鳴海の艦歴
年 月 日:艦歴
T09.--.--:起工
T10.02.28:進水、命名:"Ermano Carlotto"
T11.--.--:竣工
18.09.09:捕獲
捕獲場所:上海港
捕獲原因:江海關港務局による
18.10.03:軍務機密第031656番電:
旧伊國籍捕獲船及同拿捕船の処理に関し左の通定めらる
1.エルマノカーロツト號帝國艦艇籍(砲艦)に編入鳴海と命名本籍を佐鎮とすることに準備す
18.11.01:命名:達第265号:「鳴海」(ナルミ)
18.11.01:類別等級制定:内令第2249号:種別:軍艦、類別:砲艦、等級:なし、艦型:なし
18.11.01:本籍:内令第2282号:佐世保鎮守府
18.11.01:戦時編制:支那方面艦隊揚子江方面特別根據地隊
18.11.01:軍隊区分:揚子江部隊
18.11.01:艦長:海軍大尉 吉田 駒雄
18.11.01:吉田大尉着任
18.11.01:1013 命名式挙行
18.11.05:軍隊区分:揚根電令作第4号:下流警戒隊
18.11.10:江南造船所岸壁から繋留替え
18.11.22:砲艦「鳥羽」左舷に横付け
18.12.03:繋留替え
18.12.06:機銃搭載、旧八糎砲を卸す
18.12.07:繋留替え
18.12.11:弾薬、重油搭載
18.12.12:船体改装工事完了
18.12.13:江南〜重心査定〜12.13江南
18.12.14:繋留替え
18.12.15:江南〜試運転〜12.15江南
18.12.18:江南〜試運転、揚投錨試験〜12.15江南
18.12.20:江南〜確認運転〜12.20江南
18.12.21:江南〜機銃試射、旋回力試験〜12.21江南
18.12.22:江南〜自差修正〜12.22江南
18.12.23:繋留替え
18.12.26:重油搭載
18.12.27:江南〜12.27江南
18.12.29:繋留替え
18.12.31:江南〜12.31七了口01.01〜01.01新港01.02〜01.02鎮江01.03〜01.03南京(中興桟橋)
19.01.03:重油搭載
19.01.03:1555 朝日桟橋に繋留替え
19.01.06:南京〜01.06荻港01.07〜01.07安慶
19.01.07:下警隊信令第1号:船舶番号:4
19.01.09:1856 転錨
19.01.10:0845 転錨
19.01.10:安慶〜01.11九江01.13〜01.13田家鎮01.14〜01.14廻風磯01.15〜01.15漢口
19.01.13:下警隊電令第1号:
1.堅田は熱海の代艦として01月14日1700安慶発15日0900までに九江に回航警泊艦となり
01月24日鳴海と交代帰投せよ
2.熱海は九江回航を取止む
3.鳴海を01月24日以降九江警泊艦と定む。時機は追って令す
19.01.18:一般徴傭船「第二松丸」より重油搭載
19.01.19:漢口〜01.19陽羅01.20〜01.20黄洲01.22〜01.22石灰窰
19.01.22:1833 鉱石桟橋に繋留替え
19.01.23:石灰窰〜機銃試射〜01.23田家鎮01.24〜01.24武穴01.24〜01.24九江
19.01.24:1806 九号桟橋に繋留替え
19.01.25:0900 警泊地に転錨
1729 九号桟橋に繋留替え
19.01.26:0900 警泊地に転錨
19.01.27:1040 一般徴傭船「第二松丸」より重油搭載
1813 雑役船「飛渡瀬」に横付け
19.01.28:091- 雑役船「飛渡瀬」から横付けを離し警泊地に転錨
19.01.29:1808 雑役船「飛渡瀬」に横付け
19.01.29:下警隊電令第2号:
1.02月03日以降九江警泊艦を熱海に変更す
2.熱海は02月02日1600安慶発九江に回航すべし
3.鳴海は02月03日九江発02月04日1000までに安慶に帰投せよ
19.01.30:0840 雑役船「飛渡瀬」から横付けを離し警泊地に転錨
1606 明治桟橋に繋留替え
19.01.31:0900 警泊地に転錨
19.02.01:1015 転錨
19.02.01:下警隊電令第3号:
1.鳴海は02月03日熱海と交代後、便宜九江発漢口に回航、揚錨機修理を実施せよ
