多多良の艦歴
年 月 日:艦歴
T15.10.17:起工
02.05.28:進水、命名:"Guam"(PG-43)
02.12.28:竣工
03.06.15:Hull No.変更:PR-3
16.01.23:改名:Wake
16.12.08:捕獲
捕獲場所:N.-E.
捕獲原因:による
16.12.15:命名:達第387号:「多多良」(タタラ)
16.12.15:類別等級制定:内令第1639号:種別:軍艦、類別:砲艦、等級:なし、艦型:なし
16.12.15:本籍:内令第1662号:佐世保鎮守府
16.12.15:戦時編制:支那方面艦隊
16.12.15:艦長:海軍少佐 安村 對一
17.01.12:海軍大臣機密第50番電:
佐世保海軍軍需部をして左の兵器を多多良に供給せしむべし
三八式小銃附属具共 15挺
同弾薬包 4,500個(以上砲術長主管)
経線儀大型毎日捲 1個
十二糎双眼望遠鏡三脚架附 1個
八糎双眼望遠鏡三脚架附 1個
喇叭 總共 3個(以上航海長主管)
17.01.--:軍隊区分:上海方面部隊
17.01.29:上海〜01.31南京
17.02.16:南京〜02.19漢口
17.02.23:漢口〜02.19南京
17.03.--:南京方面
17.04.14:南京〜04.16上海
17.05.15:上海〜05.20南京
17.07.27:南京〜哨区〜08.08上海
17.08.18:上海〜哨区〜09.11上海
17.09.14:上海〜哨区〜09.26上海
17.09.30:上海〜哨区〜10.11上海
17.10.10:(現在)軍隊区分:支那方面艦隊機密第396号ノ2:上海方面部隊第五警戒隊
17.10.15:上海〜哨区〜10.25上海
17.10.26:上海〜哨区〜上海
17.11.12:上海〜哨区〜12.04上海
17.12.10:上海〜哨区〜12.30上海
18.01.05:上海〜哨区〜01.30上海
18.02.01:艦長:海軍少佐 赤木 敏郎
18.02.04:上海〜哨区〜02.25上海
18.03.--:上海〜哨区〜03.17上海
18.03.21:上海〜哨区〜上海
18.04.02:上海〜哨区〜04.18上海
18.04.27:上海〜哨区〜05.14上海
18.05.18:上海〜哨区〜05.22南京
18.--.--:南京〜哨区〜06.11上海
18.06.17:上海〜哨区〜08.10上海
18.08.20:戦時編制:支那方面艦隊揚子江方面特別根據地隊
18.08.20:軍隊区分:揚子江部隊
18.08.25:上海〜哨区〜10.25南京
18.10.29:南京〜哨区〜
〜11.23 哨区発〜
〜11.25上海(江南)
18.11.30:入渠
18.12.29:江南〜12.29上海
18.12.30:上海〜哨区〜南京
19.01.02:南京〜哨区〜
19.01.07:下警隊信令第1号:船舶番号:1
19.01.08:下警隊信令第2号:特設砲艇の配属:407、409
19.02.04:下警隊電令第4号:
1.多々良の九江派遣を取止む
2.熱海は引続き九江に警泊、比良到着後之と交代、漢口に回航、休養後安慶に帰投せよ
3.鳴海は修理完了せば九江に回航、同地警泊艦に指定す
4.熱海、南京休養を取止め須磨の休養02月11日に繰上ぐ
〜02.17漢口
19.02.21:漢口〜哨区〜漢口
19.03.06:漢口〜哨区〜九江
19.03.29:下警隊電令第11号:
1.多々良は鳴海到着まで引続き九江に在泊すべし
2.鳴海は二見帰投まで九江警泊艦に指定す
19.03.31:九江〜
19.04.05:下警隊電令第15号:
1.多々良、鳴海のAB哨区移動を取止む
2.多々良、熱海の南京休養を04月16日より同30日に改む
3.多々良、熱海は鳴海安慶帰投後、11日安慶に着くよう便宜AB哨区移動哨戒を為すべし
19.04.08:安慶〜04.08天心洲04.09〜04.09東流04.10〜04.10安慶
19.04.15:下警隊電令第18号:特設砲艇の配属改正:406、407
19.04.18:安慶〜04.19南京
19.04.24:下警隊電令第23号:
1.堅田、鳴海は貴池中港に回航、座洲船引卸作業に協力すべし
2.鳴海は24日日没後、予定のごとく南京に回航せよ
3.多々良は大通に於て陸軍と連絡の上、25日午前堅田に合同の予定
4.多々良、鳴海の会合を取止む
19.04.24:南京〜哨区〜05.15南京
19.05.12:下警隊信令第23号:各艦5月中行動予定を変更
1.多々良 14日安慶発南京休養21日安慶着警泊
