第五十號海防艦の艦歴
年 月 日:艦歴
19.07.08:起工、仮称艦名:第2725號艦
19.08.25:命名:達第279号:「第五十號海防艦」
19.08.25:類別等級制定:内令第992号:種別:海防艦、類別:海防艦、艦型:第二號型
19.08.25:本籍仮定:内令第1000号:横須賀鎮守府
19.09.09:進水
19.09.15:艤装員長:海軍少佐 平石 廉
19.09.16:艤装員事務所を石川島造船深川分工場内に設置し事務を開始
19.10.13:竣工、艤装員事務所を撤去
19.10.13:本籍:内令第1180号:横須賀鎮守府、役務:警備海防艦
19.10.13:海防艦長:海軍少佐 平石 廉
19.10.13:戦時編制:呉鎮守府部隊呉防備戦隊
19.10.21:1400 市江埼通過西航(予定)
19.12.05:戦時編制:横須賀鎮守府部隊第三海上護衛隊
20.04.15:戦時編制:大海幕機密第608号ノ234:横須賀鎮守府部隊第四特攻戦隊
〜05.01 0790 沖黒島南2浬にて被雷、推進器落失、後部浸水〜
〜05.01 ---- 「第二十一號掃海特務艇」が曳航〜
〜05.01見老津湾
20.05.01:大阪警備府信電令第15号:
1.紀伊防備隊司令は第五十號海防艦を応急修理の上速に大阪に曳航すべし
2.大阪武官、九〇三空串本派遣隊指揮官及大阪運輸部長は紀伊防備隊司令の協議に応じて
協力すべし
3.大阪監督官は右修理作業に協力
20.--.--:見老津湾〜文里
20.06.13:大阪警備府信令第198号:
海面防備部隊指揮官は第百九十號海防艦及其の他適宜の艦艇を以て文里繋留中の第五十號海防艦
を大阪藤永田に回航すべし
20.09.15:役務:(機密第091753番電にて予定):第四豫備海防艦
21.04.01:類別等級削除:軍令第1号(自然消滅)
22.02.01:二復總第49号:行動不能艦艇、大阪地方復員局所管
所在:大阪藤永田造船所、現状:艦尾切断、航行不能
22.05.03:除籍:復二第327号
同型艦
第二號、第四號、第六號、第八號、第十號、第十二號、第十四號、第十六號、第十八號、
第二十號、第二十二號、第二十四號、第二十六號、第二十八號、第三十號、第三十二號、
第三十四號、第三十六號、第三十八號、第四十號、第四十二號、第四十四號、第四十六號、
第四十八號、第五十二號、第五十四號、第五十六號、第五十八號、第六十號、第六十二號、
第六十四號、第六十六號、第六十八號、第七十號、第七十二號、第七十四號、第七十六號、
第七十八號、第八十號、第八十二號、第八十四號、第百二號、第百四號、第百六號、
第百十二號、第百十六號、第百十八號、第2761號艦、第百二十四號、第百二十六號、
第百三十號、第百三十二號、第百三十四號、第百三十八號、第百四十二號、第百四十四號、
第百五十號、第百五十四號、第百五十六號、第百五十八號、第百六十號、第百八十六號、
第百九十號、第百九十二號、第百九十四號、第百九十六號、第百九十八號、第二百號、
第二百二號、第二百四號。
兵装
(計画時)
四十五口径十年式十二糎高角砲2門、
九六式二十五粍三聯装機銃2基、九九式軽機銃2挺、一四式拳銃13丁、九九式小銃39挺、
九六式三米高角測距儀一型1基、九六式六十六糎測距儀1基、
九三式二号水中聴音機小艦艇用甲1基、九三式探信儀一型1基、須式七十五糎探照燈四型改一1基、
二号電波探知機二型改二1基、
仮称三式投射機12基、爆雷投下軌道1條、九五式爆雷120個。
写真資料
「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫(2354)
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