漢口にて所定の休養を終了するものとす
2.鳴海の南京休養を取止む
19.02.02:九江〜02.02新洲下端02.03〜02.03湖広洲水道02.04〜02.04漢口
19.02.04:重油搭載
19.02.04:下警隊電令第4号:
1.多多良の九江派遣を取止む
2.熱海は引続き九江に警泊、比良到着後之と交代、漢口に回航、休養後安慶に帰投せよ
3.鳴海は修理完了せば九江に回航、同地警泊艦に指定す
4.熱海、南京休養を取止め須磨の休養02月11日に繰上ぐ
19.02.04:1515 昭和桟橋に繋留替え
19.02.05:1400 三北桟橋に繋留替え
19.02.07:揚錨機修理
19.02.10:下警隊電令第5号:鳴海は修理完了後、引続き漢口にありて整備に任じ
勢多、熱海と合同し九江に回航せよ
19.02.16:揚錨機修理完成
1400 一般徴傭船「第二松丸」より重油搭載
19.02.17:漢口〜02.17陽羅02.19〜02.19石灰窰02.20〜02.20鯉魚山02.21〜02.21九江
19.02.24:対空戦闘:二十五粍機銃305発、十三粍機銃176発、七粍七機銃363発発射
19.03.01:1900 九号桟橋に繋留替え
19.03.01:下警隊電令第5号:鳴海は楊部隊電令第61号による作業に従事せよ、
本作業指揮官を堅田艦長に指定す
19.03.02:0808 警泊地に転錨
19.03.02:九江〜
〜03.02 2218 馬當水道上灯標附近に於てライター船と接触、内火艇大破、船体一部損傷〜
〜03.03安慶
19.03.03:安慶〜
〜03.03 1300 「興平丸」座洲現場着
19.03.03:下警隊電令第9号:
1.救難部隊の編成を解く
2.堅田は南京に回航、警泊休養に従事せよ
3.鳴海は四曳を嚮導、便宜作業地発安慶に回航せよ
19.03.03:「興平丸」座洲現場〜03.03安慶
19.03.04:1843 海軍桟橋の砲艦「須磨」に繋留替え
19.03.05:0756 警泊地に転錨
1818 海軍桟橋の砲艦「須磨」に繋留替え
19.03.06:1013 警泊地に転錨
1650 三号桟橋に繋留替え
19.03.07:0813 警泊地に転錨
1430 一般徴傭船「第二松丸」より重油搭載
19.03.09:1848 警泊地に転錨
19.03.10:0854 警泊地に転錨
1850 警泊地に転錨
19.03.11:0906 警泊地に転錨
1826 警泊地に転錨
19.03.12:0824 警泊地に転錨
1810 海軍桟橋の雑役船「飛渡瀬」の右舷に繋留替え
19.03.14:安慶〜03.14東流口03.15〜03.15九江
19.03.15:1925 繋留替え
19.03.16:0807 警泊地に転錨
19.03.17:九江〜03.17巴河水道03.18〜03.18漢口(三北桟橋)
19.03.22:船体修理工事開始
19.03.29:船体修理工事完了
19.03.29:下警隊電令第11号:
1.多多良は鳴海到着まで引続き九江に在泊すべし
2.鳴海は二見帰投まで九江警泊艦に指定す
19.03.30:0940 一般徴傭船「第二松丸」より重油搭載
19.03.31:漢口〜03.31田家鎮03.31〜03.31九江
19.04.07:九江〜04.07安慶
19.04.08:安慶〜04.08天心洲04.09〜04.09東流04.10〜04.10安慶
19.04.10:下警隊電令第12号:
1.鳴海は12日0930荻港に於て須磨と合同すべし
2.熱海の休養を巡視終了後、安慶発の事に改む
3.須磨、熱海のCD哨区移動哨戒を須磨、鳴海に改む
19.04.11:安慶〜04.11銅陵沙04.12〜04.12荻港04.12〜04.12馬船溝04.13〜04.13安慶
19.04.15:下警隊電令第18号:特設砲艇の配属改正:402、410
19.04.24:下警隊電令第23号:
1.堅田、鳴海は貴池中港に回航、座洲船引卸作業に協力すべし
2.鳴海は24日日没後、予定のごとく南京に回航せよ
3.多多良は大通に於て陸軍と連絡の上、25日午前堅田に合同の予定
4.多多良、鳴海の会合を取止む
19.04.24:安慶〜
