慶安丸の船歴
年 月 日:船歴
T14.05.15:起工
T14.11.07:進水、命名:白頭山丸
T14.11.29:竣工
T14.12.12:新規登録:所有者:朝鮮郵船株式會社、船籍港:仁川府、
登録総噸数:2,091.81、登録純噸数:1,227.73
T15.06.03:信号符字點付:朝鮮總督府告示第180号:PGNK
06.04.01:変更登録:改名:慶安丸
06.09.30:変更登録:登録純噸数:1,215.10
07.12.01:信号符字変更:朝鮮總督府告示第78号(08.03.08附):JCUB
08.03.30:0417 小公景島頂より南西方の海岸に乗揚げ
09.03.17:0300 群山港民野岩燈標より北西2分1西距離9鏈にて「新多賀丸」と接觸
11.09.02:定期検査
13.09.09:中間検査
14.10.23:変更登録:登録総噸数:2,084.62、登録純噸数:1,205.61
15.09.21:定期検査
17.08.13:中間検査
18.02.08:第1次海軍指定船
18.11.16:指定解除
18.11.16:徴傭:陸軍
18.11.16:釜山〜11.18釜山11.19〜11.21宇品
18.11.26:宇品〜12.20香港12.26〜01.15大阪
19.02.23:門司〜小樽
19.03.01:小樽〜釧路
19.03.16:(ヘ乙船団)釧路〜
〜03.16 2335(N42.18-E145.11)驅逐艦「白雲」被雷轟沈、
驅逐艦「霞」が制圧にあたり、船団は同「薄雲」の護衛で釧路に引返す〜
〜03.17釧路
19.03.27:(ヘ乙船団)釧路〜03.31単冠湾
19.04.02:(ヘ乙船団)単冠湾〜
〜04.03 0500 驅逐艦「~風」、海防艦「國後」、一般徴傭船「北進丸」が分離〜
〜04.03北得撫
19.04.07:北得撫〜04.11小樽
19.04.23:宇品〜05.11マニラ
19.05.20:マニラ〜ザンボアンガ
19.05.26:ザンボアンガ〜05.28ダバオ
19.06.12:ダバオ〜06.30セブ07.01〜07.02マニラ
19.07.26:マニラ〜07.30セブ07.31〜07.31マニラ
19.08.08:マニラ〜08.11セブ08.28〜08.30マニラ
19.09.04:菲島部隊電令第493号:
1.C〇六八船団は09月06日0600マニラ発セブに回航すべし
2.船団:A慶安丸、三笠丸、玄海丸、圖洋丸、第十七榮丸、蟠龍
B洛東丸、あやその丸
船団部隊指揮官:最上丸艇長
護衛艦:最上丸、第百三號哨戒艇、照風丸、隼(協力)
3.隼はモンポグ水道付近まで右船団を護衛後マニラに帰投すべし
4.第百三號哨戒艇、照風丸はセブ着後マニラに帰投すべし
5.最上丸はセブ着後第三南遣艦隊機密命令第71号に依る作業に協力、作業終了次第
マニラに帰投すべし
6.以下略
(* 実際には第十七福榮丸、蟠龍は随行せず別の1隻が加入しC〇六七船団として出港)
19.09.06:(C067船団)マニラ〜09.08セブ
19.09.09:セブ〜09.10マニラ
19.09.11:マニラ〜
19.09.12:沈没
19.09.12:解傭
喪失場所:セブ島北東岸沖.
喪失原因:米第38機動部隊艦載機による空爆
同型船
なし。
兵装
要調査。
写真資料
雑誌「世界の艦船」海人社 別冊「日本の客船(1)」(P.155)
「汽船表(別冊冩眞帳)」S13 海軍省軍務局編
「播磨造船所50年史」 S35.11 株式会社播磨造船所(P.58)
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