年 月 日:船歴
15.06.20:起工、神戸〜大連線に就航予定 16.09.24:進水、命名:筑紫丸
18.01.15:内令第22号:特設潜水母艦、佐世保鎮守府所管と仮定 18.01.15:艤装員長:海軍大佐 關 禎 18.01.18:艤装員事務所を川崎重工業株式會社艦船工場内に設置し事務を開始 18.03.25:艤装員事務所を撤去 18.03.25:竣工
18.1Q :新規登録
18.03.25:徴傭 18.03.25:入籍:内令第498号:特設潜水母艦、佐世保鎮守府所管 18.03.25:戦時編制:呉鎮守府部隊呉潜水戦隊 18.03.25:艦長:海軍大佐 關 禎 18.03.25:神戸〜03.27呉 18.03.30:呉〜 〜03.30 伊予灘にて「伊號第三十七潜水艦」「伊號第三十八潜水艦」曳航給油教練03.31〜 〜04.01呉 18.04.01:戦時編制:聯合艦隊第一艦隊第十一潜水戦隊 18.04.05:呉〜04.07呉 18.--.--:座礁 18.04.25:呉〜05.01呉05.06〜05.20呉 18.05.01:艦長:海軍大佐 溝畠 定一 18.05.24:呉〜05.28別府05.30〜06.01呉 18.06.10:呉〜07.01呉07.12〜07.31呉 18.08.11:呉〜08.30呉09.02〜09.03呉 18.09.11:呉〜09.30呉10.12〜10.29呉 18.11.08:呉〜11.27呉 18.11.25:戦時編制:聯合艦隊第六艦隊第十一潜水戦隊 18.12.17:呉〜12.17門司 18.12.21:(ヒ27船団)門司〜12.24高雄12.26〜01.02昭南 19.01.03:筑紫丸機密第030930番電: 本艦出渠後満10ヶ月半経過1月5日より11日迄艦底塗換の為入渠の件認許を得度 追て当港に於ける荷役並に発航は予定通実施得る見込 19.01.--:昭南〜01.27佐世保 19.01.29:官房艦機密第516号:特設艦船に電波探知機装備の件訓令 佐世保海軍工廠をして首題の件左記に依り施行せしむべし 記 1.施行艦名 特設巡洋艦 西貢丸 特設敷設艦 高榮丸、新興丸 特設潜水母艦 筑紫丸 2.工事要領 各艦受信室又は艦橋附近適当なる位置に假稱電波探知機各一組を装備し空中線装置、 電源装置等を完備するものとす 3.所要兵器(供給) 兵器主管別 兵器名称 一艦分数量 記事 通信長 假稱電波探知機附豫共 1組 同 三號蓄電池三型三器入 2個 同 同 十型二六器入 4個 同 其の他小兵器 所要数 供給の上は品名、数量を海軍艦政本部長に 報告のこと 4.完成期 時機を得次第成るべく速に 5.費目 (以下省略) 19.01.29:佐世保〜01.30呉 19.02.10:呉〜02.11佐世保02.17〜トラック 19.03.01:軍隊区分:先遣部隊機密第070736番電:附属部隊 19.03.17:(筑紫丸船団)トラック〜03.24サイパン〜 〜03.24横須賀03.27〜03.30呉 19.04.17:呉〜04.18呉 19.05.05:呉〜伊予灘〜05.08呉 19.05.16:呉〜伊予灘〜05.23呉 19.06.11:呉〜 〜06.13 1920 「伊號第三十三潜水艦」遭難現場(概位:由利島の325度4,500m)着捜索〜 〜06.15呉 19.07.20:戦時編制:聯合艦隊第六艦隊附属 19.07.27:艦長:海軍大佐 高橋 長十郎 19.08.24:呉〜08.25油谷湾08.31〜09.01呉 19.10.01:呉〜10.01徳山10.09〜10.10呉 19.11.01:呉〜11.03呉 19.12.19:呉〜12.21呉 19.--.--:北九州〜阪神間の石炭輸送に充てるため第二甲板の一部を撤去、船艙を石炭庫とする 20.01.06:艦長:海軍大佐 關本 織之助 20.01.20:除籍:内令第59号
20.01.20:入籍:内令第60号:特設運送艦、佐世保鎮守府所管 20.01.20:戦時編制:大海幕機密第608号ノ183:呉鎮守府配属、種別:雑用 20.01.20:特務艦長:海軍大佐 關本 織之助 20.01.21:呉〜01.23三池01.27〜01.29呉 20.02.04:呉〜02.13呉 20.02.20:呉〜02.21西戸崎 20.03.01:石炭搭載(03.04まで) 20.03.05:西戸崎〜03.05姫島03.06〜03.06小豆島03.07〜03.07尼崎 20.03.07:石炭揚陸(03.11まで) 20.03.12:尼崎〜03.12二面島03.13〜03.13徳山 20.03.13:重油、真水搭載 20.03.14:徳山〜03.14部崎03.14〜03.14六連島03.15〜03.15三池港外03.16〜03.16三池 20.03.16:石炭搭載(03.21まで) 20.03.18:対空戦闘 20.03.22:三池〜03.22亀島03.23〜03.23呼子03.24〜03.24長島03.25〜03.25呉 