〜04.24 1905 砲艦「堅田」と分離〜
〜04.24銅陵沙
19.04.25:銅陵沙〜04.25南京(中興桟橋)
19.04.25:重油、石炭搭載
19.04.26:0915 安宅桟橋に繋留替え
19.04.30:南京〜05.01大通05.01〜05.01安慶
19.05.05:下警隊信令第21号:
1.比良の行動予定2日繰上らる、明6日1600以後安慶発13日帰投の事に改む
2.堅田、鳴海は12日安慶発15日帰投の予定を以てAB哨区の移動哨戒を実施すべし
19.05.12:下警隊信令第22号:
1.鳴海は本日1800安慶発、明朝0900迄に九江に回航、警泊に任ずべし
2.堅田、鳴海のAB移動哨戒を取止む
19.05.12:下警隊信令第23号:各艦5月中行動予定を変更
1.多多良 14日安慶発南京休養21日安慶着警泊
2.堅田 20日安慶発21日より27日迄九江警泊、28日安慶発南京休養
3.比良 27日安慶発28日より九江警泊
4.鳴海 20日九江発21日安慶発南京休養、28日安慶着警泊
19.05.12:「山王丸」より重油搭載
19.05.12:安慶〜05.12香口鎮05.13〜05.13九江
19.05.16:一般徴傭船「第二松丸」より重油搭載
19.05.20:九江〜05.20香口鎮05.21〜05.21安慶05.21〜05.21土橋05.22〜05.22蕪湖05.22〜
〜05.22南京
19.05.23:重油搭載
19.05.27:南京〜05.28安慶
19.05.30:「山王丸」より重油補給
19.06.02:下警隊信令第24号:
1.本日桟橋横付け並に上陸を取止む
2.2100より約30分対空戦闘教練を実施すべし
3.夜間対空警戒を特に厳になせ
19.06.03:0105 対空戦闘:B-24と交戦:
二十五粍機銃27、十三粍機銃115、七粍七機銃235発発射
19.06.03:安慶〜06.04九江
19.06.12:九江〜06.12安慶
19.06.13:下警隊信令第26号:船舶番号:4
特設砲艇の配属:410
19.06.18:1255 対空戦闘:B25、P-38と交戦:
二十五粍機銃455、十三粍機銃950、七粍七機銃1,750発発射
19.06.20:揚部電令第84号:
1.水警科長曳船揚北、八曳(指揮官近藤少尉、19日漢口発)を派遣し在安慶
舟艇引揚浮桟橋を漢口に回航せしむべし
2.中下警指揮官は右桟橋回航中各警備担任地区間、砲艦を以て之が護衛に任ずべし
19.06.21:下警隊電令第16号:揚部電令第84号による護衛艦を多々良、鳴海とし
多々良艦長を指揮官とす
19.06.21:安慶〜06.21九江
19.06.21:(浮桟橋護衛)九江〜06.21下揚家套06.21〜06.21官洲上端06.21〜
〜06.21天心洲上端06.22〜06.22馬海水道06.22〜06.22彭澤06.22〜
〜06.22湖口亞水道06.23〜
〜06.23 0543 下三号州下端に座洲中の「山王丸」を発見、
砲艦「多多良」と共に合同、救難作業に従事〜
〜06.23 0733 「山王丸」離州〜
〜06.23 0758 現場発〜
〜06.23安慶
19.06.23:下警隊電令第17号:多多良、鳴海は山王丸現場付近に碇泊、引卸作業に従事せよ
救難指揮官を多多良艦長に指定す
19.06.23:安慶〜06.23銅陵06.24〜06.24南京
19.06.29:下警隊電令第17号:鳴海は太陽洲にて航行不能の第三興亞丸の救難に従事せよ
19.06.29:南京〜
〜06.29 太陽洲下端「第三興亞丸」座洲現場着
19.06.29:救難作業開始
19.06.30:0100 砲艦「須磨」来着
0700 「第三興亞丸」離州
19.06.30:太陽洲下端〜06.30蕪湖06.30〜07.01安慶
19.07.08:下警隊電令第18号:
1.鳴海は8日0900までに太陽洲下端に於て須磨に合同すべし
2.須磨、鳴海の移動哨戒を8日0900に改む
3.熱海の休養終わりを1日繰下ぐ
19.07.07:1228 対空戦闘:B25 2機、P51 4機と交戦
二十五粍機銃220、十三粍機銃350、七粍七機銃423発発射
