年 月 日:船歴
13.05.15:起工 13.09.10:進水、命名:呉竹丸 14.01.20:竣工
14.01.--:新規登録:船舶番号:45506、 所有者:近海郵船株式會社、 登録総噸数:1,924 14.01.24:登録検査、船級:TK N.S.*、船級番号:802 14.01.24:船舶検査証書交付 14.04.22:信号符字點付:逓信省告示第1032号:JZJM 14.09.08:日本郵船株式會は近海郵船株式會社を吸収合併 14.10.10:変更登録:所有者:日本郵船株式會社 15.02.--:中間検査 16.03.--:中間検査
17.05.24:徴傭:船舶運營會 17.08.16:1755 梶取埼灯台の120度2.2浬にて雷撃を受けるが被害なし 17.09.11:大王崎にて「常磐丸」と衝突、船首大破 17.11.30:横浜にて第一次第一種定期検査 18.04.05:(第8405船団)神戸〜 〜04.06 特設運送船「第拾五博鐵丸」が四日市に先行〜 〜04.06 1622 英虞湾仮泊〜 〜04.07 1200 英虞湾発、荒天により再び英虞湾に戻る〜 〜04.08 0458 英虞湾発〜 〜04.08 1700 雨天視界不良の為、焼津沖に避難〜 〜04.08 1900 焼津沖発〜 〜04.09横浜 18.07.07;第1次海軍指定船 19.04.29:(第8429船団甲)神戸〜04.30尾鷲05.01〜05.01伊良湖05.02〜 19.07.24:0700 市江埼通過東航(予定) 19.09.06:0700 市江埼通過東航(予定) 19.11.19:0430 切目埼通過東航(予定) 20.01.12:解傭
20.01.12:徴傭:陸軍、船番号:1345 20.01.16:(第3115船団)館山〜 〜01.16 ---- 荒天のため船団から後落〜 〜01.18 0730 「第五十六號海防艦」が会合、護衛を開始〜 〜01.19父島 20.01.20:(第4119船団)父島〜 〜01.20 2300 「第十二號海防艦」は敵潜水艦らしきものを探知し攻撃に向う〜 〜01.23館山 20.01.--:館山〜01.25横浜 20.02.06:館山〜02.09八丈島02.12〜02.12横浜 20.04.01:1600 江須埼通過西航(予定) 20.04.08:小樽〜04.13柏原05.11〜05.11小樽 20.05.18:(チ船団)小樽〜05.23幌筵 20.05.26:(チ船団護片岡〜 〜05.28 2000(N50.00-E146.00)霧中、海防艦「八丈」が船団と分離〜 〜05.29 1300(N47.32-E143.31)海防艦「八丈」捜索の為、「第百十二號海防艦」が反転〜 〜05.29 2055(N46.46-E144.16)右舷一番艙に被雷、大破〜 〜05.30 0530 総員退船〜 〜05.30 0600 沈没
20.05.30:沈没 20.05.30:解傭
喪失場所:N46.46-E144.16 樺太中知床岬北東150km附近 喪失原因:米潜水艦Sterlet(SS-392)の雷撃
(川南K型) 太興丸、若竹丸、七星丸、第二榮丸、辰jロ、鐡山丸、鐡海丸、安島丸、第一新東丸、 塔路丸、弘玉丸、光jロ、第一あまかす丸、太隆丸、五隆丸、木曾川丸、長運丸、 朝山丸、東~丸、東陽丸、寶運丸、隆亞丸、~武丸、昌隆丸、木津川丸、龍田川丸、 保津川丸、大倫丸、東運丸、親和丸、協和丸、同和丸、コ和丸、日鶴丸、日翼丸、 辰壽丸。
機銃1基、爆雷4個。
雑誌「海運」日本海運集会所出版部 昭和13年10月号、昭和14年2月号 雑誌「世界の艦船」海人社 別冊「日本郵船船舶100年史」(P.261) 「船舶百年史前篇」有明書房 S32.09 上野喜一郎(P.148) 「日本郵船戦時戦史下巻」S46.05 日本郵船株式会社(P.225)
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