20.03.25:石炭揚陸(03.26まで) 20.03.28:対空戦闘 20.03.30:重油搭載 20.04.12:対空戦闘 20.04.13:呉〜 〜04.13 対空戦闘〜 〜04.13長島 20.04.14:長島〜04.14部崎04.15〜04.15門司 20.04.15:砂糖搭載(04.20まで) 20.04.16:対空戦闘 20.04.17:対空戦闘 20.04.21:門司〜04.21上蒲刈島04.22〜04.22新居浜 20.04.23:砂糖揚陸(04.29まで) 20.04.30:新居浜〜04.30祝島〜05.02西戸崎 20.06.02:唐津〜06.02呼子 20.06.04:呼子〜 〜06.04 触雷、機械室に破孔を生じ浸水、応急処置〜 〜06.04周防灘06.05〜06.05呉 20.06.06:転錨、岸壁係留 20.06.06:石炭揚陸(06.12まで) 20.06.08:転錨、九番浮標 20.06.13:転錨、二十番浮標 20.06.13:触雷箇所修理開始 20.06.16:対空戦闘:発射弾数3発 20.06.21:転錨、小屋浦 20.06.22:対空戦闘:発射弾数99発
20.08.15:残存:SCAJAP No. T-127 20.10.01:特務艦長:海軍大佐 大友 文吉 20.10.26:呉〜11.03マニラ11.08〜11.06佐伯 20.11.27:香焼島にて修理(01.28まで) 20.11.30:除籍:第301730番電
20.12.01:入籍:内令第6号:特別輸送船、佐世保地方復員局所管 20.12.25:艦長:第二復員官 上田 泰彦 21.01.28:佐世保にて修理(02.04まで) 21.02.04:佐世保〜02.07厦門02.08〜02.11鹿児島02.14〜02.15佐世保 21.02.16:佐世保〜02.17鹿児島02.18〜02.21厦門02.22〜02.23汕頭02.24〜02.27佐世保 21.03.02:鹿児島〜03.03佐世保 21.03.07:佐世保〜03.12マニラ03.18〜03.23沖縄03.23〜03.26沖縄 21.04.15:佐世保にて修理(05.13まで) 21.05.15:佐世保〜05.22マニラ05.30〜06.03佐世保 21.06.06:佐世保〜06.11グアム06.15〜06.19テニアン06.19〜06.26沖縄06.23〜07.03奄美大島07.03〜 〜07.09名瀬07.09〜07.10鹿児島 21.07.10:北見にて修理(08.18まで) 21.08.18:鹿児島〜08.23葫蘆島08.24〜08.26博多 21.08.15:除籍:復二第165号 21.08.20:解傭
21.09.04:佐世保にて船舶運営會に引渡し(JACAR:C08011359900)
浪速丸。
十五糎砲4門、十三粍単装機銃2基。(三井造船社史より) (最終時) 十年式十二糎高角砲2門、二十五粍機銃1基、十三粍機銃2基、 百十糎探照燈1基、九十糎探照燈1基、 仮称吊下式水中聴音機三型1組、中防雷具一型改一1組。
雑誌「世界の艦船」海人社 別冊「日本の客船(1)」(P.145) 雑誌「船の科学」船舶技術協会 1981年5月号「日本商船隊の懐古 No. 23」山田早苗 雑誌「丸Graphic Quarterly」潮書房 No.17「写真集 日本の小艦艇」(P.64) 「船舶史稿」船舶部会「横浜」第九巻(P.44) 「海軍第十一巻 小艦艇 特務艦艇 雑役船 特設艦船」誠文図書 S56.09 「海軍」編集委員会(P.220) 「写真日本海軍全艦艇史」 潟xストセラーズ H06.12 福井静夫 (2942) 「商船三井船隊史」 H21.04 野間恒(P.175) 「商船三井 船舶史 1884-2010」 H22.12 木津重俊 "Univercity of Hawaii", Image Archive, Trust Territory of the pacific islands, Ref. No. N-4093.04, N-4093.05, N-4093.06
昭和18年12月17日の呉出港から昭和19年7月20日附第六艦隊所属となるまでの行動は「旧海軍恩給年加算調書」を基本とし、これと矛盾しない範囲で「第十一潜水戦隊戦時日誌」「特設運送船國川丸戦時日誌」「戦時輸送船団史」を参照している。「第十一潜水戦隊戦時日誌」は各月間の連続性がなかったり、記述が曖昧で本艦の行動に関しては正確なものではない。ただし「旧海軍恩給年加算調書」で昭和19年2月1日とされている呉出港の記録は佐世保到着が2月11日となっており航海に10日も要していることから、「第十一潜水戦隊戦時日誌」の2月10日呉出港が正しいと判断している。「戦時輸送船団史」にある昭和19年3月24日サイパン着の記録は「旧海軍恩給年加算調書」の3月24日横須賀着の記録と矛盾するが、どちらが正確なのか判断がつかなかったので併記してある。