19.07.07:安慶〜07.07大通07.08〜07.08太陽洲07.08〜07.08新開溝07.09〜07.09安慶
19.07.17:下警隊信令第39号:
1.多多良は17日1800以後安慶発南京に回航、24日1000迄に安慶に帰投せよ
2.鳴海休養予定を1日繰下ぐ、23日夕刻の事に改む
3.堅田、熱海のAB哨区移動哨戒を取止む
19.07.17:安慶〜哨区〜07.19南京
19.07.21:下警隊電令第19号:
1.鳴海南京休養を延期す
2.多多良は23日南京発CD哨区の移動哨戒を行い25日1000迄に安慶に帰投せよ
3.堅田は修理完了後、速かに安慶に帰投すべし
19.07.--:南京〜安慶
19.07.27:安慶〜07.27大通07.28〜07.28太陽洲07.28〜07.28蕪湖07.29〜07.29南京
19.07.28:揚部電令第98号:
隅田及び鳴海は29日哨区発、上海に回航、夫々訓令工事並に入渠修理に従事すべし
19.07.29:重油搭載
19.07.30:南京〜07.30福姜沙07.31〜07.31呉淞08.01〜08.01江南
19.08.02:弾薬陸揚
19.08.06:江南船渠第二船渠にて入渠
19.08.21:重油、弾薬搭載
19.08.22:十三粍二聯装機銃増設
19.08.25:江南〜確認運転〜08.25江南
19.08.26:江南〜08.26呉淞08.27〜08.28鎮江08.28〜08.28南京
19.08.30:0708 中興桟橋に繋留替え、弾薬、重油搭載
19.08.31:南京〜08.31白茆水道09.01〜09.01安慶
19.09.01:下警隊信令第1号:
1.堅田は3日夕刻九江発、安慶に帰投せよ
2.鳴海は4日0900までに九江に回航、警泊艦となれ
3.熱海は予定のごとく行動せよ
19.09.01:下警隊信令第2号:特設砲艇の配属:410
19.09.03:安慶〜09.04九江
19.09.07:0419 対空戦闘:B-25 1機と交戦:
二十五粍機銃40、十三粍機銃340、七粍七機銃94発発射
19.09.09:一般徴傭船「第十二喜久丸」より重油補給
19.09.16:0944 曳船「旭盈丸」が艦首に接触
19.09.16:九江〜09.16張家洲09.17〜09.17九江
19.09.18:九江〜09.18天心洲09.19〜09.19安慶
19.09.26:0025 対空戦闘:B-25 数機と交戦:
二十五粍機銃40、十三粍機銃150、七粍七機銃47発発射
19.09.22:安慶〜09.22銅陵沙09.23〜09.23南京
19.09.28:南京〜09.29安慶
19.09.29:下警隊信令第10号:
1.10月行動予定中、堅田、鳴海の九江警泊交代を1日繰上ぐ
2.熱海、鳴海の九江警泊交代発動を鳴海錨鎖揚収せる夕刻に改む
19.10.01:除籍:内令第1134号
19.10.01:命名:達第331号:「鳴海」
19.10.01:類別等級改正:内令第1130号:種別:砲艦、艦型:なし
19.10.01:本籍:内令第1135号:佐世保鎮守府
19.10.01:砲艦長:海軍大尉 吉田 駒雄
19.10.01:軍隊区分:揚子江部隊下流警戒隊
19.10.05:安慶〜10.06九江
19.10.07:1256 P-40 4機と交戦:至近弾2発、六番重油タンクに直撃弾を受け船体破損
二十五粍機銃104、十三粍機銃600、七粍七機銃141発発射
19.10.08:被弾箇所応急修理開始
19.10.09:応急修理完了
19.10.10:戦時編制:支那方面艦隊揚子江方面特別根據地隊第二十四砲艦隊
19.10.10:内令第1164号:第二十四砲艦隊
19.10.10:軍隊区分:揚子江部隊中流警戒隊
19.10.12:「東久丸」より重油補給
19.10.24:九江〜10.24石灰窰10.25〜10.25漢口
19.10.30:漢口〜
〜10.30 1600 石灰窰にて砲艦「堅田」と分離〜
〜10.30九江
19.11.01:砲艦長:海軍少佐 吉田 駒雄
19.11.15:九江〜11.15石灰窰11.16〜11.16青山鎮11.17〜11.17漢口
19.11.19:0930 「相模丸」横横付け、糧食搭載