2.堅田 20日安慶発21日より27日迄九江警泊、28日安慶発南京休養
3.比良 27日安慶発28日より九江警泊
4.鳴海 20日九江発21日安慶発南京休養、28日安慶着警泊
19.05.21:南京〜哨区〜安慶
19.06.03:0028 対空戦闘:B-24と交戦、十三粍機銃357、七粍七機銃563発発射
19.06.10:安慶〜06.10蕪湖06.11〜06.11南京
19.06.13:下警隊信令第26号:船舶番号:1
特設砲艇の配属:409
19.06.15:2343 敵機 1機と交戦
19.06.16:0521 B24 1機と交戦
19.06.16:南京〜06.16蕪湖06.17〜06.17安慶
19.06.18:1255 対空戦闘:P38 12機と交戦、十三粍機銃3,500、七粍七機銃3,200発発射
19.06.20:揚部電令第84号:
1.水警科長曳船揚北、八曳(指揮官近藤少尉、19日漢口発)を派遣し在安慶
舟艇引揚浮桟橋を漢口に回航せしむべし
2.中下警指揮官は右桟橋回航中各警備担任地区間、砲艦を以て之が護衛に任ずべし「
19.06.21:下警隊電令第16号:揚部電令第84号による護衛艦を多々良、鳴海とし
多々良艦長を指揮官とす
19.06.21:安慶〜06.21九江
19.06.21:(浮桟橋護衛)九江〜06.21下揚家套06.21〜06.21官洲上端06.21〜
〜06.21天心洲上端06.22〜06.22馬海水道06.22〜06.22彭澤06.22〜
〜06.22湖口亞水道06.23〜
〜06.23 砲艦「鳴海」と共に下三号州下端に座洲中の「山王丸」を離州させる〜
〜06.23 現場発〜
〜06.23安慶
19.06.23:下警隊電令第17号:多々良、鳴海は山王丸現場付近に碇泊、引卸作業に従事せよ
救難指揮官を多々良艦長に指定す
19.07.02:安慶〜07.03南京
19.07.04:南京〜哨区〜07.05安慶
19.07.07:1226 対空戦闘:B25 2機、P51 4機と交戦、十三粍機銃1,100、七粍七機銃960発発射
19.07.17:下警隊信令第39号:
1.多々良は17日1800以後安慶発南京に回航、24日1000迄に安慶に帰投せよ
2.鳴海休養予定を1日繰下ぐ、23日夕刻の事に改む
3.堅田、熱海のAB哨区移動哨戒を取止む
19.07.17:安慶〜哨区〜07.19南京
19.07.21:下警隊電令第19号:
1.鳴海南京休養を延期す
2.多々良は23日南京発CD哨区の移動哨戒を行い25日1000迄に安慶に帰投せよ
3.堅田は修理完了後、速かに安慶に帰投すべし
19.07.23:南京〜哨区〜07.26安慶
19.09.01:下警隊信令第2号:特設砲艇の配属:408、409
19.09.22:下警隊電令第2号:
1.多々良は九江警泊を取止む
2.堅田、熱海の九江警泊交代発動を27日夕刻とす
19.10.01:除籍:内令第1134号
19.10.01:命名:達第331号:「多多良」
19.10.01:類別等級改正:内令第1130号:種別:砲艦、艦型:なし
19.10.01:本籍:内令第1135号:佐世保鎮守府
19.10.01:砲艦長:海軍少佐 赤木 敏郎
19.10.10:戦時編制:支那方面艦隊揚子江方面特別根據地隊第二十四砲艦隊
19.10.10:内令第1164号:第二十四砲艦隊
19.10.10:軍隊区分:揚子江部隊中流警戒隊
〜10.23九江
19.11.01:砲艦長:海軍中佐 赤木 敏郎
19.11.21:漢口〜11.21石灰窰11.26〜11.26九江
19.12.02:1620 P-51 6機と交戦
二十五粍機銃68、十三粍機銃123、七粍七機銃428発発射
19.12.04:1722 P-51 5機と交戦
二十五粍機銃20、十三粍機銃300、七粍七機銃288発発射
19.12.05:1102 P-51 7機と交戦
二十五粍機銃63、十三粍機銃810、七粍七機銃600発発射
19.12.10:1217 P-51 2機と交戦
二十五粍機銃41、十三粍機銃230、七粍七機銃470発発射
19.12.18:1510 P-51 3機と交戦
二十五粍機銃135、十三粍機銃390、七粍七機銃80発発射
20.01.03:1545 江南第一船渠にて入渠
20.01.10:軍隊区分:揚子江部隊下流警戒隊
20.01.17:1500 対空戦闘
20.01.18:0900 出渠
20.01.20:1407 対空戦闘
20.01.28:1535 重油、糧食搭載
