改名について

海軍自ら艦船を建造する場合は同時代に2つの船に同じ名前を付けることはありません。特設艦船はもともと民間船舶であるために時として同名船を徴傭することも避けられません。しかし同名船が海軍部内に存在すると混乱が生じるため、船舶の登簿上はそのままにして海軍部内限りで改名をしました。

最初に改名されたのは特設水上機母艦の「能代丸」です。当時すでに特設掃海艇に同名船が在籍していたため「能代川丸」と改名されました。本船は昭和16年8月20日にいったん除籍されますが、同年9月20日に特設巡洋艦として再び入籍されます。しかし、このときには改名は行われず、特設掃海艇の「能代丸」の方が逆に「第二號能代丸」と改名されました。

この「能代川丸」以外は、船名に「第一號」「第二號」「第三號」をつけて同名船と区別しました。

特設艦船の中にも「い號」をつけて同名船と区別しているものがありますが、本来「い號」「ろ號」等というのは同名の「特設艦船ニ非ザル海軍省徴傭船」を区別するために付けられたものです。当初、徴傭船舶中に同名船があっても特設艦船以外は改名しませんでしたが、昭和18年3月17日付兵備三機密第110號により特設艦船以外でも海軍省が徴用した船については改名することにしました。特設監視艇の「ほ號高宮丸」(昭和19年3月進水)は登簿上も「ほ號」が付いておりますので、この頃にはすでに同名船が存在しないように調整していたのかもしれません。

変わった改名例としては特設運送艦の「極東丸」があります。誰が言い出したかは定かでありませんが、「極東というのは欧州からみた呼び方でけしからん」ということで、船主の飯野海運産業は登簿上の船名を「大八州丸」と改名しました。しかし、昭和13年から特設艦船として活躍していた「極東丸」の方が親しみやすかったのでしょうか、海軍では発音をそのままに部内限りで「旭東丸」と改名しました。真珠湾攻撃の際には「極東丸」と記載されるのが、ミッドウェー海戦時では「旭東丸」とされるのは、昭和17年1月15日を境に改名されているからです。

特設艦船の改名を一覧表にまとめたのが表2です。

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