19.11.20:0945 一般徴傭船「第十二喜久丸」横付け、重油搭載
19.11.21:漢口〜11.21石灰窰11.26〜11.26九江
19.12.02:1620 P-51 6機と交戦
二十五粍機銃46、十三粍機銃367、七粍七機銃147発発射
19.12.04:1722 P-51 5機と交戦
二十五粍機銃175、十三粍機銃625、七粍七機銃107発発射
19.12.05:1102 P-51 7機と交戦
二十五粍機銃196、十三粍機銃1,200、七粍七機銃141発発射
19.12.06:1017 第四一二號砲艇横付け、糧食搭載
19.12.10:1217 P-51 2機と交戦
二十五粍機銃189、十三粍機銃520、七粍七機銃329発発射
19.12.18:1510 P-51 3機と交戦
二十五粍機銃49、十三粍機銃60発発射
19.12.19:(「堅田」護衛)九江〜12.19太陽洲12.20〜12.20南京
19.12.21:土嚢陸揚げ
19.12.22:(「堅田」護衛)南京〜12.22江陰沖12.23〜12.23上海(楊樹浦船渠)
19.12.23:1615 砲艦「堅田」の左舷に横付け
19.12.25:上海〜12.25江南(江南船渠)
19.12.30:弾薬陸揚げ
20.01.--:江南〜九江
20.01.04:1343 P-51 4機と交戦
20.01.10:軍隊区分:揚子江部隊下流警戒隊
20.01.14:九江〜01.14徐家(徐家灯標の2浬下流)
20.01.14:1312 P-51 2機と交戦
二十五粍機銃127、十三粍機銃470発、七粍七機銃52発発射
20.01.14:徐家〜
〜01.14 1648 P-51 4機と交戦:至近弾を受ける、
二十五粍機銃420、十三粍機銃2,550発、七粍七機銃200発発射〜
〜01.14陳家洲(新洲下端)
20.01.14:陳家洲〜01.15九江
20.01.15:1539 P-51 4機と交戦
20.01.16:1505 P-51 4機と交戦
1552 P-51 4機と交戦
1612 敵機と交戦
20.01.16:九江〜01.17安慶01.17〜01.18南京
20.01.20:南京〜01.20江陰01.21〜01.21呉淞01.22〜01.22江南
20.01.22:重油、弾薬を卸す
20.01.23:1030 第二船渠にて入渠
20.02.20:1110 出渠
20.02.20:砲艦長:海軍大尉 小池 三雄
20.02.28:1250 自差修正
1440 重油搭載
20.03.01:江南〜確認運転〜03.01江南
20.03.05:0945 繋留替え
20.03.08:小池大尉着任
20.03.10:吉田少佐退艦
20.03.13:江南〜03.13呉淞03.14〜03.14江陰03.15〜03.15八圩港03.19〜03.19九圩港03.19〜
〜03.19天申橋
20.03.19:揚子江部隊電令第26号:
1.鳴海は須磨の救難作業に従事すべし
2.状況最悪の場合乗員収容の上上海に回航すべし
3.爾後の警戒保安に関しては上根配属舟艇に依頼すべし
20.03.19:1527 砲艦「須磨」の救助作業開始
1551 砲艦「須磨」沈没
1755 救助作業終了
20.03.20:天申橋〜03.20八圩港03.20〜03.20上海
20.03.21:一需給油船を左舷に横付し給油
20.03.21:0650 繋留替え
0723 軍四桟橋に横付け
一需給油船を左舷に横付し給油
1210 繋留替え
1304 軍二桟橋に横付け
20.04.01:1415 P-51 7機と交戦
20.04.02:1027 P-51 7機と交戦
二十五粍機銃55、十三粍機銃105発発射
20.04.04:上海〜呉淞より引返す〜04.04上海
20.04.05:上海〜04.05江陰04.06〜04.06九圩港04.06〜
〜04.06 1010 前路掃海開始〜
〜04.06 1141 「興運丸」触雷〜
〜04.06承平洲上端
20.04.06:1142 「興運丸」が右岸に座洲、救助艇発艦
1250 「興運丸」沈没
1330 救助艇帰艦
20.04.06:承平洲上端〜04.06玉帯沙04.07〜
〜04.07 0803 前路掃海開始〜