20.01.30:0915 確認運転
20.01.31:1040 弾薬搭載
20.02.01:1620 重油搭載
20.02.02:自差修正
20.02.03:江南〜02.03上海(第六號桟橋に繋留)
20.02.04:上海〜02.04福姜沙02.05〜02.05南京
20.02.07:1230 重油搭載
20.02.08:南京〜02.08大通湾02.09〜02.09安慶
20.02.09:防空砲台に仮装備の二十五粍単装機銃2基を本艦に装備
20.02.15:対空戦闘:P-51 3機と交戦
20.02.22:対空戦闘:P-51 4機と交戦
20.02.26:対空戦闘
20.03.09:糧食搭載
20.04.09:1440 糧食搭載
20.04.15:軍隊区分:揚子江部隊安慶方面警戒隊
20.05.16:1037 P51 2機と対空戦闘
20.05.19:揚根機密第191713番電:右の通立案せるに付可然取計はれ度
下江前現駐留地にて陸揚の兵装(砲員):十三粍二聯装2(6)
20.05.24:支那方面艦隊電令第18号:
揚子江部隊指揮官は揚子江方面特別根據地隊機密第191713番電計画による麾下砲艦を人員兵器の
一部を陸揚したる後、逐次上海方面に回航せしむべし
20.05.24:揚子江部隊電令第39号:
各砲艦隊は左の通人員兵器(弾薬定額共)を揚揚したる後、上海に回航すべし
行動予定報告すべし
揚子江部隊電令第38号を取消す
1.陸揚げすべき兵器(砲員)及同装備地名
勢多 十三粍二聯装 1(6)蕪湖
七粍七機銃 2(2)漢口
熱海 二十五粍単装 1(6)石灰窰
十三粍二聯装 1(5)南京
七粍七機銃 2(2)漢口
二見 二十五粍単装 2(6)漢口
十三粍二聯装 1(5)南京
隅田 短八糎高角砲 1(5)九江
多多良 十三粍二聯装 2(16)蕪湖
鳴海 十三粍二聯装 2(16)蕪湖
2.現駐留地より上流地に装備すべき兵器(砲員)は現貯留地にて陸揚し輸送すべし
3.陸揚作業終了せば概ね各砲艦隊毎に上海に回航す
但し、第二十四砲艦隊は安慶方面警戒隊指揮官の配員された後下江するものとす
4.各砲艦より砲艇基地隊に派遣中の電信員は残留せしめ尚隅田より電信員2名安慶基地隊に派遣すべし
5.上海迄の所要燃料を見越し余裕量(成るべく一重)は現駐留地に於て陸揚するものとす
6.九江司令は堅田より二十五粍三聯装1及び同砲員を石灰窰防空隊の送付派遣すべし
20.06.10:安慶〜06.13上海
20.06.13:軍隊区分:支那方面艦隊電令第22号:中支部隊
20.08.15:内令第736号:砲艦隊編制廃止
20.08.15:内令第738号:第四豫備砲艦
21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
22.05.03:除籍:複二第327号
同型艦
Tutuila。
兵装
(新造時)
3インチ砲2門。
(19.12現在)
二十五粍機銃、十三粍二聯装機銃2基、七粍七単装機銃。
(20.02.09)
二十五粍単装機銃2基増備。
写真資料
雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.45「日本の砲艦」 (P.27,62-63)
雑誌「丸Graphic Quarterly」潮書房 No.20 「写真集 日本の小艦艇(続)」(P.99-100)
雑誌「世界の艦船」海人社 1968年9月号「思い出の日本軍艦」(P.18-19)
雑誌「世界の艦船」海人社 1978年7月号増刊「日本軍艦史3.昭和編」(P.108)
雑誌「世界の艦船」海人社 1984年6月号増刊「第2次大戦のアメリカ軍艦」(P.143)
雑誌「世界の艦船」海人社 1997年3月号増刊「日本海軍特務艦船史」(P.103)
「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫 (1107-1111)
「日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦」ダイヤモンド社 H17.06 呉市海事歴史科学館(P.177,186-187)
"The Far Eastern Review 1928.12"(P.558)
"ONI 208J Supplement No.2 Far-Eastern Small Craft"
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