更新履歴とひとりごと

2021年02月26日 Version 21.09公開

2Eの頁を作成。
今週は週3日の出勤。東京都の新規感染者は270人、緊急事態宣言について6府県は2月末で解除。そして、またまた左遷され、昨日は0人、今日は4人の新規感染者がでた県に4月から赴任。

2021年02月19日 Version 21.08公開

2Eの頁を作成中。川南工業深堀の建造船について作成完了。あとは三菱若松建造船だけ。
3EにC瀧川丸を追加。戦後の起工ではなかったため。
今週も週2日の出勤。

2021年02月12日 Version 21.07公開

3Eの頁作成、
2Eの頁を作成中。2Eを建造した4大造船所の内、播磨造船所松の浦工場と東京造船所の建造船については作成を完了したものの隻数が多いのでだんだん飽きてきた。
2Eの諸元に入れていた海興丸は1Eだったので削除訂正。JACARで公開されている昭和18年版の徴傭船舶名簿だと1Eの海興丸は20.03.29沈没になっている。だが20.03.29に沈没したのは蓬莱タンカー(船主は変わっているので大洋興業とするWikiの記述は誤り)の海興丸とするのが一般的。徴傭船舶名簿がただの誤記か、それとも本当はあべこべなのか?
天翔さんとこで大和ミュージアムの「つがる」の写真が紹介されており、初見かなぁと思って調べるとやはりDLはしていない。ということで、もう少し調べて見るとDBに写真が追加されているようである。例の武蔵の写真も追加されているし、特設艦船だと愛國丸、朝日丸、第十一京丸、第十一昭南丸あたりに初見の写真がある。
今週も週2日の出勤。旗日があるからね。

2021年02月05日 Version 21.06公開

2Dの頁作成、2E(含む3E)の諸元作成。
今週は週2日の出勤。

2021年01月29日 Version 21.05公開

2Aの頁作成、2Eの諸元作成中。
結局今週も週3日の在宅勤務。

2021年01月22日 Version 21.04公開

2ETの頁作成、2Eの諸元作成中。
結局今週は週3日の在宅勤務。

2021年01月15日 Version 21.03公開

1TM、2TL、2TMの頁、2Dの諸元作成。「第二次戦標船は初め改A、改D、改Eと称していたが、正規には2A、2Dとした。しかし、E型はゴロの関係もあって”改E”が使われた。」(若松造船所-歴史と回想-P.12)とあるように、改E型戰時標準船は2E型第二次戰時標準船のこと。 播磨造船所は「播磨造船所50年史」の中で建造船をすべて改E型とし2E型とはしていない。よって改Eを特別に分類する必要はないと考え2Eに統合することにした。そして空いたスペースに応急油槽船である2ATを2Aから独立させて掲載。2ATがあとで改造されて再び2Aとなったりして区分に曖昧なところがあるのだが、まぁこんなところかと。大雅丸については遠藤昭著「日本船舶史(抄)」で紹介された「本多戦標船台帳」(雑誌「船の科学」1993年4月号)では2ATとされていない。おそらくはこれが出所として大雅丸は一般に2Aとされているが前後の大明丸、大盈丸が2ATであるにもかかわらず何故本船が2ATでないのか不可解な点がある。このことに加え、「武装商船警戒隊戦闘詳報第348号」でも船舶運營會の資料(JACAR:A03032222800)でも本船が陸軍配当の油槽船とされていることから本サイトでは2ATとして掲載することにした。改Eの油槽船については「播磨造船所50年史」の中でわざわざ2ETと分けて書いてあり、「日本船舶史(抄)」(雑誌「船の科学」1994年9月号)の記述を併せ読むと「貨物船を改造した応急油槽船」が改Eの油槽船で、「油槽船として新しく設計されたもの」が2ETのようなのでそのまま残置とする。
11都府県に緊急事態宣言拡大。本日は久々の在宅勤務。

2021年01月09日 Version 21.02公開

1TM以外の第一次戰時標準船、改E、3ETについて頁作成完了。
東京の感染者は一気に2,400人を超え、ついに1都3県に緊急事態宣言再発。果たしてヤマトは人類滅亡の日までにコスモクリーナーを持って帰ることができるのか。

2021年01月02日 Version 21.01公開

謹んで新春のお慶びを申し上げます。
いろいろ訳あって諸元についてはMS Excelから直接HTMLに変換するのを止めて徐々にPDFに移行させている。それで外国傭船(フランス船)の諸元を修正するのにたった11隻分だけするのも何だしなぁと思い、ドイツ船やイタリア船も一緒にすることにした。ということで、外国傭船(佛蘭西船)の頁を更新すると共に外国傭船(独逸/丁抹/芬蘭船)、外国傭船(伊太利/葡萄牙/瑞典船)の頁を作成。これらは傭船だから傭船料を支払っているにもかかわらず、なんでもかんでも拿捕船と言っている日本人の何と多いことでしょう。ボーっと生きてるんじゃ。。。
「帝寶丸」と「ぼごた丸」の関係がよく分からないでいたが、船歴を作成してみるとある程度想像がついた。傭船期間中に「帝寶丸」と改名したものの、傭船契約がきれれば返船しなければならないわけで、しかも返船した期間にドイツが特設艦船として使用しているため原名に復し、今度はドイツの降伏によって抑留船となって「ぼごた丸」と改名したという経緯をとるわけである。これを「コンテ・ベルデ」にあてはめると「帝京丸」と「壽丸」の関係も自然と分かる。それでコンテ・ベルデの備考を削除。
戦標船についてもこの際、まとめておこうかと思い調査を開始。各船の船歴の中に書いてある1TLや1Kの同型船に抜けがあることに気づく。また、一般徴傭船などの諸元と齟齬が生じる部分がでてきたり、日本船名録の誤記にも気づいたのでこそっと訂正。


2020年の履歴はこちら  2019年の履歴はこちら  2018年の履歴はこちら  2017年の履歴はこちら  2016年の履歴はこちら
2015年の履歴はこちら  2014年の履歴はこちら  2013年の履歴はこちら  2012年の履歴はこちら  2011年の履歴はこちら
2010年の履歴はこちら  2009年の履歴はこちら  2008年の履歴はこちら  2007年の履歴はこちら  2006年の履歴はこちら
2005年の履歴はこちら  2004年の履歴はこちら  2003年の履歴はこちら

Homeへ戻る