昭和20年1月1日付の内令第6号で入籍された特設驅潜艇には前歴がはっきりしないものが多くあります。特に本船「第三仙賀丸」については不明の点が在ります。
昭和18年の「徴傭船舶名簿」に記載されている船舶番号48095は「昭和十八年度日本船名録」で「仙賀丸」と記載されており「第三」はついておりません。「昭和二十二年度日本船名録」を見てみましたが、やはり「仙賀丸」と掲載されておりました。信号符字を付与された船の場合「日本船名録」では信号符字を記載した箇所と本文の2箇所で船名を確認できるので、誤記があれば比較的容易に判別できます。しかし、いずれも「仙賀丸」と記載されておりますので「日本船名録」に誤記はなさそうです。昭和20年6月25日付の横鎮機密第70號の64(JACAR:C08050009000-45画像目)で船舶番号48095を解傭した文書がでていますが、ここでの船名も「仙賀丸」です。海軍部内で改名されたならば「第三號」と「號」がつくはずですが、そうではありません。また「第二號仙賀丸」という船も存在しませんから海軍部内で改名された可能性もなさそうです。この船舶番号48095ですが「昭和十七年度日本船名録」では大正7年1月に製造されたことになっております。船舶番号の48000番台というのは昭和16年頃に付与された番号で、事実「昭和十七年度版」より前の「日本船名録」に「仙賀丸」という船の記載はありません。そこで「大正八年度日本船名録」を見ると次の船の記載があります。
また、戦後の「日本船名録」では次の船の記載があります。
「大正八年度版」から順を追って各年度の「日本船名録」を見てみると「第三仙賀丸」について次のようなことが分かります。
大正7年出来の船に48000番台の船舶番号が付与される可能性としては次のようなものが考えられます。
現在、筆者は「第三仙賀丸」とは船舶番号21968の船が昭和11年に一旦登録抹消となったあと、昭和18年か19年に機関を搭載した上で再生されたものであり、このとき「仙賀丸」と改名されたものの、海軍が内令を出す際に誤って「第三仙賀丸」としたのではないかと想像しています。
<前のページへ>