分:第二分隊(8) 17.01.21:(バリックパパン攻略作戦)タラカン〜      〜01.22 1800 別動隊(海風、江風、はばな丸漢口丸)が分離先行〜      〜01.23 1615 至近弾により損傷〜      〜01.23 1625 特設運送船辰~丸」が被弾〜      〜01.23 1746 六番艙に被弾、六番艙左舷に至近弾、火災発生〜      〜01.23 1750 四、五番艙に延焼、爆発〜      〜01.23 1825 総員退船下令〜      〜01.23 1850 驅逐艦「峯雲」に総員退去〜      〜01.24 2100 大爆発(沈没と推定)
17.01.26:沈没確認 17.02.05:除籍:内令第226号 17.02.10:解傭
喪失場所:N00.10-E118.00 バリックパパン 喪失原因:蘭空軍Martin 139機による空爆

同型船

 東亞丸西阿丸興津丸尾上丸

兵装

 要調査。

写真資料

 雑誌「海運」日本海運集会所出版部 昭和15年6月号、昭和15年7月号
 雑誌「世界の艦船」海人社 2011年1月号「思い出の日本貨物船その173」
 「船舶史稿」船舶部会「横浜」第六巻(P.141)
 「播磨造船所50年史」 S35.11 株式会社播磨造船所(P.129)
 「大阪商船株式會社八十年史」S41 大阪商船株式会社
 「商船が語る太平洋戦争」H14.05 野間恒
 「商船三井船隊史」 H21.04 野間恒(P.146)
 「商船三井 船舶史 1884-2010」 H22.12 木津重俊
 "ONI 208-J Japanese Merchant Ships Recognition Manual" (P.72)
 "ONI 208-J (Revised) Japanese Merchant Ships Recognition Manual (1944)" (P.119)

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