〜04.07 1010 口岸漂泊、「興運丸」便乗者移載〜
〜04.07 1022 口岸発〜
〜04.07南京
20.04.09:南京〜04.09老洲04.10〜04.10安慶
20.04.15:軍隊区分:揚子江部隊安慶方面警戒隊
20.05.16:1037 P-51 2機と交戦
20.05.19:揚根機密第191713番電:右の通立案せるに付可然取計はれ度
下江前現駐留地にて陸揚の兵装(砲員):十三粍二聯装2(6)
20.05.24:支那方面艦隊電令第18号:
揚子江部隊指揮官は揚子江方面特別根據地隊機密第191713番電計画による麾下砲艦を人員兵器の
一部を陸揚したる後、逐次上海方面に回航せしむべし
20.05.24:揚子江部隊電令第39号:
各砲艦隊は左の通人員兵器(弾薬定額共)を揚揚したる後、上海に回航すべし
行動予定報告すべし
揚子江部隊電令第38号を取消す
1.陸揚げすべき兵器(砲員)及同装備地名
勢多 十三粍二聯装 1(6)蕪湖
七粍七機銃 2(2)漢口
熱海 二十五粍単装 1(6)石灰窰
十三粍二聯装 1(5)南京
七粍七機銃 2(2)漢口
二見 二十五粍単装 2(6)漢口
十三粍二聯装 1(5)南京
隅田 短八糎高角砲 1(5)九江
多多良 十三粍二聯装 2(16)蕪湖
鳴海 十三粍二聯装 2(16)蕪湖
2.現駐留地より上流地に装備すべき兵器(砲員)は現貯留地にて陸揚し輸送すべし
3.陸揚作業終了せば概ね各砲艦隊毎に上海に回航す
但し、第二十四砲艦隊は安慶方面警戒隊指揮官の配員された後下江するものとす
4.各砲艦より砲艇基地隊に派遣中の電信員は残留せしめ尚隅田より電信員2名安慶基地隊に派遣すべし
5.上海迄の所要燃料を見越し余裕量(成るべく一重)は現駐留地に於て陸揚するものとす
6.九江司令は堅田より二十五粍三聯装1及び同砲員を石灰窰防空隊の送付派遣すべし
20.06.10:安慶〜06.13上海
20.06.13:軍隊区分:支那方面艦隊電令第22号:中支部隊
20.08.15:内令第736号:砲艦隊編制廃止
20.08.15:内令第738号:第四豫備砲艦
21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
22.05.03:除籍:複二第327号
同型艦
なし。
兵装
(新造時)
3インチ砲2門、単装機銃4基。
(S18.12.06)
九六式二十五粍二聯装機銃1基、九三式十三粍二聯装機銃1基、九二式七粍七単装機銃4基、
三八式小銃20挺、十四年式拳銃5丁。
(S19.08.22)
九六式二十五粍二聯装機銃1基、九三式十三粍二聯装機銃2基、九二式七粍七単装機銃4基、
三八式小銃20挺、十四年式拳銃5丁。
(S20.06.11)
九六式二十五粍二聯装機銃1基、九二式七粍七単装機銃4基、
三八式小銃20挺、十四年式拳銃5丁。
(S20.06.13)
なし。
写真資料
雑誌「丸スペシャル」潮書房 No.45「日本の砲艦」 (P.68)
雑誌「丸Graphic Quarterly」潮書房 No.20 「写真集 日本の小艦艇(続)」(P.103)
雑誌「世界の艦船」海人社 1978年7月号増刊「日本軍艦史3.昭和編」(P.109)
雑誌「世界の艦船」海人社 1997年3月号増刊「日本海軍特務艦船史」(P.104)
「歴史群像」学習研究社 太平洋戦史シリーズ51 真実の艦艇史(2)(P.129)
「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫 (1119)
「日本海軍艦艇写真集 航空母艦・水上機母艦」ダイヤモンド社 H17.06 呉市海事歴史科学館(P.191)
"ONI 208J Supplement No.2 Far-Eastern Small Craft"
"http://navyworld.narod.ru/Cannoniere.htm#Ermanno_Carlotto"
"http://www.pietrocristini.com/rcanfl_carlotto.htm"
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